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第83話 能ある鷹は爪を隠す

 まさか、白装束が関わっているのか?

 俺は椿に考えを伝えると、彼女は下顎を手で支えて考えた。


「白装束が……ねえ。確かに、盗聴器の設置くらいはやりそうだけど……脅迫までするかしら」

「うーん、確かに白装束が脅迫したなんて、聞いたことないよな」

「あいつらは犯罪のプロ集団。誰にでもわかる証拠を残すようなこと、しないと思うわ」


 椿の言うことにも一理ある。椿は妹の紅葉ちゃんが“人生をやり直せる薬”を飲んでしまってから、白装束を追いかけているのだ。


「そう。白装束なら、もっと手の込んだことするはずよ」


 白装束が関わっていない……か。

 そうであればいいが、保険の勧誘という手口が引っかかる。

 あいつら、白衣を身にまとっていなくても、梔子財閥の事件の時みたいに、普通のビジネスパーソンに扮して、紛れ込んでいる可能性がある。

 能ある鷹は爪を隠す。奴らは犯罪のプロ。目立つような行動はしないのだ。


 いろいろ推理を巡らせていたら、紅葉ちゃんが冷えた麦茶を注ぎ、俺のもとにやってきた。


「はい、リツさん。これで飲んで」

「あ、ありがとう紅葉ちゃん」


 紅葉ちゃんから麦茶を受け取る。その後、紅葉ちゃんは姉の椿のガラスのコップにも麦茶を注ぐ。そして、紅葉ちゃんが麦茶を戻そうと窓に体を向けた、その瞬間だった。


「え……⁉」


 紅葉ちゃんは思わず麦茶が入ったガラスのポットを落としてしまった。

 ポットが床に落ち、音を立てて割れた。中の麦茶も飛び散り、一部が俺のズボンにもかかる。俺は思わず後ろに下がった。


「紅葉! 何してるの?」


 椿が駆け寄って割れたポットの破片を拾い上げた。


「お姉ちゃん……ごめん」


 紅葉ちゃんは頭を下げながらも、少々間を置いてこぼれるような声を漏らした。


「さっき、人が落ちて……」

「え?」


 椿が顔を上げて窓を見る。外には青い空が広がっているが、外の地上から騒がしい音がする。サイレンの音も聞こえる。

 俺はまさかと思い、急いでホテルの窓から、下を覗いた。

 飛び込んできた光景に、俺は絶句した。そのまま数十秒、俺は動くことができなかった。


「リツ、何かあったの」


 椿が俺に呼びかけるが、俺はすぐさま振り返り、手を広げて椿を制止した。


「椿、来るな‼ 見ちゃだめだ‼」

「え?」


 ホテルの二十メートル真下。スーツを身に着けた人だったものがそこにはあった。落下地点から何かが弾けたように赤黒い血が飛散し、四肢や筋肉、臓物の一部とみられるものが周囲に飛び散っている。

 胃から内容物が逆流しそうになる。とても見ていられるものじゃない。


 そして、四散した肉片や身に着けている着衣から判断して、大柄な男だったようだ。


 あれが、生きていた人間の末路なのか。

 否でも応でも父さんやこれまでかかわってきた殺人事件の被害者のことがフラッシュバックする。

 しかし、今は状況の確認が必要だ。事故なのか、事件なのか……。俺はふと上を見上げた。

 すぐ上の窓が開いていて、カーテンが風に揺れていた。そして、窓の下にある枠とフレーム……サッシに何か赤い染みのようなものがついている。血液か……?

 俺はすぐに駆け出した。


「ちょっと、リツ、どこ行くの⁉」


 椿が呼び止める。

 俺は急ブレーキをかけて振り返ると、


「上の部屋を見てくる。ひょっとしたら……殺人事件かもしれない」

「え、殺人って……さっき紅葉が見た、落ちた人がいるってのは……」

「ああ。ホテルの上の階から人が落ちたんだ」

「うそっ……。それなら、警察呼ばなきゃ……」


 椿に言われる前に、俺の足は走り出していた。

 俺の中に眠る本能が俺を走らせていた。

 みんな生きていた人。悪人だろうが、誰だろうが、理不尽に奪っていい命があるはずがない。


***


 ホテルを歩いているとすでに騒がしくなっていた。

 宿泊客とみられるスーツ姿のビジネスマンやOL、そして平穏な休日を過ごすはずだった家族連れも……みんな右往左往している。大炊山ホテルのロゴを胸元につけた若いホテルスタッフが、落ち着くよう宿泊客に呼びかけていた。

 ただ、その中には不安そうな姿でホテルスタッフを眺める子供もいる――しかしその子供はこのホテルのロゴがついた、このホテルの制服を着用していた。


 それより気になるのは宿泊客の方だ。

 何人か、どこかで見たことのある人がいる気がする……。

 なぜだろう。話したことはないけど、父さんと一緒に見かけた……そんな気がしてならなかった。


「おいおい、警部と連絡がつかないぞ。酒川、お前もつながらないか」


 眼鏡をかけた、細長い顔の男がスマホを操作しながら、部下とみられる二十代半ばの男に呼びかけていた。


「は、はい。SENNにもさっきからメッセージを送っているんですが……既読が付きません」

「くそ……何があったんだ……。警部が宿泊している部屋に向かうぞ」

 ホテルの中に警察? 制服を着ていないあたり、私服警官みたいだが……。何かの潜入で来ているのか?


 上の階に行くと前から茶髪三つ編みの少女が歩いてくる……。俺は思わず急ブレーキをかけた。


「泰子ちゃん!」

「あ……探偵の……」


 俺はしゃがみ込むと泰子ちゃんと目線を合わせた。


「危ないじゃないか。お兄さんと一緒にいないと、怖い人がきみを捜してるかもしれないよ? 何をしてたの?」

「ちょっと……おて……トイレに……」

「お兄ちゃんと戻ろう。いま、お兄さんを呼ぶから」


 スマホを取り出そうとした時だった。

 奥の部屋から大声が響く。


「け……警部‼」


 スーツを着た二十代の男が一人、部屋から尻もちをついて後ろ向きに倒れ込んだ。さっき、廊下で話していた刑事のうち、部下の男の方だ。


「酒川! 何をしている! 早く警察を呼べ‼」


 部屋から別の男の声がする。倒れ込んだ男は焦ってスマホを取り出した。


「は、はいっ!」


 男はスマホに向かって必死に呼びかけている。


 俺と泰子ちゃんはその様子を見守っていたが、事件が発生しているのは事実。

 俺はスマホを取り出すと、119番通報をした。

 警察に状況を説明しているとちらちらと泰子ちゃんが俺の視界に入る。彼女は不安そうな面持ちで俺を見ていた。


 通報を終えてスマホの通話を切ると、俺は手を誰かに引かれた。やばい、と思い振り返ると、椿が眉を逆八の字にして、両手を腰に当てて俺を睨みつけていた。その隣に紅葉ちゃんもいる。


「こら。見境なく行動するなって言ったでしょ」

「……ごめん」

「目の前で事件が起これば居ても立ってもいられないんでしょ? さすが、敏腕警部の血を引く男だわ」

「……」

「よく考えて行動するって最近できてきたのに、これじゃああなたの推理力が台無しだわ」


 俺はこくりと頷いた。仰る通りです。

 思わず俺は頭が掻きたくなった。


――変なお兄ちゃん


 小さいが、どこか明るい声が聞こえた。振り向くと、泰子ちゃんが手を口に当てて、朗らかに笑っていた。


「さっきまでの怖い顔が、嘘みたいに消えてるね」


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