第74話 せめてもの罪滅ぼし
季節は四月に差し掛かり、当に桜は満開を過ぎ、散り始めていた。
俺は家を出て、いつものように探偵事務所に向かっていた。
事件から一カ月が過ぎた。
一地方財閥で発生した殺人事件は、人口十数万人の地方都市はもとより、日本全国を震撼させた。
【梔子財閥 親と子の壮絶な惨劇】
事件直後はそんな見出しが新聞やテレビに踊り、SNSや掲示板では同様の記事の引用が相次いだ。
しかし、事件の真相がわかるにつれ、犯人には同情的な声も寄せられていた。親による過剰な干渉と教育を盾にした虐待は、ここ近年深刻な社会問題となっていたが、毒親からの虐待に声を上げる人も増えてきたのだ。
現在、裁判に向けて手続きが進行中だという。
俺たちはこの事件の解決に係ったことで、地元のテレビ局の取材を受けた。もちろん、アナウンサーのインタビューを受けたのは椿である。椿も取材を受けるのは初めてのはずだが、はきはきと受け答えしていた。当然、コミュ障の俺にはできない役割だ。
とはいえ、椿は俺の推理で解決できたことも話してくれた(名前は伏せてもらった)。
【事件解決に貢献したのは私立探偵! 警察より感謝】
そんなニュースが地元の夕方ニュース番組で取り上げられた。
「リツ、あなたすごいじゃない! ついにテレビデビューね! まさか息子が有名人になるとは、お父さんも天国で喜んでるはずよ!」
母さんはテレビを見ながらはしゃいでいたが、当の俺は心臓バクバクだったんだが……。
実は、これには切実な理由があった。俺と紅葉ちゃんは”ホワイトリップル研究所”を名乗る白装束の集団にマークされている可能性がある。この街に奴らがいる以上、目立つわけにはいかず、テレビに出たのは椿だけだった。
リツさんもどうですか? と聞かれたときは全力で愛想笑いをして断った。
「ははは……。これでもっと依頼が入るといいんだけど……」
「椿ちゃんしっかりしてるし、美人だし、あなたの推理力も評価されてるから大丈夫よ!」
なぜか苦笑いしてしまった。確かに、これで父さんを殺した犯人や、薬のことが何かわかればいいんだけど……。
しかし、現実は優しくない。
世間は事件の原因となった、毒親と教育虐待の話題で持ちきりとなっていた。そのためか、事件が解決しても依頼の数は増えず、相変わらず俺たちの事務所経営は経営に苦慮していた。
要は、いつもの日常が続いていたのだ。
椿はポストに投函されていた依頼文書を広げていた。
「さて、今日の依頼はこれ。浮気の素行調査だけど、私と紅葉で依頼人のところに行ってくるわ」
「え、俺行かなくていいのか?」
「リツには、行ってもらいたいところがあるの。昨日、堂宮刑事から連絡があってね」
「刑事さんから?」
「隼人さんが、あなたに会いたいって」
隼人が? 一体、なんなんだろう……。
***
俺は椿が運転する車、フィートに乗って常盤署に向かった。椿から堂宮刑事によろしくと伝えられると、俺は車を降りた。
依頼人のもとに向かう椿と紅葉ちゃんを見送ると、俺は警察署に向かった。
すでにこの警察署に来るのも四回目。
俺は玄関から受付に向かう。
受付にいた警官が俺に応対してくれた。
「あの……面会に来た金谷というものですが……」
「堂宮刑事が言っていた方だね。今呼んでくるから、そこの長椅子に座って、待っていてください」
「わかりました」
しばらく待っていると奥に続く廊下から堂宮刑事が現れた。俺はすっと立ち上がると会釈した。
「刑事さん、お久しぶりです」
刑事さんも俺を認めると右手を上げて反応した。
「金谷君こそよく来てくれた。
神原さんから聞いてると思うけど、今日ここに君を呼んだのは、事件の犯人の一人である、梔子隼人が君に面会を申し込んでいるんだ。こちらに来てくれないか」
面会室。
殺風景な白壁の部屋の中央に、アクリル板で仕切られた壁の向こう側に、その少年……いや、男はいた。
俺は面会室に案内された。白い壁の部屋は俺の部屋と同じ六畳ほど。その向こうに壁を挟んで同じくらいの部屋であろう空間が見える。
そして、前の部屋の中央、透明なガラスで仕切られ、中央に無数の小さな穴があった。
穴の前の椅子に座り、俺は目の前にいる人物に視線を向けた。
その人物は小学生くらいの少年……ではない。薬を飲まされ、身体が小さくなってしまった男――梔子隼人であった。
声をかけたのは隼人だった
「……久しぶり……ですね」
「あ……ああ」
隼人はかける言葉に悩んでいるようだが、それは俺も同じである。
俺はなんとか出てきた言葉を並べた。
「……元気にしてましたか」
「まあな……ここはめちゃ暇だけどな」
「……」
「……敬語なんて堅苦しいし、あんた俺より年上だろ? 敬語なんて使わなくていいよ」
隼人は事件後、呪縛から解き放たれたのか、だいぶフランクな口調になった気がする……というか、人が変わったようだった。相当母親の存在が重荷となっていたようだ。
俺は一つ頷くと、とりあえず聞きたかったことを話した。
「それで……何か話があるのか?」
「いきなり本題かい? まあ、そのほうが話は早えや。
金谷さん、あんたたちも薬のことを調べてるんだよな? 実は、伝えたほうがいいと思っていることがあるんだ」
伝えたいこと?
俺は首をかしげると、隼人は話を続けた。
「薬に関係することだよ。ひょっとしたら、俺の情報があんたたちの助けになるかと思ってさ」
「助けになるって……どういう風の吹き回しなんだ?」
「俺の……あんたたちへのせめてもの罪滅ぼしだ」
「罪滅ぼし……?」
罪滅ぼしはこれからするんだろうと突っ込みたくなるが、ここではそういう意図はないように見えた。
「俺たちは……あんたたちに迷惑をかけてしまった。何の関係もないあんたたちを巻き込んで申し訳ない。
神原の妹さん、紅葉ちゃんも薬を飲んでしまったんだろ」
「……ああ」
「ひょっとしたら、今から話すことは紅葉ちゃんをもとの姿に戻せる、唯一の方法かもしれない」
「それなら、椿や紅葉ちゃんも呼べばいいだろう」
俺の疑問に、隼人は首を横に振った。
「俺にはもう神原さんに合わせる顔はない。だから、あえて金谷さん、あんたを呼んだんだ」
「……」
「これは警察に話しているが……特別に堂宮さんに許可をもらってるんだ。俺に飲まされた薬だが……あの薬には二種類ある」
「⁉」
――薬は二種類ある
いきなりの発言に、俺の目が飛び出そうになる。
「お、おい、それ本当か?」
「ああ。姉貴が母さんの様子をうかがってた時に、薬を売りつけたやつの話を聞いたんだよ。一つは小さくする薬……そしてもう一つは――」
俺は息をのんだ。
――元の姿に戻せる薬だ
「元に戻せる薬は体を小さくする薬を飲まないと効果がない。そして、薬は毒なんだよ」
隼人が話してくれた薬に関する情報。それは、俺の中に渦巻いていた疑問を解決に導いてくれた。




