第72話 魔王を倒した
母の計画を隼人に伝えたとき、綾乃は強い口調で事の切迫性を訴えた。
「隼人、あなた、気を付けたほうがいいわ。母さん、本気であなたを小さくさせて、また再教育させるつもりよ?」
「……」
「何も言わないの? 隼人、母さんからやられっぱなしじゃない!」
「……でも、俺が、俺が言いなりにならざるを得なかったのは俺が悪いからで……」
言葉が詰まって、弱い言い訳しか出てこない。
「まだ言ってるの? あなたは母さんに反抗しないから言われっぱなしになってるだけ! もう、こうなったら行動に移すしかないのよ!」
「……」
「いい加減、本当の自分の気持ちに正直になったらどう? 自分を偽っていても、モンスターに押し潰されるだけよ‼」
しばらく沈黙が場を覆った。
隼人は、最初は目が泳いでいたが、時期に焦点が定まってきた。そして、姉に向き直ると、立ち上がった。
その目は、明らかに姉を見つめていた。
「わかった、姉さん。あいつの……あいつを葬れるなら、俺、なんだってやる」
――俺、姉さんに全力で協力する。あいつを始末できるなら、なんだってやる
綾乃いわく、隼人のその言葉には重みがあった。彼は、冷静に言い切った。
「隼人……本当なの? また、見栄とその場のノリで言ってるんじゃないでしょうね」
俄かには信じられない。隼人は“自分の意思”を持たず、母など発言力が強い人に流されてしまう。さっきも空虚な言い訳を並べ立てていた。
そんな隼人が百八十度自分を変えた瞬間でもあった。
姉の問いかけに、隼人は首を横に振った。
「俺は本気だよ。あいつがいなくなるなら、俺はどうなってもいい。俺はただ……自由が欲しい」
その言葉を聞いて、綾乃は確信したという。弟は今まで我慢し続けていたんだ。そのうち壊れるのは目に見えていた。隼人なりの、覚悟を見せたのかもしれない。
ついに二人の計画が始まった。魔王を倒し、この地獄のような城から抜け出すために、綿密に計画を練った。
二人は周りに悟られないように敢えて仲が悪くみえるように振舞った。綾乃は母の肩を持ちつつも、弟にダメ出しをしていた。隼人にとって母だけでなく姉からもちょっかいを受けるのはつらかったが、それも少しの間だけ。魔王を倒せるのであれば、それくらいの我慢は苦にならなかった。
「そして計画を練った私たちは、探偵さんの言うように、母の計画と、母を恨んでいる清介の計画を利用して、母と桐原の始末を実行したの。ちょうど、清介が脅迫状を書いていたから、こいつを犯人にして私たちは解放される……そんな筋書きだった」
目を閉じながら綾乃は述懐していた。
「母を殺害した足がつかないように証拠を消したけど、まさかそれが仇になるとはね……。計画って、なかなかうまくいかないものね」
「……殺害に使った刃物を消したトリックですね」
「ええ。私、大学で希硫酸の使い方を調べたのよ。だけど、桐原を殺したときにすぐにみんな来ちゃったから……」
その時、隼人が申し訳なさそうに頭を下げた。
「姉さん、すまなかった。あれは俺のミスだ」
「いいのよ、隼人。魔王を倒した。これで、私たちは救われた……今はそんな気分かな」
俺は何も口に出すことができなかった。教育に熱心になるにあまり、毒親と化した母親。ただただ、きょうだいたちは魔王“毒親”の横暴に耐え続けていたのだ。魔王を倒したきょうだいたちは、どこか、清々しい表情さえ見せていた。
いかなる理由があろうと、殺人は重罪である。しかし、それだけで片付けられるものだろうか。
同時に疑問もわいてくる。
なぜ隼人に危険を冒してまで計画を実行したのか。
“人生をやり直せる薬”を周囲の人間に見られ、計画が露見するのはまずい。
萌夫人はボディーガードを帯同していた。だから、薬を隼人に投与するため、がら空きになるタイミングを狙ったのは理解できる。
だが、同時に隼人が薬を飲まされる危険性もあったし、実際に飲んでしまった。
大体の想像はついていたが、本当のところはどうだったんだろう。
「綾乃さん……薬が危険なものであることは、あなたも知っていたはず。なのに、どうしてこのタイミングで萌さんを?」
綾乃は目を閉じ、何も答えなかった。
少しして、目を開ける。
「私も、本当は隼人にこんな目に遭ってほしくなかったわ……だけど……」
しかし、別の声が姉の発言を遮った。
「俺が説明する。母さんを手に掛けるための計画の詳細を練ったのは俺だ」
その声の主は小さくなってしまった隼人だった。
「隼人……あなたは手を下してないわ。だから、あなたは……」
隼人は首を強く降った。
「もうどうでもいいよ。俺は殺人に加担した、いや、一緒に殺人を実行したに等しいんだ」
「……」
隼人は観念し、全て吹っ切れたのか、口調が大人の姿だった時のものになっていた。
目を開けた隼人は立ち上がると、淡々と自分の心持を話し始めた。
「正直、母さんや執事がこの世からいなくなってくれれば、俺なんてどうなってもよかった。
どうせ自分にできるわけないのに必死で頑張って、壊れそうな自分を鞭打って生きるより、子供から人生をやり直したほうがマシだって思ってた……。
警察に捕まって、極刑になっても構わない。無敵の人って言われたっていいさ。俺は何も後悔しちゃいねえ」
「隼人……」
綾乃は口をぽかんとさせていたが、やがて口を閉じる。
「そうね。魔王を倒せれば、それでよかったんだからね……」
綾乃にはどこか、やりきれない思いがあるようだった。
「ああ。俺の人生は、母さんに操られるがままだったんだよ。それなら、母さんから解放されるなら小さくされたって構わねえさ。
どうせ俺の人生なんて、ただの奴隷でしかなかったんだからさ」
隼人の言葉に、綾乃は無言のまま首を横に振った。
「……私だって……私だって自由になりたかった。でも、隼人に手を汚してほしくなかったの」
「何をいまさら……」
隼人が口にした瞬間、綾乃は顔を上げた。綾乃は歯を食いしばり、声を上げた。
「今更じゃないわよ! 隼人はこのまま、もっと別の人生を歩んでほしかった。それを、自分は奴隷でしかないなんて、言わないでよ!」
ふっ、と隼人は上の白い歯を見せた。
「……姉さんは姉さんだな。事を無難に収めようと必死になって、批判をすべて自分から受けようとするの。
母さんと俺らの仲を取り持ってくれようとしたの、半分は本心なんだろ? 母さんを恨みながらそんな態度取れるのがすごいぜ」
隼人の言葉に綾乃はしかめていた顔を緩めた。
「……だって、私たちきょうだいだから。弟が悩んでいたら、心配するのが姉さんってものよ」
「姉さん……」
二人のきょうだいの間に恋愛関係の絡まない“愛”があるのを感じた。二人の顔は、魔王を倒し、その達成感に包まれているような気がした。
「さあ、詳しい話は署の方でお伺いします」
堂宮刑事が二人に呼びかけた。綾乃と隼人はひとつ頷くと、警官たちに倣った。
俺たち三人はその様子を複雑な思いで眺めていた。
犯人たちがしたことは絶対に許されない。無期懲役や、下手をすれば極刑になる可能性も十分にある。
しかし、彼らを見ていると、なぜか同情してしまう俺がいた。
魔王の毒牙にかかり、心をズタズタに引き裂かれたきょうだいたち。これまで散々な仕打ちを受けていたのだろう。
それに父親も周囲も気づけなかった。もしくは、見て見ぬふりをした。周りが敵ばかりのなか、極限まで我慢していたのだ。
「リツ……」
涙を含む、俺を呼ぶ声。
振り向くと、椿がハンカチで目を拭いていた。
その隣で紅葉ちゃんも顔を俯けて、すすり泣いていた。
「椿……事件の事だろ? 無理しなくていいぞ」
「……でも、仕事は仕事だから。私たちも帰りましょう。戻ったら、報告書作って、警察に提出しなきゃ」
「……俺やっとくから、椿は休んでくれ」
椿に声をかけたその時だった。
――おい、俺への謝罪はないのかよ。おふたりさんよ!
怨嗟を含む声が場に響いた。前を先行していた二人のきょうだいが、こちらを振り向く。
次男の清介が不満を込めた眼差しで、二人を睨みつけていた。




