第71話 魔王の支配する家
この事件を起こした梔子綾乃、そして弟の隼人。ふたりは魔王が支配する家の奴隷でしかなかった。
梔子財閥は俺らの知っている通り、常盤市のある周辺府県では知らない人はいないほど有名で、様々な事業を手掛けている企業グループである。
財閥中枢にある名家、梔子家。表向き、一族の人々は外から見たら裕福で幸せな生活をしているように見えたかもしれない。だが、名のある財閥の一族となると、会社や名家の社会的な評価や、そこにいる人間の評判など、内外から様々な視線が向けられる。発生するプレッシャーやストレスは俺たちの想像を優に超えていた。
そして、梔子家当主である梔子喜之助氏は凄腕の実業家であり、三代目当主にして、個人商店に過ぎなかった梔子家を、地方を代表する財閥に育て上げた。それゆえ、本業が非常に忙しく、喜之助氏が子供たちと触れ合う機会はほとんどなかったという。
そのためか家の事はほぼ妻の萌夫人、そして執事の桐原さんが仕切ることになった。
「母は何よりも家の存続を重んじる人だった。昔、家の都合で高校に行けずに中卒で就職したの。家は貧しく、母は必死で働いたそうよ。風俗とか、今で言うパパ活もしたって言ってたわ。だけど、そんな中、母は父と出会った」
父である喜之助氏は実業家で二十代のころから複数の会社を経営し、三十代になってからは軌道に乗り、梔子家は地方では名の知れた名家となっていた。結婚した萌夫人は喜之助氏との間に三人の子供を儲けた。これまでの極貧生活から一変して、裕福な暮らしができるようになった。
萌夫人は、自分には信念があると子供たちに話していた。子供たちに私みたいな極貧生活を味わわせてはならない。そのため、萌夫人は子供たちに進むべき道を示してきたという。
もちろん、これは夫人の身勝手さを正当化するための言い訳でしかない。
「本音を言えば、母は自分の思い通りになる人形が欲しかった。自分の将来がいつまでも安泰であるように。一度つかみ取った権力を手放したくなかったのよ」
当然ながら、それは子供たちにとって、地獄でしかなかった。
幼いころから厳しい教育としつけを受け、中学以降は少しでもレベルの高い高校や大学に行くよう徹底的に指導されていた。そのためには学習塾に通わせたり、家庭教師を雇ったりと、教育に関する投資は惜しまなかったという。
特に母親は三人の進路にも事細かに口出ししてきた。
「特に、梔子財閥の勢力拡大と、後継者を育てるという名目で私と、弟の隼人には厳しく当たってきた」
綾乃の目は隼人に向けられた。隼人は瞳を姉の綾乃に向けていた。
隼人の今の姿こそが、夫人の傲慢さと身勝手さを象徴していた。
清介を含めたきょうだい三人は母親から徹底的な干渉を受けてきた。三人同じ部屋で、母親同席のもとで勉強を強要された。さらに女性である綾乃は入浴時や就寝時も母の監視の下で過ごさねばならなかった。学校や職場にもスマホに定期的に連絡を入れて、進捗報告をさせられる始末。
そして、定期試験が終わると、結果の報告を義務付けられた、一定の成績以下だと、激しい叱責や体罰に加え、報告書という名の反省文を十枚も書かされたという。
特に叱責は人格否定のオンパレードで、「生まれてこなければよかった」「また子供から人生をやり直しなさい」などなど、聞くに堪えないものであった。
極めつけは大学入試。三人とも希望の大学ではなく、母親が指定した大学に入ることを命じられた。どれも難関と呼ばれる大学ばかりで、どれだけ努力して勉強したとしても、浪人しないと合格できないところばかりだ。
だが、萌夫人は現役でも合格できないとヒステリックに子供たちを責め立てた。綾乃と長男の隼人は土下座までして母親に頼み込んで、なんとかチャンスを得られたという。
合格すると一時期母親との関係は改善するものの、定期試験の結果や単位の修得状況についても事細かに口出しされ、目標を達成できないとまたひどい仕打ちが待っていた。
それはまさに、教育を盾にした虐待であった。
想像するだけでも胸が痛くなる。彼らの目の前には抗うこともできない、強大な魔王が立ちはだかっていた。
そんな姿を見たのか、次男の清介は母親の意向をガン無視して、高校卒業後合格した大学がある県にさっさと引っ越ししてしまった。
「清介って卑怯なのよ。私たちがひどい目に遭っているのを尻目に、どこかに逃げちゃうんだから……だから、私は清介の計画も利用した」
「姉貴……まさか、俺を犯人にするために……」
ぼそりと清介がつぶやくと、綾乃は目の色を変えて、清介を罵倒した。
「そうよ‼ あんたのせいにしてしまえば、私たちはこの家から解放されたのよ!」
すすり泣く声がするので振り向くと、紅葉ちゃんがしゃがみこんで、ハンカチで目をぬぐっていた。隣で椿もしゃがみこんで、紅葉ちゃんの小さな背中をさすっていた。
胸くそ悪さで胃がキリキリするのをこらえながらも、俺は別の気になることが頭に浮かんでいた。
「綾乃さん……あなたたちが萌さんからひどいことをされていたことに同情します。ただ、お母さんを止めてくれる人は、いなかったんですか」
ここまで親が過干渉なのに、子供を慰めたり、萌さんに諫言する人はいなかったのだろうか。
しかし、綾乃は苦笑いしながら言った。
「止めてくれる人? 探偵さんのくせに、ばかばかしいこと聞くじゃないの。いるわけないじゃない。父は仕事で忙しくて家にいない、執事の桐原は母とグルになって、私たちに寄り添う振りをして母に私たちのことを報告していた。隼人は県外に逃げ出した。周りは敵ばかりだったのよ」
俺は驚きを隠せなかった。
この家はまさに、魔王の城だった。
周囲に止める人もおらず、周りは魔王とその手先だけ。二人は逃げ出すこともできず、ただひたすら無限地獄に耐え続けるしかなかった。
さっきまで天井を眺めていた綾乃の目は、綾乃の隣にいる弟の隼人に向けられた。
「このまま、計画が実行されなくても、いずれ私たちは母を殺めたかもしれない。だけど、母がこの子にしようとしていたことを知ったとき、もうこれ以上されるがままになるわけにはいかなくなった」
その計画は俺も知っていた。
「“人生をやり直せる薬”を使って、隼人さんを小さくすることですね」
綾乃は俺に顔を向けて頷いた。
「よく知っているわね。そう。薬のことを知ったときは信じられなかったわ。本当に体が小さくなるなんて、どこの漫画の話かしらって」
普通の人なら絶対に購入しない、“人生をやり直せる薬”。母の萌夫人は“出来損ないの息子”となってしまった隼人を、もう一度子供のころから“再教育”させるため、ひそかに白装束の連中と顔を合わせていた。綾乃はその計画を知ってしまい、すぐに隼人にこのことを伝えたという。




