第56話 あなたの気持ち
事情聴取が終わると、俺と椿、そして紅葉ちゃんは玄関ホールに戻った。俺はすぐに椿に謝罪した。椿自身は怒っているようにはみえないし、表情は穏やかだ。しかし、椿との約束を破ったのも事実だ。
俺の謝罪に椿は笑顔で答えた。
「本当なら忠告しないといけないけど、あなたの正直な気持ちを知れてよかったわ」
「え」
意外な発言に俺は顔を上げた。
「何も抵抗できずにやられていく人を放っておけない。それが、あなたの気持ちなんだね」
「どうしても、父さんのことが頭をよぎってさ……」
恥ずかしさのためか、俺は頭が痒くなった。
しかし椿は何かを思い出したか、右手を顎に当てた。
「そう……。もう十年前だよね。令仁さんが亡くなったのって」
俺は一つ頷いた。
今でも夢に見る、父さんが死んだ直後のこと。
俺の父は捜査に出かけた矢先、何者かに襲われ殺害された。犯人は現在に至るまで不明。
今朝まで元気だった大切な家族が失われた衝撃は、当時の俺たち金谷家の心に大きな穴をあけた。葬式や通夜で見た父さんの遺体……俺は現実を直視できず、式中はずっと嗚咽を漏らしていた。
その後も母さんは泣き崩れ精気を失ったように寝込み、俺も数日間は部屋にこもって、涙が枯れるまで泣いた。
当時は中学生だったが、当然ながら学校をしばらく欠席した。代わりに、クラスメイトだった椿が宿題や行事予定の書類を届けてくれた。あとから椿から聞かされたが、その時俺は何も喋らず、まるで虚空を眺めるように宿題を受け取っていたらしい。
そして、当時の椿も俺のことをひどく心配していたようで、椿は紅葉ちゃんに俺に対して慰めのSENNを送るべきかどうか相談を持ち掛けていた。
「お姉ちゃん、リツさんがどうしたら元気になるかわからないって、毎日悩んでたよね」
紅葉ちゃんもあの時を思い出すように天井に顔をやっていた。
「椿……」
椿の顔をふと見てしまう。椿はそれに気づいたのか、これまでの発言を訂正するように声を上げた。
「クラスメイトが落ち込んでたら、誰だって心配するでしょう!」
一瞬顔を赤らめたと思ったが、椿のテンションはすぐにさっきまでの落ち着いた雰囲気に戻っていた。
「でも、私も、あれだけ……強くて頼もしいリツのお父さんが亡くなったって聞いて信じられなかった。だって、現役の警部さんでしょ? 柔道の有段者で、何人も犯人を捕まえてるんでしょ?」
俺はこくりと頷いた。
そういえば椿も父さんの武勇伝を食い入るように聞いていたと言ってたな。椿が探偵になったきっかけの一つを与えてくれたのが父さんだった。
俺はこれまで胸の内に秘めていたことを話した。
「椿、いまさら言ってあれだけど……俺が椿のところで働きたい理由の一つが父さんを殺した奴を突き止めたかったからなんだ」
「うん」
何も言わず、椿は俺の話に耳を傾けていた。
「少しでも事件とか悩みを解決していけば、警察と関わることもあるだろうし、少しでも殺害した奴らに関する情報もわかるかもしれないからさ」
「そう……」
「まあ、めちゃくちゃな理由だと思うけどさ」
自分で言っていて、なぜか頭が痒くなる。
椿も俺のその様子を見て微笑んだ。
「でも、私も紅葉をもとに姿に戻したいからこの仕事始めたの。今思ったけど似たようなものじゃない?」
「……確かに」
そして椿は気を取り直したように口を開いた。
「今回はリツの気持ちに免じて許してあげる。だけど、気になることがあると突っ走るのは、あんまり褒められたものじゃないから、注意してね」
「わかった」
なぜか苦笑いしてしまった。
***
とはいえ、警察から何も情報を得ることはできなかった。つまり、自分たちで地道に聞き出しや証拠を集めて、犯人を告発しないといけないのだ。
今一番明らかにすべきなのは、事件直後の皆の動き……特に梔子家の人々がどう行動していたか、そして、誰かが現場から逃げる姿を見ている人がいるか、捜さないといけない。
俺たちはまず会場に残っている人から聞き込みを行うことにした。ちょうど、梔子家の人々が警察から事情聴取を受けていたからだ。
待機している人には待たされることに不満を持つものや、犯人がこの中にいると思うとすぐにでも帰りたいと思う人もいた。
しかし、その中でもいくつか重要な証言を得られた。
俺たちは同じ梔子財閥の子会社に務めているという中年の男性から話を聞いていた。男性は子連れで来たというが、悲鳴が上がる直前、自分の息子が同じくらいの年齢の男の子と話していたという。その子はなんと夫人の遺体が発見された部屋から出てきたのだ。
「こいつ、周りに同年代の子供がいなかったから、つまらなそうにしてたんだけど、その子を見たらすぐに走って行ってさ」
「部屋から出てきた子、どんな感じでしたか?」
椿が尋ねると男性は顎に手を当てながら、
「すごく息を切らしてたんだよ。汗もかなりかいてた。まだ三月になったばかりで寒いのに、まるで夏のように汗だくだった」
服が男の子の背丈や体形とマッチしておらず、シャツの先が垂れ下がり、ズボンを引きずって歩いていた。
男の子は、男性の息子に話しかけられても戸惑うばかりで、要領を得なかったらしい。
男性が話していた少年は、事件現場から出てきたことや、彼の姿が俺たちが見た少年と一致していることから、もうあいつであることが明らかだった。
幼児化した長男の隼人だ。
隼人は直前まで母親の萌夫人とともにいたのだ。小さくなる直前、最後に見たのは萌夫人が悲鳴を上げる直前。時系列で考えれば、あの場で薬を飲まされたことになる。
そのほかにも、同じ子会社の女性の同僚たちからも証言が得られた。彼女たちは玄関ホールで女子トークに華を咲かせていたが、ある人物に目が行ったらしい。
椿は女性たちに悲鳴が聞こえたとき、怪しい人物がいなかったかと尋ねていた。
「そうそう。怪しい人ってわけではないけど、すごく雰囲気かっこいい人いたよねー。被り物を身に着けた白衣のお兄さん」
「ちらっと見えたけどすっごいイケメンだったよね。何か、余興をやるのかなって思ったわ」
「うん。そのあといきなり大声が響いたから、それどころじゃなくなったけど……」
「だよねえ」
「で、でも、目の保養にはなったわ。梔子さんの取引相手先の方かしらね」
三人の会話を遮るように、椿が質問を続けた。
「その白衣の人って、一人だけでしたか?」
長い髪の女性が人差し指を顎に当てて口角を上げた。
「そういえば、同じく白い服を着た女の人もいましたね。その人もとってもきれいで、同じ女ながら、うっとりしちゃった」
白い服の男女……。
その言葉に俺は反応した。そして、脳内で反響する紅葉ちゃんが見たというあの二人……。
聞き取った内容をメモにしつつも、俺はいろいろな推理を組み立てていた。
その二人は、間違いなく白装束の二人組。女性たちによるとその男女二人は事件現場となる部屋から出てきて、素早く去っていったという。直前まで萌夫人と会っていたことになるが、薬を受け取っていたのか?
たぶん、もうその二人はこの会場にはいないだろう。気になるし、今すぐ追いかけたいけど、ここはぐっと我慢だ。
そして、ある二人の動向も判明した。
今事情聴取を終えたという白髪交じりの中年男性に聞き込みを行っていた時だった。
「事件の時ねえ、ちょうど手洗いから出てきた時なんだけど、梔子さんの娘さんと、執事さんとすれ違ったよ。梔子さんの娘さん、何か捜してみたいだけど」
綾乃さんが捜していたのは、おそらく弟の清介だろう。清介が勝手に会場から出て行ったときに、萌夫人から清介捜しを指示されていたのだ。
「弟さんを捜していたんじゃないですか?」
しかし、男性は首を振った。
「いや、そうじゃなくて……娘さん、執事さんと話してたんだよ。内容は聞き取れなかったけど……」




