第54話 捜査開始
目の前にいる小さな男の子は梔子家の長男、隼人であった。彼はさっきまで俺たちと同じくらいの背丈だったのに、今は紅葉ちゃんくらいの高さに縮んでしまっていた。
にわかには信じられない光景だが、非常に高い確率で“人生をやり直せる薬”を飲んでしまったのだ。
そして、薬を飲ませたのは誰か……噂を考え合わせるともうあの人しかいない。
だが、それならなぜあの人はあそこで……。
「リツ……考えてるところ悪いけど、もし会場の人が隼人のこと知ったら会場が大変なことになるかも」
椿の言葉にハッとさせられた。椿は心配そうに周りを見ていた。
「そうだな……それこそ事件の捜査どころじゃなくなる」
幸い周囲の人には、隼人がどうなっているかわからないようだ。
「まずはご家族のところに行って、別室に移動しましょうよ」
俺は椿の提案に頷いた。
***
俺たちは梔子家の人たちを別室に案内し、その後隼人を連れてみんながいる部屋に向かった。
小さくなってしまった隼人を見た家族たちは慌てふためき、驚き、悲しむものもいた。誰も異常事態に何も言葉にできないでいた。
特に動揺を示したのは父の龍之介氏であった。
姿が変わってしまった愛する我が子の姿を見て、龍之介氏はショックのあまり言葉を失っていた。しかし、しばらくして現実に引き戻されたのか、その目には涙が浮かんでいた。
「なんたることだ……隼人よ。どうしてこんな姿に……」
「龍之介様、お気を確かに」
執事の桐原さんが龍之介氏の肩を持っていた。
「ああ……わかってる」
龍之介氏の心は悲痛なものがあるだろう。萌さんが話していたが仕事の忙しさゆえか、子育てには無関心だったというが……少なくとも親の子を思う気持ちが、そこにはあった。
小さくなった隼人は涙ぐむ父親を見上げながら、細い声で力なく口を開けた。
「父さん……ごめんなさい……」
父親は悲しくも、優しげな眼差しで隼人に応答した。
「何も言わなくていい。お前がどんな目に遭ったかは知らないが……たぶん萌がしたのだろう」
隼人は顔をうつむけた。
「だが、間接的な原因を作ったのはこの私だ……。お前の力になってやれなくてすまなかった」
「……」
隼人の目から涙が零れ落ちていた。必死でこらえているようだが、堰き止めても溢れ落ちる涙が、隼人の感情をあらわにしていた。
梔子家の人たちも、俺も椿も紅葉ちゃんも、何もいうことができない。
沈黙が場を支配していた。
――家の事ほったらかしといて、よく言うぜ
やけに軽薄な声が雰囲気をぶち壊した。
俺たちが振り返ると、次男である清介がズボンのポケットに両手を突っ込んで、侮蔑するようににやにや笑っていた。
「親父、仕事一途でかっこよかったかもしれねえけどさあ、そのおかげで家ではおふくろのやりたい放題だったんだ。自覚があんのなら、あんたからおふくろに言ってやってくれればよかったじゃん」
「清介! なんてこと言うの!」
綾乃さんは清介に声を上げて咎めた。しかし、清介は意に介さず話を続けた。
「兄さんは気の毒だけど、まああの女の欲望の末路みたいな感じかな」
「ちょっと、それはないんじゃないの⁉」
だが、龍之介氏は声を荒げている綾乃さんを制した。
「父さんにも責任の一端はある。これぐらい、承知の上だよ」
「だけどお父様……」
「綾乃、気を遣わんでいい」
空気をぶち壊した三きょうだいの次男、梔子清介。
この男は怪しげな行動がかなり多い。一体何を考えているのか。
***
警察が来たのは事件が発生して三十分を過ぎた頃であった。会場の駐車場には、パトカーが数台止まり、さっそく現場検証と聞き込みが始まった。
会場にいる者はそれぞれ事情聴取を受けていた。アリバイが確認できた人から順に解放されることになっているが、すでに昼過ぎで、会場から出ることを禁止された来客たちの中には不安や不満の色をのぞかせる者もいた。
一方、俺と椿、そして紅葉ちゃんは事件の関係者ということで、空いている控え室にて警察から事情を聞かれていた。
しかし、俺たちを聴取していたのはまたもやあの刑事だった。
「またまた事件現場に君たちか……何かの縁でもあるのかなあ」
目の前にいるのは水色のカッターシャツとグレーのネクタイを着用した男性警官――常盤署の刑事、堂宮刑事だ。
「あはは……確かに縁もあるのかも……。まさに推理小説ですよね」
「でもこれは現実の話だよ。君たちの周りで大事件が起きてるじゃないか。何かにとりつかれてるんじゃないのかい?」
「はは……何を物騒な……。うちの実家、神社ですから大丈夫ですよ」
「聖なる何かに守られてるってか……そんな話じゃないんだよなあ」
「で……ですよね……」
椿は苦笑いしている。
実家が神社とはいえ、お前後を継ぐ気ないだろ、と心の中で突っ込みを入れる。
よく事件に遭遇するのは……偶然だろ、偶然。
念のため俺たちのアリバイも聞かれた。事件発生時俺たちは会場にいたことは、他の人からも証言が得られていた。
アリバイの立証後、俺たちは堂宮刑事にあることを申し出た。
椿が頭を下げる。
「私たち、どこまでお力添えになれるかはわかりませんが、可能な限りの情報を提供いたします」
俺たちが心に決めていたことだ。こちらとしては依頼人のためにも、そして俺たちのためにも捜査に協力し、夫人を殺害した犯人を捕まえないといけない。すでに守秘義務がどうこう言っている暇はない。
「そうだね。君たちのこの事件の当事者で、梔子財閥とは少し距離を置いているだろう? また情報提供をお願いしたい」
「あ……ありがとうございます!」
俺たちは思わず頭を下げた。
内心でガッツポーズもしている。
お客さんのため、そして理不尽に殺された被害者のために、俺たちは全力で事に当たれるようになったのだ。




