第5話 敏腕警部と呼ばれた男
暗い部屋でベッドの上に横たわる中年の男。頭は包帯で巻かれ、ところどころ見るも無残な姿をさらしていた。
そこに立つ、一人の少年。俺の後ろに、母さんがいる。
――父さん、父さん……お父さん‼︎ どうして、どうして……!
現実を受け入れられず、俺は泣きじゃくった。
床を叩き、俺の周りは涙の海に包まれた。
――犯人はどこ行ったんですか⁉︎ 捕まったんですか‼︎
母さんは必死で上司の警官に訴えかける。
――その……金谷警部を死に至らしめた男は……
***
はっとした。
すでにスマホの時計は午前十時を回っている。
これまでの疲れが一気に出たためか、寝過ごしてしまったようだ。俺はすぐに荷物をまとめて部屋を出る準備をした。
椿と紅葉ちゃんはその日のうちに常盤市へ帰っていった。明後日、椿が俺の実家に来て、事情を母さんに話してくれるらしい。
一応俺は事前に母さんに、椿の下で働くことを伝える旨を椿に言っていた。しかし、椿は絶対に口外するなと話していた。
「……あなた、忘れてるかもしれないけど、監視されてるかもしれないのよ。特に紅葉のことは絶対にしゃべっちゃダメ。オッケー?」
「……わかった」
「明後日、私が行くから、それまで絶対に話さないでね」
強く釘を刺された。
今日は部屋の引き払いと実家に帰ることが今日のすべき任務。
昼前にアパートの管理会社の人が来て、部屋を引き払う手続きをした。
カードキーを返し、お礼を述べた後、俺は大学時代から暮らしていたこのアパートを後にした。
東京の雑踏にもまれながら、駅を乗り継ぎ、俺は新幹線に乗って実家近くの駅まで帰ってきた。時刻はすでに五時前。
日本海に面するこの駅は南北に入り組んだ地形上、北からの風が入るととても寒い。しかし、俺の実家はこの街から山を越えた先にあるのだ。
「快速」という名ばかり電車に乗って半時間。ついに俺は実家がある地方都市、常盤市に戻ってきた。
常盤市は人口十万人ほどの地方都市で、もとは江戸時代の藩庁が置かれていた。しかし、時代の流れとともに賑わいはほかの地域に奪われていき、今では県内にある一地方都市に落ち着いている。
そして、市内の中心地には常盤城がありこの周辺の城下町が常盤市の中心地である。俺の家はこの市街地のすぐ近くにあった。
俺は大きく背伸びした。久々に吸う故郷の空気は最高だぜ。しかも十一月街の小春日和、冬を前にしたよき季節だ。あんまりいい思い出はないとはいえ、実家のような安心感がある。
「ただいまー」
久々に帰ると、玄関に明かりが灯った。人の気配を感じると自動で点灯する仕組みだ。
「リツ? 帰ってきたの?」
玄関の前の戸が開き、エプロンをつけた茶髪の眼鏡をかけた中年女性……俺の母親である金谷法子が出てきた。
母さんは俺の顔を見るなり、明るい顔になった。
「あら、おかえりなさい! 早かったじゃない! もう、向こうでの要は済んだの?」
「うん……。とりあえず今日はもうゆっくりするよ」
「そう。できたら向こうであったこととか、話してくれないかしら。ご飯もこれから作るわね」
「ありがとう」
急いで実家に帰ってきたら、昼食は新幹線で食べた駅弁となっている。そして、食事を摂ったのは午後二時過ぎだ。
今はただ、ゆっくりと休みたい。
俺は二階の自室に行く前に、座敷に向かった。仏間の前に座ると、俺は手を合わせた。
仏間の中央に遺影がある。黒い短髪の中年男性。男前のいかつい顔だが、目はどこか優しそうだった。
「父さん、ただいま」
今は亡き、俺の父親――金谷令仁。
常盤署の警部で、犯人逮捕の実績も多く、敏腕警部と呼ばれていた。
父さんは十年前、俺が中学生の時、事件捜査中に犯人と格闘となり、銃撃を受けて殉職した。その犯人は現在も逃走中である。
生前、父さんは事件について武勇伝のごとく話してくれた(もちろん、守秘義務に抵触しない範囲で)が、警察の上層部に極秘で捜査していた案件もあったらしい。それに関しては一切何も話してくれなかった。
俺にとって、父さんはまさに“男”そのものであった。いじめのような落ち込むことがあると、渇を入れつつも優しく話を聞いてくれた。父さんの言葉は俺を奮い立たせてくれた。
父さんの死後も俺は学校でいじめられ、社会人になった今でもコミュ障のままだが、それでも父さんの存在なしに、今まで生きてこられなかったかもしれない。
俺は父さんに帰宅と転職を報告すると、母さんの待つ台所に向かった。
その日は穏やかな夜だった。母さんから向こうでの生活や、仕事のことを聞かれたが、椿の下で働くことは伏せた。直前にあったことももちろん、口外禁止。明日、椿が家に来ることは伝えたが、仕事の内容はそれまでのお預けだ。
そして、夜は更けていき、新しい一日がやってくる。
***
――リツ、起きなさい! 椿ちゃんが来てるわよ!
母さんの声に起こされる。スマホの画面を見ると、すでに十時を回っていた。
やべえっ‼ 寝すぎた!
俺はベッドから飛び起きると、すぐに着替えた。
椿からは、普段着でも構わないけど職場の説明も兼ねているから、恥ずかしくない服装で臨んでね、と強く言われていた。
服を着替えて客間に向かうと、俺が住んでいたアパートに押しかけてきた時と同じ、ホームズのようなマントと、スカートを穿いて、母さんの前に座っていた。どうやら、紅葉ちゃんは来ていないらしい。
「ごめん、遅れた!」
「もう、せっかく椿ちゃんが着てくれたのに……。少しくらいいい所見せてあげなさいよ」
母さんのため息に椿が苦笑いしていた。
「いやいや、法子さん、これからたっぷりとしごきますから、心配なさらずに」
「そうね、椿ちゃんにお願いしようかしら」
「任せてください!」
そう言って自分の胸を叩く椿。
なぜか嫌な予感がした。俺がややおっちょこちょいで頼りないところがあるからか(最近は頑張って直すようにしている)、椿はその都度俺に対して忠告していたっけな……。
一緒に働くということだから、今後言われまくるんだろうなあ……。
つか、母さん、俺が椿の下で働くこと知ってたの?
「か、母さん、いつの間に俺が探偵事務所で働くって聞いたんだよ⁉」
「あなたの噂は定期的に入ってきてるのよ。昨日、椿ちゃんから連絡を受けてね」
母さんは椿が探偵を始めたことを知っており、時折母さんが推理小説のネタの参考として取材することもあった。代わりに探偵の捜査方法などについても、椿に教えていたという。
そういやこの二人、俺と椿が小学校からの付き合いからなのか、とても仲がいい。
「まさか、椿ちゃんが令仁さんに憧れて、探偵になりたいなんて言い出すとは思わなかったけど……それなりに繁盛してるみたいじゃない」
「いやいや、まだまだですよ」
椿は笑いながら、右手を顔の前に出して振った。
「まだ指先で数えるくらいなんだろ?」
悔しくなったので言い返す。
椿は一瞬顔を膨らませて、そっぽを向いた。
「これから増えるからいいもん! リツがいれば事件解決率も上がって、もっと繁盛するだろうなー」
「……」
くそ、こいつ……。
その後の話を聞く限り、紅葉ちゃんのことを母さんは知らないらしい。ひょっとしたら、薬の事件に巻き込むのを避けるためだろうか。
前置きはさておき、椿は早速話を切り出した。
「それで、法子さん。リツ君をうちの探偵事務所で雇わせてほしいんです。リツ君の才能で探偵事務所を盛り上げたい。リツ君も同意していますし、よろしくお願いします」
椿は頭を下げた。
俺も改めて母さんに向き直る。
「母さん。俺も、父さんみたいな男になりたいんだ。今更警察にはなれないけど、探偵になって、父さんみたいに、困っている人の助けになりたい」
“父さんみたいな男になりたい”。その思いが、俺を後押しした。
そして、母さんに頭を下げる。
「頼む!」
少しの沈黙。時計の針の音だけが部屋に響いていた。
沈黙を断ち切ったのは、母さんだった。
「わかった。でも、探偵って、アニメとか小説で見るよりも難しい仕事だし、地味な仕事よ? 給料も安定しないけど、覚悟はできてるの?」
俺は顔を上げ、その目で母さんを見た。
「ああ。出来てる」
その言葉に母さんは安堵したのか、落胆したのかはわからないが、胸に手を当てて息を吐いた。
「よろしい。それでこそ、金谷家の男ね。あなたにはお父さん譲りの推理力があるから、きっとうまくやっていけるはずよ」
「……ありがとう、母さん‼」
俺は目を上げて母さんに二度頭を下げた。
その途中で、椿の声も聞こえた。
「法子さん、ありがとうございます! リツ君を、お父さんの名前に恥じない、立派な探偵に育てます!」
「よろしくね、椿ちゃん。この子はどんどんしごいていって構わないから。絶対、一人前になるはずよ」
「はい、お任せください!」
母さんがすでにお墨付きを与えている……。なんか、怖くなってきたんだけど……。
とにもかくにも、俺の探偵としての生活が始まることになる。
だがこの時俺たちは知らなかった。
俺と椿、そして紅葉ちゃんが大きな陰謀に巻き込まれる事になるとは。