第48話 誕生会
俺の後ろには、幼なじみとその父親が立っていた。
俺から見て右側にはどこか嫌そうな表情を見え隠れさせる女性。その隣にいたのは一昔前の和服――小袖に袴姿の、五十代半ばのだが、頬骨ががっしりとした顔つきに、白髪混じりの短髪の男性。彼は両腕を組んで厳めしい面持ちで、俺を見下ろすように立っていた。体格もがっしりしており、見るだけで気の弱い人間は硬直してしまうだろう。
「金谷律也くん、じゃな? 娘の椿が世話になっておるな」
「あ……つ……椿さんの……お父さん……」
俺の心臓は爆上がりだった。額に冷や汗が滲み出ている。
俺の目の前にいるのは椿と紅葉ちゃんの父、神原柳さん。神原家の現当主であり、常盤神社の一切を取り仕切っている神主の筆頭である。威厳と格式を重んじる性格で、よく言えば伝統を重んじ、悪く言えば頑固一徹であった。
「なぜお主が梔子殿の誕生会に参加しておるのじゃ?」
俺の様子を見て、不思議そうな表情をする柳さん。しかし、俺には彼が怒っているようにしか見えなかった。柳さんの顔つきが、東京で保険会社に勤めていた時の上司や顧客と重なって見えたからだ。
「そ……それは……」
――仕事だからよ
俺が言おうとした刹那、誰かが言葉を続けた。
柳さんの隣にいた、長い黒髪の女性――探偵事務所の所長であり、俺を雇っている柳さんの娘の椿が、その透き通った意志の強い目を柳さんに向けた。瞳には明らかな敵意が見えていた。
「リツは仕事で来ているの。父さんも知ってるでしょ?」
柳さんは娘の抗議を意に介さぬかのごとく、目をそらした。
「ふん。探偵とかいうお遊びか。神原家の人間として恥ずかしいとは思わんのかね」
「それなら、なんで紅葉を控室に置いてきたの? 紅葉もうちの家族の一員なのよ?」
紅葉ちゃんがいない? ……確かに、一緒に来ていたはずの紅葉ちゃんが見当たらない。椿が言うには、紅葉ちゃんはまだ控室にいるという。
「紅葉? あれは神原家の人間ではない。自分の弱さと向き合わず、誘惑に負けて道を外した、哀れな女よ」
柳さんの発言は信じられないものだった。明らかに自分の娘を家族とは見なしていない発言だった。
椿は一瞬恐ろしい形相で柳さんを睨みつけるが、場をわきまえたのか父親から目を離した。
「……そうですか。失望しました」
そして椿はまるで父親が居なかったように、俺に目で合図を送った。
父親の柳さんは怪訝な顔をこちらに向けるが、俺はなるべく椿に視線を合わせた。
「リツ、誕生会の出し物が終わったら休憩時間があるんだけど、その時に作戦会議をしましょうよ」
「ああ。大丈夫。俺も状況を整理したいからさ」
俺は椿に返事をすると、椿はそれに応じるように横目でウィンクした。
「決まりね。終わったら、SENNにメッセージ入れるから」
「頼む」
そういうと椿は父親を連れて会場の中へ消えていった。
***
パーティ会場であるお座敷の和室では、指定席に来客が座っていく。
席は来賓客と一般客で分けられており、椿と柳さんは俺から遠く離れた来賓客らが集まるテーブルに座っている。
俺はただ一人、一般参加者が並ぶ席に座っていた。周りは知らない人ばかりだが、聞く話によると梔子財閥の関連企業の社員やその家族らしい。
一番前の席には梔子家の面々が座っている。あの三きょうだいも、夫人もいる。彼らの後ろ姿が向けられているためか、どんな状態かわからない。
その刹那、俺は嫌な視線を感じた。
どこかからこちらに突き刺すような視線を投げかける者がいる。
久々に感じた視線。まさか……この会場にいるのか?
俺が座っている席から数メートル離れた先、若い二人の男女が二人並んで、俺に背を向けて仲睦まじそうにおしゃべりしていた。一人は滑らかな栗色のストレートヘアの女性。もう一人は短髪の七三分けの短髪の男性。
俺は二人の顔にひきつけられていた。どこかで、見た覚えのある顔……。
こいつらが、俺に視線を送った……?
あの時とは異なりごくごく普通のビジネスパーソンの装いである。しかし、俺の予想が正しければ……。
しかし、俺の緊張はアナウンスの声で途切れてしまった。
――ご案内申し上げます。間もなく、梔子萌生誕祭の開宴となります。お越しの皆様はご着席ください
ざわついていた声が静かになり、御座敷の照明が消えた。
現在の時刻は夜七時。時間が来た。
ステージの前にスポットライトが照らされた。参加客の視線がそこに集まる。俺たちの先には司会と見られる黒いスーツの男性――執事の桐原さんが立っていた。
桐原さんはカンペを片手に声を上げた。
「皆様、ようこそお越しくださいました。これより梔子家当主、梔子喜之助様の夫人である梔子萌様の五十四回目の生誕祭を開宴いたします。それでは、皆様、ステージにご注目ください」
ステージの壇上に男性のシルエットが見える。そしてその男性に照明が当てられた。
男性は白髪交じりの六十近い男性だが、その表情は穏やかそうな表情で、椿と紅葉ちゃんの父親である同年代の神原柳さんと比べて、フレンドリーな印象を受ける。
「梔子家現当主であり、梔子ホールディングス現会長、梔子喜之助から開宴の挨拶を申し上げます」
「ごきげんよう。皆様、今日は我妻、梔子萌の誕生祝賀会に参加していただき、お礼申し上げます。萌は大変聡明で我々の財閥を縁の下で支えてくれました。今日はそんな妻の五十四回目の誕生日。皆様、盛大に妻の誕生日を祝いましょう」
会場内は祝賀会のオープニングのBGMが流れた。同時に壇上に萌夫人が現れ、喜之助氏の隣に並んだ。
彼女もスピーチ用の原稿を見ているのか、ちらりと書類に目を通すと、マイクを握った。
「皆様、このような誕生パーティを開いていただき、誠に感謝いたします。また、いつもと変わらないご配慮やお心遣いをいただき、大変感激しております。この五十四年、様々なことがありましたが、私自身はまだまだ未熟だと感じております。これからも梔子家及び梔子財閥の発展に尽くしていく所存です。今後ともご指導、ご鞭撻のほど何卒よろしくお願いします」
そして、司会の桐原さんが声を上げた。
「さて、夫人の五十四回目の生誕を記念して、バースデーケーキを用意いたしました。照明を暗くしますので、皆様、足元に及び周囲にお気を付けください」
照明がゆっくりと暗くなると、夫人の前に大きなバースデーケーキが荷台に乗せられて運ばれてきた。蠟燭が十本、ケーキの上で火が灯されている。
蠟燭に夫人がふっと息を吹きかける。
その瞬間、わっと歓声が上がった。
照明が明るくなり、同時に拍手が周囲から飛び交った。
皆、夫人の誕生日を心から祝っているようだった。
財閥関係者や親族で用意した出し物が催された。出し物は仮装したアイドルグループの物真似や、ギターの弾き語り、簡単な寸劇などなど――誕生会の前半は二時間程度で終了した。
てっきり三きょうだいで出し物があるのかと思ったが、無いらしい。
一方、三きょうだいのうち長男の隼人は初めの三十分、次男の清介は終了間際の十五分に席を開けていた。また、萌さんも前半周りに断って席を開けていた。その時間は、隼人の退出時間と重なっていた。
一通りの出し物が終わると、三十分ほどの休憩時間が挟まる。俺は周りに気を遣いながら会場を後にした。




