第47話 マザコン息子の悲劇
俺たちの前に現れたのは梔子家当主、梔子喜之助氏の夫人で、三きょうだいの母親である萌さんだった。その隣には、受付で綾乃さんに家族と合流するよう促していた執事である桐原さんも立っていた。そして、その両隣には筋骨隆々のサングラスをかけた黒スーツのボディガードとみられる男たちもいた。
萌さんは驚いた様子で俺と隼人を見ていた。
「一体、何があったのですか」
「か……母さん……。こいつが僕らのことを見てたんだ……」
そう言って隼人は俺に指をさす。
「あ、あの……俺……」
思わず戸惑ってしまった。なんて返せばいいのかわからない。
確かに、思わずじろじろ見てしまったのは事実……。相手を不快にさせたのは間違いない。
「そ……その……」
額から冷や汗が流れる。
目の前で人差し指を俺に突きつける隼人。
そして、俺の背後には依頼人がいる。
心臓の拍動が早くなっていく。
「こいつが、僕らをじろじろ見てたから注意したんだよ。貧乏の分際で」
依頼人の萌さんは驚いた様子で俺たちを見ていたが、しだいに表情が険しくなっていった。
やばい……依頼人を怒らせたかもしれない。探偵業の信用問題に直結するかも……。
早いうちに謝らないと……そして椿に報告だ……。
しかし、次の一言は予想だにしないものだった。
――隼人、今日は大人しくしなさい。大切な誕生会なのですよ
「……母さん?」
キョトンとした顔の隼人に、萌さんは怒りを抑えながらも、深く強い口調で言い放った。
「事を荒立てるのではありません。あなたは梔子家の次期当主として、あるべき態度を取りなさい」
「いや、でも、こいつが……」
「言い訳はやめて。何があったかは知らないけど、今は争っている場合ではありません」
「……わかりました」
隼人は反論をあきらめたのか、大人しく後ろに下がった。
「桐原、子供たちを頼みますわよ」
「かしこまりました」
萌さんは執事の桐原さんに三人のに付き添うように命じた。
いきなりの状況に俺は驚きを隠せなかったが、すぐに気を取り直すと俺は三人きょうだいに謝罪した。
「不快に思われたのならすみません。この場で謝罪します」
頭を下げて少し間を開け、反応がないことを確認する。目の前の三人は、俺をただ眺めているだけだった。
そして、萌さんに向き直ると、再度謝罪する。
「梔子さん、申し訳ございませんでした」
「こちらこそ、謝らなければなりませんわ。梔子家を継ぐ者として、しっかりしないといけないのに、わたくしの教育が不十分だったのですわ」
頭を下げる夫人に、俺は戸惑いを覚えた。
だが、すぐに頭を上げた萌さんは横目で隼人を見ていた。隼人は床に目を落としながら、自分の指の爪を触っていた。しかし、母親の視線に気づくと彼は目を背けた。
――ほんと、出来の悪い子だわ。はあ……
そんな聞こえるかどうかわからない声が漏れた気がした。
母親の表情は、どこか絶望と今後に対する不安が見え隠れしている気がした。
立ち尽くしている萌さんをただ見ていると、何か声をかけなければ気まずいのではないかと思えてくる。陰キャでコミュ障な俺が、営業先で嫌というほど経験した気分である。
とりあえず謝らなくていいと伝える……か?
「そ、その……梔子さん」
しかし、俺の発言にハッとしたのか、夫人は顔を上げると俺に向き直った。
「あら、ごめんなさい」
萌さんはあたりの様子を見回して尋ねた。
「……椿さんとは別々でいらしたのかしら?」
唐突に話題が切り替わったので戸惑うが何とか話を合わせる。
「ええ……。神原さんはご家族と一緒に会場に来られました。控室にいらっしゃると思います」
幼馴染である椿に対して敬語を使うのには抵抗がある――とはいえ、仕事なのだから使い分けないといけない。
「そう。でも……」
夫人が俺にいきなり耳打ちしてきた。
なぜか俺の身体がびくっと跳ねた。
「脅迫状の件、頼みますわよ。ここの参加者の中に、わたくしの命を狙っている輩がいますからね」
「は……はい」
「特に、子供たち三人はよく警戒してほしいですわ。何を考えているか、わかりませんもの。ところで、脅迫状の送り主はわかったの?」
「いや、それはまだ調査中です……」
「そうなの。わたくしの命が掛かっていますからね」
「あの三人の中の誰か……だとは思いますが……」
事前に三きょうだいのことは調べていた。しかし、脅迫状の送り主が特定できない。
さっきも彼らのやり取りを見ていたが、三人とも夫人に何らかの恨みを持っていることは想像できるが……。
特定できないのなら犯人に動かれてしまう。俺はある提案をした。
「今日が犯行予定日。何が起きるかわかりません。近くについていたほうがいいと思いますが……」
「ありがとう。でもそれは無用よ。ボディガードがついていますから」
軽く流されてしまった。
たどたどしい言葉遣いで逆に信頼を損ねたらしい。
そして、夫人はあらためて俺と向き直る、会釈をした。
「それでは、わたくしはパーティの準備がありますので、これで。誕生会、楽しまれていってくださいね」
「は、はい……」
夫人はボディガードとともに会場の奥へと消えていった。
それを見送ると、後ろから誰かに声をかけられた。
――お主は……金谷律也くん、じゃな
聞き覚えのある声に振り向くと、俺は顔を青くした。




