第46話 訳アリ一家の子供たち
誕生会が始まるまであと三十分。
俺は会場となるお座敷の和室を訪れていた。広さは百平方メートルを超え、中央に襖の敷居と鴨居があり、二部屋ある和室を一つにしたとても広い会場だった。その部屋の両方に座敷用のテーブルと椅子が設置されていた。
すでに何人かが和室の前にそろっている。老若男女問わず、俺が知らない人たちが歓談に華を咲かせていた。知らない人たちばかりだが、おそらく梔子家の親族や財閥の関係者たちだろう。
しかし、その中には見覚えのある人たちもいた。和室の隅で男女三人が集まって、何か話をしていた。声が響くのか、俺の耳にも届いた。
そのうちの一人、真ん中にいる小顔で鼻筋の通ったきれいな女性は受付けにいた、梔子綾乃さんだ。ということはその両隣にいる人が誰かもわかった。梔子夫人が見せてくれた写真で見た人物――そう、長男の隼人さんと次男の清介さんだ。
隼人さんは姉から咎められているようだった。
「隼人……ダメでしょ。いくらお母様の言いつけだからと言って、ストーカーだなんて……」
「姉さん……違うよ。僕は……僕は自分の気持ちを……」
「全然そんな風に見えない。ただ、お母様が敷いたレールにしたがって、ただお母様のために必死になって、神原様のお嬢様に言い寄っただけ」
「……そうかもしれないけど、お金さえあれば……」
「お母様はあなたに次期梔子家当主としてふさわしい人間になってほしいと考えていらっしゃるの。中身のない、そんな人間は相応しくないの」
姉からの一撃がきつかったのか、隼人さんは顔をうつむけてしまった。
それを見た弟の清介さんは見下しの眼差しを兄に向けた。
「婚約相手にストーカーってやばくね? 兄さん。元々相手から嫌われてたくせに、なんでスパッと諦めねえんだよ」
「諦められたら楽だよ! けどさあ……」
「おふくろのためだ……だろ? いい加減綺麗事はやめなよ」
「……違う。僕の意思だ」
「強がっちゃって。おふくろがいないと何もできないくせに」
弟の発言が癪に障ったのか、隼人さんは盛大に舌打ちをした。
「お前はどうなんだよ、清介!」
「ほら、ムキになってんの」
兄を馬鹿にするような口調と視線で、清介さんは隼人さんを煽っていた。
弟が更に兄を挑発する。
「おれか? おれはゴーマイウェイだぜ? 自分で切り開いた道を進む。今度のコンテスト大賞取ったらプロデビューだぜ」
今度は隼人さんが負けじと弟を煽った。
「ああ、あのくそつまらんネット小説か。何度も応募してるくせに……入賞すらしない。現実を見るべきなのはお前の方じゃないのかい?」
しかし、兄の必死の煽りも空しく、弟の清介さんはさらりとかわした。
「ふうんだ。小説家の先生からいい線行ってるってお墨付きなんだ。兄貴よりはまともな人生歩めそうだ」
「……」
沈黙する隼人さんに弟はさらに挑発した。
「いずれおふくろからも捨てられるだろうぜ。自覚くらいしといたら?」
「お……お前も人のこと言えないだろ。母さん言ってたぞ。今度小説家になる夢をあきらめてくれなければ、無理やりにでも退学させて東京行かせるって」
低い声で弟に威圧する兄の発言に、弟の清介さんはカチンときたのか、兄を睨みつけた。
「なんだと?」
「母さん、お前のことよく思っていねえってよ。才能ないなら、いい大学出て、いい会社に勤めろってな」
「く……!」
清介さんは拳を強く握り、今にも爆発しそうになる。
バチバチと火花を散らす兄弟の間を取り持つかのように、姉の綾乃さんが割って入った。
「こらこら、二人とも。今日はお母様の誕生日なんですよ? 張り合うのは別の場所でやってちょうだい」
二人の兄弟の視線が姉に向けられる。
最初に矛を下したのは兄の方だった。
「わかったよ、姉さん」
それを見た弟の清介さんも兄から視線をそらした。
「……」
綾乃さんは腕を組むと二人に忠告した。
「あなたたち大人なんだから、ちゃんとした判断はできると思うけど、親を悲しませるようなことだけはやっちゃだめよ」
「ったく……姉貴はどっちの味方なんだよ」
清介さんは愚痴をこぼしていた。
その様子を怪訝に思ったのか、姉が顔をしかめた。
「私はあなたたちとお母様に喧嘩してほしくないだけ」
「はあ? 喧嘩してねえよ。おれが選んだ道におふくろが邪魔してるだけじゃねえか」
「邪魔って……お母様は清介を心配して言っているのよ」
「姉貴はどれだけあの女の肩を持つんだよ……姉貴もおふくろから大学受験で散々な目に遭ってるじゃんか」
一瞬だが沈黙が綾乃さんに生まれた。
「もう解決しました。おかげで希望の大学に行けましたし、今では和解しましたから」
姉の綾乃さんはどこか平静を装っているように見えた。
俺はきょうだいらのやりとりをただ聞いていた。どうやら三人の仲はそこまでよくないらしいが、どこからか母親への良くない思いが垣間見えた。
だが俺は三人に気を取られすぎていた。それは三人にとって気味の悪いものに映ったのかもしれない。
「おい、お前、何してんだよ。僕たちに用でもあるのか」
声を放ったのは隼人さん――椿の婚約者である。
「あ、いや、その……」
とっさのことだったので、俺は戸惑いの色を隠せない。
隼人さん……いや、隼人は俺の顔を視認するや、顔をしかめた。
「……お前、まさか椿と一緒にいる奴だな。名前は金谷……律也!」
「な……」
「つ……椿に余計なことしてないだろうなあ……!」
隼人は身の毛もよだつ形相で俺を睨みながら、間合いを詰めてきた。背後から姉や弟の静止を呼びかける声がするが、隼人には届かなかった。
思わず俺の心臓が止まりかける。
至近距離に突如現れた怒りの形相。大人しい性格だと椿は言っていたが、とてもそんなふうには思えない。
「な、なんだよいきなり……」
俺は即座に後ろに下がって間を取った。
「なんで……俺を知ってるんだ。あんたと会うのはこれが初めてのはずだ」
「聞いたんだよ……母さんから……」
「はあ?」
隼人は胸に手を当てて呼吸を整えているようだ。
「椿は僕の……僕らの家に嫁ぐ予定なんだ。お前なんかと一緒にいるわけにはいかないんだよ……。椿は、僕のところにいたほうが安泰なんだよ……」
「……」
「女はな……僕みたいな金持ちに魅力を感じるんだ。 お前みたいなどこの馬の骨ともわからない奴より、よっぽど幸せになれるんだよ」
俺、金谷律也は気が弱い。しかし、俺の目の前にいる男はそれ以上かもしれない。言葉のたどたどしさの中に偽りの強がりを感じた。
だが、椿は仕事仲間だ。邪魔をされるのは困る。
俺は気を取り直すと、面と向かって隼人に言い放った。
「結婚するかどうかは知らないけど、神原さんは俺の上司なんだ。誕生会には仕事の一環としても参加させてもらってる。仕事の邪魔をしないでくれ」
「……仕事だと」
「ああ」
「……」
俺と隼人の間に、妙な沈黙が流れた。
顔をしかめていた隼人の口元がかすかにひくついている。
――あら、あなたたち、何をしているの
その声に振り向くと、豪華だが上品な和服に身を包んだ女性が立っていた――三きょうだいの母親だった。




