第45話 変な奴に絡まれた
俺が梔子邸に到着したのは一時間後。運転手にお礼を言い、料金を支払うと、俺はその豪邸に向き直った。
広い駐車場には県内外のナンバーの乗用車やバスで一杯になっていた。おそらく、誕生会の出席者が乗ってきた車だろう。
「KADOYAMAグループ」の社用車とトラック、「三星グループ」の公用車、「桜本財閥」の輸送トラック、「住仲ホールディングス」のバス……。日本を代表する企業グループや財閥関係の車も並んでいる。
そして、駐車場の先、立派な塀の向こうには、荘厳な和風の邸宅の屋根瓦が見えた。入り口の門には、いかつい風貌の警備員が二名、こちらに顔を向けている。怪しげなものがいないか監視しているのだろう。
俺の身体は自然と緊張感で満たされた。なぜか、背筋が震える。
門の前にいる警備員に事情を説明し、入場許可を得た。
門をくぐると、非常に大きな和風の邸宅と庭園が眼前に広がっていた。椿から聞いた話によると、大きさは百坪もあるらしい。広大な敷地の半分ほどは人が住まう邸宅である。黒い瓦というだけでは普通の住宅と変わらないが、すべての瓦がきれいに整えられ、柱や白壁ときれいに調和している。
残りの半分は流麗な日本庭園となっていて、白い小石が敷き詰められた大きな池に鯉が数匹放し飼いにされていた。奥に見える小高い丘には、松林をバックに屋根と柱だけの四阿があった。中にはお茶屋にありそうなベンチもある。
芸術に疎い俺でも、一言で一般庶民が住む家ではないと確信できた。家というより、観光名所だ。椿の実家よりもすごい邸宅である。
そして、会場はその邸宅の隣にある別館である。別館は本宅よりわずかに小さいが、それでも広大で壮麗な瓦が並び、奥には別の中庭が見える、武家屋敷を思わせる構造だった。
俺は周りの景色に見入りながらも、受付入り口に向かった。受付ではショートヘアで眼鏡をかけたすらりとした女性が来賓客の相手をしていた。彼女の顔、どこかで見たことがある気がする。
俺もそれに倣って受付の職員に氏名と住所を記入する。
出席者の名前が並んでいるが、その中には神原家の面々の名前もあった。一般参加者とは別の名簿に記載があることから、どうやら特別な客として招かれているようだ。
当然、梔子家と縁もゆかりもない俺は一般参加者扱いである。
「すみません。神原椿さんはもう来ていらっしゃいますか? 俺、椿さんの関係者なんですが」
「椿さん? ええ。神原様ならもう来てらっしゃいますよ? ご家族の方なら、神原様の控室にいらっしゃると思います」
「そうなんですね。控室の場所を教えていただけませんか?」
ふと彼女の顔を見る。鼻筋の通ったきれいな人だが、俺はその顔を見てまさかと思った。そして、俺の予感はある言葉で現実となった。
「綾乃お嬢様。そろそろ控室に戻ってはいただけないでしょうか。お時間が迫っております」
「桐原さん」
そう、綾乃……梔子綾乃さん。梔子夫人の三人の子供たちのひとりである。一番年上で、夫人との仲も良いというが、夫人はどこか彼女を信用していなかった。
綾乃さんの前に、黒いスーツに身を包んだ、初老の白髪交じりの髪と髭を蓄えた男性が現れた。女性はその男性を桐原と呼んでいた。
「まだ少し時間あるでしょ? お手伝いさんに任せっきりなのもあまりよくないと思います。お母様も人手足りないから手伝ってほしいって仰ってましたし」
「確かにそうですが……。早めに控室に戻ったほうがいいかと思います」
少し考えたのち、綾乃さんは腕時計を見た。
「わかりました。私も戻りますわ」
「この場は他のスタッフに指示いたしますから、お嬢様は早く萌様のところへ」
そういうと、綾乃さんは受付けの場から離れていた。
桐原さんは俺に気が付くと、丁寧な口調であいさつした。
「お客様ですね? ようこそいらっしゃいました。私は梔子様の使用人をしております、桐原と申します」
桐原さんは六十代の白髭が混じった男性で、物腰が柔らかそうな雰囲気だった。
少々緊張しつつも、俺は行くべき場所を聞いた。
「どうも……あの……神原さんの控室の場所はどこですか?」
「この先の廊下を行った先にあります。控室には来賓のお客様のお名前が記載されたプレートが戸口に設置されておりますので、それをご覧になっていただけると、たどり着けるかと思います」
「わかりました。ありがとうございます!」
***
来賓の控室は渡り廊下を歩いた先にあった。「神原柳様 神原椿様」と、白い紙が壁に貼られ、部屋が案内されている。部屋の戸口から障子越しに時折話し声が聞こえてくる。
俺は物音を立てないよう、ゆっくりと戸を開ける。
「おはよう」
中にいたのは今日、“神原家の人間”として誕生会に出席することとなった二人だった。
椿と紅葉ちゃん……彼女たちは俺に気づくと、戸口に寄ってきた。
ふたりとも、以前梔子萌さんが事務所に依頼を持ち掛けたときに着ていた正装をしていた。
「リツ……やっと来てくれた」
椿はため息をついた。何かがあったのか、その顔には安堵の様子が見て取れた。
俺は戸惑いを覚えた。スマホを取り出して、時間を確認する。
「え、ちゃんと時間通りだったぞ」
「そうじゃなくて……。変な奴に絡まれた」
「絡まれた?」
椿に絡んでくる奴なんているのか、と俺は頭の中で一瞬思ってしまった。
確かに椿は美人でスタイルもいい。そのためか言い寄ってくる男もいるが、大体は気が強い椿に言い返されて退散するのがほとんどだ。
同時になぜか、俺は心の奥底から熱い何かを感じた。その感覚は、なぜか妙に低い声となって俺の口から発せられた。
「……誰にだ……?」
「……隼人」
「隼人?」
いきなり出た人名。どこかで聞いたような……。
俺は妙に冷静になって、脳内の辞書を探った。
「以前話していた、勝手に決められた許婚よ……」
梔子夫人の子供の一人、梔子隼人。椿の婚約相手で、財閥の御子息の長男である。長男というだけあって、跡取りを期待されていたが、思うような結果が出ず、落ちぶれているという。
紅葉ちゃんは姉を気遣いながら、話を付け加えた。
「絡まれたっていうより……付きまとわれている感じだったよね。必死になって、なんか、おかしい感じ」
椿はこくりと頭を下げた。
「めちゃくちゃ怖いし、気持ち悪い……。あんなの初めて見た」
椿が詳細を話してくれたが、その隼人という男は椿を見た途端、言い寄ってきたという。
――椿……その……僕と……僕と一緒に付き合ってくれないか
――新しい……車買ったんだ。今度……奢るから……さ……。一緒に出掛けない?
――い、いや……こんどはちゃんとやるからさ……
――探偵……? そんなことよりさ……うちの実家金持ちだから……さ、将来安泰だよ……?
なぜかとってつけたような絡み文句の数々。隼人の言葉はたどたどしさも去ることながら、明らかに母親の目を気にして、いいところを見せようと必死になっているのは明白だ、と椿は言っていた。
そして、隼人は必死で後をつけてくる。気が強い椿でもドン引きするほど必死な形相で。
なんとか控室に戻ってきたが椿は完全に気が滅入っていた。
「正直、父さんに話して断りたいわよ。もともと結婚する気はないけど、あんなのに女の子が惹かれるわけないじゃないの」
「確かに、気持ち悪い……」
椿は深くため息をつくと、腕時計を見た。
「そろそろ呼ばれる時間ね……。私、父さんと行かないといけないから、リツは先に行ってて」
「わかった。大変だったな」
「ありがと。それだけでも嬉しい」
少々やつれ顔になっている椿の身を案じながらも、俺は控室を後にした。




