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第39話 神原姉妹のお弁当

 二月の中旬。

 まだ雪が残る常盤市内。

 朝は寒いが次第に日が昇るのが早くなってきていた。


 俺は母さんが用意してくれたおかずを弁当に詰めていた。これは俺のお昼になる弁当で、子供のころからたしなんでいるおふくろの味は別格である。

 事務所に昼休みはそんな母さんの真心が込められた弁当を食べるのが、個人的な一つの楽しみだった。


 食器を片付けながら、母さんが語り掛ける。


「リツ、あなたももういい歳だし、将来のこと考えてたまには自分でご飯作ってみたら? 母さんも仕事で夜遅いこともあるし、今は家事も料理も出来る男の人ってモテるそうよ?」

「俺、全然ダメなんだけど……。一人暮らしの時も自炊しようとして続かなかったし」

「まあ、椿ちゃんが作ってくれるならいいか」


 その言葉を聞いて俺の顔が熱くなった。

 いや、椿が料理うまいなんて聞いたことないんだが……。てか、作っているところ見たことない。

 そして、俺は椿と結婚するなんて一切考えた覚えはないぞ⁉


「いや、母さん……」

「ふふふ。ほかの男の人に取られないように、早いうちに告白するのよ」


 母さんはにやにや笑いながら食器を乾燥機に入れていく。

 俺は半分反抗的になって言い返した。


「べ、別に椿と結婚する気なんてねえよ。ほかにいい人はいくらでもいるし……」

「あら? しっかり者の椿ちゃん、あなたにぴったりだと思うけど? マネージャーになってくれそうじゃん」

「マネージャーって……」


 たぶん、スポコン系の漫画によくある女子マネージャーのこと言ってるんだろうが……。

 そもそも椿は最近のライトノベルや漫画にありがちな、ご奉仕してくれるような女とは真逆の性格で、逆に男を引っ張っていくようなタイプだ。つまり、本来の意味でのマネージャーであった。

 ただ、彼女自身は俺みたいな男はタイプではないようで、以前妹の紅葉ちゃんから聞かれたときに、あくまで俺自身を仕事仲間としか思っていない様子だった。やっぱり彼女も、ほかの女子みたいに男性アイドルとか、俳優やスポーツ選手みたいな、ルックスが良くて優しく、男気もある人が好みなのか……。

 いろいろ考える俺を尻目に、母さんは食器を片付けていった。

 母さんは顔をにやつかせながら、俺をからかった。


「まあ、今は令和だし、家事も育児も分担してやってくれる旦那さんになったほうが、椿ちゃんも喜んでくれるんじゃない?」

「……だから、あいつと結婚するなんて考えてねえって」

「ふふふ。早くしないと仕事遅れるわよ? 椿ちゃん、しっかり者だからちゃんとしないと嫌われちゃうわよ」

「……はーい」


 俺はこれまで一度も遅刻したことないぞ、と心の中で叫びつつも俺は身支度に自室に向かった。

 そういえば今日はスーツを着て事務所に来いと椿はSENNにメッセージを入れていたっけか。

 午前中、別件で依頼が入っているのだが依頼主が財閥の夫人らしく、しかもそれは急遽決まったことなのだ。

 俺はクリーニングに出してきれいになったフォーマルスーツを探した。

 洋服ダンスに掛けられた、ストライプ柄のネイビースーツ。東京で仕事をしていたときに、貴人と会うときによく着用していた服で、保険営業から結婚披露宴までなんでもござれな制服だった。


 さて、仕事に向かいますか。


***


「おはよう」


 俺はいつもの挨拶とともにときわ探偵事務所のドアを開け、事務室に向かった。


「お、来たわね」

「リツさん、おはよう!」


 その先では探偵事務所の所長である神原椿と、彼女の妹である本来は高校生だが、子供の姿になった女の子、神原紅葉ちゃんがいた。彼女たちは俺を待ちわびていたのか、さっとソファから立ち上がると俺たちのもとにやってくる。


 いつもとは違う光景に、俺はドキッとした。

 椿はベージュのワンピーススーツに同じく女性用のベージュジャケットを身にまとっていた。ワンピースには種類はわからないが花柄がプリントされていた。

 紅葉ちゃんも子供用のグレーのボレロに、紺色のワンピース。完全に正装の姿だ。


 特に椿はピアスとネックレスの装飾も相まって、いつも以上に気品さと美しさが目立って見えた。


「お、おい……椿も紅葉ちゃんもすげえな……」


 俺は思わず三歩後ずさった。


「何ビビってるのよ。昨日連絡したはずよ? すごい人が事務所に来るんだから、私たちが正装するのは当たり前でしょ?」

「ま、まあそうだけど……」

「あんまり恥かかせるようなことしないでね。この探偵事務所の経営にかかわってくるんだから」

「ああ……」


 なぜか、背筋が引き締まる思いだ。

 一体どんな人が来るのだろうか……。


***


 椿いわく、その人は昼から来るらしい。

 午前中は珍しく依頼は入っていなかったので、俺たちは現在受け持っている他の依頼の事務作業をしていた。


 通常業務に戻った“ときわ探偵事務所”。

 すでに年末発生した事件から二か月が過ぎ、俺たちはいつもの日常に戻っていた。


 俺たちは探偵業の傍ら、“人生をやり直せる薬”についての調査も行っていた。


 “人生をやり直せる薬”。


椿の妹の紅葉ちゃんが、何者かに売りつけられ、救いを求めて飲んでしまった薬。そして、俺も、椿たちが来るのが遅れていたら――


 俺たちの運命を、大きく変えるきっかけとなった薬だ。

 父さんもこの薬のことを調べていたらしく、俺たちは父さんの部下であった堂宮刑事と協力して、“人生をやり直せる薬”の謎を追っている。


 以前、ボロアパートで起こった立てこもり事件の関係者も、人生に絶望した時に白装束の人間から薬を買ってしまったと話していた。

 俺はその話を聞いたとき、可能な限り彼から情報を聞き出した。

 彼は近くの公園で白装束の男女から“人生をやり直せる薬”をもらったのだという。

 その男女の姿の話を聞いて俺は心臓が止まりかけた。

 俺が会社を辞めさせられた、まさにその日を図ったかのようにその男女が現れたからだ。


 だが、事件後公園で聞き取りを行ってもそれ以上有力な情報は得られなかった。

 白装束の二人組を見た人はほとんどいない……。彼らは正体を隠して活動しているのか、今はこの街にはいないのか……。

 なんか有力な情報があればなあ……。


 昼過ぎ、俺は事務室で弁当を食べていた。

 椿と紅葉ちゃんも準備した弁当を持参している。

 俺はあまり気にしていなかったが、改めて二人の弁当をのぞき込む。

 ご飯にからあげ、ウインナーにきんぴらごぼう……どうやらスーパーで買っている冷凍食品が中心のようだ。


「リツ、なんで人のお弁当じろじろ見てるの?」


 怪訝そうな顔をする椿を尻目に、俺は彼女に尋ねた。


「なあ、椿。お前んとこっていっつもメシどうしてるんだ?」

「え?」

「朝晩の飯だよ。どうしてるんかなってさ」

「なんでそんなこと……」


 すると、話に割り込むように紅葉ちゃんが俺と椿の間に入った。

 紅葉ちゃんは悪戯いたずらっ子のような笑みを浮かべていた。


「お姉ちゃん、自分で作ってるんだよー。将来旦那さんに食べてもらえるように頑張ってるんだって」

「ちょっと、紅葉!」


 顔を赤くした椿が手をバタバタさせて紅葉ちゃんを止めようとする。

 しかし、紅葉ちゃんはそれを華麗にかわした。


「お姉ちゃん、料理全然だめだからわたしが教えてるの! 将来結婚して旦那さんにおいしい料理食べてもらえるように、練習してるんだ!」

「ああ、もう! 言わないでよ!」


 その後、紅葉ちゃんは椿の料理武勇伝を話してくれた。

 カレーに入れる材料を間違えて鍋を爆発させかけたり、火加減を間違えてスパゲティのめんをくっ付けてしまったうえに、焦がせてしまったり……。

 いつになったら覚えるのかと紅葉ちゃんはあきれているらしい。


 紅葉ちゃん、こう見えて料理は得意らしく、幼児化する前は自分でご飯だけでなくスイーツまで作っていたらしい。


 楽しそうに語る紅葉ちゃんと半分絶望した顔を見せる椿。

 本当なら、俺もその輪に入ってわいわいしてるのだろう――俺の気持ちが椿に伝わっていたらの話だが。


 だが、俺には別の感情が湧き上がっていた。


――椿に……婚約者がいるだと⁉


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