第38話 その後の彼
ほどなくして、犯人の男の取り調べが行われた。
俺たちも事件の関係者ということで、常盤署に呼ばれた。俺は勝手に警察の捜査に入ったことでまた怒られるのではないかと怯えていたが、待っていたのは意外な展開だった。
むしろ堂宮刑事から感謝されたのだ。
「すごい啖呵の切り方だったよ、金谷君。いつものおどおどした君とは大違いだ。まるで君のお父さんみたいだった」
「いや……その……」
褒められてしまった。
ニヤニヤが止まらない。
いや、それほどでもないですよー、あはははは……。
しかし、肩を椿につつかれた。横目で見ると、彼女は余計なこと言うなとでも訴えたそうに顔をしかめている。
「リツ……堂宮刑事だからよかったかもしれないけど、本来なら警察の捜査に口出しとか、ダメなのわかってるよね」
強い言葉で耳打ちされた。
「あ……はい……」
それを見た堂宮刑事も笑っていた。
そして、刑事さんは俺たちが知らなかった警察内部での評価についても話してくれた。
「君たちのことは警察内部でも噂になってるよ。二回も警察に協力してくれた探偵だってね。むしろみんな褒めてるよ」
「そうなんですか? むしろ、迷惑かけまくってますけど……」
椿は申し訳なさそうに頭を下げる。
俺には一瞬、椿にめちゃくちゃ怒られた元同級生の遺体が発見されたときのことを思い出した。あの時は本当に目先のことしか考えていなかった。警察の捜査の邪魔をしたのを深く反省している。
しかし、刑事さんは気にするなとでもいうように話を続けた。
「まあ、危険な目に遭ってもらっちゃ困るけどさ。でも、無理のない範囲の捜査協力なら大歓迎だよ」
「……!」
椿は顔を上げて、堂宮刑事を眺めた。彼女の顔はパッと明るくなっている。
「本当ですか⁉︎ ありがとうございます! 感謝いたします!」
椿は頭を何度も下げた。
いきなりの椿の反応に驚くも、俺も椿に倣って頭を下げる。
少しずつだが、警察からの信頼も得られている気がした。
***
さらに数日後、年が明けたある日。
俺と椿、そして紅葉ちゃんは駅前近くのファミリーレストランに来ていた。
俺たち三人の前には、事件以来久々となる白根唯さんが座っていた。
俺たちは白根さんから事件の経過を聞かされた。
男――黄島元哉は白根さんと同じ大学に通っていた。
二人は三か月前に大学で出会い、交際を始めた……のではなく、この黄島という男、白根さんの容姿と性格に惹かれ、彼女に何度も交際を求めていたらしい。
白根さんは大学の研修が忙しく、なかなか会う機会がないということで断りを入れていた。
その後、先月の休日にデートを入れる機会ができたので、その日に二人で出掛けていた。彼女の部屋に飾ってあったのはその時に二人で撮ったものだ。
白根さんは当初、黄島に悪い印象は持っていなかった。
しかし、白根さんの研修が忙しくなり、二回目以降のデートの時間が取れなかった。白根さんはデートの誘いがあると、丁寧に他の日にしてほしいと頼み込んでいたという。
ところが、黄島はそれを聞き入れず、SENNやメールにもしつこくメッセージを送っていたらしく、次第に白根さんも黄島に愛想を尽かし、鬱陶しく感じるようになった。
そのため、いつからか黄島からの連絡をすべて遮断していた。
このことをよく思っていなかった黄島が直接彼女のアパートに乗り込んできて、交際を何度も要求したが、白根さんは断った。それに逆上して起こしたのが、今回の事件だった。
黄島が持っていたナイフは白根さんの部屋の台所にあったものだ。
白根さんは改めて、俺たちにお礼を述べた。
「依頼だけじゃなくて、事件まで解決してくださいまして、ありがとうございました」
「いや、これもお客さんのためですから」
椿は笑顔で応答する。
「よかったら、青崎先輩にもお礼したかったんですけどね」
そういって白根さんは雪が舞う商店街を眺めた。
意外な一言に俺も椿も、そして紅葉ちゃんも驚いていた。
「確かに、青崎さんは白根さんの先輩でしたけど……最近、青崎さんを見かけませんでしたか?」
椿の問いかけに、白根さんは首を振った。
「見てないですね……。アパートの人によれば引っ越したそうで。確かに覗かれたのは嫌でしたけど、助けてくれましたからね。あの人、優しい人だったんです」
白根さんによると、青崎……いや、青崎さんとは二つ上の同じ高校の先輩で、ともに、高校時代の昆虫愛好会のメンバーだった。だが、会員がほとんどおらず、白根さんが入会した時は青崎さんしかいなかったらしい。
メンバーは二人しかおらず、しかも白根さんと青崎さんが一緒だったのはわずか半年。しかし、青崎さんとは昆虫好きという点で趣味が一致していて、話題には困らなかった。青崎さんは昆虫だけでなく、他の小動物もかわいがっており、また白根さんが作っていた手芸品も気に入ってくれたらしい。
「先輩が私を気づかせるきっかけをくれた、あのコガネムシのキーホルダー、先輩が卒業するときに贈り物としてお渡ししたんです。将来、先輩に幸せになってほしかったから」
コガネムシが現れる家は金持ちになる――そんな俗説にあやかってコガネムシのキーホルダーを作ったのだという。
「でも、青崎先輩、ひどい目に遭っていたらしくて、この世から消えたいって思ってたそうなんです。やっぱりキーホルダー、効果なかったのかなあ……」
意外な白根さんの発言に俺の目が丸くなる。
青崎さんが死にたいと思っていた……?
椿が俺を代弁するかのように、白根さんに話しかけた。
「白根さん、それってどういう……」
「三日ほど前に覗きの謝罪のメッセージがSENNに来てたんです。先輩がアパートに引っ越してくる前に、お付き合いしていた女の人に貢がされた挙句、お金が無くなったらフラれたみたいで……」
青崎さんの事情を話す白根さんの表情が暗くなった。
「それで生活が苦しくなり、あのアパートに引っ越してきた」
椿がその続きを予測しつつ、言葉を続けた。
白根さんが首を縦に振る。
「引っ越してきた直後は相当荒れてたそうで、あの壁の穴はその時に壁を叩いて開けてしまったそうです」
その穴をあけてしまった部屋が偶然、後輩である白根さんの部屋だったのだ。
青崎さんは昆虫を愛でることに加えて、後輩を垣間見ることで自分の心を癒していたのだろうか。されている側にとってはたまったものではないが、青崎さん自身が受けた仕打ちも、想像するだけで胸が締め付けられる気がした。
「先輩が助けてくれたのも、私を見守ってくれたからかもしれません。まあ、覗きは嫌でしたけどね」
そういって白根さんはもう一度雪が舞う商店街を眺めた。
人通りが少ない中、誰かを待つように。
その時、白根さんは瞳を大きくさせた。
「せ、先輩⁉」
いきなり席を立って走り出す白根さん。
「ちょっと、白根さん⁉ どうしたんですか?」
「すいません、外に先輩が」
「え?」
椿は白根さんの隣についていった。
おいおい、まだ会計済ませてないぞ⁉
俺と紅葉ちゃんは食事の会計を済ませると、椿と白根さんを追いかけた。
彼女たちはレストランの外にいた。そして、椿と白根さんの前に立つ、リクルートスーツに身を包み、上に冬用のコートを羽織った二十代半ばとみられる男。
「青崎先輩!」
白根さんがその男に呼びかける。
男は白根さんの先輩である青崎さんだった。
「白根……」
青崎さんは白根さんの名前を口にした後、何も言わなかった。
俺も椿も紅葉ちゃんも、その様子を見守る。
話を切り出したのは白根さんだった。白根さんは青崎さんの目の前で頭を下げた。
「先輩……その、ありがとうございました。先輩が来てくれなかったら、今頃ここに立っていられませんでした」
「……」
青崎さんは何も口にしなかったが、その無表情な顔が少し緩んだ。
そして、青崎さんも改めて謝罪を述べた。
「……いや、俺はむしろ白根に迷惑かけたと思ってるよ。すまなかった」
「覗きのことですか? もう気にしてませんから、大丈夫ですよ」
白根さんは苦笑しながらも、青崎さんに釘を刺した。
「でも、覗きはダメですよ!」
「はは……わかってるよ」
白根さんの言葉に、青崎さんは後ろめたさを残しながらも、笑顔を見せていた。
そして、青崎さんは俺と椿に顔を向けた。
意外な彼の行動に、俺の顔は自然と青崎さんに向けられた。
彼は以前会った時と異なり、髭も剃られ、ぼさぼさの髪も切りそろえられていた。鼻筋が高く、目をキリッとしており、なかなかの好青年に見えた。
「あんたたちだったな。この前の事件の時に助けに来てくれたのは。あんたたちにはひどいことした上に、命まで助けてもらった。本当に、申し訳なかった」
椿も少し戸惑いを見せていた。
思わぬイケメンに見惚れてしまったのか、少し顔が赤くなっている。
「私たちはあくまで仕事でやったまでですから……」
しかし、すぐに気を取り直し、青崎さんに向き合う。
「青崎さんを信じて正解でした。覗きとか、ストーカーやる人って、俺は悪くないって言い張る人もいるんです。それでも、青崎さんは素直に白根さんに謝ってくれた」
その後、青崎さんは白根さんを困らせるようなことはせず、むしろ白根さんの命を助けようとした。白根さんも青崎さんの謝罪を受け入れたようで、覗きの一件はひとまず解決となった。
「今後は絶対に覗きみたいなことしないでくださいね。白根さんから重ねてになりますけど」
「ああ」
軽く俺と椿に会釈すると、青崎さんは白根さんに小さく頭を下げた。
「じゃあ俺、行くよ」
「どこ行くんですか?」
「この服着てわからないのか? 面接だよ」
青崎さんはそう言ってコートのボタンをはずすと、紺色のジャケットとネクタイが現れた。
「本当の意味でやり直すんだ」
「もう “薬” に頼らないんですね?」
「あの “薬” は一度も使ってないよ。じゃなきゃ白根を覗いていやしねえって」
「ちょっと、先輩⁉」
そのやり取りは傍から見たら幸せな光景かもしれない。
しかし、俺は違っていた。
“やりなおす” “薬” ……?
一体何なんだ、この違和感……。
だが、今この機会を逃すと一気に目標から遠ざかるような気がしてきた。
今ここですべきことは一つだけだ。
「その……青崎さん」
俺が声をかけると、青崎さんの顔がこちらに向けられた。
「ん? どうした?」
「一つ、聞いていいですか」
(「第2章 黄金色の絆」 END)




