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第33話 覗き穴

 椿はその場で崩れるように尻もちをついた。


「ひえ、ひえ、ひえんほうふ……ひ……」


 何を言っているかわからない言葉の羅列だったが、その意味はすぐに理解できた。

 小さな赤と黒の羽が特徴的なテントウムシが数匹、椿のスリッパのすぐ近くで行進していたのだ。


「な、なんでこんなところに。どこから入ったのかしら」


 白根さんも驚きの色を隠せない。

 彼女は虫は好きだが、この部屋で虫を飼っていなかった。

 白根さん曰く彼女と交際していた男性が、虫が大の苦手らしい。


 俺はあたりを見渡した。

 すると、どこからか直線的に当たる暖かな風を感じた。

 冬なのでこの部屋は暖房が効いているが、それよりもはっきりと暖かな温風……。


 その先に顔を向けると、テーブルの陰に隠れて、直径十五センチくらいの穴が壁紙を突き破ってぽっかりと口を開けていたのだ。 

 俺はみんなに見えるように、テーブルを動かした。


 床の上十五センチくらいの高さにある、ぽっかりと空いた穴。


「うそ、こんな穴知らなかったわ……」


 部屋の主人である白根さんも知らなかったらしく、手で口を抑えて驚いていた。

 俺はその穴をそっとのぞき込むと、アパートの外観と同じく、相当年月が経って老朽化した空間が広がっていた。

 掃除はされていて、ほこりはほとんど見受けられない。しかし、窓や壁に目をやると、割れた窓ガラスや、壁に黒ずんだシミが浮かんでおり、部屋が見守ってきた時間を物語っていた。

 生活感はあるが、部屋はさびれている。たぶん、このアパートに住んでいる人の部屋のデフォルトがこんな感じなんだろう。


 とはいえ、部屋には誰もいない。

 ところどころアクリル板の壁で四方八方を囲った箱が見える。中には、木の板や石が敷き詰められていた。虫や金魚を飼育するケースのようだが、何か飼っているのだろうか……。


 だが、目を凝らしていると飼育ケースの中で、何やら動いているのが確認できた。


「何かいる……」

「え、何がいるの?」


 後ろから肩をつつかれ、紅葉ちゃんの小さな顔がにょきっと、俺の肩の真上にくる。


「うん。ひょっとしたら……」


 よく見ると、バッタやカブトムシ、テントウムシやアゲハチョウなど、冬なのにたくさんの虫がケースの中で動いていた。

 一部のケースは蓋が開いており、ケースの外へ飛び出している。

 さっきいたテントウムシも、この部屋から穴を通って迷い込んだのだろう。


「……どうなんですか?」


 不安そうな白根さんの声。

 結果を報告するのは椿の役割だが……ちらりと後ろを振り向くと、白根さんの後ろで、椿は両手で顔を押さえて、見たくないというアピール全開である。


 こうなると俺が報告するしかない。

 コミュ力ないし、女性と話すのは苦手だけど、立ち上がるんだ、俺……!

 俺は心の鞭で自分を立ち上がらせ、振り向くと、白根さんに調べた結果を話した。


「その、この穴から覗かれてた可能性が高いですね……。壁紙を貫いて、のぞき込んでたんじゃないかなって、思います」

「まあ、そんな……」

「その人は虫が好きみたいですね……。今は部屋にいないみたいですけど」


 驚きを隠せない白根さんに俺はなんとか状況を説明した。

 壁の状況を見るに、穴は隣の部屋から開けられたか、隣人が壁紙を破ったのだろう。

 もっと詳しく状況が知りたかったので、たどたどしい口ぶりで俺は白根さんに質問した。


「確か、模様替えした時、穴はなかったんですよね」

「はい……」

「じゃあ、誰かが意図的か、偶然に向こうから穴をあけたんだ」


 俺の言葉に白根さんは顔を下に向け、かすかに震えていた。

 彼女が言う通りなら、人為的に開けられたんだ。

 そして、意図的に彼女の部屋を覗こうとしていたんだ。


「ちょっとー、最低じゃない! 穴開けて覗きって……。もう警察に通報したほうがいいかもしれませんよ」


 さっきまで虫の一撃でひっくり返っていた椿が立ち上がると、声を上げながら歩いてきた。

 いつもの沈着冷静な椿ではなく、その目は本気の怒りに満ちていた。


「人として最低な隣人さんね! 犯罪者じゃない!」


 椿の気持ちはわかるが、まずは本人に会って注意するのが俺たちの仕事じゃないのか? 証拠がないのに警察に突き出しても取り合ってくれない可能性が高い。


「椿、まずは隣人が帰ってくるのを待って注意しに行こうぜ。同時に警察に通報するんじゃなくて、相談する形で行けば何とかなるかもしれない」

「……」

「痴漢みたいな現行犯ならともかく、誰も目撃したのを見ていないんだろ? まずは調べるのが先だよ」


 俺の話を聞いて椿は少々考え込む。

 しばらくして、椿は改めて口を開いた。彼女の声のトーンは一気に暗くなっていた。


「そうね……。相手がどんな人かもわからないのにねえ……」


 椿が同意してくれたので、俺と椿は白根さんにそのことを提案した。白根さんも提案に同意してくれたので、俺たちは隣人が帰ってくるであろう夕方まで待つことにした。その間、近くのホームセンターで新たな壁紙を購入し、穴をふさいだ。壁の工事に関しては後日大家さんにお願いする、と白根さんは話していた。

 夕方まではまだ時間がある。

 俺たちは白根さんの部屋の中で、改めて彼女から情報を聞き出すことにした。


「隣の部屋の人、見たことありますか?」


 椿が白根さんに尋ねる。白根さんは頬に右手を当てて車の窓を眺めた。


「うーん……私、あんまりアパートに住んでる人とお話したことないですから……」


 その時、何かに気づいたのか白根さんは顔を俺たちに向けた。


「そうだ……。たまに大きな水槽とか、飼育ケースを持ち歩いて、隣の部屋に入っていくのを見ました。でも……大昔にあったことある気がするんですよね……」

「え、どんな人でしたか?」

「ちょっと、メモに描いてみますね。なるべく思い出してみます」


 白根さんは、ポーチから取り出したメモ帳に、シャーペンで隣人の顔を描いていた。

 数分後、白根さんはシャーペンをポーチに戻すと、メモ帳を俺たちに見せてくれた。


 眼鏡をかけた、髪がぼさぼさの男。剃っていないのか、口の周りを取り囲むように黒い髭が生えていた。

 お世辞にも、あまり清潔とは言えない。

 これにマスクと黒い眼鏡をかければ、漫画やアニメに出てくる不審者の誕生である。


「……絵に描いたような人ね……」


 ぼそりと椿の本音が漏れる。

 俺も同意だった。

 かなり特徴のある人物のようなので、それらしい人はこのアパートのほかの住民も見ているかもしれない。

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