第3話 ”人生をやり直せる薬”
――おねえ……ちゃん……
半泣きになりながら小さな子供の姿に変わってしまった妹に、姉はただ佇むしかできなかった。
今から三か月前、椿が当時勤めていた会社から、家に帰ったときのこと。朝までは高校生の姿だった紅葉ちゃんが、小学生くらいの姿になっていたという。
事情を聴くと、学校の帰りに白装束の若い男から「人生をやり直せる薬」をもらったそうで、帰宅後飲んでしまったという。
「紅葉ちゃん……どうして? 何かあったのか?」
しかし紅葉ちゃんは顔を俯けてしまった。
一瞬嫌な予感がするが、椿が続きを話してくれた。
「学校で酷いいじめを受けていたのよ」
「え……」
紅葉ちゃんは姉の椿と異なり、大人しく控えめな性格だった。いや、謙虚すぎて自分の意見をなかなか言え出せない女の子だった。
そのため、クラス内のカーストでは最下位に叩き落されていた。
しかし、父親の教育方針で学業の成績は良かったが、それがカースト上位の生徒に気に食わなかったらしい。
――生意気だったから
それだけの理由でいじめられたのだ。
紅葉ちゃんがどんな仕打ちを受けたか、想像するにも限界があるが、気持ちがなんとなくわかる気がした。
俺も高校時代にいじめを受けていた……紅葉ちゃんとよく似た理由だったと思う。
「その日、踏切で身を絶とうとしてたの。そこを白装束の人に助けられたそうよ」
「身を……絶つ……⁉」
身の毛のよだつ恐怖が俺を襲った。同時に、いじめで心にダメージを受け、やり場のない怒りとやるせなさも感じた。
事情は分からない。だけど、いじめを受けたからこそわかる気がしたのだ。
「紅葉にとって藁にもすがる思いだったんでしょうね……。
だから、薬をもらって、飲んでしまった」
「人の弱みに付け込んで、酷いことをしたんだな」
湧き上がる怒りに、俺は手を強く握り締めた。
ふと、同時にある疑問が浮かんだ。
俺も薬を売りつけられていた。
「人生をやり直せる」。俺はその悪魔の言葉に魅了され、購入してしまった。さらに、飲もうとまでしていたのだ。
怒りに燃え上がる感情を、今度は恐怖が頭から冷たい水をぶっかけた。
もし、この瞬間に椿が来て、薬のことを教えてくれなかったら……。
俺も同じ運命をたどっていたかもしれない。
俺は息をのむと、もう一度紅葉ちゃん、そして椿の順に顔を向けた。
「な、なあ、椿。俺がもし薬を飲んでいたら、小さくなっていたかもしれないんだな……」
「そうでしょうね。でも、この薬を飲んで降りかかってくる不穏な出来事は、これだけじゃないの」
そういうと椿は窓際まで歩き、カーテンを少し開けた。そして、のぞき込むように前後左右に目をやった。
「椿……どうかしたのか?」
「……誰もいないみたいね」
「は?」
いきなりの椿の行動に戸惑う俺。誰もいないって……?
椿は俺の前に戻ってくると、恐るべきことを言い放った。
「私たちね……監視されていたみたいなの」
「監視……? まさか、薬を売りつけてきた奴からか?」
椿はこくりと頷いた。
「紅葉が小さくなってから、たびたび話していたのよ」
紅葉ちゃんが薬を飲んでからしばらく、紅葉ちゃんはアパートの周囲で何者かの視線が感じると姉に話していた。さらに一人で歩いているとき、何者かに後をつけられている気配すらしたのだ。
「な、なあ、これだけ一大事なら、家族には話したのか?」
椿は深くため息をついた。
「無理ね……。父さんがあんな態度じゃ……」
「柳さんのことだな」
「ええ。あいつ、神社の事ばかりで私たちのことを少しも考えてないのよ」
椿の実家は常盤神社という、全国的に有名な神社を運営している。椿の父親は神社の神主であり、神原家の現当主でもあった。
しかし、非常に古風かつ厳格な性格で、椿や紅葉ちゃんにも厳しく接していると聞く。
「一応、だめもとで相談したけど聞く耳持たずだったわ。それで私、怖くなって紅葉と家を出てるの」
椿と紅葉ちゃんは市内の別のアパートを借りて暮らしているという。
すぐに家から出ている。その言外には深い闇が広がっているような気がした。
俺は話を変えた。
「警察もダメだったのか?」
「被害が出てないから捜査はできないって。初めからかかわりたくない感じだったわ」
「……」
俺は少しもやもやしていた。警察がかかわりたくないって……? そんなはずはないと思うが……。父さんだったら、親身になってくれると思うけど……。
椿は話を続けた。
「だから、私は紅葉を守るために探偵になった。警察も家族も頼りにならないなら、私が立ち上がるしかなかった。
探偵になって実績を上げれば、何らかの情報が入ってくるかもしれないからね」
「椿……」
椿の決心が目から浮かんでいるように見えた。
そして、椿は自分のスマホから写真フォルダをタップして、俺に見せてくれた。
「こいつらが、後をつけていたのよ。あの二人組よ」
画像にはまるで神父や修道女のような服を着た、白装束の男女。俺の家に現れた、あの二人組――
「まさか、紅葉ちゃんを監視してたって言うのか?」
俺の言葉に椿はこくりと頷いた。
「理由はわからないけど、薬の効果を確認していたんだと思う」
俺はぞっとした。さっき椿はカーテンを開けて周囲を確認していたが……。
「この近くで、あいつらが監視してるのかもしれないのか?」
椿は目を閉じると、首を縦に振った。
「マジかよ……監視して、幼児化した姿を確認して、一体何がしたいんだよ……」
「わからない。
でも、薬のことはネットで調べたら、購入している人が何人もいるみたいで、SNSとかブログを確認してたのよ。
そしたら、服用してから二、三日で更新が途絶えててね……」
そう言って椿は“人生をやり直せる薬”を服用したとされる人の個人ブログや、SNSを見せてくれた。
薬の服用理由は様々だが、やはり人生に行き詰まりを感じたり、鬱屈を覚えて購入した人が多いようだ。
しかし、いずれも更新が途絶えており、コメント欄には安否を気遣うメッセージが並んでいた。中には薬の効果で小さくなったことを報告した直後に失踪した人もいた。
「まさか、白装束の奴らが何かしたのか?」
なぜか俺の頭が過剰反応するが、椿は顎に手を当てた後、首を横に振った。
「わからない。ただ……白装束の姿を見たって投稿が、薬を飲んだ家族の方からなされてるわね」
情報提供を呼び掛ける家族の投稿には、失踪直後に白装束の連中とみられる二人が、家を見張っていたとみられる投稿がなされていた。
さっきの紅葉ちゃんの時と同じだ。監視をしているのかもしれない。
彼らは救いを求めて薬を飲んだ。だが、同時に監視され、さらに姿を消した。
ご家族としては不安で仕方がないだろう。
「似たようなことが全国各地で起きてるのよ。しかも、まるで人が消えたように失踪してる」
「……まさか、これだけ失踪者が出ていても、警察は捜査してくれないのか?」
俺の質問に、椿は首を縦に振った。
「まあ、ね。この事件、取り扱ってくれないのよ」




