第28話 引き裂かれた愛
「正直、あいつらがいるなんて思わなかった。どこで嗅ぎ回ったのか……」
経緯を語る松山の目の奥は、殺害された二人への恨みに満ちていた。さっきまで、美幸さんとの幸せの日々を語っていた時は、目が輝いているように見えたのに……。
なぜか、俺も胸が締め付けられそうになる。
相手は罪を犯した人間なのに……。
***
古川はそのさわやかな風貌を武器に、美幸さんに近づいた。
「なあ、お姉さん。こいつ、元犯罪者な割に気弱で馬鹿で流され屋なんだ。今はお姉さんに優しくしてるけど、すぐに他の女作って離れるだろうぜ?」
ニヤニヤする古川に怪訝な表情をする美幸さん。
「……知ってますけど」
「ならなんで一緒にいるの? 俺と一緒にさ、遊びに行こうぜ?」
奴の手が美幸さんに伸びる。
びくっと、美幸さんの身体が恐怖からくる拒絶反応を起こす。
「や、やめてください……!」
「変なことしないから、さあ、行きましょうよ、お姉さん」
怯える美幸さん。
その隣で松山も内心ビビっていた。あの時と同じく、何も言い出せない自分が、目の前の現実に立ちはだかろうとしている。
だが、ここで引き下がれば、美幸さんが――
松山は拳を強く握る。今までの自分なら、ここでなす術もなかった。
今なら……!
「お前ら、美幸から離れろ!」
大声を上げて古川らを威嚇する。
しかし、古川は怪訝そうに松山を睨む。
「はあ? イキってんじゃねえよ。俺らに隠れて女作りやがって。お前最近怪しかったからさ、先回りしたら女と付き合ってやがって」
古川は吸っていた煙草を松山に投げつけた。煙が出る煙草は松山に当たると、そのまま下に落ちる。
松山は一歩後ずさった。
「お前な、ずりぃんだよ。俺らにも遊ばせろ」
古川は唾を吐き捨て松山をぎっと睨みつけていた。
美幸さんは怯え、体は硬直していた。
もう松山に残された時間はない。彼は心に強く決意すると、声を張り上げた。
「古川ァー‼ 言い寄るんじゃねえ‼」
拳を振りかざし、松山は古川に突撃した。
そこからは何があったか覚えていないという。松山は必死になって愛した女性が魔の手に落ちないよう、古川らに抵抗した。
たぶん、周囲から見たら取っ組み合いの喧嘩に発展していたと思う。
だが、古川が持つ「戦力兵器」に勝つことはできなかった。
「俺らに反抗するなんて百億年早いんだよ。やれ、室伏」
「おう」
この二言で抵抗は空しく終わりを告げた。
松山は必死になって古川から愛した女性を離そうとした。しかし、彼の顔面に大きな、丸太のような拳が飛んできたのだ。
その一撃の痛みが全身に襲い掛かり、体が宙に浮く。
そして、後方に吹っ飛ばされて地面にたたきつけられた瞬間、松山は意識を手放してしまった。
***
気が付いたら、周囲はすでに朝になっていた。重い頭を起こしつつ、松山はあたりを見回す。
ところが、一緒にいた美幸さんが見当たらない。それどころか、古川と室伏もいなくなっていたのだ。
――まさか……!
松山の足は自然と走り出していた。その足で必死になって住宅街を捜し回ったが、三人はどこにもいない。
――おいおいおい、嘘だろ⁉
突如消えた大切な人と、悪魔。
この時から、松山には嫌な予感が湧き上がっていたという。
いや、最悪な結末も予期していた。
なお、この数日後に生野の家族が警察に、姉の美幸さんの行方不明届を警察に提出している。こちらも、いくら捜しても姉が見つかることはなかった。
松山は悶々とした一日を過ごしていた。時間があれば、常盤市内を捜したりもした。
だが、彼女は見つからずただただ時間だけが過ぎていった。
事が動き出したのは事件から三か月後。偶然、松山が駅前の商店街を歩いているときだった。
――やっぱ、いい奴いないよなー
――ったく、やらなけりゃよかったよ。あの姉さん……
――ああ。めっちゃ美人で遊び甲斐があったからなあ
――俺、もっとやりたかった
――そういう意味か? だからいつまで経っても童貞なんだよ、室伏
どこからか聞こえる声。松山は耳を澄ませて、そいつらを捜す。
店と店の間の路地で、あの二人がたむろしていたのだ。あいつらは足元にビールを数本並べ、タバコをふかして、まるで悪魔のように笑っていた。
話を聞いていると美幸さんの話をしているようだったという。
最悪な展開が容易に予想できた。
松山はすぐにあいつらに食って掛かった。
「おい、お前ら。何してるんだよ」
松山に似つかわしくないどすの聞いた低音で問いかけた。
煙草を捨て、古川らは松山を睨みつけた。
――ああん? 誰だお前。
ヤクザのような口調で近づいてくる古川に、松山は怯まずに続けた。
「今何の話をしてた。美幸に、何をしたんだ」
「へっ。誰かと思えば松山君じゃん。久しぶりー」
そういって松山を下に見るように笑いながら手を振って挑発する古川。
松山は表情一切変えず、古川に問いかけた。
「教えろ。美幸に何をした」
「何をしたって、あの子には俺たちの遊び相手になってもらっただけさ」
「そのあとどうした? “やった” ってさっき言ったよな。そのあと、美幸は行方不明なんだよ。どうした」
自分たちが普段見る松山と異なる鋭い口調に、古川は一瞬ひるんでいた。
しかし、すぐに開き直ったのか、涼しい顔に戻る。
「何必死になってんの? カノジョは帰したよ」
「どこに帰した。家に帰してないよなあ……‼」
鋭い剣幕で古川を問い詰める。
古川は焦っているのか、冷や汗が額から出ていた。
しかし、ついに古川は開き直ったのか、出てはならない答えが出た。
――土に返した
古川いわく、あの後美幸さんは想像を絶する仕打ちを受けたという。服を脱がされ、暴行を受け、裸をSNSや動画サイトに流され、風呂に沈められ……。そして “遊び” の最後に彼女の身体を凌辱し、蹂躙したという。
そして、警察に通報されるとまずいので、彼女を消して “土に返した”。
松山はそれを聞いてまるでマグマのような怒りがこみ上げた。
そして、反撃するかの如く追及を始めた。
「てめぇら、どこに美幸さんを……」
「さあな。もう三か月も前だから忘れちまったよ。なあ、室伏」
開き直った古川のイライラを与える言動に、室伏はにやにや笑いながら同意していた。
「言えよ! どこに埋めたぁ⁉」
松山の罵声が二人に降りかかる。しかし、それを払いのけるかのごとく、古川は松山のすぐ至近まで顔を近づけた。般若のような形相で。
「勝手にイキんなよ。お前、だりぃんだよ」
「……!」
古川は顔を離すと、室伏に命じた。
「やれ」
「おう」
その後、酷い目に遭ったのは言うまでもない。
松山は耐えられなかった。あんな、人間の屑のような奴に美幸は殺されたのだ。
だが、遺体はまだ見つかっていない。
当時、姉を捜していた樹里にも、姉が死んだかもしれないことを告げていた。彼女はショックを隠し切れなかったが、まだ遺体が見つかっていないことに希望を託していたのかもしれないと、松山は語った。
松山は復讐を誓った。あの二人に俺と美幸さんが受けた仕打ちと、同じ目に遭わせて、殺してやる。
そんな時、彼は公園であの白装束の男と出会ったという。
――人生をやり直せる薬
そう、紅葉ちゃんが飲んでしまった薬だ。
白装束いわく、これを飲むと身体が縮み、子供から人生をやり直せるという。
これは、松山にとって、復讐にうってつけのアイテムだった。幼児化させてしまえば非力。逆こちらから奴らを蹂躙できる。そして、用済みになったらポイ。
松山自身は就職も決まっていたが、奴ら二人を行方不明にしてしまえば、実質的に自分の進路を汚さずに奴らを始末できるのだ。
すぐに彼は薬を購入し、あいつらに復讐する計画を立てた。
計画を進めると同時に、美幸さんの遺体がどこにあるか独自に調査し、結果大谷城神社に埋まっていることを突き止めた。それはちょうど、同窓会が開催される前日。
生野にも彼女の遺体が埋められている場所を伝えた。
***
松山は振り返り、外に広がる暗闇を見ていた。
「古川は桜本財閥関連会社に就職が内定していたから、美幸のことをばらすと言ったら怯えてたよ。あいつは所詮虎の威を借る狐なんだ」
「脅迫して、逆に自分に暴力を振るわれなくさせるためか」
「ああ」
同窓会の前日、松山の一言で古川が引いたのは、古川は彼に弱みを握られていたから。
暴力沙汰を起こせば就職に不利になる。そう考えていたのだ。
俺がつぶやくと、松山は振り返る。
「ああ。あとは金谷、お前が言った通りさ。ま、計画は破綻しちまったけどさ。あの薬で、幼児化するどころか、本当に人が死んでしまったんだからな」
悔し気に笑う松山。
古川が死んでしまったため、松山は状況から即席で考えた嘘をつかせることにしたが、同時に古川の遺体を埋め、美幸さんが埋められている場所の近くに隠した。
これもすべて、古川が美幸さんに行った仕打ちと同じ目に遭わせるためだった。
一連の事情を聞いて、俺は複雑な気持ちだった。
大切な人を奪われ、蹂躙された松山の気持ちを想像すると、胸を締め付けられる。
だが……。
俺としては、自首してほしい。
これ以上、生野や及川の気持ちを裏切らないでほしい。
俺は心に決めて、口を開いた。
「なあ、松山。俺が言っても意味がないかもしれないけど……」
「命を絶つなって言いたいんだろ? 何も理解してないくせに、偉そうなこと言うぜ」
「……」
そう言われたって構わない。
とにかく、お前を大切に思ってくれている人を裏切らないでくれ。
「もう俺がここにいる理由はない。俺はこれから美幸のいるところに行く。絶対に止めるなよ」
俺は即座に松山の手を取り、引き戻そうとする。
こいつは一度自殺を図っている。また命を絶とうものなら、生野が……及川が……。
「邪魔するな、金谷!」
「死なせねえ……‼」
「生意気なんだよ……!」
「そんなの知るか。絶対に死ぬなっ……」
思っている以上に松山の力が強く、俺は引きずられていた。
このままじゃ……。
その刹那、俺の引く力に新たな力が加わる。その隣に、彼女がいた。
神原椿。生野樹里の友人であり、俺の同僚だった。
「死んじゃ……ダメぇ……!」
「椿……」
椿は歯を食いしばりながら、必死に松山の手を引く。
そして、可能な限り声を上げた。
「樹里はあなたに死んでほしくなかった! たぶん、お姉さんも同じ気持ちだと思う。あれだけ優しくて、松山君のことを思ってくれていた美幸さんなら、妹に罪をかぶせて逃げるあなたを見たら、きっと悲しむと思うわ」
「……!」
突如、松山の手から力が抜け、彼の身体場その場に崩れ落ちた。
壁にもたれかかり、すべての精気が抜けたかのようにうなだれていた。
「み、ゆき……」
涙が、ぽろりと頬を伝い、冷たい病室の床に落ちた。
そして、彼は大声で号泣した。彼の嗚咽が、病院内に響き渡っていた。同時に、彼のすぐそばで、彼が一番大切に思っていた人が寄り添うような、そんな幻想を見てしまった気がした。




