62 女の意地
「なっ……お前、誰に向かってそんな生意気な口を利いている!?」
途端に気色ばんだクラウスが腕を振り上げる。殴られることを覚悟して歯を食いしばったけど……クラウスの拳が私のもとへ届く前に、ぱしり、とアレスが軽く受け止めていた。
「ふーん、仮にも自分のものだと思ってる女殴るとか最低だな、お前」
「婚約者を躾けてやるのも俺の義務だ! 部外者が口出しするな!!」
「他の女に現抜かしといて都合のいい時だけ婚約者気取りかよ。とことんクズじゃん」
「それは貴様の方だろう!? 貴様が俺の婚約者に手を出そうとするからこんなことになるんだ!」
「さっきリラが言ってただろ、俺たちはただの友人だって」
その言葉に、図々しくも少しだけ心が痛んだ。
……そう、私とアレスはただ同じ学科の友人で。
それ以上の何かを期待するなんて、おこがましってわかっているのに……。
「俺たちはセーフだけど、お前は完全アウト。証人も呼んどいたから」
「は?」
不快そうにクラウスは顔をしかめたけど、その時ホールの入り口からコツコツと足音が聞こえてきた。
反射的にそちらに視線をやり、私は驚いてしまった。
そこにいたのは、私がクラウスから贈られたのと同じドレスを身に纏い、恐ろしいほど無表情のコリンナだったのだから。
「コ、コリンナ……」
だが、この展開はクラウスにとっても予想外だったのだろう。
先ほどまで怒りで赤く染まっていたクラウスの顔は、瞬く間に真っ青になった。
コリンナは無表情なままクラウスの前までやって来ると、そこで初めて妖艶な笑みを浮かべた。
「今晩は、クラウス。どうかしら、このドレス。あなたがこのドレスを贈った婚約者より、私の方が似合ってると思わない?」
「コリンナ、帰れ……! ここはお前の来る場所じゃない!」
「はぁ?」
途端に、コリンナの表情が怒りに歪む。
「あなた、少し前までは私をパートナーに誘うって言ってたじゃない。このドレスも、二人で選んだのに……薄情ね」
「黙れ! リラ、違うんだこれは――」
「違わないわ。……ねぇ、聞いてよ。この人、散々あなたのこと地味で冴えないとかつまらないとか言ってたくせに、あなたが評価され始めた途端手のひらを返そうとしたのよ。私に何度も愛してるって言ったくせに、あんなのを本気にするお前はバカだって……甘く見ないで」
コリンナは燃えるような憎悪と、氷のような侮蔑を宿した苛烈な瞳でクラウスを睨みつけている。
クラウスは何度も「帰れ」と繰り返したが、とても通じるような状況じゃなかった。
「錬金術学科に対してもそうよ。あんな『きつい、汚い、危険のそろった3K職に進む奴は救いようのない馬鹿だ』って馬鹿にしてたくせに……ねぇ、いいことを教えてあげましょうか」
コリンナが意味深な笑みを浮かべた途端、クラウスがよりいっそう焦り始めた。
「馬鹿! やめろ!! 余計なことを言えば。お前の立場だって危ないんだぞ!?」
「そうね、でも……あんたみたいなクズ男に弄ばれて捨てられたなんて、私のプライドが許さないの。安心して、きちんと道連れにしてあげるから」
コリンナがにっこりと笑い、クラウスは絶望的な表情に変わる。
彼は無我夢中でコリンナに飛びかかろうとしたが、すぐに周りの生徒に取り押さえられた。
その様子を冷たい目で見据えたかと思うと、今度はコリンナは私の方へと視線を移した。
「あなたたち錬金術学科が学園祭に向けて頑張ってるときに、いろいろと壊されたことがあったでしょう。覚えてる?」
「……忘れるわけがないわ」
そう返すと、コリンナはにっこりと笑う。
「あれ、私とクラウスが壊してやったの。あなたが気に入らなかったから、もっと苦しめてやろうと思ってね」
コリンナの告白に、クラウスはへなへなとその場にへたり込んだ。
例の事件に関しては、きっちりと被害届を出している。
学科全体に損害を与えたのだ。犯人だとわかれば……相応の処罰は免れないだろう。
「その話、詳しく聞かせてもらおうか」
「えぇ、ここで洗いざらい話した方がいいかしら?」
「いや、場所を変えよう」
何人かの教師が進み出て、コリンナを連れていく。彼女は抵抗することもなく、素直に従っていた。
「ほら、お前もだ!」
「くっ……!」
へたり込んでいたクラウスも、腕を引かれるようにして立ち上がると、そのまま連れていかれる。
……かと思いきや、彼は教師の手を振り払い血走った目でアレスを睨みつけ、叫んだ。