60 あなただけは、絶対に守ってみせるから
最低の気分のまま、ダンスパーティーの日を迎えてしまった。
女子寮はいつになく華やぎ、部屋に閉じこもっている私のもとにもにぎやかな声が聞こえてくるほどだ。
コリンナにどう話を付けたのかは知らないが、クラウスは私をパートナーとして扱いたいらしい。
彼からは、一見して高級品だとわかるドレスが贈られてきた。
色もデザインも派手すぎて、いっそ嫌がらせかと思うくらいだ。
コリンナみたいな華やかな女性ならさぞ似合うだろうけど……どう考えても、私のように地味で冴えない女には過ぎたものだ。
周りがドレスアップにきゃいきゃいとはしゃぐ中で、私は……どうしてもパーティーの場に行く気にはなれなかった。
もし私が行かなければ、クラウスは私の行いを実家に報告し、私は連れ戻されることになるだろう。
錬金術師となる夢は潰え、まるで囚人のように屋敷に閉じ込められ、ただクラウスに歴史ある伯爵家の血と、錬金術の才のある子を与えるだけの人形になる……。
考えるだけで死にたくなるような、絶望的な未来だ。
でも……クラウスに与えられたドレスを着て、彼のパートナーとして振舞う場面をアレスに見られるよりはマシだ。
たとえこのままアレスに二度と会うことなく、学園を去ることになったとしても……そんな惨めな姿を見られたくはなかった。
もしも、ほんの少しだけでも私のことを彼の記憶に残せるのなら……夢に向かって、歩み続ける姿を覚えていて欲しい。
ほんの少しの間だけ、私が私でいられた宝物のような時間を。
二人で過ごした日々を、忘れないでいて欲しかった。
「だから……これで、いいのよ」
いつの間にか寮内は静かになっていた。
きっと皆、パーティーへ向かったのだろう。
……羨ましくない、わけじゃない。
私だって、自分の思うように精一杯着飾って、本当に好きな相手の手を取れたのなら……どれほどよかっただろう。
「荷物でも、まとめようかな……」
どうせ実家に戻ったら大半が捨てられてしまうとしても、寮に私物を残したままでは寮母さんが困ってしまう。
びっしりと付箋や書き込みがいっぱいの参考書。昼食代を節約してまで集めた稀少な素材……。
魔鉱石ランタンや、守護の腕輪の設計書……。
手に取っただけで、様々な思い出が溢れてくるようだった。
「う……」
瞼の奥が熱くなり、じわりと涙が滲んでしまう。
本当は、もっとここにいたかった。
錬金術師として、自分の力で羽ばたきたかった。
……こんな形で、お別れしたくはなかった。
――「じゃあさ……卒業したら、俺と一緒に来る?」
もしもあの時、意地を張らずに彼の手を取っていたら……何かが変わっていたのだろうか。
いや、そんなわけがない。あれはただのアレスの冗談……のはず、だ。
それでも私は、そんな甘い幻想に縋ることをやめられなかった。
「ほんと、馬鹿みたい……」
そう呟き、再び荷物をまとめにかかる。
アレスがくれた……壊れてしまった髪留めは、本来なら捨てるべきだろう。
でも、どうしても捨てられなかった。きらきらと光る石の部分だけ切り離して、そっと制服のポケットに忍ばせる。ここを出る日までは肌身離さず持っていて……その先は、どうしよう。
……いざとなったら、飲み込んでしまおうか。
そうすれば、きっと誰にも取り上げられることはない。
そんな考えが頭に浮かび、自嘲するように笑った時だった。
「待ちなさい! 用があるならきちんと私が――」
「急いでるんです! リラ、いるんだろ! 大変なんだ!!」
「ハンス……」
聞こえてきたのは、ずいぶんと焦ったようなハンスの声だった。
今はパーティーの真っ最中のはずなのに、いったいどうしたのだろう。
慌てて涙をぬぐい、部屋を出る。
入口へ向かうと、寮母さんとにらみ合うようにしてハンスが立っていた。
制服ではなく、きちっとした礼服を身に着けている。やはりパーティーに出ていたのだろう。
やって来た私に気づくと、彼は真剣な顔で近づいてくる。
「今すぐ来てくれ」
「どこに……」
「大広間だ」
「……嫌よ」
大広間なんて、今まさにパーティーが行われている場所ではないか。
こんな制服のままで、よくみたら泣きはらした顔で、行けるわけがない。
「悪いけど、パートナーなら他の子を――」
「違う! アレスが大変なんだよ! 君の婚約者の奴が……アレスに罪を着せて学園から追い出そうとしてるんだよ!!」
「えっ!?」
思ってもみなかった言葉に、さっと血の気が引く。
「そんな、嘘……」
私がアレスと距離を置けば、クラウスから守れると思っていた。
でも、それは大きな間違いだったのかもしれない。
クラウスは執念深い性格だ。前にアレスが私をクラウスから庇ったことを、今も根に持っていたのだとしたら……!
「どうしよう……!」
アレスを巻き込むような、迷惑をかけることだけはしたくなかったのに……!
絶望に苛まれる私の手を、ハンスが強くつかんだ。
「来てくれ。君なら、あいつを助けられるかもしれない」
真剣な顔で、ハンスはそう口にする。
……迷う時間はなかった。
「行くわ」
私のちっぽけなプライドなんて気にしている場合じゃない。
たとえ私がどうなったとしても、アレスだけは助けないと!
ポケットの上から、そっと髪留めの石を握り締める。そうすると、少しだけ勇気が湧いてくるような気がした。
……待ってて、アレス。
あなただけは、絶対に守ってみせるから。