59 籠の鳥
その翌日から、アレスは私と距離を取るようになった。
必要最低限の会話はするけれど、前のようにいついかなる時もじゃれついてくるようなことはない。
その態度にほっとすると同時に、私は不相応にも寂しさのようなものを感じているのに気付かざるを得なかった。
アレスに関わる時間が少なくなれば、予習も復習も自習も進む。
なのに、生活に張り合いが出ない。錬金術師になるという夢は変わらないのに、まるで……世界が色あせてしまったかのような、そんな錯覚を覚えてしまう。
それと、単に私の気持ちの問題だけではなく……アレスと二人で行動するのをやめたことによって、他にも影響が出てきてしまった。
学期末が近づき、学園の一大行事であるダンスパーティーを目前にして生徒たちは浮足立っていた。婚約者のいる生徒はどんな装いにしようかと頭を悩ませ、婚約者や恋人のいない生徒は、必死にパートナーを探すのだ。
私にもとにも、何人かパートナーの申し出があったけど……もちろん、すべて断って来た。
とても誰かと楽しく踊るような気分にはなれそうにもなかったし、それに……私なんかに関わったことで、クラウスに目を付けられるのは可哀そうだ。
アレスが言っていた通り、クラウスはあの髪留めを踏みつぶした一件以降、どうも私と復縁した……などというデマをばらまいているようなのだ。
外堀を埋めているつもりなのだろうか。本当に気持ちが悪い。
もちろん直接相手にはしていないが、彼からは毎日のように贈り物が届く。
ちょうど今寮母さんが持ってきてくれたのは、派手な宝石が彩られた髪留めだった。
――「あんなちゃちなものよりも、君にはこちらの方が良く似合う」
そんなメッセージカードを、私は怒りのままに破り捨てた。
「……馬鹿みたい」
こんなもので、私を懐柔できるとでも思っているんだろうか。
クラウスは別に私のことを愛しているわけじゃない。王太子殿下が錬金術師を重用するように舵を切ったので、単に私を確保しておきたいだけ。
送られてくる品々だって、どう考えても私に似合わない派手な物ばかりだった。
どうせ、コリンナに贈った物の流用だろう。
本当に馬鹿にされているようで腹が立つ。でも、それよりも恐ろしいのは……。
「やぁリラ。今日も可憐だね」
「…………」
出会い頭にそんな寒いことを言いだしたクラウスに、私は思わず顔をしかめてしまった。
そのまま無視して立ち去ろうとすると、背後から強く腕を引かれた。
「待てよ、そっけないな」
「……急いでいるの、離して」
腕を振り払って立ち去ろうとしたが、逆にねじるように引き寄せられ、痛みに小さく悲鳴が漏れた。
「いいのか? そんな態度を取って。……お前の実家に、忠告してやってもいいんだぞ?」
「っ……!」
意地悪く囁かれた言葉に、思わず体が強張ってしまう。
……そんなことをされたら、何もかも台無しになってしまう。
母は怒り狂って私を連れ戻し、もう二度と屋敷から出さないだろう。
錬金術師として自立するという夢も、自由も、何もかもが手の届かないところへ行ってしまう……!
「そ、そんなことをしても……あなたにとっては何の得もないでしょう!?」
彼が私を必要としているのは、あくまで錬金術師としてだけ。
錬金術師としても中途半端な私を娶ったところで、なんのメリットもないのに……!
必死にそう言い放つと、クラウスは意地悪く口角をあげた。
「そうだな。確かに短期的に見ればたいしたメリットはないが……少なくとも、お前の人生を滅茶苦茶にできる。それに……お前の子はお前の才を継ぐ可能性が高い。長期的に見れば、我が一族に利益をもたらしてくれるはずだ」
「最低……!」
どこまでも人間を道具としてしか見ないその発想に、吐気すら覚える。
クラウスは憤る私を見て愉快そうに笑うと、そっと耳元に囁いた。
「まぁ、俺も愛する婚約者を傷つけたいわけじゃない。まだ籠の鳥に戻りたくないなら、どう振舞うべきかわかるだろう?」
……逆らわずに、クラウスの婚約者として振舞えということだろうか。
黙り込み唇を噛みしめる私を見て、クラウスはひどく愉快そうに笑った。
「まぁ、せいぜい苦しめよ。お前みたいな地味な女は、そうやって苦しんでいたり泣き顔の方がそそるからな」
軽く私の頭に口づけを落とすと、クラウスは笑いながら去っていった。
……今すぐ、頭から氷水でも浴びたい気分だ。
とぼとぼと歩き出して、誰もいない学園の片隅までやってきたところで……私は力が抜けてしゃがみこんでしまった。
「どうすればいいの……?」
明るい未来が、自由な生活が待っているはずだった。
それなのに今は……まるで見えない鎖にがんじがらめにされたように、どこへも行けなくなってしまった。
でも、それでも……もう、アレスだけは巻き込まずに済む。
ただそれだけが、唯一の救いだった。