56 壊された思い出
……私は、なんてうぬぼれていたんだろう。
アレスと二人で街に行って、口にした食事の味も、陽の光を浴びて輝く湖の美しさも、この髪留めを始めてみた時の胸の高鳴りも、はっきりと覚えているのに……。
私にとっては宝物の数々も、アレスにとっては何でもないことだったのだ。
少し私の機嫌が悪そうだったから、宥めるためにその辺で買ったものを渡したに過ぎなかった。
相手が私じゃなくても、きっと誰であっても……それは同じ、
それを、私は……少しでも彼にとって自分が特別なんじゃないかって、うぬぼれて、調子に乗って……なんて愚かだったんだろう。
ぎゅっと髪飾りを握り締めたまま、私は声を殺して泣いた。
アレスは何も悪くない。私が勝手に勘違いして、勝手に傷ついただけだ。
そんな自分が惨めで、無様で、涙が止まらない。
やがて背後からじゃり……と土を踏みしめる音が聞こえ、私は反射的に振り返ってしまった。
……少しだけ、期待してしまった。
アレスが、私を探しに来てくれたんじゃないかって。
でも、そんな期待は簡単に裏切られてしまう。
「あぁ、可哀そうに……。やっと気づいたのか、リラ」
そこにいたのは、薄ら笑いを浮かべたクラウスだった。
彼は私が泣いていたのに気付くと、意地悪く笑う。
「だから言ったじゃないか。あんな男を信じるのは間違ってると」
「……あなたには、関係ないわ」
涙をぬぐい、立ち上がる。
そのままクラウスの横を通り過ぎようとしたけど、しっかりと腕を掴まれてしまった。
「関係ないことないだろう? 俺たちは婚約者同士なんだ。大切な婚約者が泣かされて、黙っているわけにはいかないな」
「……ふざけるのはやめて。私とあなたはただの他人よ。何度も言うけど、もう私に関わるのはやめて」
そう言って睨みつけると、一瞬、クラウスは不快そうに表情を歪めた。
だがすぐに、その表情は軽薄な薄ら笑いに変わる
「意地を張るな、リラ。俺の所へ戻って来い」
「絶対に嫌よ」
「なぜそう頑ななんだ? あの男が詐欺師だってことには気づいたんだろう?」
「……アレスは関係ないって言ってるじゃない。それに、彼は詐欺師なんかじゃないわ」
「……なんだ、まだ知らなかったのか。なら、良いことを教えてやるよ」
クラウスが薄気味悪い笑みを浮かべる。
たじろいだ私の耳元に顔を近づけ、彼は囁いた。
「……リヒテンフェルス帝国に、『シュトローム侯爵家』なんて家門は存在しない」
その言葉を聞いた途端、心臓が止まりそうになってしまった。
……待って、そんなわけ――。
「これはきちんと調べた情報だから間違いない。あの詐欺師は身分を偽って、お前を騙そうとしていたんだよ」
……確かに、私も聞いたことのない家名だとは思っていた。
でも、帝国は広いから。私の知らない侯爵家があってもおかしくはないと、そう思っていた。
でも、クラウスの言うことが真実だとしたら……?
「あぁ、間に合ってよかったよ、リラ。あいつの甘言に乗っていたら、お前を失っていたところだった。でも、もう大丈夫だ」
クラウスがわざとらしく私を抱きしめる。
でも私は、もうこの大っ嫌いな男を振り払う気力もなかった。
……アレスは、ずっと私を騙していたの?
心の淵から、ひたひたと絶望が押し寄せてくる。
クラウスが何か言っているが、もう私の耳には入らなかった。
「ほら、こんなものもういらないだろ?」
「あっ」
油断した隙をついて、クラウスが私の手から髪留めを奪い取る。
そして、止めようとした私の前で……髪留めを地面に落とし、勢いよく踏みつぶした。
ぐしゃり――と繊細な金属がひしゃげる音が聞こえ、クラウスが見せつけるようにゆっくりと足を上げる。
残されていたのは、見るも無残にひしゃげ、汚れてしまった髪留めの残骸だ。
「リラ、お前は聡明な女だ。お前なら正しい道を選び、俺のもとに戻ってくると信じてるぞ」
そんなクラウスの言葉に、言い返す気にもなれなかった。
私はただじっと、一点から目が離せなかった。
まるで私の心のように……ぐしゃぐしゃになってしまった、思い出の髪留めから。
【お知らせ】
いつも本作をお読みいただきありがとうございます。
この「「地味でつまらない」と捨てられたので、地道に錬金術師を目指します!〜堅実令嬢は婚約破棄後に幸せになる〜」ですが…
なんと、コミカライズしていただけることになりました!
本日よりコミックパルシィにて連載開始です!
→( https://palcy.jp/comics/1486?p=uqj7zpj4 )
リラちゃんをめちゃくちゃ可愛く描いていただいております!
アレスも普通にかっこよくてビビります!
コミカライズオリジナルの二人の出会いも描いていただいておりますので、ぜひぜひ見ていただけると嬉しいです!
明日くらいにpixivコミックでも連載が始まると思いますので、アプリを入れてない方もぜひどうぞ!
小説の方も佳境になってきましたので、今後とも応援していただけると嬉しいです!