54 自覚した想い
「やるじゃないか。地味で、つまらなくて、何のとりえもなかったお前に……こんな使い道があるなんてな」
「……意味が、わからないわ」
なんとかそう口にして距離を取ろうとしたけど、逆に腕を引かれて近くの壁際に追い詰められてしまう。
「俺とお前は、まだ婚約者同士だってことだよ」
耳元で囁かれたた声に、ぞわりと鳥肌が立つ。
そんな、嘘だ。
だって、クラウスは……。
「あ、あなたは……コリンナさんと――」
「あぁ、もちろん愛してるよ。コリンナはお前と違って可愛げがある。だが……頭の中は空っぽだ。妻の座に置いておいても俺の足を引っ張るだけだな。あいつはせいぜい愛人止まりだ」
そのあまりに横暴な言い方に、コリンナに好印象を抱いていなかった私ですら嫌悪感が沸き上がる。
「……最低」
「要領がいいと言ってくれ。リラ、お前だってわかってるだろ? 貴族の婚姻なんてしょせん利害関係を考えて一番メリットのある相手を選ぶだけだって。お前とコリンナなら、まだお前の方が利用価値がある」
……思った以上のクズ男だ。
せめてコリンナへの愛を貫いてくれていたのなら、少しは見直せたかもしれないのに。
「婚約破棄は撤回だ。お前を侯爵夫人にしてやる、嬉しいだろう? 没落寸前の貧乏貴族のお前が侯爵夫人だぞ? せいぜい錬金術とやらで手柄を立てて、王太子殿下に俺を売り込んでくれ」
もう一秒だって、この男の言葉を聞きたくない。
ぐっと拳を握り締め、勇気を出して顔を上げ、真っすぐにクラウスを睨みつける。
「絶対に嫌よ。私はあなたと結婚なんてしないわ」
「……誰に向かってそんな生意気な口を利いている? 貧乏で惨めなお前に、俺が侯爵夫人の座を与えてやるというんだ。お前には過ぎた待遇じゃないか」
「私はそんなもの欲しくはないわ。自分の力で、自由になってみせるの」
クラウスは今まで従順だった私が反抗したことで、気を悪くしたようだ。
眉を寄せ、不快そうに私を睨みつけている。
だが何かに気づいたように、意地悪く口元を歪めて笑った。
「……あぁ、そうか。お前まさか、まだあのチャラチャラして留学生が助けてくれるなんて思ってるのか」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が大きく音を立てた。
私が動揺したのは、表情にも出てしまっていたのだろう。
私を見下ろすクラウスが、してやったりとでもいうように笑う。
「なるほど、最近妙に色気づいたと思ったら……」
「触らないで!」
クラウスが私の髪留め――アレスがくれた思い出の品に触ろうとしたので、反射的にその手を叩き落した。
だがクラウスは怒ることもなく、私の反応を見て目を細めた。
「馬鹿だな、リラ。お前は騙されてるんだよ」
「あなたに、何がわかるっていうのよ……」
この学園に入学して数か月。
私はずっとアレスと一緒に時間を過ごしてきた。
だから、わかる。
彼は軽薄そうに見えて……実際に自由奔放で、たまにとんでもないことをしでかしたりするけど、こんな風に他人を道具扱いなんてしない。
こんな風に、他人を騙したりなんかしないんだから……!
「正気に戻れ、リラ。俺の妻になれば侯爵夫人だ。もうあんなボロい屋敷に住まなくてもいいし、あのヒステリックな母親に従わなくてもいい」
「その代わり、あなたに従えって言うんでしょう?」
「そんなの当たり前だろう。まぁでも、俺の役に立つのなら大切にしてやるよ」
……「大切にする」なんて、反吐が出る。
この学園に入る前の私なら、彼の言葉に従っていたのかもしれない。
でも、今は違う。
自由を夢見ることを知った。
努力が形になり、認められることを知った。
皆で力を合わせて、協力することを知った。
……誰かの優しさが、あんなに暖かいことを知った。
もう、以前の私には戻れない。
いくら侯爵夫人という座を与えられようとも、クラウスの道具に成り下がるのなんてごめんだ。
「……結構よ。もう私に関わらないで」
クラウスの手を振り払い、そのまま踵を返そうとする。
すると、背後から嘲笑が追いかけてくる。
「そんなにあいつのことが好きだったとは……驚きだな、リラ」
――「好き」
直接投げかけられたその言葉に、頭を強く殴られたかのような衝撃が襲った。
ずっと、見ない振りをしていた。気づかない振りをしていた。
アレスは気まぐれだから、この想いを認めてしまえばきっと苦しむだろうって……無意識に封じ込めていたのだ。
でも、もう誤魔化せない。
私は……アレスのことが好きなんだ。
まさか、クラウスの言葉ではっきり自覚させられるなんて……。
「いいことを教えてやるよ、あいつは――」
「うるさい! あなたには関係ないわ!!」
それだけ言い捨てると、私はその場から走り出した。
クラウスはまだ何やら喚いていたけど、ぎゅっと耳を塞いで足を速める。
「はぁ、はぁ……」
一目散に寮の自室へ飛び込んで、ぎゅっと枕に顔を埋める。
そっと頭に手をやると、感じるのは硬質な髪飾りの感触。
丁寧に髪飾りを外し、じっと見つめる。
――「いつもリラには世話になってるからさ、そのお礼ってことで」
――「理由なんて、俺がリラにあげたかった。それじゃ駄目?」
――「明日、これつけてきてよ」
あんな風に、誰かに優しくされたのは初めてだった。
思い出すだけで、胸がじんわりと熱くなる。
私は、アレスが好き。
アレスは、私のことをどう思ってるんだろう……?
嫌われては……ない。と思う。
グループを組んで行う授業がある時、アレスはいつも真っ先に私の所へやって来る。
それだけじゃなくて、基本的に昼食や休み時間だって、自然と一緒にいることが多い。
私のことが嫌いなら、わざわざそんな面倒なことはしないだろう。
……駄目だ、うぬぼれそうになってしまう。
アレスも私のことが好きなんじゃないかって、甘い妄想に浸りたくなってしまう。
「……どうしよう」
いきなり告白……なんて勇気は残念ながら出てこなかった。
失敗した時に気まずすぎるし、今のこの距離感を壊したくはないし……。
「…………はぁ」
鏡の前に立って、相変わらず冴えない顔を見つめる。
もしも私が、もっと可愛くて自身に満ち溢れるような人間だったら……こんなに悩むこともなかったのかな。
たとえば……前にお世話になったフローラさんみたいな人だったら。
可愛くて、性格がよくて……あんな人になれたのなら、きっと素直にアレスに想いを伝えることができただろう。
あ、フローラさんといえば……。
「借りた服、返しに行かなきゃ」
前に彼女の召喚獣に服を水浸しにされた時、替えの服を借りたんだった。
しっかり洗って綺麗にしたし、早く返さなければ。
……しつこく纏わりついてくるご令息を振り切って彼女に会いに行くのは大変そうだけど、頑張らなきゃ。