52 ひとつの可能性
「あら、よくお似合いよ。サイズの方は大丈夫?」
「はい……何から何までありがとうございます」
「何を言ってるの。わたくしが迷惑をかけてしまったのよ。このくらい当然だわ」
彼女が私を連れてきたのは、召喚術学科が使用する小さな建物だった。
内装はまるで貴族の屋敷のようになっており、庶民が多い錬金術学科とは嫌でも待遇の差を感じてしまう。
召喚術を扱えるのは各国の王族や高位の貴族など選ばれたエリートばかりだと聞いているし、学園側の扱いも丁重なんだろう。
「授業の後で皆でお茶会をするときに着るルームウェアよ」と彼女が貸してくれたワンピースは、どうみても私が伯爵家で来ていた一張羅より高価そうだった。
うっかり汚さないように気を付けながら、ふかふかのソファに腰掛ける。
「今お茶を淹れるから待っててね」
「は、はい……」
同年代の女の子にこんな風に親切にされるのは初めてで、なんとなくむずむずしてしまう。
それにしても、彼女の所作は綺麗だった。
今のティーカップにお茶を注ぐという動きだけで、見惚れてしまうほどに。
「お待たせいたしました。体が冷えているといけないから、少し熱めに淹れさせてもらったわ」
「お気遣いありがとうございます」
そっとティーカップを口に運ぶと、紅茶がじんわりと体を温めてくれる。
私がティーカップを置いたのを確認して、目の前の腰掛けた少女はそっと口を開いた。
「そうだわ、まだ自己紹介をしていなかったの。わたくし、召喚術学科のフローラ・ノイフェルトと申します。どうぞよろしくね」
「はいっ! 私は――」
「ふふ、存じておりますわ。錬金術学科の、リラ・ベルンシュタインさんでしょう?」
いたずらっぽく微笑む目の前の少女に、私は危うくティーカップを取り落とすところだった。
こんな完全無欠の美少女が、なぜ地味学科の地味生徒である私のことをご存じなのでしょうか!?
「……学園祭の折に、召喚術学科のステージでわたくしも裏方として待機しておりましたの」
「あ……」
……なるほど、そういうことでしたか。
あの学園祭でフェニックスが暴走した一件に、どうやら彼女も関わっていたようだ。
「ずっと……お礼を言いたいと思っておりましたの。あなたがあの時フェニックスの暴走を止めてくださらなかったら、きっと大変なことになっていたでしょうから。……リラさん、あなたはわたくしたちの恩人です」
「そんな……たまたま、うまくいっただけです」
丁寧に頭を下げるフローラさんに、私の方が恐縮してしまう。
あの時は無我夢中で、運よくうまく切り抜けられたというだけだ。
「あの……あの、フェニックスを召還された方のお怪我の具合は……?」
「ひどいやけどを負われましたが、少しずつ回復しておりますわ。あなたがすぐにポーションを使ってくださった功を奏したようです」
「よかった……」
あの時、私たちは持っていたポーションを慌てて怪我をしている生徒に使ったのだった。
一時的な対処でしかなかったけど、うまくいったと聞いてほっとする。
その後も、フローラさんはいろいろな話をしてくれた。
こんな風に同年代の女の子と話す機会はなかなかなかったので、いろいろと新鮮だ。
彼女は誰をも魅了する美貌だけでなく、性格も穏やかで優しい女性だった。
はぁ、世の中にはこんなに完璧な人もいるなんて……完璧すぎて嫉妬心すら湧き上がらないから不思議だ。
「そうだわ、鞄の中身を確認していただけますか。しっかりと拭いたから、中の物は濡れていないといいのだけれど……」
そう言ってフローラさんが手渡してくれた鞄を開き、中の物を取り出して確認する。
錬金術の参考書を何冊か。そして、こっそり借りた帝国についての本を取り出した途端、フローラさんは驚いたように目を丸くした。
「あら、リヒテンフェルス帝国に興味がおありですの?」
「いえっ、その……興味といいますか……」
「わたくし、帝国から留学中ですの。気になることがあったらなんでも聞いてくださいね」
「そうなんですか!?」
聞けば、彼女は帝国の公爵家のご令嬢なのだとか。
「召喚術は国や地域によって特色が異なっておりまして、どうしても他国の召喚術を学びたくて、無理を言って留学させてもらったの」
なるほど。何も考えてなさそうなアレスとは違い、彼女はきちんと志を持ってこの国へやってきたようだ。
彼女は私が帝国に興味を持っていると思ったようで、嬉しそうにいろいろなことを教えてくれた。
お勧めの観光地、美味しい料理、社交界の流行……。
「あの……」
一瞬、同じく帝国から留学中であるアレスのことを聞こうかとも思った。
だが、結局何も言わずに私を口をつぐんだ。
……私とアレスは、ただの同級生だ。
こんな風に陰で探るような真似は、おかしいのだから。
「どうかなさいましたの?」
「いいえ……何でもありません。お茶も、この服も……どうもありがとうございました」
「また一緒にお茶をしましょうね」と微笑むフローラさんに頭を下げ、私は彼女のもとを後にした。
「……いい人だったな」
アレスといいフローラさんといい、帝国の人は性格がおおらかなんだろうか。
今身に着けているワンピースも洗って彼女に返さなければいけないし、その時にまたお話ができるだろうか。
「帝国、か……」
フローラさんの話を聞いて、私は俄然帝国に興味がわいてきた。
卒業して、自由になれたら……本格的に、帝国に住むことを考えてもいいのかもしれない。
――「じゃあさ……卒業したら、俺と一緒に来る?」
きっと、ただの戯れの言葉だ。
そうわかっていても、わたしは……彼と過ごす未来を夢見ずにはいられなかった。