40 甘いりんご飴
一歩校舎の外に出ると、もうそこは別世界だった。
見慣れた学園に華やかな飾り付けが施され、多くのお客さんが楽しそうに行き交っている。
通りには麓のラクシュタットの街から出張してきた出店が並び、食欲をくすぐる匂いが漂ってくるのだ。
「わぁ……!」
しばしの間、私はここへ来た目的も忘れて目の前の光景に魅入ってしまった。
そういえば……「お祭り」ってこういうものなのかな。
伯爵家にいた時は、「庶民に混じって騒ぐなんてみっともない!」と、母は絶対にお祭りの日に私を外に出してはくれなかった。
窓の外を行き交う楽しそうな人々や、かすかに聞こえるにぎやかな音楽に、お祭りとはどんなものだろう……と何度想像したことか。
学園祭とはいえ、お祭りはお祭りだ。
昔は手が届かなかった場所に、今自分がこうして立っている。
そう思うと、不思議と感慨深かった。
「あっ、あれ美味そう!」
出店の一つに気を取られたアレスが、ふらふらとそちらの方に歩き出そうとする。
はっと我に返った私は、慌てて彼を引き止めた。
「待って、私たちは宣伝のためにここにいるのよ。そんな風に遊びに来たんじゃ――」
「えぇ、別にいいじゃん。置物みたいに突っ立ってても宣伝にはならないだろうし、いろんなとこ行こうよ」
「でも……」
「はい、これリラの分ね」
「早っ! もう買ったの!?」
近くの出店で何かを買ってきたアレスが、私の方に手を差し出した。
その手には、棒の先に何やら赤くて丸い玉が付いたような謎の物体が握られていた。
「……なにそれ」
「トフィーアップル。リンゴを飴でコーティングしたお菓子で、こういう祭りの時はトフィーアップルがないと始まらないんだよ」
「そうなの……?」
「そうそう、ほら。食べてみて」
未知のお菓子を食べてみたいという好奇心と、私たちは錬金術学科の宣伝に来たのだから、こんな風にお祭りを楽しんでいる場合じゃないという理性と。
……勝ったのは、好奇心の方だった。
そっとアレスからトフィーアップルを受け取り、おそるおそる舐めてみる。
理性を溶かしてしまいそうなほどの甘さが、じわりと舌に染み込んでいくようだった。
「……おいしい」
「だろ? リラは絶対気に入ると思ったんだ~」
ちろちろとトフィーアップルを味わう私を見て、アレスは子どものように笑った。
その嬉しそうな表情に、胸がじんわりと熱くなる。
彼にとっては、ただその辺を歩いている猫に餌をやるような感覚なのかもしれない。
でも、私はきっと……一生この味を忘れることはないだろう。
「ほら、いろいろ見て回ろ。ちゃんと宣伝もするから」
即席の看板を肩に担ぎ、アレスは目を輝かせている。
釣られるようにして、気がついたら私の小さく頷いていた。
「あそこは……戦闘魔術科かぁ。うわー、めっちゃ人いる」
「王宮の騎士団が有力者をスカウトに来てるって噂だけど……本当なのかもしれないわ」
校庭の中央には即席の試合場が設けられ、模擬戦が行われているようだった。
魔法を駆使して行われる模擬戦は見た目も派手で、多くの観客が集まり歓声を送っている。
さすがは学園の花形学科。誰も来ないどころか存在に気づきもしない錬金術学科の展示とは大違いだ。
「もっと近くで見る?」
「いいえ……ここでいいわ」
戦闘魔術学科には私の(一応今も)婚約者であるクラウスが在籍している。
うっかり鉢合わせたら厄介なことになりそうだ。
それに……クラウスは錬金術学科の展示品を壊した犯人なのかもしれない。
あまり積極的に会いたい存在ではないのだ。
遠目に見える試合場では、二人の生徒が魔術を駆使した派手な戦いが繰り広げられている。
魔法によって作り出された火の玉が飛び交い、バチバチと電撃がぶつかり合う。
確かに、見ている分にはとても楽しい。
試合場の周りには多くの観客……特に若い女性が押しかけ、キャーキャーと黄色い声をあげていた。
「あなたも戦闘魔術学科に進めばああやって目立てたのに。残念ね」
「え~、俺別に目立ちたいわけじゃないし」
「ふーん……」
その言葉は意外だった。
どうやら彼の日々の奇行は目立ちたくてやっているわけじゃなく、自然とああなってしまうらしい。
「俺は自分に正直に生きてるだけなんだって」
「でも、ああやって女の子に応援されるのは羨ましいんじゃない?」
「別にぃ。俺好きな子には一途だし」
何気なく投下された爆弾発言に、私はうっかり握っていたトフィーアップルを落としそうになってしまった。
平静を装いながらも、心臓がどくどくとやかましく鼓動を打っている。
今の「好きな子」は犬や猫が好き……などという好きとは一線を画した、恋愛対象として好きな相手という意味だろう。
アレスの口からそんな言葉が出てくることすら意外だし、「好きな子には一途」だなんて……似合わなさ過ぎる!
いかにも「来る者拒まず、去る者追わず」みたいな顔して、何人もの女の子を泣かせてそうなのに……。
「そ、そうなの……」
私は動揺を押し隠して、また一口トフィーアップルをかじった。
舌先から喉元を流れ落ちていく甘さとは裏腹に、胸が痛むのには気づかない振りをして。
「……そろそろ他の場所へ行きましょ。多くの人の目につくように移動した方がいいわ」
うっかり忘れかけていたけど、本来の目的は錬金術学科の展示アピールだ。
ここにいても観客は目の前の模擬戦にしか興味ないみたいだし、さっさと移動した方がいいだろう。
「りょーかい。次どこ行く?」
「向こうに召喚術学科のショー会場があるみたいなの。そのあたりをうろうろすれば人目にはつきそうね」
少し離れたところにある競技場には、召喚術学科のショー会場が設けられている。
召喚術は魔術の一種で、一時的に召喚獣を呼び出し従わせる高度な術だ。
魔術の中でも特に才能やセンスが必要とされる部類の術で、使いこなせる者は国内でも数少ないのである。
物珍しさから学園祭での出し物は毎年人気上位の常連だそうだ。
観客がわらわらいる会場と錬金術学科の惨状を比べるとため息が出てしまう。
「やっぱり、派手に人目を引く要素って必要ね……」




