30 気が向いたらね
約束の時間に十分間に合うように、私は女子寮を出た。
だが、なんと既にアレスは女子寮の前で待っていたのである。
彼は整った見た目をしており、傍目にはとにかく目立つ。
今も、他の学科の女子生徒たちになにやら囲まれているではないか。
「おはよ、リラ」
私の姿を見つけた途端、アレスはこちらに向かって嬉しそうに手を振って見せた。
その途端に、あちこちからちくちくと視線が突き刺さる。
あぁもう! こうなるのが嫌だから目立たない待ち合わせ場所を設定したのに、何で来ちゃうの!
私は動揺を誤魔化すように咳ばらいをすると、ツンと取り澄まして答えてみせた。
「おはよう、シュトローム侯爵令息。今日は課題のための採取に同行してくれて感謝するわ」
「えっ、ピクニッーー」
「あぁっ、もうこんな時間! 早くしないと早朝にしか咲かない花が採れなくなっちゃうわ!」
わざとらしくそう口にすると、私はアレスを引きずるようにダッシュでその場から逃げ出した。
背後から恨めしげな視線を感じたけど……文句があるなら、私じゃなくてアレスに言ってよね!
「なんで女子寮の前まで来たのよ。錬金術棟の温室の横で待ち合わせって言ったじゃない」
「いや、早めに行ったらまだリラが来てなかったから、女子寮まで行けば会えるかな~って」
軽率な行動を注意しても、アレスはへらへら笑うばかりで少しも堪えた様子はなかった。
「なんか楽しみで早めに目が覚めちゃってさ。早くリラに会いたくなったっていうか……」
……そんな風に言われると、怒る気すらなくなってしまう。
「あなたはもう少し、自分が周りにどう思われているのか気を配るべきね」
「え、リラがそれ言う?」
「……どういう意味よ」
「いーや? リラはそのままでいいかなって」
くすりと笑うと、アレスは鼻歌を歌いながら歩き出した。
……彼の言葉の真意など、考えるだけ無駄だ。
そう自分に言い聞かせ、私も慌てて彼の後を追う。
素材採取も兼ねたピクニックの舞台となるのは、もうお馴染みとなってしまった学園の裏山だ。
普段は短時間で戻れるコースだけど、今日は少し奥まで分け入って一日かけて歩くコースを選んだ。
普段は足を延ばさない場所というだけあって、ところどころで珍しい素材も目にすることができる。
夢中になって素材を集めていると、あっという間に太陽が真上に昇る時間になっていた。
「はぁ~腹減った~」
少し開けたところにいい感じに腰を下ろせそうな倒木を見つけたので、今日はここでお昼ごはんだ。
「リラ、サンドイッチ!」
「わかってるわよ……ほら」
作っておいたサンドイッチを見せると、アレスは目を輝かせた。
その素直な反応を、なんだかこそばゆく感じてしまう。
「あなたも奇特な人ね……ただのサンドイッチをそこまで欲しがるなんて。仮にも侯爵家の令息なら、もっと豪勢な料理を食べ慣れているでしょ?」
「そうだけどさ、こんな風に……誰かが俺のためだけに作ってくれた料理って、食べたことなかったから」
ぽつりとそう呟くアレスに私は目をみはった。
「そう、なの……」
……よくわからないけど、彼には彼なりに、何か思う所があったようだ。
そういえば、私が母のお仕置きで食事を抜かれると、優しい料理人がこっそり私のために簡単な食事を作ってくれることがあったっけ。
たとえ固いパンでも、残り物の野菜ばかりのスープでも……思えば、ああいう食事はきっちりとした晩餐の場で食べるものよりも、美味しく感じたような気もする。
私は、ここに来る前にアレスがどんな生活を送っていたのかを知らない。
でも、帝国の侯爵令息だからといって……何不自由なく暮らしていたわけではないのかもしれない。
美味しそうにサンドイッチを頬張るアレスを見ていると、少しだけ胸が締め付けられるような気がした。
「はぁ~美味かった~」
「そう……それはよかったわ」
「ねぇ、リラ。……また、作ってくれる? 俺も料理頑張って、リラに美味しい物作るからさ」
からかうようでいて、どこか懇願するようなその言葉に……私はぽつりと小さな声で答えた。
「……気が向いたらね」
私の言葉を聞いたアレスは、また嬉しそうに笑った。