26 私のことをわかってくれる人
「これ以上はやばいって! ハンス!!」
「いや、まだ足りない。もっとファイエル粉を増やして派手にするべきだ」
「でも、今でさえ危険値は越えてるんだぞ? これ以上増やしたら制御できなくなって……」
「事故が起きなければ問題ないさ。いいから早くファイエル粉を――」
話し合いの最中に、彼らはやっと私たちの存在に気づいたようだ。
はっとしたようにこちらを振り返る生徒の中には、何度も私に文句をつけてきた彼――ハンスもいた。
ハンスは私とアレスの姿を見て驚いたように目を丸くしたが、すぐに嘲るような笑みを浮かべた。
「何だ? デートなら悪いけどよそにいってくれ。僕たちは実験で忙しいんでね」
「……そうしたいのはやまやまだけど、聞き捨てならない言葉が聞こえてきたからそういうわけにもいかないわ」
ファイエル粉は主に爆薬系の調合に用いる素材だ。
取り扱いが難しい素材でもあり、下手に扱えば大事故に繋がりかねない。
何をしているのかは知らないけど、危険値を越えてファイエル粉を使用するなんて……同じ錬金術師を志す者として、見過ごすわけにはいかないじゃない。
「ファイエル粉は特に注意して取り扱わなければならない危険素材よ。安易な考えで濫用するべきではないわ。……正しく錬金術師を目指すならね」
務めて冷静にそう告げると、途端にハンスの表情が歪む。
「……黙れよ。綺麗ごとばかりのお嬢様なんて、こんなところじゃなく花畑にでも行ってろよ」
怒りをあらわに、ハンスがこちらに近づいてくる。
彼に凄まれ……怖くないわけじゃない。
でも、ここで退くわけにはいかなかった。
錬金術師の絶対原則の一つ――「他者を危険に巻き込まないこと」
いくら危険な調合でも、赤の他人を巻き込むようなことはやめろとどの参考書にも書いてあるのだ。
同じ学科の同級生として、道を踏み外しかけている者は放っておけない。
「あなたが何をしようとしているのかは知らないけど、一度冷静になるべきね。仲間の反対を押し切ってまでそんなことをしても――」
「黙れ!」
威圧するように、私の目の前でハンスが怒鳴った。
「君に何がわかる? どうせ君なんて、今まで何の苦労もなく生きてきて、学園生活だってただのお遊びなんだろ? 卒業したらどこかの男に嫁いで、何不自由なく暮らしていくくせに。そんな奴に僕の何がわかる!? 僕たち平民は毎日必死に生きてきて、這い上がるチャンスなんてほとんどないんだ! 多少は危険を犯さなければ、何も手に入れることなんてできないんだよ! 君とは違ってな!」
激昂したハンスが腕を振り上げた。
その姿に、何度も母に手をあげられた記憶がフラッシュバックする。
このあとの痛みをを覚悟してぎゅっと歯を食いしばったけど――。
「何もわかってないのはお前の方だろ」
痛みはなく、降ってきたのは感情を押し殺したような低い声だった。
振り上げたハンスの手を、アレスが掴んでいたのだ。
「なっ……!? 放せ!」
ハンスは慌てたように手を引こうとしたが、アレスはびくとも動かなかった。
彼は普段の軽薄さが嘘のように、冷たい目でハンスを睨みつけている。
「リラはさぁ、いっつも必死に頑張ってんだよ。誰よりも努力してんだよ。何も知らねぇくせに適当なこと言ってんじゃねぇぞ」
そんなアレスの言葉に、一瞬息が止まりそうになってしまう。
……いつもふざけたような態度のくせに。「ガリ勉」だのなんだの、散々からかってきたくせに。
それでも、アレスは……きちんと、私の努力を見ていてくれた。認めてくれていたのだ。
アレスが掴んだままだった手首を締め付け、ハンスがうめき声をあげる。
私は慌てて、アレスを押しとどめた。
「待って、暴力沙汰は駄目よ」
「でもこいつ、リラのこと何も知らないくせにひどいことを――」
「いいのよ。私は気にしないわ」
気にならないというのは嘘だけど、少なくとも誰か一人でも……私のことをわかってくれるのならば、それでいい。
私が静かに首を横に振ると、アレスはぱっと掴んでいた手を離した。
ハンスが気まずそうに後ずさる。
その場に沈黙が満ち、私が再びファイエル粉の危険性について注意を促そうとした時、それは起こった。
最初は、バァン!という破裂音だった。
「うわっ!?」
「なんだ!?」
まるで連鎖するように、何度も何度も爆発音が響く。
かと思うと、急にその場に置いてあった木箱から火の手が上がったのだ。
「うわぁ!」
近くにいた生徒が、悲鳴を上げて飛び退いた。
火柱を巻き上げるようにして、木箱は激しく燃え盛っている。
この燃え方、明らかに尋常じゃない……!
「まさか……ファイエル粉!?」
そう問いかけると、何人かの生徒が気まずそうに視線を逸らした。
やっぱり……これはまずい!
ファイエル粉は発火性が高い素材で、保管方法を誤ればこのように自然発火することもあるのだ。
先ほどの会話を聞く限り、通常の用途を越えた量を用意していたようだし……このまま放っておけば、間違いなく山火事になってしまう。
「あなたたち! 何か消火できるものは用意してないの!?」
慌ててそう問いかけたけど、ハンスの周りの生徒たちは皆焦ったように首を横に振るだけだった。
「まったく……ファイエル粉を扱う時は、必ずすぐに消火できるような体制を整えることって、参考書に書いてあるじゃない!」
私は苛立ちながら、近くに置いてあった他の箱を覗き込んだ。
何とかしてあの火を消し止めなければ。
だが、少し水をかけただけではまさに焼け石に水。
あの炎に太刀打ちはできないだろう。
「何か、何かないの……?」
どうやらハンスたちは爆竹のような物を考えていたようで、箱の中には主に爆薬を作り出す素材が揃っていた。
だが、炎に爆薬をぶつけてももっと大変なことになってしまう気がする。
あと少し、何かがあれば……。
「はいこれ」
その時、にゅっと背後から腕が伸びてきた。
見れば、アレスが何やら薄氷色の鉱石を差し出してきたではないか。




