17 昨日までとは違う朝
「……大丈夫、大丈夫……よね」
翌日、いつもならとっくに寮を出ている時間になっても……私はなかなか自室から足を踏み出すことはできなかった。
別に寝坊したわけじゃない。それどころか、いつもより一時間も早く起きたのだ。
何度も部屋の中をうろうろしながら、ちらりと鏡を覗く。
鏡の中には、どこかそわそわした様子の私が映っていた。
耳の、少し上。前髪の、少し横。
そこには、見慣れない髪飾りがつけられている。
他の女生徒がこんな風につけているのをよく見るし、別に変じゃない。
変じゃない……はず。
何度も何度も鏡をチェックして、大丈夫だ! と部屋の外に出ようとしたところでまた不安になって、鏡を見て……。
そうこうしているうちに、始業時間が迫って来ていた。
そろそろ授業に向かわないと、本当に遅刻してしまう。
それだけは絶対に避けないと……!
私は意を決して、部屋の扉を開けた。
おそるおそる校舎までの道のりを歩いていくけど、特に私の様子を気にしている人はいないようだった。
……よかった。別に浮いているわけじゃないみたい。
どこかふわふわした足取りで進む私に、背後から聞き覚えのある声が飛んでくる。
「リラ―! おはよ!!」
びくっとして振り返ると、アレスがぶんぶんと手を振りながらこちらへ駆けてくるところだった。
彼は私を見て一瞬驚いたように目を丸くした後……嬉しそうに笑った。
「……それ、つけてきてくれたんだ」
本人からそう指摘されて、つい頬に熱が集まる。
「い、一応ね! 贈られた物を、一度も身につけずに捨ててしまったら悪いでしょう!?」
何か文句ある!? というくらいの剣幕でそう口にしたけど、アレスはまったく堪えた様子もなく、にやりと笑う。
「ありがと、よく似合ってるよ。……可愛い」
「っ~~!! そ、そうやっておだてようとしても無駄よ! 何か目的があるんでしょう!?」
らしくもなくストレートにそう言われ、私は真っ赤になって反論した。
どうせアレスのことだし、次のテストのヤマを知りたいとかそんな魂胆があるに違いないわ!!
そんな私に、アレスは意地悪く囁く。
「まぁ……そうやってぷんぷん怒ってるより、にこにこ笑ってた方が可愛いと思うけど――」
「余計なお世話よ!!」
「……おい、道の真ん中で立ち止まるな。通行の邪魔だ」
不意に不機嫌そうな声が耳に届き、私は思わず血の気が引いた。
反射的に振り返ると、そこには……表情を歪めた私の婚約者――クラウスと、彼の恋人――コリンナが彼にしなだれかかるようにして立っていた。
不快そうに私を見下ろすクラウスの目が、驚きに見開かれる。
――「地味でつまらない女」
何十回と言われた言葉が、耳に蘇る。
地味な女が着飾ろうとするなんて滑稽だと、惨めだと、馬鹿にされるだろうか。
知らず知らずのうちに体が強張り、息が詰まるような感覚に陥る。
だがそんな私の緊張は、この場の空気にそぐわない明るい声に氷解した。
「へぇ~、俺たちお邪魔だったかー。仕方ねぇな~」
血の気が引いて冷たくなった手が、大きくて暖かな手に包まれる。
「行こーぜ、リラ!」
「あ、ちょっと……!」
そのままアレスに手を引かれ、私は彼に連れられるようにして駆け出していた。
ちらりと背後を振り返ると、クラウスは呆然としたように道の中央に立ち尽くしていた。
……人のことを邪魔だと言った割に、今はあなたの方が邪魔じゃない。
そう思うとなんだか愉快な気分になって、私はらしくもなく始業時間ギリギリに、小走りで教室に駆けこんだ。