12 アレスの事情
「あなた、大釜の掃除はどうしたの」
「終わった」
「本当に? 汚れが残っていたら私たちの連帯責任にされるのよ」
「大丈夫だって! それより……お前ら、もういいよ。リラと同じ班なのは、俺だし」
そう言って、アレスはぐるりと私を手伝ってくれていた生徒を見回す。
すると、何人かが「ヒッ」と息を飲んだ。
「わ、わかった……」
「じゃあね……」
そそくさと急ぎ足で、私を手伝ってくれていた生徒が散っていく。
その様子を見て、なぜかアレスは小さくため息をついた。
「リラはさぁ……ああいうの、なんとも思わないわけ」
「なんともって? 確かに自分たちで使った器具は自分で洗うべきかもしれないけど、この量だから手伝ってもらえるのはありがたいわ」
「……まぁ、気づいてないならいいや」
首をかしげると、アレスは満足げに笑った。
はぁ、本当にこいつの頭の中は理解できないわ……。
◇◇◇
なんとか調合の実践授業にも参加できるようになって、私はますます錬金術にのめり込んでいった。
授業前には予習は欠かさないし、放課後にはあの古い工房で調合の実践経験を積む日々だ。
問題があるとすれば……ここ最近よく行動を共にするようになったアレスが、工房にまで入り浸っていることくらいだろうか。
「今度はなに作ってんの?」
「集中力を高める薬よ。あなたも常備しておくといいわ」
「味は?」
「薄荷に近いわね」
「え、けっこう美味そうじゃん」
古ぼけたソファでごろごろするアレスと、とりとめのない会話を交わす。
本当に……彼は不思議――というか理解不能だ。
「あなた……どうして錬金術学科を選んだの?」
ふと沸いた疑問をぶつけると、アレスはきょとん、とした表情でこちらに視線を向ける。
「錬金術に興味があるようにも見えないし、侯爵家の令息なら職に困っているわけでもないでしょう? もっと華やかな学科もあったのに、どうしてこんなに地味な学科を選んだの」
彼は大国――リヒテンフェルス帝国の侯爵家の令息だと聞いている。
その地位があれば、望めばいくらでも華やかな要職に就けることだろう。
わざわざ小国に留学までして、たいして興味もなさそうな学科に進むなんて……私には理解できそうになかった。
少し話せば、アレスが錬金術に対してあまり興味も知識も持っていないのはわかる。
だからこそ、行動が不可解なのだ。
訝しむような私の視線に、アレスは何でもないことのように笑った。
「なに? 俺のこと気になるの?」
「普段迷惑をかけられている分、私にも聞く権利はあると思うの」
「リラ辛辣~、まぁいいよ。別におもしろい話でもないけど」
アレスはじっと私の方を見つめて、意味深に笑った。
「俺が錬金術学科を選んだのは……」
……何故か、彼の淡い蒼の瞳に見つめられると胸がざわめく。
ごくりと息を飲む私の目の前で、アレスはゆっくりと口を開いた。
「なんていうか……その時そういう気分だったから?」
あまりにも気の抜けた回答に、私は思わず大釜をかき混ぜる杖を取り落としそうになってしまった。
「…………はぁ? なによそれ!」
「いや、特にどの学科に進みたいとかなかったし。でも俺って天才肌だからさぁ、なんか適性がある学科に進むのも微妙じゃん? 先が読めすぎて」
「……何から何まで理解不能だわ」
「その点錬金術は名前くらいしか聞いたことなかったし。全然知らない分野に飛び込んでみるのもありかなーって」
「……そう」
あなたに聞いた私がバカだったわ……と言いたいのをなんとか堪えた。
「……それで、錬金術学科に進んだ感想はどうなの」
脱力感を覚えながらぐるぐる大釜をかき混ぜ、そう問いかけると、背後からくすりとアレスの笑い声が聞こえる。
「んー、最近ちょっとおもしろくなってきたかも。爆薬とか作れるの知らなかったし。それに……」
「それに?」
そう聞き返しても、返事は帰ってこなかった。
不審に思って振り返ると、アレスはなぜか真剣な顔で私の方を眺めていた。
視線があった途端、彼はニヤリと笑う。
「リラにも、会えたしね」
「……よく言うわ!!」
慌てて大釜の方に向き直り、ぐるぐると高速でかき混ぜる。
煙と蒸気が立ち上り、体温が上がったような気がした。
……そう、ずっと大釜で薬を煮立てているのだから、体温くらい上がったっておかしくはない。
だから、ちょっと頬が熱いのは……アレスの言葉はまったく関係ないんだから。