1 婚約破棄を予告されました
「駄目よ、あなたには婚約者が――」
「あの地味な堅物女のことかい? やめてくれよ。見ていてくれ、コリンナ。いずれあんなつまらない女とは婚約破棄してみせるさ」
夕陽に照らされた学園の中庭にて、至近距離で見つめ合う二人。
物陰からこっそり傍観者として、そんなロマンチックな光景を眺めながら、私は内心で小さくため息をついた。
どうも、地味でつまらない堅物女です……なんて自虐したくもなってしまう。
目の前でいちゃつくカップルの片割れの男性――クラウスは、私の婚約者なのだから!
私――ベルンシュタイン伯爵家の娘、リラと、モーリッツ侯爵家のご令息――クラウスは、幼い頃からの婚約者同士である。
……今まさに、崖っぷちの状態だけど。
……はぁ、クラウスが浮気性なのは知ってたけど、まさか入学したその日にこんな光景を見るなんて。
「やっと学園に入って自由になれたんだ。これからはずっと一緒だ、コリンナ」
「嬉しいわ、クラウス。もうあの地味な女があなたの隣を独占するのを見なくてもいいのね!」
……なんというひどい言われよう。
いちゃつく二人を遠巻きに眺めながら、私はげんなりしてしまった。
彼に以前からご執心の秘密の恋人がいることには気づいていた。
ここは全寮制の学園。家に比べれば格段に監視の目は緩い。
相手も同じ学園の生徒で、入学して自由に会えるようになったことでタガが外れたのだろう。
……では、この状況をどうしましょう。
少し所用があって私はクラウスを探していたわけだけど、とても気軽に声を掛けられるような雰囲気じゃない。
残念ながら、「この泥棒猫!」と怒ったり、悲劇のヒロインのように泣き崩れたりする可愛げも持ち合わせていない。
だって、私とクラウスは別にお互いに愛し合って婚約したわけじゃない。
お互いの意志なんて二の次で、家同士の政略で婚約しただけなのだから。
となると、待ち受けているのは……「婚約破棄」
すとんと胸に落ちてきたその言葉にも、悲しさや悔しさは湧いてこない。
ただ、私の立場を考えると困る。それだけだ。
……もしも本当に婚約破棄をするつもりなら、いろいろと覚悟を決めなければならないだろう。
その前に、先ほどの言葉がどのくらい本気か、確かめなければ。
今すぐ問いただそうかとも思ったけど、まるで恋愛小説に出てくる悪役のように出しゃばるのも気が引ける。
結局私は、「私は何も見ていません」とでもいうように、こそこそと静かにその場を後にしたのだった。
◇◇◇
王立魔術学園――ここミューレル王国の主に貴族子女が、様々な分野の魔術を学ぶ由緒正しき全寮制の学園だ。
戦闘魔術、召喚魔法、支援魔法など様々なクラスに別れており、生徒たちは入学して一週間ほどで、どの専門課程へ進むのかを選択することになる。
入学式の翌日ということもあり、新入生たちはどの学科に進級するべきかあちこちを覗いて回ったり、級友同士の会話に花を咲かせている。
そんな中、私は人目につかない校舎の裏に婚約者であるクラウスを呼び出していた。
「いったい何の用だ。学園では必要以上に話しかけるなと言っておいたはずだが」
やって来たクラウスは、まるで時間の無駄だとでもいうように、面倒くさそうな表情を隠そうともしていなかった。
……相変わらずの塩対応。
まぁ、もう私も慣れてしまったものですが。
クラウスは昔からそうだった。
彼の好みは愛らしく華やかな女性であり、私のような「地味でつまらない女」と婚約しているのは不本意なのだろう。
ありふれた茶色の髪に、顔は十人並み。
色気も可愛げもなく、全体的に地味でぱっとしない冴えない女。
ライラック色の瞳だけはちょっとだけ気に入ってるのだけれど、おそらくクラウスは私の瞳が何色だなんて意識したこともないのだろう。
周りの目がある時こそ儀礼的に私を「婚約者」として扱うけど、二人の時はこうして粗末な対応なのだ。
学園に入学する直前には、「向こうでは必要がある時以外は話しかけるな。婚約者という扱いも期待するな」なんてきつく言い聞かせられたしね。
それでも、私は彼に逆らったり不満をぶつけることは許されなかった。
私の実家は歴史こそ古いが、今では没落間近の伯爵家。
クラウスの実家は比較的新しい新興貴族だけど、事業に成功した裕福な侯爵家。
歴史ある伯爵家の血を取り入れたい侯爵家が、伯爵家への援助を申し出て結ばれた婚約だ。
立場的には、没落間近で援助を受ける側の私の方が圧倒的に低いのである。
イライラとした様子のクラウスを刺激しないように、私はおそるおそる声を掛けた。
「えぇ、時間を取らせてごめんなさい。……あなたに、確かめたいことがあるの」
そう告げると、クラウスは眉をしかめる。
私は静かに息を吸って、一息に吐き出した。
「あなたが別の女生徒と会って、私との婚約を破棄すると言っていたのを聞いたわ」
そう告げた途端、クラウスは驚いたように目を丸くした。
だがすぐに、意地悪く笑う。
「……なんだ。一人前に嫉妬か? お前にそんな可愛げがあったとは驚きだよ」
「いいえ、違うわ」
ずばっと否定すると、クラウスは意表を突かれたように言葉を詰まらせた。
務めて冷静に、私は話を続けた。
「私との婚約を破棄するというのは、その場限りの睦言なのか、それとも本気でそう思っているのかを教えて。あなたの返答によって、私も身の振り方を考えなくてはならないの」
そう告げると、クラウスはイラついたように舌打ちした。
「あぁ、本気だよ! お前みたいなつまらない女、もううんざりなんだよ!」
「……そう。婚約を破棄するのは今すぐ? もう侯爵家には話を通してあるの?」
そう問いかけると、クラウスはしばしの間考え込んだ。
どうやら、何も考えていなかったようだ。
この様子だと……もちろん、実家に話を通してあるわけがないだろう。
「……俺も鬼じゃない。お前が学園を卒業するまでは、婚約と援助を続けてやるさ。その間に新しい男でも見つけておくんだな!」
「…………そう、わかったわ」
おそらくクラウスも、今すぐ婚約を破棄するのは難しいと考えたのだろう。
婚約とは家と家の約束事。たとえ張本人だとしても、何の根回しもなく撤回するのは難しいはずだ。
……それでも、最終的に私との婚約を破棄する意志は揺るがないようだ。
だったら目的は達成。これ以上クラウスを苛立たせる前に立ち去りましょうか。
「話は済んだわ。時間を取らせてごめんなさい。私はあなたとあなたの恋人との仲を邪魔するつもりは無いから安心して」
せめて安心させようとそう言ってみたが、何故かクラウスは再び舌打ちをした。
「……本当に可愛げがない女だな。そんなんじゃどこにも嫁げないだろうな!」
そう吐き捨てて、クラウスは大股でその場を去っていく。
あれで社交界では「優しく紳士的な理想の貴公子」で通っているのだから驚きだ。
去っていくクラウスの背中に向かって、私はぽそりと呟いた。
「……そうね、私もあなたと同意見よ」
――「可愛げがない」「つまらない」
……そんなの、きっと私が一番よくわかってる。
私の実家であるベルンシュタイン伯爵家は、没落間近の癖に「歴史ある名家」というプライドを捨てられない厄介な家だった。
女性たるもの家で静かに夫を支えるべきであり、無駄に学をつけたり着飾って誰彼かまわず媚を売るものではない……という時代遅れな価値観に囚われた、哀れな家なのだ。
過度に着飾ることを禁じられ、「地味な女」と社交界ではよく馬鹿にされた。
意味があるのかわからない古い規則や規律に縛られ、ずっと窮屈な思いを味わってきた。
クラウスの実家であるモーリッツ侯爵家の口添えがなければ、こうやって魔法学園への進学すら許してもらえなかっただろう。
その点では、クラウスに感謝をしてもいいのかもしれない。
「……ふふ。婚約破棄だなんて、きっとかつてない家の恥になるわ。私、勘当されるかしら」
名門侯爵家の令息であるクラウスの婚約に何より心血を注いでいた母などは、きっと怒り狂って私を糾弾するだろう。
だが、何故だか愉快な気分だった。
婚約破棄されて、勘当されたら……きっと、自由になれる。
自由になれば、もう時代遅れのしきたりに従うことも、傲慢な婚約者に頭を下げなくてもいい。
ずっと抑圧されていた私にとっては、何よりも眩い自由な生活……。
……いや、そう楽観視はできないだろう。
家を追い出された私が、身一つでどうやって生きていくのでしょう?
曲がりなりにも貴族令嬢として育てられたのだ。
いきなり市井に身一つで放り出されたら、きっと野垂れ死んでしまう。
そうならないためには……。
「手に職をつけなければ」
婚約破棄を予告された数分後、私は明るい未来のためそう決めたのだった。
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