第36話 サハンとクェン
「下手な絵ね」
ある日、草原で空と青草の絵を描いていると背後からそんなことを言われた。
サハンが振り向くと頭にバンダナを巻いた遊牧の少女が馬の上から見下ろしている。
「そんなことを言われたのは初めてだ」
「そうなの? 皆、眼がおかしいのね」
平然と毒を吐く少女はあまり笑った事がないようにムスっとしていた。
「君はこの辺りの部族かい?」
「いいえ、流れ部族よ。近いうちにこの辺りで冬を越すから、先住民に挨拶をと思ってね」
「若いのに立派だなぁ」
「別に貴方には気を使う必要はなかったわ」
「なんで?」
「だって旅の絵描きでしょ? 家族や知り合いも辺りに居ないみたいだし」
「それでも、ボクが先に居たから少しは敬意を払うべきじゃない?」
サハンに言われて少女は何かを思い出した様に馬から降りた。
「その理屈は解らないけど、馬から降りなかったのは謝るわ」
「フフ」
「何が可笑しいのよ」
「君はこの草原が好きなんでしょ?」
「……馬鹿じゃないの。こんな、何にも無いところ誰が好きなのよ」
「そうかな? 好きじゃなかったら、ここの風や果てまで続く青草の音色を独り占めしようと思わない」
サハンの発言が的を射ていたのか少女は複雑な表情で言葉に詰まる。
「それに、ここはサハンと『竜の魔王』が出会った場所だ」
それは『草原の国』に色濃く残る伝説。草原の民ならば誰もが子守唄代わりに聞かされる物語だ。
「もしかしたら、竜に会えるかもね」
「竜なんて居ないわ。大人は誰も見たこと無いし、お祖父様のお祖父様が見たって言っただけで絵にも残ってない。それに――」
少女は恨むようにその言葉を口にする。
「夢なんて見てられないもの」
「……ボクはサハンだ」
不意に名乗ったサハンに少女は目を点にする。
「あんた、伝説の熱狂的なファン?」
「ボクの名前なんだけど」
「あー、そうなんだ」
「可哀想な眼で見るのは止めてくれないかな?」
「あら、ごめんなさい。これから色々と苦労すると思うけどガンバッテね」
「そんなに変かな?」
「国と同じ名前なんで普通はね。偽名を名乗るならもっと考えなさいよ」
「君の名前は?」
「この流れで名乗ると思う?」
「絵を貶されて、馬上から見下ろされたんだけどなぁ」
「……クェンよ」
バンダナの少女は悪かったと思いつつも口車にのせられた事を不機嫌に感じながら名乗る。
「ボクはここで下手な絵を描いてるから、君は気が向いたら来るといい。もしかしたら、竜に会えるかもよ?」
「あんたがサハンだから?」
「そう」
「馬鹿じゃないの?」
最後まで彼女はムスっとしていたが、草原を駆け抜ける風を身に受けて、少しだけ機嫌が治った様だった。
クェンの部族は狩りや遊牧の補助で生計を立て、代々草原を渡り歩く部族だった。
乗馬スキルは必須であり、彼女も小さい頃から弓と馬を教えられたらしい。
「サハン、あんた絵ばっかり描いてるのね」
「好きなんだ。この国が」
彼女は度々、サハンの元を訪れた。
サハンは小川や森を描いている事もあれば、クェンの部族が仕事をしている時も良く目にする。
「噂になってるわよ。あんたの事」
「良い噂じゃない?」
「ちょろちょろしてると怪我するって事。前に狩りの時に獲物と間違えて撃つ所だったわ」
「あの時、毒蛇に矢を撃ってくれたのクェンだったの? ありがとう」
「おかげで矢を1本無駄にしたわ」
絵を描くサハンと遊牧の少女クェンの様子は彼女の部族内でも良く話に上がる。
その都度、彼女は嫌そうな顔をして否定するが、草原に出て戻ってくる時には上機嫌だった。
「この国は竜が護ってるって言うわ」
「そうだね。過去に大陸が割れそうな程の大地震があったけど、二体の竜によって護られた」
「そこまでして護る価値なんてあるとは思えないけどね」
「そんなことはないよ。現にボクらはそのお陰でこの草原で風を感じてる」
吹き抜ける風。波打つ青草。晴天の日差し。
何もない草原の国。けれど『竜の魔王』の『義』はこの地にいた草原の民から始まったのだ。
「この大地で生まれて育った人たちがサハンを助け、サハンの行った『義』が『竜の魔王』を誕生させた」
「……あんたは、何もわかっていないわよ」
そんなサハンの言葉をクェンは否定するでもなく、ただ理解できていないと哀れむ。
「人はそこまで国や伝説に対して誇りを感じていないわ。生きていられる時間は限られてるもの」
そして、クェンは馬に跨がった。
「あんたが、わたしの思った通りの存在だとしたら、一生わたしたちの事なんて解らないわ」
そういってクェンは去って行く。そして、二度と生きた彼女と会うことはなかった。
「変に干渉し過ぎるな。結局の所、ワシらは他とは違う」
それが草原の国に初めて連れてこられた時の祖父の言葉だ。
その意味が解らなかったから、ボクは草原の国にやってきた。
最初は退屈な国だと思ったけれど、次第に好きになって行った。
描いた絵を祖父に見せると、ちったぁ真面目にやれ、と悪態を突かれるも草原の絵を嬉しそうに見る祖父の表情は何よりも好きだった。
最近は少し毒を吐く少女に出会った。けど、根は素直な子。草原で絵を描いているとよく顔を会わせる。
風景と合わせて彼女を描いていると逆に怒られた。最後には許してくれたからまんざらでもなかったらしい。
けど、その時ボクは何も解っていなかった。
それが解ったのは彼女が死んだと知った時である。
「……」
場は悲しみに包まれていた。
眠るように横たわるクェンは安らかで、いつものムスっとした表情で毒を吐くことは二度とない。
「君がサハン殿か?」
クェンの父がサハンに話しかける。
「娘が良く君の事を話していたよ。草原に物好きな絵描きが居ると」
「クェンさんは……なぜ……」
「この子の未来は決まっていた。私も娘から死ぬ寸前で聞かされたのだ」
クェンは『未来視の魔王』から己の運命を正確に言われていた。
そして、未来は二つあると――
「クェンは部族と自分の命のどちらかが失われると『未来視の魔王』に言われていた」
そして数日前。『バーキ遺跡群』にある“釜”が開いてしまい、クェンはそれを閉じるためにその身を犠牲にした。
父親は涙を流しながらその時の事を語る。
「そう……ですか……」
サハンは初めて親しい存在の死に直面した。
手の届かない場所なら仕方がないと思えただろう。けれど、彼女は数日前まで自分の隣に居たではないか。
“生きていられる時間は限られているもの”
彼女はそう言っていた。
何で気づかなかった? 何でボクは見落とした? 彼女が草原に来た理由は……伝説に憧れた訳じゃなかっただろう?
彼女は……
「何で……」
サハンは雨の降り始めた草原で崩れた空を見上げていた。
クェンは何故、草原に来たのか。
時間が限られているのなら、もっと他にやれる事もあった筈だ。
時が……ボクとクェンでは時の流れが違いすぎるから――
ボクには一生解らないのか……?
「こんにちは」
降り始めた雨の中サハンに話しかける者がいた。
「テントあるのに入らないの? 風邪引くよ?」
「ボクは風邪なんて引かない」
「それは羨ましいね。でも、人はそうじゃない」
その者は一つの宝石を取り出した。その宝石は内部で虹色に変化している。
「でも、これを使えば風邪を引けるかもよ?」
それはサハンも知らない宝石だった。人工的に造られたモノであるとだけ解る。
「……君の名前は?」
「秘密。そっちも偽名みたいだしね」
「そうだね……」
サハンは宝石を手に取る。例え僅かな可能性でも知りたかった。
あの遊牧の少女が草原に来た理由を――




