第31話 竜と草原の契約
それは、今から一万年以上前の物語。
放浪していた1体の竜は草原で絵を描く青年と出会った。
青年はいずれ無くなるかもしれない草原の地を一人でも多くに覚えて貰おうと、絵にしているのだと言う。
何故なら、草原の風と空は『歪』に変化し人々はこの地から離れていくからだった。
竜は、お前は逃げないのか? と彼に聞くと――
青年は死にかけていた所を草原の民に助けられたのだと言う。
一晩の恩。彼を救った者は人として当然のことをしただけ、と言った。
青年は心から救われた。何故なら彼は他の国で多くの者に裏切られ、有らぬ罪を着せられて追われていたのだから。
青年は自分の国に帰り自らの無実を証明する事ができた。数年後、草原の民へ恩を返そうと再び草原を訪れる。
しかし、世界は大きな戦争のうねりへと傾いていた。
平和な草原は『歪』に変化していたのだ。四季が乱れ、雨と雪が同時に降り、魔物達の行動も予想がつかなくなる。
『歪』になる草原に、民は故郷の地を離れるしかなかった。
だから、彼は彼の見た草原を残そうと危険な地を一人で放浪しているのだと言う。
彼が受けた恩はたった一晩だけ。それだけで危険な草原を歩く事を竜は理解できなかった。
青年は草原の民を故郷へ返したかった。
あの時の風と空の下で彼らに生きて欲しかったのだ。自分が救われた様に、今度は自分が少しでも彼らを救えればと思っていた。
けれど、その声と意志は巨大な『歪』の前には煙のように消されるだけだった。
何故なら『歪』は意志を持ち、南から来る数多の勢力に備えていたからである。
戦いになればこの地は酷い事になる。だから、君は逃げると良い。青年は竜にそう言った。
竜は、よくある綺麗事だとその地を去った。そんな考えは自分のように『歪の魔王』を前にすれば折れてしまうと――
その後、風の噂で竜は再び青年の話を聞いた。
彼は死に、草原の『歪』は未だに残ったままだと言う。
無意味な行為だと竜は鼻を鳴らした。しかし、草原へ向かう者たちが日に日に増えている事に気が付く。
竜は何気なくその列に居る者に聞いた。
これからどこに向かうのだ? と。列の者は、草原を取り戻すために集まったと言った。
竜は理解できなかった。理解できなかったから、その理由を探しに草原へ向かう。
そこでは数多の戦士が集まり、草原を取り戻すために『歪』と戦っていた。
傷つき、倒れても誰もその眼には絶望は無かった。
彼らよりも強い自分があの『歪』からは逃げるしかなかったというのに――
分かった気がした。
この世界には何が必要なのか。ただ、破壊しかなかった竜の中に青年の成そうとした『義』が宿る。
破壊の竜の助力で、草原の『歪』は一つ、また一つと取り除かれ、遂に『歪の魔王』は竜に討たれた。
戦いの煙を正しい風が攫い、傷ついた青草を晴天の光が照らす。
古き魔王の結末を見届けた草原の民は、風と光の下で新たな魔王を称えた。
竜は草原で最初に出会った青年――サハンを亡き王として初めての契約を結んだ。
こうして草原の国『サハン』が始まって、彼の意志は『竜の魔王』を通じて今も尚、継がれ続けている。
サハン城の広場では露店が開かれていた。
食べ物、装飾品、衣服、靴磨きや簡単な鍛冶屋まで、城中の人が集まり賑わいを見せている。
種族も様々で、『獣族』『長耳族』『鳥翼族』『角有族』などが往来していた。
「やれやれ。ここまで何もないとはな」
露店の店主や客に対して話を聞いたファウストは木陰のベンチに座っていた。
『伝達技術は高くないと思われます』
「国のどこかで何か起こっても、場所によっては伝わるまで時間がかかるか」
『些細な物事に関しては伝わらずに終わる可能性もいれておきます』
「参ったな」
その辺りの情報も加味して、国の中心でもあるサハン城に目を付けたのだが、全くと言って良いほどに収穫はなかった。
『別の都市に行きますか?』
「ディザロアを待つか」
ファウストは残り少ない煙草を取り出すと火をつけた。
『良いのですか?』
「もうすぐ死ぬかも知れねぇからな。今のうちに全部吸っとく」
「珍しい煙筒を吸ってるね」
すると、一人の青年が話しかけてきた。
青年と言っても顔は中性的で、男女どちらにも見える。
「いるか?」
「え、いいの?」
青年は煙草を1本受け取ると興味深そうに様々な角度で見回す。
「先端に火をつけて、こうやって吸う」
「筒は要らないんだ。新しい発想だなぁ」
青年は、よし決めた、とガタガタと画材を持ってくるとファウストの前に置きペンを出して構図を取る。
「何やってる?」
「え? そりゃあ、これから絵を描くのさ。モデルは君ね。あ、その煙筒は吸ってていいよ」
「そう言うのは嫌いじゃないが今は時間が無くてね。他を当たってくれ」
ファウストが立ち上がると、
「この国では色々起こってるよ」
下書きを始めた青年はその様な事を口にする。
「特に最近だと暴れまわる『竜族』の話題が主らしいね」
「そこんとこ、詳しく教えてくれるか?」
「なら、座って」
今は少しでも情報が欲しい。ファウストは被写体としてベンチに座り戻った。
「ファウストだ。自己紹介は先払いで良いだろ?」
「ボクは……サハン。うん。そう呼んでくれると嬉しい」
同時刻。
サハン城の最も高い場所で、全てを見下ろす“金属の鎧”を纏った者がいた。
「そろそろかな」
視線は遠くの空へ移り、生物の視力では見えることの出来ない遠方を捉える。
次の計画に必要な状況は揃った。そして、竜がこの国の象徴を全て破壊するだろう。
「あぁ~。楽しみだぁ」