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緑竜

始めるから終わる物語 第6話


                      2005年7月1日 Papp


 はるか遠くまで広がる草原、その向こうに城塞都市が見える。城壁の左手には干拓地が、右手には山脈が横たわっている。

 スゥたちが行く街道は、まっすぐ城壁に向かっていた。

 近づくと、高い石造りの城壁の外周にはスラム化した町があり、ジプシー風の住人、薄汚れた服を着た異国風の人々が生活している。

 城壁の城門は開け放たれ、かつては関所だったそこは、警備兵が立っているだけの詰め所となっている。ここは自由都市、ブルノエ男爵領。

 普通、城門では通行人や通過物を検査する検問があり、犯罪者の侵入を防ぎ、違法物などを入れないようにしている。また、通行税や商業税などを徴収する場でもあり、さらに安全な城壁内で住む場合には、特別な許可が必要なうえ、多額の住民税を支払わなくてはいけない。

 しかし、ここ、ブルノエ男爵領を治めるブルノエ男爵は、その通行税と住民税、商業税をなくし、誰でも自由に入り居住できるようにした。結果、検問は甘くなり、スゥのような犯罪者…と、されている者でも、楽に都市に入れるのだ。危険な森で野宿しなくてもいいのだ、スゥは喜んだ。ムシュフシュがスゥに共感して喜び飛び跳ねる。アウラは無表情で、ホークは気に食わなさそうにムッツリとしていた。

「どうしたの? ご機嫌斜めね、ホーク」

 隣を歩いていたアウラが聞く。ホークは相変わらずムスッとしたまま、ぶっきらぼうに答えた。

「旅の準備をして、すぐに出発するぞ」

 ホークの言葉に、スゥとムシュフシュが不満の声を上げる。構わずにホークは言った。

「嫌な匂いだ…、これは戦争が起きるな…」

 獣のように鼻をヒクヒクさせながら都市の空気を嗅ぎ、ホークが呟く。

 一行は詰め所に差し掛かった。詰め所の憲兵が前に立ち、この都市に来た理由を聞く。スゥ達の前に都市に入った者たちは皆、住むためと言った。しかし、憲兵を前にしたアウラは、こう言った。

「聖遺物の巡礼です。早ければ明日、遅くても3日後には旅立ちます」

 そう言って、胸から聖印を取り出して見せる。憲兵は聖印を見ると、かしこまって胸で十字を切り、教会式の挨拶をした。アウラも、敬虔な信者を気取って、教会式の挨拶で返す。スゥたちは、何事も無く都市に入った。

 都市に入り、憲兵の姿が見えなくなったところで、スゥが、アウラとホークに詰め寄る。

「どうして、どうして、どうして~っ!? せっかく都市に入れたんだから、ゆっくりしようよ~」

 魔物に怯えないで夜を眠れるのである、それは極上の生活だ。そしてここは自由都市である。犯罪者がゆっくり出来るのは、無法者の溜まり場となった、こんな都市でしかない。

 ムシュフシュがスゥに共感して、不満の鳴き声を上げる。アウラがホークに視線を流し、ホークが答える。

「この都市、ブルノエ男爵領には、徴兵制度がある。この都市の住人になったら、嫌でも兵隊にさせられるのだ。そして、たとえ、この都市の住人でなくても、2週間滞在すれば住人と見なされる。2週間後に憲兵が団体で現れて、強引に軍隊へ連れて行かれるだろう。それでもいいか?」

 無法者、荒くれ者、大歓迎の裏には、こんな事情があったのだ。

 スゥは、ガックリと肩を落とした。

「今夜は、ヤケ酒ね…」

 そんなスゥを見たアウラが、ポツリと呟いた。


 夜、スゥたちが入った酒場は、お世辞にも品が良いとは言えない酒場で、無法者たちで溢れ返り、酒に酔い乱痴気騒ぎの真っ最中だった。

 たいして広くない酒場には安酒の匂いと、様々なる料理の匂い、そして臭い男どもの匂いが充満していた。

 家畜の小屋で酒を飲むようなものだ、アウラは顔をしかめた。その鼻先にエールを並々と注いだジョッキが突き出される。

「飲め。酔えば気にならなくなる」

 そう言って、ホークが、苦笑いした。

 スゥが部屋の隅、テーブルをひとつ陣取って、もうすでにジョッキをひとつ空けている。アウラは、ホークからジョッキを奪い取って、スゥに習って一気にエールを飲み干した。

 酒場には傭兵風の男たち、魔法使い風の男に魔女、吟遊詩人風の男や女たち、おおよそ、まともな市民の姿などは見えない。まあ、スゥたちも似たようなものだから、文句は言えない。

「どうして、どうして、戦争なんか起こすのよぉ!」

 スゥが、文句をぶちまける。相席となった戦士風の男が律儀にも返事を返した。

 

「城壁の西の干拓地を見たかい? あそこは西の湿地帯を開墾して領土を広げる為のものだが、湿地帯は、トカゲ人間、リザードマンの領域なんだ」

 リザードマン。身長2メートル程の直立2足歩行するトカゲだ。硬いウロコを持ち、斧や槍などを武器にする。独自の言語を持ち、知能レベルも低くない。人間をはるかに上回る腕力を持っていて、リザードマン1匹の対して、訓練された兵士3人でも勝てない事がある。

「男爵は、リザードマンと戦争して、領地を増やそうとしてるのさ。きっと、戦争が終われば自由都市宣言は取りやめて、通行税、住民税、商業税は元通りさ。もっとも、たとえ10倍の戦力で攻めても、リザードマンと戦って勝てるとは思えないがな」

 スゥは首を傾げた。なぜ、勝てないのか。戦士風の男は答えた。

「やつらは戦争に、やつらの神を連れてくるからさ」

「神?」

「そう、やつらの神、ドラゴンをな」

 スゥの、顔色が変わった。

 酔いはあっという間に覚め、怒りに燃えた瞳をして、憎しみに表情を歪める。足元でミルクを飲んでいたムシュフシュが悲鳴を上げてアウラにすがりつく。アウラはムシュフシュを抱き上げ、胸に抱いた。ムシュフシュはスゥに怯え、青ざめてガタガタと震えている。

 ホークはエールを仰いで、溜息をつき、言った。

「男爵は義勇兵も募集している。こちらは、この都市の兵役には関係が無い」

 兵役だと、ただ働きである。義勇兵も、ほとんどボランティアであるが、軍の規則には、ある程度、縛られなくてすむ。男爵が傭兵を雇ってくれればいいのだが、今のところは募集がない。戦争まで、城壁の外周で暮らし、兵役を免れるのが吉だろう。

 義勇兵か兵役か。

 究極に近い選択である。ホークは、もう一度、溜息をついた。ちらりと視線をスゥに向ける。今にも、ひとりで湿地帯に飛び出して行きそうだ。ホークは、スゥに首輪をして、鎖に繋ぎたくなった。ドラゴンを倒すなら、戦争に乗じてやるのが、一番だ。だが――――…。スゥは、椅子から立ち上がった。決意を秘めた目をして。

「アウラ」

「無駄よ」

 ホークが、ムシュフシュをなだめるアウラに声をかけると、すぐに返事が返ってきた。

「まだ、なにも言ってないぞ?」

「言わなくたって分かるわ。スゥを引き止めるなんて無駄もいいところよ」

 ホークはスゥの首に、首輪をつけていないのだから。たとえスゥが首輪をつけて欲しいと求めても、ホークは鎖を持とうとはしないではないか。スゥを止めるなど絶対に無理である。

 酒場を出て行くスゥ。ホークとアウラが、それに従った。

 城壁で、スゥは、硬く閉じられた城門に阻まれる。夜、外界と完全に遮断するからこそ、安全な世界なのだ、ここは。

 今夜は、明日の準備をするという事で、スゥは納得し、宿に帰った。


 夜、湯浴みを終え、部屋にスゥが帰ってくる。それをアウラと、スゥに怯えて震えるムシュフシュが迎えた。ホークは、別室を借りてある。

 湯浴みを終えてもピリピリとしたスゥの空気。アウラが聞いた。

「どうして、スゥは、ドラゴンと戦おうとするの?」

 スゥは、アウラに振り返り、計り知れない憎しみを秘めた凄絶な微笑みを見せて言った。

「憎いからよ」

 ムシュフシュが、悲鳴を上げてアウラの胸に逃げ込む。それをスゥが取り上げて、優しく抱き寄せた。

「ムシュフシュは、好き。だって、私の子供のようなものだもの。あなたが、どれほどの罪を犯しても、私は、あなたの味方」

 たとえ、ムシュフシュの犯した罪が、私の恋人を殺した事でも。

 驚きの表情でスゥを見上げるムシュフシュ。ムシュフシュを見るスゥの瞳は優しかった。

 それを見て、ムシュフシュが、申し訳なさそうにクゥンと鳴いた。

「復讐? 町を焼き払われた事に対する?」

 アウラが言った。スゥは、うなずいた。

「復讐に、正当性なんかないわ」

 本当に大切な人を殺されて辛いなら、誰かの命を奪うなんてしない。それが憎むべき相手であっても。憎しみに任せて復讐を実行したならば、大切な人を殺してもいい事になる。本当は、大切な人を殺されても、辛くもなんともなかったのだ。だから、殺せるのだ。

 復讐をされ、大切な人を殺されて初めて、殺人者は大切な人を殺めることは悪い事だと知る、だから復讐には正当性があるというならば、復讐を受けた殺人者もまた、復讐の復讐という正当な行為を為すはずだ。それが正当なるよい事だから。そうするとどうだろう。復讐を果たした者はまた、大切な人を殺されるのが正当という事になる。復讐する事で、大切な人が殺される事を正当であると証明してしまうのだ。正当なる行為、よい事をされてなぜ、辛いのか、悲しいのか、それは復讐が正当ではないからだ。復讐が正当であるならば、大切な人を殺されるというよい事をされて喜ばなければおかしいことになる。大切な人を殺されて、嬉しいか。そんな事はない。大切な人を殺されて、殺しが悪い事だと知ったのならば、誰も殺しという報復は為さない。復讐に正当性はない。

 復讐を為そうとする者よ。「思い知らせてやる」と言うが、あなた自身が大切な人の命を大切と分かっていないではないか。復讐によって、大切な人の命を危険にさらしているのですよ? 憎しみに自分の心を奪われてはいけない、大切な人の為に。

「スゥ、あなたは、ドラゴンに殺されたいだけよ。そうすれば町のみんなのところに行ける。そう思っているんだわ」

 アウラは、スゥの本心を見抜いた。スゥは、うつむいた。そして、再び顔を上げた時、あの凄絶な笑顔をアウラに見せ、言った。

「でも、憎くて憎くて、どうしようもないの」

 アウラは、唇を噛んだ。そして、言った。

「もう、なにもかも分かっているクセに。あなたが憎んでいるのは、ドラゴンではなく、自分自身よ」

 死にたいと思っている。でも、死ぬわけにはいかない。生きたい。だから、殺して欲しいと願う。なにより、ドラゴンが憎い。憎くて憎くて、どうしようもない。でも、スゥは、ムシュフシュが好き。そして、スゥは、スゥ自身が、自分自身が、大っ嫌い。

 なにもかも分かっている。では、分かればどうにかなるのか? そんな事はない。理性は心の客観なのだ。心でないものが、心の動機をどうにか出来るはずがない。

 スゥは、泥炭を燃やす灯りに金属の蓋をして消し、アウラに背を向け、ベッドに横たわった。頭までシーツをかぶり、ムシュフシュを抱き寄せる。アウラは、黙って窓辺に腰掛けた。そして外、空に月が浮かぶ都市の裏路地を眺める。

「ねぇ、アウラ…」

 背を向けたまま、スゥがアウラの名を呼ぶ。アウラの意識がスゥに向いた。

「幸せって、なんだったかな…」

 ハンスが、ホークが、スゥの幸せを願ったのだとしたら、スゥにはそれを叶える義務と責任がある。でも、幸せが、もう、なにかわからない。あえて言うなら、スゥの幸せは、町のみんなと一緒になる事だ。つまり、死ぬ事だ。ドラゴンに殺される事だ。もしくは、ドラゴンが憎いから、これを殺すことだ。殺すか殺されるか、だ。

 スゥは、アウラの返事を待たずに、眠りの世界に落ちていった。

 アウラが、呟いた。

「幸せ? 分からない。でも、ひとりぼっちで、幸せになった人を、私は知らない」

 アウラは魔剣、ホークも、もはや、すでに魔剣。ムシュフシュは、犬。スゥは、たったひとりの人間。

「でも、それが、なんだって言うのよ。スゥは生まれた時から、スゥは、この世にたったひとりしかいなかったじゃない」

 スゥを責めるようなアウラの口ぶり。どこか、泣き出しそうな声だった。

 スゥは……、いいえ、人は誰もが、ひとりぼっち。でも、心は……幸せは、ひとりでは決して成立しない。

 愛する人の不幸を、泣くアウラ。でも、そのアウラの……、スゥの行く先がアウラには、すでに見えていた。自分が、なんの為に生まれてきたのか、アウラにははっきりと見えていたから。

 どうしようもない……、どうしようもないんだ!

 心が叫ぶ、どうしようもないからって、だからって、気持ちが納得するわけじゃない。

 幸いの竜として、新たな名を与えられた仔犬が、大好きな母の胸に抱かれてキュウンと鳴いた。

 傘をかぶった満月が、窓辺で、両手で顔を覆いうつむくアウラに寄り添っていた。


 次の日、スゥたちは干拓地に来ていた。

 湿地帯の沼を板で仕切り、水を汲み上げ、そこに穀物を植えていく。土地は肥沃で、作物の育ちが格段によかった。でも、村は荒れ果てていた。

 干拓地の最先端にある開拓村は、リザードマンの襲撃にあい、建物は崩れ、人々は傷つき疲れていた。

 スゥたちが村の入り口に来ると、立つのがやっとといった感じの、怪我をした村人が、槍を杖にして立っていた。見張りだろうか? その役目を果たせるとは到底思えない様子である。

 スゥが壊された柵を魔法の視力で見てみる。魔法文字による結界に抜けがあったようには見えない。文字を所有する知性体に、文字による結界は通用しない。おそらくリザードマンの中にも魔法使いが居るのだろう。スゥたちは用を足さなくなった柵を超えて村に入った。

 村人たちが多く集まる村の集会場兼教会には、怪我人が運び込まれ、まるで野戦病院のようである。

 ホークがアミュレットを外し、治療に当る僧侶たちに加わった。スゥも慌てて、アウラから本を受け取り、魔法で治療に当る。

 治療にはきりがなく、幾人かは手に負えず都市の医療施設へと運ばれた。スゥたちと医療スタッフの神父、シスターたちが村を出て行く馬車を見送る。その時、村人と見られる武装した男達が帰ってきた。

 農作業をする服の上に鎖かたびらや鱗鎧を着て、斧や槍、棍棒などの無骨な武器を持っている。泥まみれの姿は、つい今、沼から這い出てきたばかりのようだ。傷ついた者もいて、友人の肩を借りている。リーダー格と思われる男の腰には、リザードマンの首が3個、ぶら下がっていた。

「村の自警団の男たちですよ」

 医療行為をするうちに、どこか心の通じた神父さまが、スゥに口添えした。

 男達は教会内の惨状を見て、家族の名を呼びながら駆け込み、ある者はガックリと肩を落とし、ある者は怒りに拳をふるわせ、ある者は家族を抱きしめて泣いた。

 リザードマンの首には賞金が掛けられ、首ひとつで一ヶ月は遊んで暮らせるくらいの金が手に入る。資金不足が慢性的な開拓村では、男達が牛や馬、または農作業具を揃えるために、度々、危険を覚悟でリザードマン狩りに出ていた。今回は、その男たちが居ないタイミングを狙われたのだ。女子供、老人の区別の無い虐殺。ホークがスゥに言った。

「これが、戦争だ」

 リザードマンたちは自分達の領域を守るために、人間たちは生きるために戦う。どちらが善で、どちらが悪なのか、どちらであれ、ここにいる者たち全てが、リザードマンを含めた全ての者が、そうするしか出来ない。戦争の今を生きるしかないのだ。

 スゥは、ここで自分がただの来訪者なのだと思い知った。村人の真剣さ、リザードマンの必死を思うと頭が下がった。

「動ける者は、村の警備へ戻れ、手の空いている者は~……」

 男達のリーダーらしき男が、テキパキと指示を出す。リーダーがスゥたちを指さして言った。

「手の空いている者は、薬の買出しに付き合え。で? あんたたち、誰だ」

「医療を好意で手伝って下さった巡礼者さまたちですよ、クレイ」

 神父が、男達のリーダー、クレイに言った。

 自警団のリーダー、クレイは農作業で日に焼けた肌をした、小柄だが鋼のように屈強な筋肉を持っている若い男だ。ミディアムシールドと鎖付き鉄球の棍棒、モーニングスターを背負い、鱗鎧を装備している。典型的な農民戦士の出で立ちである。

「客人か、では、使っては悪いな」

 クライはそう言って誰か別の者を探そうとする。そこで、スゥが申し出た。

「いいですよ、こんな事態ですから、私たちがお供します」

 スゥたちは、クレイについて行って都市で薬を買出しすることになった。

 スゥたちは村を出て、領主と教会が所有する荘園、畑や牧草地を縦断する農道を都市に向かって歩いた。肥沃な土地が、たわわに作物を実らせている。道すがらクレイとスゥたちは色々な話をした。

「巡礼者さまと、その護衛って感じだな、そうなのかい?」

 クレイが聞くと、アウラが聖印を取り出して答えた。

「はい、私が目を患っており、聖遺物を巡礼し、これの治癒を祈願するものです」

 と、いう事にしている。敬虔な信者ばかりのこの国では巡礼者に扮するのが一番よい。ばれた時は教会によって裁判にかけられ、多くの場合は火あぶりであるが。

「そうかいそうかい、お嬢様の護衛に男だけでは済まないからなぁ。ブルノエ男爵領は赤竜王の鎧。もう、見たかい?」

 女性の旅の同伴に、女騎士の存在は不可欠に見えた。朴訥な村人であるクレイはスゥの事を女騎士と納得し、何度もうなずいていた。

 聖遺物とは創世記に大地を作り出した真竜王に血を連ねる地水火風の竜王、それを生み出した聖者と呼ばれる魔法使いたちの遺品である。この世界では、神々の前に古代の神たる竜がいた。今、竜と言えば知性をなくした魔獣であるが、その頃は知性的で気高く、神のようであったという。作物が大地たる真竜王の体、血肉によって育てられる事から、豊穣の神として信仰あつく、彼の子孫が旅立ったとされる東の地の果ては、真竜王信仰の聖地としてまつられていた。

「でも、片翼の鷹を雇うとは、金持ちだな、お嬢さま。どこか名のある家柄で?」

 片翼の鷹とはホークの通り名だ。魔法を操り、超重量の大剣をまるで羽のように操り、世界に名を馳せた戦士。その魔法戦士ホークのことを、誰ともなく、そう呼んだのだ。傭兵でもある彼は、金さえ払えば雇う事ができたが、支払わなければならない報酬は法外だった。

 アウラはスゥをチラリと見て、小さく呟くように言った。

「真竜王の血族」

 声は、クレイにも、誰にも聞こえなかった。

「ねぇねぇ、クレイ?」

 そこにスゥが割り込んでくる。クレイがスゥに顔を向けた。

「クレイは、リザードマンの神さま、ドラゴンを見たことある?」

 クレイ……、村の屈強なる勇者が、それを思い出して青ざめ、息を飲んで首肯した。

「私も、見たいなぁ……」

 スゥが、あの凄絶な微笑みをして、クレイに強く求めた。


 次の日、スゥたちはクレイの案内で湿地帯にいた。

 案内役としてクレイに支払われる報酬はリザードマンの首みっつ。

 湿地帯である沼は歩くと膝下まで足が沈む。真っ直ぐに立つ木などなく、這うように生えた木々が行く手を阻む。迂回を続けるうちに自分がどちらを向いているかさえ不確かになり、ヒルなどの害虫がまとわり付き神経が消耗する。

 半日も歩いただろうか、クレイが足を止め、木々の陰から前方を注意深くうかがう。

 スゥたちがそれにならって前方をうかがうと、前方は見晴らしのよい開けた場所で、100メートルほど向こうにリザードマンの集落が見えた。木々で作られたなにか野生動物の巣のような家が見え、その中心に天にまで届くかのような大きな樹が見える。

「いた、ドラゴンだ」

 クレイの緊張した声がする。思わず身を乗り出すスゥだが、ドラゴンの姿は見えなかった。

「どこ?」

 焦りと血気を抑えたスゥの声。クレイは大きな樹を指さして言った。

「あれだ」

 天に届くかのような大きな樹。その緑の葉と同化して、一匹の巨大なトカゲが見えた。

「え……?」

 スゥが頓狂な声を出す。

 確かに大きさはドラゴン並みである。人間などアレにとっては雑魚のようなものだろう。しかし、その姿は、どうみても、大きな緑色のトカゲである。背中の大きなヒレが、翼に見えないこともないが。

「グリーンドラゴンか」

 ホークが言った。

 炎の代わりに強酸のブレスを吐く竜。

 一行はスゥに振り返った。

 スゥは、驚きに口を大きく開けていたが、やがて憎しみの瞳をグリーンドラゴンに向けた。無言でホークに手を出し、掴んで引き抜く。するとホークの姿は消え、代わりにスゥの手に大剣が姿を現した。

 掴まれた大剣が溜息まじりの声を出す。

「やれやれ……。やれるか、アウラ?」

 ホークに声を投げられ、こちらも溜息まじりに答える。

「露払いはするわ。でも、あなたは殺れるの?」

「グリーンドラゴンに命あるかぎり、俺の重さは山より重くなる」

 スゥは魔剣、羽の重さの命を振るい、大地を打った。

 ズドーーーーンッ!

 それは、その超重量で、まるで隕石が落ちたかのような災害を生み、大地震を発生させ、リザードマンの集落、その巣のような家を次々と倒壊させる。

 混乱のリザードマンたち、その中に向かってスゥが走った。堪えきれない憎しみを秘めた凄絶な笑みをして。

 ケェエエエエエエエッ!!

 災厄を感じたグリーンドラゴンが咆哮を上げる。スゥが魔剣を振るって跳躍した。

 片翼の翼を羽ばたかせ、飛翔するスゥが、グリーンドラゴンの眼前に。そのスゥにグリーンドラゴンが嘔吐して胃液を吐きつけた。

「スゥっ!」

 アウラの悲痛な声。足元のムシュフシュが泣きそうな情けない顔をする。

 村の勇者が唖然と見守る中、スゥが嘔吐された胃液とともに地面に叩きつけられた。

 地面に叩きつけられた衝撃に身動きできず、強力な酸である胃液が肌と衣服を焼く。

「ヒール(癒し)!」

 魔剣ホークが魔法を使った。治癒していくスゥの肌。しかし、体に付着したグリーンドラゴンの胃液が、スゥを治る端から溶かして行く。

 スゥは足を引きずって集落を出て、沼に飛び込み、体に付いた胃液を洗い流した。そこに巨大な影が落ちた。絶対の危機を感じ取ってスゥが魔剣を振るい、跳躍する。そこに地響きを立ててグリーンドラゴンが降り立った。

 地面が波のように振動し、爆風が起こり、立つどころか、這いつくばることさえできずに、乱暴に跳ね上がる地面に叩きつけられ、起こる風に木の葉のようにあおられて、スゥは何度も転倒した。


 視線を感じた。のっぺりとした人格の感じられない爬虫類の視線だ。

 大きい…。

 凄まじく大きな視線。

 スゥは、ぐらぐらと揺れる頭で何度も立ち上がろうと思った。でも、足が、腕が、変だ。ありえない方向に曲がっている。

 うっすらと目を開ける事、それだけが出来た。

 そこには見慣れた世界はなかった。

 空も大地も草木もなく、ただ、天を覆い尽くす大きさの、緑色のトカゲの頭がこちらを向いていた。

 グリーンドラゴンは、細かな歯の生えた口から、先端が二股に分かれた真っ赤な舌を出し、空気が擦れるような乾いた音を立てている。

 蛇が敵を威嚇するような音。

 スゥは集落の真ん中で仰向けに横たわっていた。

 そのスゥを、グリーンドラゴンが電撃の速さで食べようとする。トカゲが羽虫をついばむように。

 電撃の速さ。

 その速さを追い抜いて、鎖付き鉄球がグリーンドラゴンの目を叩き潰した。

 ケェエエエエエエエエッ!!!!

 体内の横隔膜が振動し、鼓膜を麻痺させ骨の髄で聞くような、悲鳴を上げ、のけぞるグリーンドラゴン。

「大丈夫か!?」「しっかり、スゥ!」

 アウラとクレイが助けに来てくれた。

 スゥを担ぎ上げ、苦痛にのた打ち回るグリーンドラゴンから逃れようとするアウラとクレイ。それを、武装したリザードマンたちが取り囲んだ。100に迫る数である。

 退路を断たれ、立ち尽くすクレイ。ジリジリと包囲を狭めるリザードマンたち。背後で轟音を立て、地面を揺らし、のたうつグリーンドラゴン。

 アウラがクレイを制して前に出た。

「クレイ。目を、つむりなさい」

 そう言って両目に巻いた包帯を解き始める。絶対の魔力を溢れさせながら。

 リザードマンの中に居た、魔法使いのローブを着たリザードマンが悲鳴を上げて逃げ出す。

 そして、アウラが完全に包帯を解いた。

 クレイは総毛立った。骨の芯で感じる危険など、ドラゴンを前にしてもなかった。

 地面が、風が、光が、危険を感じて後退るかのよう。あまねく物質に宿る霊魂が悲鳴を上げ、聞こえるはずのないそれらがアウラを中心として世界に波紋を広げた。

 なにが起こっているのか。

 クレイは、なにが起こっているのか体験したくなくて、硬く両目を閉じた。

 理解できなかったリザードマンたちも、自分の魂の求めに応じて、我先に逃げ出す。

 そして、逃げ遅れ、目撃してはならないそれを見てしまったリザードマンたちが、瞬時に石となる。

 全ての魂が恐怖に息を潜める世界の中心で、アウラが両目に包帯を巻きなおした。

 それをグリーンドラゴンの尾が薙ぎ払った。

 弾き飛ばされ、はるか遠くの樹の茂みに埋まるアウラとクレイ。

 スゥは、空中で魔剣ホークを繰り、きりもみしてグリーンドラゴンの眼前に降りた。

 本を手に持ち回復魔法を唱える。

 回復し、魔剣ホークを正眼に構えた。そして口から魔力が呪文となってこぼれ落ちる。

「死すべき時、命は羽のごとく軽くなる。

 緑竜よ、お前は今、死すべき時ではない。

 今、お前の命は、山のごとく重い。

 今、死ねば、堕ちる。

 お前は、天には、羽ばたけない」

 スゥの呼気に、憎しみが魔力と交わって、ドス黒い塊となって、ドロリと地面に落ちた。

「先に逝けっ! 地獄へ!!!」

 スゥの斬撃が、グリーンドラゴンの眉間に乗った。

 魔剣、羽の重さの剣が、生きるべき命に等しい重さに変化する。

 その眉間に山の如く重量を乗せたグリーンドラゴンの頭骨が陥没する。

 そして、グリーンドラゴンの頭が、砕けた!


 頭を失ったグリーンドラゴンの体は、三日三晩、沼地をのた打ち回った。

 ブルノエ男爵領の全ての住民が恐怖し、城壁の中に非難し、大地の振動が収まるのを待った。

 四日目に、静かになり、恐る恐る沼地に入った騎士団が、壊滅したリザードマンの集落と、死に絶えたドラゴンの姿を発見したのだった。その頃にはスゥたちの姿はすでになく、唯一の目撃者であるクレイが男爵に招聘された。

 謁見の間で男爵の前で膝を突くクレイ。男爵に自分が見た全てを話した。

 話し終わった後、クレイは言った。

「これで、戦争をする必要はなくなりましたね、男爵さま」

 男爵は首を横に振った。そして言った。

「兵たちは、リザードマンの為に集めたのではない」

 クレイが驚きの表情で男爵を見た。男爵が言った。

「兵の招集は国王からの命令だ。近々、東の地の果て、その向こうから侵略がある。それに備える為だ」

 クレイは驚きの声をあげた。そして聞いた。

「地の果ての向こうに世界があるのですか?!」

「ある。そしてそこから、神話の時代に地の果てより旅立った者どもが、帰ってくるのだ」

 神話時代に、地の果ての向こうに旅立った者ども、それは、真竜王の子孫たち、竜王!

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