一つ目の巨人
始めるから終わる物語 第5話
2005年6月20日 Papp
ヒース村を出た途端、スゥは倒れた。
魔法で治したとはいえ、瀕死の重傷を負っていたのである。旅の出来る体ではなかった。
どうして、村を早々に出たのか。言ってもしかたがないが、悔やまれた。でもスゥたちには、急がなくてはいけない訳があった。
道は深い深い森を行く。
高い高い針葉樹が、黒い黒い影を落とす。
熱を持ち、呼吸の乱れたスゥを、ホークが背負う。その足元を、心配げなムシュフシュが、足にもつれるように歩く。それにアウラが続いた。
昼なお暗い森。どこか動物の気配さえ、息を潜めているかのように、静かであった。
野生動物は、人工物である街道を恐れ、近づかず。魔物は、太陽を恐れて現れない。しかし、本当に恐いのは、人間である。
一行は野党を恐れて街道を急いだ。
その御蔭で、一行は、昼前には宿場町に到着した。
街道の両脇に、旅の小物や必需品を売る商店が並び、奥には旅の疲れを癒す温泉があるのだろう。案内の看板が見えた。繁盛しているらしく、多くの客の姿も見える。
町の入り口に差し掛かると、ハゲた中年男が近寄ってきて、愛想良くホークに話し掛ける。
「いらっしゃいませ、お客さん。
ここが次の都市に行く道の、最後の宿場町だよ。
今から山を越えて、都市に入るには、どう頑張っても夜になる。
夜に、キプロの山を越えるのは危険だ。なんせ一つ目の巨人が出て、人を喰うって話だ。
悪い事は言わん。ちと早いが、ここに泊まって行きなされ」
ホークはチラリと男を見た。そして、視線で男を射抜きながら、町の雰囲気を読んだ。
客引きは、この男だけ。しかし、町の住人と思われる者たちは、一様に、ホークたちを、それとなく見ている。
監視されている。
まるで視線の檻に捕われる感覚。住人の無数の目が、まるで巨大な1個の目玉である。
街道の行く手には、昼なお黒々と立ちはだかる山の姿が見える。これを超えれば次の都市に出る。急げば日が暮れる前に、都市に入れるだろう。しかし……。
ホークの、戦士としての経験と直感が告げる。
ここは、この男の言う通りにしたほうがいい。
背には意識の朦朧としたスゥも居る。ホークは温泉宿に向かった。
温泉宿に向かう小道。街道から、そこに入ろうとする時、アウラは、来た道を振り返った。
そしてポツリと呟いた。
「災厄が馬で運ばれてくる」
アウラの、包帯に巻かれた両目が、なにかを見ていた。
温泉宿は男と女に別れていた。
湯気に満ちた地下洞窟に階段や湯船が作られている。
その入り口には大きな建物。大広間となった2階には、サロンがあり、湯上りの人々が思い思いにくつろいでいた。
ゆったりとしたソファーに背を預け、湯上りに柑橘類の果汁を搾った飲料を飲むスゥとアウラ。与えられたエプロンドレスのような服を着ている。足元には濡れた毛を必死で舐めるムシュフシュの姿もある。そこそこの値段はかかるが、良い湯治となった。スゥの顔色が幾分良くなっている。
このままグッスリと眠れば、明日には旅に出れる。
時刻は夕刻。もう後は、ごちそうを食べて眠ればいい。それだけだ。
ゆったりとした時間にまどろむスゥ。その横で、アウラはハッと顔を上げ、呟いた。
「来た」
夕闇に追われて、町に早馬が滑り込んだ。
都市と都市を繋ぐ情報網。手紙や書簡などを運ぶ馬だ。
それがいくつかの手紙と、手配書を持ってきた。それを受け取ったハゲた中年男が、眉を寄せる。町の住人に声をかけて、集会所に行った。
しばらくして、集会所に男達が集まった。
野党すら退ける、屈強な町の自警団だ。いや、違う。この辺に出没する野党とは、彼らである。また、ハゲた中年男の忠告を聞かず、山を越えようとする旅人を襲うのも彼らだ。
数10人にのぼる男どもの真ん中に、その手配書が置かれた。
生死問わずの罪人。それに掛けられた賞金に目をみはる。それは町の者、全員が1年間は遊んで暮らせる程の金額だったのだ。
「こんな綺麗な顔をして、いったいなにをしたんだ?」
男のひとりが言った。皆が同意した。
宝石のように輝く青い瞳、燃え立つ炎のような色の長い髪は流れ波打つソバージュ、白磁のように白い肌にはシミひとつない、男どもが息を飲む美しい女。そう、手配書には、スゥの顔があった。
数日前、ここより西の都市で、竜が現れた。それを都市の領主である伯爵が打ち倒した。
そういう事になったのだ。そして、本当に竜を倒した者は、その事実を隠す為に殺される。
別に西の都市の領主は、スゥを恨んでいるわけじゃない。生きていられると、自分の名声の為に邪魔なのだ。スゥが生きていなくていいのだ。生きていられると困るのだ。
竜殺しは大変な名誉である。由緒正しい家柄は、必ず竜を倒している。……と、されている。
でも、多くの者は真実を知っていた。
だって、年齢が70を超える老人が、竜を倒せるわけがない。
本当の竜殺しは、血族に引き込まれるか(兄弟の杯を交わす、娘と結婚させられるetc…)、殺されるかだ。それが、政治である。
「こいつが、ドラゴンを殺したのか……?」
畏怖の篭った声で、男のひとりが言った。それに中年男が答える。
「でも今は弱っている。今がチャンスなんだ」
恐怖を超える欲に汚れた目。その目が、同じ目をした男どもを見る。
「町のみんなに連絡しろ。今夜、狩りをする」
男どもが、興奮して、武器を手に持った。
日没と共に睡眠時間となる。
灯りは最低限にともされ、建物の中となると、真の闇に近い。街道近くとはいえ、魔物の棲む森の近くである。用心して鎧戸も閉められている。
スゥたちの眠る2階の個室。鎧戸を開け、アウラが窓辺に座り、穏やかな夜風に吹かれていた。
部屋の中にはスゥがベッドに横たわり、ムシュフシュを抱いて熟睡している。男と女の宿が別々となっているので、ホークの姿はない。
月の綺麗な夜。冴え冴えとした月の光が、黒々とした森に降り注いでいる。
ふと、その月の光の中で、建物の影に隠れるようにして、男どもがスゥたちの宿にやってくる。
アウラは、窓辺から立ち上がり、月を背負ってスゥのそばに立った。ムシュフシュを揺り動かして起こす。
眠たげなムシュフシュの頭を撫で、言った。
「お願いね?」
うなずくムシュフシュ。それを見てアウラは、月明かりに手をかざした。すると手に本が現れる。ハウルを入れている本だ。
アウラが本を開けると、中にハウルはなく、代わりに、くり貫かれたはずの本のページが元通りの姿であった。
アウラが、その本の1節を、スゥとムシュフシュに向かって読み上げる。
すると、スゥとムシュフシュの姿がぼやけて霞み、霞みが晴れると、獣のような姿をしたスゥが現れた。
ムシュフシュと同じ色の毛の生えた肌、頭に付いた犬の耳、オシリには犬のシッポ、口には犬歯が生えている。代わりにムシュフシュの姿がどこにもない。
「ワン」
スゥが、ムシュフシュの声でアウラに鳴いた。
アウラがうなずくと、ムシュフシュのようなスゥが、獣の身のこなしで窓から屋根に飛び乗り、誰にも気付かれず、いずこかへと走り去った。
それを見送ったアウラが本を閉じる。すると本が幻のように消えてしまった。
アウラは、何事もなかったかのように、窓辺に座りなおし、月が謳う夜を眺める。
そして、静かに入り口が開いた。
男どもが足音をひそめて忍び込む。その男どもとアウラの目が合った。
男どもは、アウラを見た。
月を背負う、水晶の真っ直ぐな長い髪。月を背負い、影となりながら、自ら白く輝く肌。両目に包帯を巻いた華奢な印象の、少女。
シンプルな造りの白いワンピースを着ている少女の、見えないはずの瞳が、真っ直ぐに男どもを見ていた。
男の一人が剣の切っ先を突きつけてアウラを脅す。
「騒ぐなよ? なに、すぐに済む」
別の男どもが、ベッドを囲み、それに一斉に剣を突き立てる。
手ごたえが無い。乱暴にシーツを剥ぐと、そこには誰も寝ていなかった。
「スーザンは、どこにいる?」
男が、恐ろしい声で言った。
アウラに突きつけられた剣の切っ先が、アウラの肌に、僅かに沈む。アウラの血が珠になって床にこぼれる。
しかし、アウラは顔色ひとつ変えずに、呟くように言った。
「さぁ?」
言って、窓辺から外に身を投げる。男が掴もうとするが、もう遅い。アウラは地面に落ちていった。
アウラの体が地面に激突する寸前。下に来ていたホークがアウラを抱きとめた。ホークはアウラを抱いたまま走り出す。
窓からそれを目撃した男が、笛を吹いた。
天高く、月夜に、甲高い笛の音が響き渡る。
その音を聞いて、町の住民全員が起き上がった。
主婦も老人も、子供さえも、手に武器を持って家々から出てくる。
ホークとアウラは、街道の真ん中で、包囲された。
「アウラ。剣(俺)を持てるか?」
殺気を込めた視線で、住人を退けるホーク、その緊張した声がアウラに尋ねる。
「私が持つと、羽の重さの剣が、星の重さの剣になるわ。私には、あなたは持てない」
抱かれたホークの胸から降り、アウラが呟く。
「打つ手はあるか?」
「あるわ…」
ホークがアウラを見た。アウラが呟いた。
「魔法を使うのよ」
アウラの手に、本が現れた。ホークが「しかたないな…」と溜息をついて、首に下げたアミュレットを外した。
ハゲた中年男の合図で、住人たちが一斉に襲い掛かってくる。
魔法を唱えたホークの手に、火の玉が浮かんだ。凄まじい勢いで灼熱の業火が渦巻く火球だ。
アウラが本の1節を読み上げると、空気が凍りつき、地面に霜が立つ。
ホークが火球を投げると、住人たちの真ん中で炎が爆発した。
アウラが手を振ると、ふぶきのような冷気が住人たちを襲い、一瞬で凍りつかせた。
爆風になぎ倒され、ふぶきに蹴散らされ、住人たちがさがる。
さがるものの、包囲は解かず、遠巻きにアウラとホークを見ていた。
まるで、1個の巨大な目のように。
ハゲた中年男が前に出た。そして呪文を唱える。
すると住人たちが一箇所に集まり、折り重なって積み重なって、なにか巨大なモノになっていく。
そして、それが現れた。
森の、どの樹よりも高く。町の、どの建物よりも高い、バケモノが。
腰に毛皮を巻いた、ひとつ目の、裸の巨人。サイクロプス!
理性の無い欲望に汚れた眼をホークとアウラに向ける。そして牛さえも、ひと掴みにしてしまいそうな手をアウラに伸ばす。
ホークの火球が、手を襲った。次いでアウラのふぶきが、手を襲う。
それらをものともせずに、サイクロプスの手がアウラを捕まえた。
勝ち誇った中年男の笑い声。中年男が言った。
「さあ、スーザンは、どこに行った? 言え!」
サイクロプスは、今にもアウラを、一飲みにしそうだ。ホークが唇を噛んだ。そして、言おうとする。
「言わなくていいわ」
それをアウラが止め、自分の両目を覆う包帯を解き始めた。
森が、ざわめいた。
森を徘徊する魔物たちが、悲鳴を上げて逃げ出し、深い眠りにあるはずの動物たちが一斉に起きて、まるで災害を恐れるかのように、逃げ出したのだ。
「や…、やめろ」
青ざめた中年男が、恐怖を押し殺して声を搾り出す。
アウラは包帯を解いていく。それと共に強大な魔力が溢れてこぼれる。
「やめろ! そいつは町の住人たち、多くの人々なのだぞ! それを、お前はっ!」
アウラは手を止めなかった。代わりに言った。
「町の住人たち? いいえ、私は、この星の住人、全員を殺しても、スゥを守る」
私は……。
アウラの包帯が、完全に解けた。
そして、サイクロプスが、アウラの目を見た。
ギャアアアアアアアアアアアアア!!!
恐怖の悲鳴。それが一つ目の巨人から発し、そして、あっという間に、サイクロプスは石となった。
月明かりに照らされた街道。その真ん中で、サイクロプスは石の彫像と化していた。
アウラは、包帯を巻きなおし、巨人の手から抜け出して、ホークに身を投げる。地上で、ホークがアウラを、その胸に受け止めた。
次の日。
スゥが、ざわめきに目を覚ます。
ベッドの上で伸びをする。体は全快していた。となりでは、昼過ぎだというのに、ムシュフシュが、まだ、寝ている。よっぽど疲れていたのだろうか。アウラの姿は見えない。
スゥは起き上がり、窓の鎧戸を開けて外を見る。
「えっ!?」
スゥが、驚きの声を上げた。
外、街道の真ん中に一つ目の巨人、その石の彫像が立っていたからだ。
客たちが集まり、巨人の石像をポカンと見上げる。町の住人の姿はどこにもなかった。
ふと、下を見ると、準備を終えたホークが手を振る。そのとなりにアウラの姿もあった。
時刻は昼過ぎ、すぐにでも出発しなければ夕刻までに次の都市には入れない。
スゥは慌てて出発の準備を始めた。ムシュフシュも起こされ、眠たそうにあくびをしていた。