失恋
始めるから終わる物語 第3話
2005年6月7日 Papp
奴隷が合法の都市。
その中央広場は大勢の人で賑わっていた。
中央広場には特設ステージが設けられ、今回売りに出される奴隷達が並べられる。
多くは辺境農家から口減らしの為に売られた小さな子供達。戦争で負けた国の男達。そして風俗の目的で売られる若い女達であった。
その女達の中にスゥとアウラの姿もあった。
太陽が照りつけるステージ。
その上で、客に生まれたままの姿を晒す女。
次は、スゥの番。
売り物になるかどうかを見せる為、このような群集の前で肌を晒さなくてはいけない屈辱、耐えられない辱め。封建的なこの社会で、それは、もはや普通の幸せなど求めることは出来なくなるという事であった。
スゥはステージの裾で、怒りと羞恥に震えていた。
ステージに立った女の前に、ひとりの男が現れた。
胸鎧を着た薄汚い戦士風の中年男だ。鷹のように鋭い目をして、その大きな身の丈よりも大きい無骨な剣を持っている。足元には、子供なら3人はゆうに入れそうな、金銀財宝の溢れる宝箱を置き、優先的に客の品定めをしていた。
んっ?
スゥは驚いた。
男は女には一切手を触れず、ただ、その無骨な剣を女に手渡しただけなのだ。
グワァン!
大きな音がして、剣がステージに落ちる。女が、その剣のあまりもの重さに取り落としたのだ。
落ちた剣が、木の床にメリ込む。いったい、どれほどの重量なのだろう? 屈強な男でも、持つのに2,3人必要ではないだろうか。それなのに男は、軽くその剣を持ち上げる。
男は女を追い払うように手を振った。そして奴隷商人に、新しい娘を呼ぶように言った。
上客にコビて、奴隷商人が舞台裾にやってきた。とうとうスゥの番がやってきたのだ。
貧相なスゥは、アウラと抱き合わせで売りに出された。
ステージに立つスゥとアウラ。アウラが抱いたムシュフシャ。
客の男達の視線に、自分が汚れそう。
スゥは嫌悪感に吐きそうになった。恐怖と怒りに体が震える。スゥは奴隷商人にムチ打たれ、裾から追い出されステージに立ち、男の前に立った。
服を脱がされる。
その前に、男は待ちきれなかったかのように、スゥの眼前に剣が突き出した。
スゥは、剣に魔法の光を見た。魔法の剣だ!
燐光…。香り立つかのような粒子の光。
あれ? この粒々の光は―――…。
スゥは、息を飲んで剣を掴んだ。
剣は――――…。
大人の男ふたりでも持てないような、大きな剣が、スゥの手に軽かった。
まるで、羽毛のように軽いのだ。
ポロリ…。
スゥは、涙をこぼした。
スゥには、その軽さが悲しかった。
だって、剣がまとうその粒子、そのひとつぶひとつぶが――――…。
「軽い…。軽いよう」
スゥは、泣いた。
「この剣が奪った、幾千幾万の、人の命が、―――軽い」
剣がまとう光の粒子、その一粒一粒が、人の命だったのだ!
命は大切で重いものではなかったのか? それなのに、その命をたくさん奪った、この剣が軽い。
手を放せば空を舞いそうな大剣。それを持って、スゥは泣いた。
男は、黙ってうなずいた。
男は奴隷商人に金を渡し、スゥの腕を掴んだ。
スゥは男に連れられて、ステージを降りた。それにアウラとムシュフシュがついていった。
下町の宿には、大きな中庭があった。
土が剥き出しのその庭には、幾人の男達が木で作られた模擬剣を持って剣の練習に励んでいた。
傭兵や冒険者たちが集う宿。
どこか、この都市ではない空気と時間の流れを持ったそこに、スゥは模擬剣を持って立っていた。
強靭な革で作られた服は、鎧のような強度と重量を持っていた。ゴワゴワとしたそれに全身を包まれ、落ち着かないスゥがモゾモゾしている。アウラはムシュフシュを抱き、壁にもたれて、そんなスゥを見ている。
スゥを買った鷹の目の男が、模擬剣を持ってやってきた。
そして、なんの前触れもなく、剣を構えて、スゥに切りかかる。
ズゥン!
切れない剣の衝撃が、スゥの体を打撃する。
激痛と衝撃に、スゥは膝を折った。
「なにをしている」
鷹の目の男が、スゥに聞いた。
朦朧とした意識で、スゥが答えようとしたが、驚きに声が出ない。
「立って構えろ」
スゥは、わけもわからず、立ち上がった。内股で震え、抱きしめた剣を前に突き出した。
ズゥン!
もう一度、容赦ない一撃がスゥに加えられた。
「俺は、構えろと言った」
手加減、一切なしの斬撃。ぶっきらぼうな声。武道の達人のように隙なく構えた姿。
スゥは、泣きながら立ち上がって、男の真似をして、剣を構えた。
ズゥン!
「ここが、違う」
今度は、わき腹に一撃。胃の中の物を全て吐き出す程の衝撃と激痛に、スゥは土の上を転がる。
ムシュフシュは、怯えて泣いて。アウラは無表情に、それを見ていた。
「立って構えろ」
鷹の目の男は、それを日が暮れるまで続けた。
その夜。スゥは全身の打撲に高熱を出した。
鷹の目の男は、スゥの打撲に薬を染み込ませた布を当て、濡れタオルを額に当てる。スゥの半身を起させ、強烈な匂いのする薬を飲ませ、寝かせる。
負傷者を扱う手付きは慣れていて丁寧だった。
それを見ていたアウラが聞いた。
「あなたは、スゥが憎いの? それとも好きなの?」
胸鎧を脱ぎ、肌着姿になる鷹の目の男。その胸に、魔法のアミュレットが燐光を放っていた。
「お前には、見えるのだろう?」
男はぶっきらぼうに言った。アウラは答えた。
「私に分かるのは、あなたが3年以内に死ぬって事だけよ」
男は不敵に笑い、スゥの隣に椅子を持ってきて座り、濡れタオルを絞った。
スゥは高熱にうなされながら、男をボンヤリと見ていた。
次の日、スゥの体は回復していた。
でもその日も、その次の日も、男は剣の特訓を続けた。
スゥは、不思議と、文句も言わず、逃げ出そうともしなかった。
ただ、黙って特訓を受けた。男もスゥに、なにも言わなかった。
アウラとムシュフシュは、ただ、そんなスゥを見ていた。
そして、月日が流れた。
宿の中庭。
鷹の目の男、ホークの放った斬撃が、スゥの剣に絡め取られた。
絡め取られ、弾かれて宙に舞う模擬剣。壁にもたれるアウラの足元に、音を立てて落ちる。
アウラは、変わっていなかった。あいかわらず、シンプルな白いワンピースを着て、目に包帯を巻いている。
ホークが地面に膝をついた。
不敵な笑みは満足で輝き、スゥを見る。ホークの頬は病的にこけていた。
スゥは、容赦しなかった。
絡め取った剣。その返す刀で、ホークを打った。
地面に倒れ込むホーク。不敵な笑みをしたまま。
ムシュフシュが、ホークを心配して駆け寄る。
ホークに鼻を寄せ、ムシュフシュが見上げるスゥは、野生の豹のように鍛え上げられたしなやかな体。全身、皮の服に覆われながら、豊かな胸の稜線とくびれた腰のラインがハッキリとわかる。そのままの美しいラインで、スラリと伸びた足をしていた。顔のソバカスは消え、長く伸びた髪は燃え立つように赤く、緩やかに波打っている。
「もう、ホークでは、スゥの相手にならないわね」
アウラが、ぽつりと呟いた。
スゥは待ったが、ホークは起きなかった。
スゥは、ホークを背負って、宿の部屋に戻った。
次の日、ホークは、旅装のスゥとアウラ、ムシュフシュを連れて都市を出た。
ホークは、あの大きな剣を背負い、普段着姿のラフな格好をしている。胸に魔法のアミュレットをつけていた。
ホークが着ていた胸鎧は、今はスゥが着けている。それにマントを羽織り、大きな荷物を持ったスゥ。ついてくるアウラとムシュフシュ。
都市を離れた丘の上で、ホークは立ち止まった。
今にも死にそうな、土色の顔。背負った剣「フェザー」を持ち、スゥに与える。そして言った。
「これは、お前が受け継げ」
スゥは、初めて、ホークに聞いた。
「どうして…。どうして、私にこれを? あなたは、どうして、ここまでの事を私にしてくれるの?」
結局ホークは、最後までスゥに、なにも求めなかった。ただ、剣の技を叩き込んだだけ。
スゥの問いに、ホークは不敵に笑って言った。
「フェザーに聞け」
去ろうとするスゥを呼び止めて、ホークは言った。
「最後に、お前に教えなければいけない事がある。
魔法は、使うな。
魔法の言葉で文字で、なにも喋るな、なにも書くな。
俺も、魔法使いだった。魔法をたくさん使った。
その魔法使いの最後。俺の最後を、よく見ておけ」
そう言って、ホークは、首に下げた魔法のアミュレットを取った。
そして、それは起こった。
ホークの体に鱗が生えた。体は見る間に大きく、山のように大きくなり、大きく広げた腕にコウモリのような皮膜が出来る。口に牙が生え揃い、吐いた呼吸に炎が揺れる。
スゥは、目の前で起こるショックに体を硬直させた。アウラはポツリと呟くように言った。
「今、魔法使いは人々の望みを叶える存在として喜ばれている。
でも、やがて迫害の対象になる。
なぜなら狂える竜を産み出すのも、魔法使いだから。
狂える竜と化す。それが魔法使いの末路だから。
それを避ける方法は、ただひとつ。魔法を使わない事。
なにも喋らない。なにも書かない。そうすれば、迫害を受けない。竜となって狂う事もない」
スゥの目の前で、ホークはドラゴンと化した。
スゥの脳裏に、あの日の出来事がフラッシュバックした。湧き上がる憎しみに耐えきれず、悲鳴をあげる。同時にアウラの姿が消え、スゥの手に、本と、本の中に入ったハウルが現れた。
ガァアアアアアア!!!
ホークが変化したドラゴンが吼える。
それに呼応するかのように、スゥが悲鳴を上げる。
スゥはハウルを手に持った。
すると、ハウルにドス黒い紫色の光が宿り、大きくなっていく。光は天を貫くほどの大きさの刃となり、ドラゴンに振り下ろされた。
ギャアアアアアア!!!
断末魔の悲鳴を上げて、竜は真っ二つにされ、死んだ。
真っ二つにされて、息絶える竜のそばで、スゥはひれ伏すように座っていた。
顔を伏せていた。
ムシュフシュが駆け寄って、慰めるように、鼻を鳴らす。
本とハウルが消え、代わりにアウラがスゥのそばに現れた。そして言った。
「………好きだったの?」
呟くように言われた言葉に、スゥは激しく反論した。
「嫌いよっ! あんな暴力男! 好きどころか憎んでいたわ!!」
「じゃあ、なぜ………?」
アウラの疑問の声に、スゥは顔を上げた。その顔が――――。
アウラは言った。
「じゃあ、なぜ、泣いているの?」
顔を上げたスゥは、泣いていた。アウラは、そのスゥの首に、ホークのしていた魔法のアミュレットを下げ、抱きしめた。
「う…」
抱きしめられた胸の中で、スゥは泣いた。留めていた想いが、爆発するかのように、泣いた。
騒然となる都市近郊の丘。雲ひとつない空が、何処までも高く、どこまでも広がっていた。