18.ポーション高騰! 犯人は誰 5
「では、今度はこちらから頼みがある」
「……はい」
空になったカップを執事に下げさせた領主様は、先程書斎から持ってきた分厚い本を膝の上に乗せた。
表紙には『異界の花々』と蔦を絡ませたタイトルがあり、毛皮のようなカバーがされていた。
ペラペラと黄ばんだ頁がめくられ、栞の挟んである頁が開かれる。
いくつかの花の絵と、その説明が細かに書かれていた。
「ネモの花をご存じか?」
「……名前だけは」
やたらとボディタッチの多いあの目の細い怪物屋がその花について何か言っていた気がする。
「ネモの花。それは錬金術師にしか育てられない魔法の花。不治の病を和らげ、癒すことができる、私が喉から手が出るほど欲する花だ。私は君に、ネモの花を探す依頼を出したい」
既にこのクエストを受けているであろうシオンさんは、二度目のシチュエーションを楽しもうとしているのか、だんまりを決め込んでいる。
「無理なら構わない。だが、息子には時間がないんだ」
「……息子?」
「あぁ。私には息子がいてね。今年で八つになる。健気で聡明で、優しい子だ。病に侵された身でありながら、私を想い手作りクッキーを作ってくれたり、私の腰に聞く薬草を育ててくれたりと、本当に可愛いんだ。目は妻に似て、少々きつめなところもまた可愛らしい。瞳は紫水晶のように美しく、髪の毛は私と同じ黄金色。ぷにぷにした手は——」
長い、非常に長い息子愛を聞いていると何故か眠たくなってきた。
うつらうつらしながらも、何とか重たい瞼を持ち上げる。
寝ては駄目だ。失礼に当たる。
駄目だ駄目だ。
眠たいけど我慢。我慢しろ私。
やればできる子なんだ。
起きろ。睡魔はずっ友だが、その誘いは断るんだ。起きろ。
襲い来る睡魔との攻防により、領主様の言葉が右耳から左耳に抜けていく。
適当な相槌を打ち続けていると、領主様は急にテンションを下げ、声音を低めた。
「だから、ネモの花の供給がなければコロリと死んでしまう」
「……ふむ」
肝心のだから、の前を聞き逃してしまった。
後でシオンさんに聞こうと思う。もしくは掲示板で調べるか。
「頼む。どうか、息子の命を助けると思って私の依頼を受けてくれないだろうか」
真剣な視線を向けられて、姿勢がシャンと伸びる。
脳が覚醒し、あれほどしつこかった睡魔は一瞬で消え去った。
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解放クエスト「丘の挑戦者」
領主の息子を助けるためには、ネモの花を手に入れなければならない。丘となにやら関係があるようだが……。
▶達成条件
情報を集めよう!
ネモの花を手に入れよう!
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「……わかりました」
「受けてくれるか! ありがたい……!」
私の手を握り、領主様は涙を流した。
鼻水も一緒に流れ出ているのか、空いた手で鼻を押えている。
受けるといっただけでこの反応。
もしやかなり難易度が高いのでは。
背を丸めて泣く様子を見つつ、クエストボードの内容をもう一度確認する。
また情報集めからである。
今回はマップに行き先についての指定はないようなので、骨が折れそうだ。
クエストボードの端をつついて消し、なんとなく天井を見上げる。
壁と同じ明るいベージュ。
埃一つない掃除が行き届いた綺麗な天井だが、ところどころ僅かな凹みがあった。
穴が空いていて、それを天井裏から同じ色の板で貼り直したのだろう。
真上にあるそれを見ていると、急にその凹みが黒くなった。
驚き、ソファーから背中を離す。
穴が空いていた。小さな穴だ。
吸い込まれるように見つめていれば、人の目がこちらを見返した。
薄い紫色の目だ。そう、これは、紫水晶のような……。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている。
どこかで聞いた有名な一文がパッと頭に浮かび、背筋を冷たいものが駆け上がった。
幽霊、お化け、ゾンビ。
その他諸々の怪奇現象は不得意だ。
遭遇したら人目を構わず汚い叫び声を上げる自信がある。
見えてしまったら逃げるしかない。友を置いてでも、何があっても逃走する。
そう思っていたのに、いざそれに対面すれば、身体が金縛りにあったように動かない。
「あ……う……」
無意識に漏れ出た拒絶反応。
喉がカラカラになって、瞬きを止めた目に薄らと涙の幕が張る。
「鴉? 大丈夫? 具合悪い?」
シオンさんの呼びかけにより、金縛りが解ける。
左手で顔を覆い、指の隙間から怖いもの見たさで再び穴を見る。
「……え」
空いていた穴は嘘のようになくなり、代わりにそこには凹みがあった。
二度、三度瞬きを繰り返し、凹みをまじまじと見るが、穴は空いていなかった。
幻覚だったのだろうか。
それにしては、はっきりと見えてしまったのだけれど。
震える手を股内に挟む。
「……領主様、この部屋の上は誰が使っているのですか?」
「んぐ、私の息子が使っている」
涙と鼻水を拭き、赤く腫らした顔で領主様はそう答えた。
やっと解放された手も股内に入れ、私は再び凹みを見上げる。
「何か気になることが?」
「……天井の凹みが少し、気になっただけです」
答えれば、領主様は納得した表情を浮かべた。
深緑色の目が細められる。
「あれは昔息子が空けた穴を塞いだものでね。完璧に直すと息子の悪戯跡がなくなってしまうから、敢えて上から板で塞ぎ残しているんだ」
「……ほえぇ」
なら、あの目は息子さんの目だったのだろうか。
領主様の目とは違う色だったが、その可能性が高い。
……領主様の息子自慢をもっとよく聞いておけばよかった。
容姿についても話していたと思うんだけど、眠気のせいでほとんど覚えていない。
お化けじゃないと分かったから手の震えが止まったが、ある種の恐怖を感じた。
領主様の部屋を覗き、何をしていたのだろう。
目の前の高そうなテーブルに置かれたカップを手に取り、少し冷めた紅茶を半分ほど飲む。
乾いた喉に水分が染みわたる。
癖がなくて、飲みやすい紅茶だ。
もう半分も飲みきり、音を立てないよう慎重に皿の上にカップを乗せた。
小骨が喉に刺さって取れない、そんな違和感と気味の悪さが胸内で蜷局を巻く。
「美味しかったかね」
「……はい。とても美味しかったです。口の中幸せです」
「それは良かった。これは私の好きな茶葉でね。口に合って良かった。君はどうだね?」
「は、い! オイシカッタデス!」
感想を求められ、一気に紅茶を飲み干すシオンさん。
口の端から一筋紅茶と同じ色が垂れる。
慌てて腕で擦り消していた。
その様子をニコニコと見ていた領主様は、「そういえば」とずっと膝に乗せていた本をソファーに置き、立ち上がった。
「最後にひとつ、聞こうと思っていたんだった」
街を一望できる大きな窓ガラスに手を添え、こちらを振り向くことなく言った。
「あなた方は、丘に挑むのかな?」
窓ガラスから見える、不自然に盛り上がった丘が嫌に大きく見えた。
中腹辺りから頂上にかけて黒に染まっている。
ここからだと断定はできないが、何か細長い、剣のようなものが頂上に刺さっているのが見える。
「……挑みます」
解放クエストには、丘とネモの花が関係しているみたいなことが書かれていた。それに、クエスト名は『丘の挑戦者』。
必然的に丘に挑むことになるのだろう。
何が待ち受けているのか全く知らない。ここに来る前に出会ったご老人もそうだけど、どうしてこうも丘に挑むことを聞くのだろうか。
そこにネモの花が咲くからみたいなことをご老人が言っていたけど、挑むか聞くってことはモンスターか何かがいるってわけで。
うーん、詳しくは情報を集めてみないことには分からないな。
「そうかそうか……」
空になったカップに入ろうとする兎もどきを膝の上に乗せると、すぐに逃げられた。
今度はソファーの上に置かれた領主様の本の中に身を滑らせようとしていたので、尻尾を優しく掴む。
「……こら」
頁に挟まれた兎もどきを引っ張り出そうとするが、本の縁を掴んで離さない。
思いっきり引っ張ったら手が千切れそう。
「ははは。鴉殿の連れは随分とお気に召したみたいだ。私は暗記するほど読み込んだし、あなたが良ければ差し上げよう」
「……申し訳ないです」
「本は人を選ぶと言うし、これを手にしたあなたは選ばれたのだ。遠慮はするな」
栞が本から引き取られ、分厚い本が私の膝の上に置かれた。
その上に乗った兎もどきは勝利のピースサインを出しだ。
どうしてこうも我儘な子に育ってしまったのか。
もう一回こってりと物理的に絞られた方がいいんじゃない?
「レグノード様、そろそろ次の予定が」
「もうそんな時間か」
この地一帯を治める領主様は、スケジュールがパンパンらしい。
「……だから、予約が必要なのね」
「そうそう。空いてる時間はあんまりないみたいだから、大抵の場合は予約しないと門前払いを食らうんだ」
「……なるほど」
席を立ち、横に来たシオンさんに促されるままに立ち上がる。
「面会の予約もないのに会ってくださってありがとうございました」
「いや、こちらこそありがとう。爺の伝言を運んでもらったし、私からの依頼も受けてもらった。感謝してもしきれない」
領主様の手をシオンさんが握り、次に私も握り返した。
厚い、大きな手だった。
領主の館をで私は、少し歩いて後ろを振り返る。
最上階の大窓に手を添え、城下を見下ろす領主様の姿が見えた。
「鴉はクエストの続きするの?」
時間を確認する。
長い針がもうすぐ十七時を指そうとしていた。
「……もうちょっとやろうかなって」
「おぉ、いいね! ……手伝いたいんだけど、この後ギルドの人と約束があって……」
「……大丈夫。いてらっしゃい?」
「うん。行ってくる! 鴉、今日はありがとう。すごく楽しかった! また遊ぼう!」
「……こちらこそ。またー」
眩しい笑顔を残して、シオンさんは貴族街を走り抜けていった。
約束の時間が差し迫っていたらしい。
ギルドリーダーは人気者だ。
後姿が見えなくなったので、動き出す。
このあとの予定は実は決まっていない。
クエストを少し進めるとは言ったものの、気分じゃないので多分やらない。
「なにしよっかな」
師匠の扱きを受ける時間まであと二時間はあるし、レベル上げでもするか。
あ、でも先にクエスト達成の報告をしに行かねばだ。
大まかな予定を立てつつ、兎もどきを手の中で弄り倒す。噛まれるが、大してHPも減らないので触り続ける。
クエスト主のオジサンがいる市場に着くころには、兎もどきは抵抗する力を失いぐったりとしていた。
マップを広げ、現在位置を見る。
もう何店か先が目的地のようだ。
マップを閉じると、鼻先をスパイシーな匂いが掠める。
露店に目をやれば、ペッパーのようなものが大量にかけられた肉や、飲めば舌が燃えそうな真っ赤な飲み物が販売されていた。
商魂逞しい恰幅の良い女が、その腕っぷしと長年培ってきたのであろう会話力で通行人をスパイシーな露店に誘っている。
燃えるような髪色と、自身に満ち溢れた表情。
陽の者の気配をビンビン感じた。
「そこで突っ立ってるアンタもどうだい? ウチの味付けは病みつけになること間違いないってね!」
気が付けば腕を抱かれ、彼女の店の前で肉を吟味していた。
意図的ではないにしても、押し付けられた豊満な胸に耳が赤くなる。
「アンタ、辛いの苦手なのかい? 顔が赤いよ」
「……辛いのは好きです。少し暑くて」
「おっと、そりゃごめんよ」
腕を解放されても尚残る感覚に、さらに顔が赤くなった。
「熟したトマテの実みたいになってるよ。こりゃあ風邪をひいているのかもしれないね」
神妙な顔をした女は、隣の露店に声をかける。
「テティ! アンタんとこの冷たいアレ寄こしな!」
「ああ? また!? 何度目よ!」
「またも何も寄こしな!」
「ったく、代金は払ってよ!」
「タダに決まってんだろ!?」
「何言ってんの!?」
ビール瓶のような物を手に、隣の露店から細身の女が出てきた。
目の前の女と似た燃えるような赤い髪をハーフアップにし、引き締まった腰に白いエプロンを巻いている。
きめ細やかな白い肌にはそばかすが散らばっており、つり上がった目からはきつそうな印象を受けた。
「母さん! 娘からたかるのはやめてよね!」
「何言ってんだい! これは助け合いってね!」
親子で店を出しているらしい。
母親の横暴に怒りを露わにしながらも、『冷たいアレ』を手渡した娘はすぐに隣の露店に引っ込んだ。
「これ飲んで風邪を治しな! バッチリ完治したらまたウチの店に来るんだよ!」
「……代金は」
「タダだよ!」
「百三十ユルするよお兄さん!」
露店から身を乗り出し、値段を叫ぶ娘。
麻袋に手を突っ込み、その金額通り取り出そうとしていると、万力の握力で腕を掴まれた。
骨が軋む音が耳に届いた。
「タダ、だよ」
「……あい」
「さぁ行きな! そして戻って来いよ!」
圧に負けた私は縮こまるようにしてスパイシーな露店を離れた。
女の人、怖い。
手渡された瓶を見る。
冷たい冬の色をしていた。
口をつけると、口内にゼリー状のものが流れ込んでくる。
意思を持っているかのようにそれらはうねうねと口内で動くので、たまらず噛めば、大人しくなった。
人から貰ったものだ。吐くのは失礼だろう。
意を決して飲み込む。
酸素を求めて息を吸えば、喉がヒヤリとした。
「……恐ろしい」
飲み物に殺されるところだった。
未だ残る舌の上で動く気味の悪い感覚に鳥肌を立てながら、蓋をして麻袋に入れる。
悪戯する時とか、拷問する時とかにはもってこいだろうな。
ちょっとしたパニックを引き起こせそうだ。
使い道を考えながら、麻袋をリズム良く叩く。
目的地が見えた。
足は自然と速くなり、腰の後ろにぶら下げられた短剣は何度もお尻を叩いた。