11.パルクール
兎もどきに串焼きを渡すと、お腹が空いていたらしくがっついた。
雑食なのか、串ごと食べている。
撫でてやろうと指を伸ばすと噛まれてしまった。
長い指には歯形がくっきりとついて、かなり強く噛んだことが分かる。
救護室で萎んだ風船のようにされて以降、機嫌がかなり悪い。
「何されたの」
つんつんと頬をつつく。
噛みつかれそうになったので慌てて指を引っ込めた。
兎もどき、大変ご立腹である。
怖かったのは理解できるけど、怒りが湧く理由は兎もどきにしか分からないのだからどうしようもない。
串焼きを与えてもご機嫌斜めだから、暫くは放置である。
さて、と。やりたいことはたくさんある。
裏通りに入るために建物と建物の間をずんずん進んで、表通りとは異なった雰囲気の通りに出た。
マップを確認。旧ンシュヴァダと書かれていた。
表通りと違って、閑散としている。
道は舗装されておらず、ごみが所々に散らばっていた。
表通りと裏通りではこんなにも景観に差が出るとは思っていなかった。
ゴミ拾いをしているプレイヤーのことを通り過ぎ、人気のない空き地まで歩く。そうして先日偶然テレビで見た特集を思い出した。
日常にある階段や公園のベンチ、噴水や石垣などを飛んだり跳ねたり時には身体を捻って回転を入れながら飛び越えたりと、まるで忍者のような動きをするスポーツ。
人が本来持つ身体能力を最大限に引き出すそれを、パルクールというらしい。
それを見て、純粋に格好いいと思ったし、動作鍛錬に使えるのではないかと思った。
自分の身体の動きを知ることは、身体能力の向上に繋がる。
もし集団でPKKされそうになっても、これを使えば生き延びる確率がグーンと伸びるはずだし、もっとゲームを楽しめるはず。
思い立ったが吉、すぐに行動に移すことにした。
周辺に人がいないことを確認し、石垣を登った。
足場がしっかりしていることを調べた上で、そこからジャンプし着地する。
足からジワジワ衝撃が伝わってきた。
パルクールは着地が大事らしい。これがなっていないと、蓄積ダメージで足首がダメになってしまうとか。
ここはゲームだからそういうのはないとは思うのだが、ここはしっかりとやっていきたい。
何事にも基礎が大事なのだ。
テレビで見た情報をそのまま鵜呑みにしただけなので、あまり詳しいことは分からないけど。
……ログアウトしたらパルクールに関する動画と資料を漁ろうと思う。
黙々と一人着地の練習をしていると、通りでゴミを拾っていたプレイヤーが私を奇怪なものを見る目で見ていた。
いつから居たのだろうか。
覗き見が趣味ですか、なんて言えず石垣の上に立っていた私は最後に思い切り飛んで着地を成功させる。
恐らくあの人から見た私の行動は非常に奇妙なものとして映っているのだろう。
私だって自分の理解できないことをしている人を見ると、つい色眼鏡を掛けてしまう。
なんともいたたまれない気持ちになって、その場を平静を装って逃げ出した。
背後から追ってくる視線が、とても痛かった。
外套に付いているフードの中で、元気になったらしい兎もどきがモゾモゾ動いたのを感じた。
兎もどきの皮を掴んで、頭の上に乗せる。
旧ンシュヴァダ通りを猛ダッシュし、外壁近くまで移動した私は、ある種の人以外は好んで入らないような細い通路に身を滑らせた。
外壁近くの建物は中心部と比べて、言い方は悪いが汚い。
まぁ、裏通りにあるせいかもしれないが、窓ガラスが割れていたり鼠が足元を駆け抜けていったり、生ごみの臭いが酷かったりと、生活環境は酷いものだ。
そのせいか、ここを訪れるプレイヤーの数もかなり少ない。
外套を麻袋に仕舞って、私は袋小路に積み上げられた砂袋をよじ登り、自分の身長より高い石垣に手を添えた。
「パルクールしたい」
基礎は大事だと言ったが、着地の練習ばかりでは飽きるのだ。
少しくらいパルクールらしいことをしたい。早く上手くなりたい。
石垣に手をかけ、つま先を小さなくぼみにかけて時間をかけて石垣を登りきる。
全く格好良くない登り方だったが、仕方がない。
初めては誰でも不格好と決まっているのだ。
歳なのか、登るだけで私は息切れを起こしていた。
テレビで見たあの美しいパルクールへの道は長い。
そう思いつつ、先を見た。
ここから約三メートルに渡ってゴミ山がある。腐った臭いが特に酷くて、蠅が集っている。
踏みたくはないが、踏まずにこの先に進む方法はなさげ。
どうしようかと周囲を見回し、やはり何もなかった。
あるのは悪臭放つゴミ山と、それを挟む建物の壁だけ。
後戻りはできるが折角登ったのだからこの先を進みたい。
壁をノックする。
堅い。これなら蹴っても壁が抜けるなんてことは起こらないだろう。
廃墟と同然だし、人も住んでいないはず。
石垣の端によって、足を踏み外すかもという恐怖を振り払い、少しの助走を付けて壁を蹴った。
一、二、三歩、いける……!
四歩目を出そうとして、身体が重力に従って落ちた。
ヒヤッとして、未だ壁に付いていた足を剥がし咄嗟に受け身をとる。
壁沿いに置かれた錆びたバケツを蹴ったらしく、大きな音を立ててバケツが転がった。
身体を起こす。
ゴミ山に不時着するのをぎりぎり避けた感じだ。良かった。
HPが少し減っていたので枝を筒から取り出す。
耐久値が高ければ、受けたダメージをもう少し減らせたか無傷だったかもしれない。
「『癒えろ』」
HPは自然に回復する、なんてことはないが、MPはそうでもない。
なんでも、大気中に満ちている魔力を呼吸で取り込むことによって、それが体内魔力に変換するとかしないとか。
詳しいことは分からないが、その仕組みのおかげでMPは自動回復するようだ。
なので、スキルを使い続けなければMP消費を気にすることはない。
マップを見つつ、暗い細道を右へ左へ曲がり、障害物をなんとか超えていく。二度目の袋小路を突破したところで嗅いだことのない腐臭が鼻をついた。
「うっ」と顔を顰めて鼻をつまむ。頭の上では兎もどきがくしゃみを連発した。
酷い匂いだ。
腐ったものがそのまま放置されているのだろうか。
気分が悪くなるほどの悪臭だ。
屋根と屋根の間から差し込んだ光が小橋の下に続く階段を照らした。
一切の汚れがついていないまるで造られたばかりのような階段で、近場の建物との差異が不気味なものに見えた。近づくと一層臭いが増す。
兎もどきはこれ以上近寄りたくないのか、私から離れて屋根の隙間から抜けて安全圏へと逃げていった。
ずるい。
空から私を見下ろしてキシキシ笑っている。
この野郎、後で串焼き貰えなくて泣きついてきても知らないんだから!
口で息を吐きつつ、階段の方へと足を運ぶ。
怖いもの見たさというか、好奇心が恐怖に勝ってしまった。
数段降りた場所に下水道へと続く道があった。
鉄パイプで遮られて中には進めないと思いきや、一部歪んで人一人が通れるスペースがある。
寒気を感じて肌をさする。
さすがに、一人で入ろうなんていう気概は持ち合わせていないので、中を覗く程度にする。
お化けとかいそうだし。
もう一人知り合いとかいれば入ってみてもいいのだけれど。
一応入り口付近に罠がないかそこら辺に落ちていた石を投げてみる。
床を転がる音が下水道内で反響するだけで、他に何も起こらない。
腕を伸ばしてみる。
すると、吹き出しが現れ警告するように点滅した。
「推奨レベル52?」
街の下にある下水道がフィールド?
いや、フィールドは街の外に広がっているエリアのことだから……ダンジョン?
臭いからしてアンデッド蔓延る墓地ダンジョンだったりして。
そんなわけないか。
ともかく、こんな危ない場所からはおさらばである。
レベル52推奨ダンジョンに単身で潜ろうなんて自殺行為である。
レベル差がありすぎるモンスターを遭遇なんてしたものなら、ワンパンで殺られる自信しかない。
何よりさっきも言った通り一人で入る勇気なんてないし。
兎もどきは絶対入ってきてくれないし、そもそも観戦専門で戦力外だし、非常食だし。
大きなため息をつくと、ぶわりと生暖かい空気が下水道から流れてきて、私の髪を泳がせた。
怖い。その言葉に尽きる。
後ずさると、足裏に違和感を感じた。
足を持ち上げれば錆びた銀色の指輪があった。
拾って目を凝らしてみる。
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アイテム : 花嫁の指輪・呪
概要 : 花嫁の薬指にはめられるはずだった祝福の指輪。□□□と血□よ□て、呪いに転じた。あぁ、メア□。幸せになろう。私□□に生きよう。どうか、□□□□てくれ。私は□を□□□いる。だから、約束の場所□□□□であ□う。
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「呪われている」
そう一目でわかってしまう概要文。
読み終えると、ひとりでに指輪が動き出し、すっぽりと中指に収まった。
わぁ、サイズぴったり。
「……うそん」
ポルターガイストである。
呪われた、しかも赤の他人の指輪をはめたままにしたくないので力いっぱい引っ張る。
抜けない。
思い切り引っ張る。
が、うんともすんとも言わない。
これ以上やると指ごとすぽーんといきそうなのでやめておく。
従来のゲームでは呪われたものを装備すると一部のステータスが下がったり、状態異常に陥ったりするなどということがあった。
……。
ステータスを確認する。
レベル表記の下に状態異常の欄が増えていた。
『呪』と表示されている。最悪である。
詳細を見ると、とくにステータス面の変化はないようだ。だが、外見の点で言えば変化があった。
指輪がはめられている手の爪が黒くなっており、かつ尖っていた。
ネタ装備の予感がする。格好いいから許すけど……。
ダンジョン前に落ちていたし、恐らくこの奥にいるであろうダンジョンボスとなんらかの関係があるに違いない。
はぁ、とため息をつき次の瞬間全力で指輪を引っ張る。
不意を突いてみたが、抜けるわけがなかった。
ダンジョンを後にした私は一旦表通りに戻るために、喧騒を頼りに薄暗い細い道を進んでいた。
生気の感じられないダンジョンの気に当てられたせいか、人が恋しくなったのである。
外套を装備し、兎もどきがフードに潜ろうとしているのを防いでいると、表通りを警戒しているプレイヤーを見つけた。
さてはPKだろうか。
見た目で判断する方法はとくにないので断言することはできない。
できないのでが、挙動が不審すぎて怪しさむんむんである。
目を凝らして様子を見ていると、青い逆三角形のマーク横に金色のフラッグが経っていることに気がついた。
金色のフラッグはプレイヤーを束ねて率いる者、ギルドを設立した人、つまりはギルドマスターであることを示している。
このゲームにはギルドというシステムが存在する。
まずギルドとは目的を共にした人達が集まった集団のことを指していて、大体は勧誘を行ってその集団の輪を広げていく。
従来のゲームではギルドに所属することによってイベントの報酬をより豪華にしたり、専用のアイテムを入手できたりしていたため、出会うプレイヤーは高確率でギルドに所属していた。
ギルド内の雰囲気がギスギスして解体されたり、過疎って解体されたりと円満な感じで解体するものはほんの一握りで、そのほんの一握りを私はまだ体験していない。
このゲーム内で言うギルドがはたして私の知っているギルドシステムと同じなのかはわからないが、大体のゲームで通じる知識なのであまりずれてはいないはず。
思えば期間は長かれ短かれ、多種多様なギルドに所属してきたなぁ。
数だけが異様に多い全く交流のないギルド、ケモ耳を愛でるギルド、イベント期間のためだけに作られたギルド、仲のいい人で結成したギルド、リアルでも交流が盛んなギルド、少人数エンドコンテンツ周回ギルド……。
濃い思い出を記憶から掘り出しつつ、ギルドマスターのプレイヤーを見る。
何をしているのだろう。ギルドの勧誘だろうか。
気になるが、関わると面倒くさそうなので来た道を戻ろうとすれば、偶然落ちていた枝を踏んでしまった。
乾いた音が怪しいギルドマスターの耳に入ってしまったのか、勢いよくこちらに顔を向けた。