10.招待状と救護室の上位存在
どうやら揉めているらしい。
配信がどうのこうのと聞こえる。有名な実況者でもいるのだろうか。
ギャラリーが多くて中々進めない。
非常に迷惑である。
そう思いながら牛歩で進んでいると、甲高い女の声がギルド内に響いた。
「檻人が来た! 誰よ通報した人は!?」
途端、わっと人が動き出し、入り口に集まっていた人混みが綺麗にいなくなった。
檻人とは、迷惑行為をしたプレイヤーを牢獄、つまり運営から延々とお叱りを受ける説教部屋に連れていく存在のことだ。
噂によれば空が切り拓かれ、次元の狭間のような場所から現れて、圧倒的な力でプレイヤーをノックアウトし連行するんだとか。
一目檻人を見ようと待機していると、一人ぽつんと立っている青年と目が合った。
顔を腫らして目に涙を溜めている。
立っている場所からして騒動の中心にいた人物だろうか。
今に泣きそうな顔をしてこちらを見るので、なんとなく居心地が悪くなった。
助けを求められているの……?
慰めようかと思ったが、青年に近寄る女の人を見てそれは私の役割ではないことを悟った。
そも、見ず知らずの男よりも見目麗しい女性に慰められた方がいいだろう。
ここはあの女の人役割だ、多分。
檻人を見るのを諦めて、さっさとこの場を離れることにする。
不快な視線を送ってきた人を特定することはできず、胸にしこりを残したままロビーを突っ切った。
通路を左に曲がると、地下に続く階段を見つけた。
受付嬢が来ていた制服に似ている服……いや似ているというか同じというか。それを生地が裂けそうなぐらい肌に張り付けた屈強な番人に鍛冶屋の店主から貰った紹介状を渡すと快く通してくれた。
石畳の螺旋階段を降りきると、闘技場のような場所に出た。
ちらほらと、私の他にもプレイヤーの姿が見える。
一人一人に指導官がついているようだ。
「よう、お前がドーバの紹介状を持ってきたやつか。ひょろっちいけど大丈夫か?」
ドーバ……誰だ?
……あ、武具屋の店主か。
人の名前を覚えるのが大の苦手だから、ログアウトしたら忘れないようにメモしとこう。
力こぶを作って大丈夫だと頷けば、「ガハハ、よろしい」と背中をバンバン叩かれた。
手加減という言葉を知らないのか、衝撃でよろめいた。HPも少し減ったかもしれない。
「俺はアーノルド。よろしくな」
「……鴉です。よろしくお願いします」
差し出された厚い手を握る。
なぜか握られた手に衝撃が。骨が軋む音も聞こえる。
握り込みすぎですよアーノルドさん!
「紹介状読んだけどよ、お前町医者なのに短剣使うんだろ? 筋力足りてるか? 軟弱じゃあ俺についてこれないぜ?」
「……頑張ります」
両手を胸辺りまで持ってきて、頑張るポーズとる。
PKをする際に返り討ちに合わないために対人スキルが必須なのだ。頑張らねば。
「んじゃあ、まずは構えてみろ。基本姿勢が大事だからな」
「……イエスボス」
私の理想とする姿勢を思い浮かべるんだ。腰を落として……手はどうすればいいんだ?
前に構えておくべき?
試行錯誤しながら理想の姿勢を探っていると、アーノルドさんがヒィヒィと腹を抱えて蹲った。
おなかが痛いのだろう。そっとしておくべきだ。
再び姿勢探しを始めようとすると、まじめな顔をしたアーノルドさんに止められた。
「お前、俺を笑い殺す気か?」
「……お腹痛いんじゃ?」
どうやら私のへっぴり腰を見て、ドツボにはまったらしい。
それで笑いをこらえるために、蹲っていたのだとか。
それはそれで悲しい。
「そのへっぴり腰禁止な。矯正してやるから楽な姿勢をとってくれ」
言われた通りに楽な姿勢をとる。
アーノルドさんが私の身体に触れ、あっという間にそれらしい姿勢になった。
今の私、傍から見たらかなり格好いいのでは!?
むふ、と笑みを溢せば、同じように兎もどきも笑みを溢した。
「ようし、これでいいな。暫くはこの姿勢を維持な」
「……はい!」
この姿勢を教えてくださったこの御方は神なのでは。
俄然やる気が出てきた私は、首だけ動かしてアーノルドさんを見上げた。
「……師匠と呼んでもいいですか」
「お、おお? 俺は別に構わないぞ」
まんざらでもないらしい。
アーノルドさん基師匠はソワソワと前後に揺れ、わざとらしく咳払いした。
「よし、次はそうだな……打ち合ってみるか。ここはどれだけ殴り合っても体力が減らない場所だから死ぬまで打ち合えるぞ。何事にも実践あるのみだ! ほらこい!」
師匠の暫くは私の知っている暫くではないらしい。
姿勢維持時間は凡そ三分弱だった。
「かかってこい!」と両手を広げて余裕を見せる師匠だが、丸腰だとさすがに気が引ける。
あと、肉食獣みたいなギラギラとした金色の瞳が怖い。
「……師匠、武器は?」
「ん? あぁ、俺の武器は筋肉だ!」
そう言って服を脱ぎ捨てマッスルポーズをとるので、思わず吹き出しそうになった。
冗談で言っているわけではないのだろう。
鍛え抜かれた大胸筋がピクピクさせている。
「安心してかかってこい! 短剣ごときで俺に傷はつかないぞ!」
意を決して、再度両手を広げた師匠に向かって走り出す。
どこを狙うべきか、全然わからない。
何も考えずに突進してしまった。
首、腕、腹、足どこを狙えばいいんだ。
ええい、ままよままよ……!
がら空きなシックスパックに切っ先を滑らせようとして、腹部に衝撃が走った。
身体が浮く感覚があり、気付いた時には地面に臀部を打ち付けていた。
HPは減っていない。
師匠の言う通り、冒険者組合地下はHPが減らない仕様になっているみたいだ。
……いやそれよりも。
腹部を見下ろすと、大きな靴跡がくっきりと付いていた。
蹴られたらしい。全然見えなかった。
研鑽を積めば、私もいずれ同じことをできるようになるのだろうか。
「お前軽すぎないか!? 飛びすぎてビビったぞ……!」
差し伸べられた手を掴む。
すごい力で一気に引き上げられ、両の足が地面を踏む。
汚れを払って、師匠と向き合った。
「……もう一度、お願いします」
「おう。……次はもう少し手加減するわ」
師匠に扱かれ、ぼろ雑巾のようになった私は、一階冒険者組合のロビー横にある救護室にいた。
長い椅子に身体を横たえ、額と目に冷たいハンカチを乗せている。
おなかに微かな重みを感じるのは、兎もどきがそこですやすや寝ているからだ。
「明日の手合わせは黄昏の初刻」
アーノルドさんに言われた明日の手合わせという名の扱き時間。
最初言われた時は呪文かな? と思って首を傾げていたが、聞き直そうとすれば師匠の姿は忽然と消えていた。
残ったのは螺旋階段まで続く土煙。
家が恋しくて全力で帰ったのか、はたまた何か予定が入っていたのかもしれない。
聞くあてもなく、どうしたものやらとヘルプやら掲示板やらを漁ったところ、『丸わかり! 冒険者組合の全て』に言葉の意味が載っていることが判明した。
この世界での時間の数え方は十二時辰というものを使っているらしい。
一日を二時間ごとに区切って、それを干支に当てはめたものだ。
だが、大雑把に時間が分けられているせいか、何分何秒といった概念は存在しないそうで。
そこら辺はプレイヤー各自が持つ時計機能を頼りにするといいらしい。
覚えるのに時間がかかりそうだが、新しい知識にわくわくした。
黄昏の初刻はリアルタイムで言えば十九時。
大学から帰って、ログアウトしてご飯を食べてお風呂に入って。
うん、ちょうどいい時間である。
「体調はもう大丈夫そうですか?」
「……はい」
頭上から声が降りてきて、ハンカチをとる。
白衣の天使がいた。
こぼれ落ちそうな柚子色の瞳、肩で切りそろえられた栗色の髪。
美しい絶壁にきめ細やかな白い肌が白衣から見え隠れしている。
無駄な肉がついていないすらっとした美脚は薄いパンツを履きこなしていた。
身体を起こすと、兎もどきが跳び起きた。
「攻撃を受けても平気だからって、下で無理をしすぎるとさっきみたいにぶっ倒れるので、気を付けてくださいね」
そう困ったような笑顔で注意をする白衣の天使に、私はこくこくと何度も頷く。
『丸わかり! 冒険者組合の全て』を読んでいる途中で倒れたらしく、職員さんが激務の途中で手を止め、救護室まで運んでくださったのだとか。
迷惑をかけてしまって非常に申し訳ない。
「熱はないようですね。さすがはプレイヤー様。頑丈ですね」
滑らかな動作で私の額に手を当てる白衣の天使。
心拍数が上昇して顔が熱くなる。
ときめいてしまうから接触はなるべく避けたいところだ。
「……あ、えと、頑丈です」
元から低い会話能力がもっと低くなる。
恥ずかしさのあまり頭から湯気を出していると、カーテンで区切られた場所から呻き声が聞こえた。
サッと顔色を悪くした白衣の天使は、カーテンの隙間から病人の様子を窺う。
唇を噛んで、悲しそうな表情を浮かべた。
重病の人がいるのだろうか。カーテンの向こう側がどんよりとした重い空気に包まれているように見えた。
近寄らないでおこう、そう思って立ち上がると、兎もどきが白衣の天使の横を通ってカーテンの向こう側へと消えた。
……。
カーテンの向こう側に消えた……?
え。おいおい、まずいって。
白衣の天使を見れば顔色が青を通り越して真っ白である。
それだけ状態が悪い患者がいるということだ。
もし兎もどきが得体のしれない病原体を飼っていたとして、それが免疫力が落ちている病人の身体に移ったりでもしたら。
「……っ兎もどき」
名前を呼んで、暗に戻って来いと伝えると、カーテンの隙間からヒョイと顔を出した。
「戻って」そう言えば、物分かりがいいらしい。
一つ頷いてこちら側に戻ってこようとした。
その時、病的に蒼白い骨ばった手がカーテンの向こう側から伸び、兎もどきの身体をわし掴みにしてベッドに引きずり込んだ。
兎もどきのか細い悲鳴が上がった。
「獣臭い」
ため息交じりの低い、不機嫌そうな男の声が聞こえた。
カーテンが開かれ、同時に兎もどきがこちらに向かって投げられる。
上手くキャッチして手を開くと、見るからに萎びた兎もどきがいた。
生の気配が希薄になったというか、風船の空気が少なくなったふよふよの状態みたいというか。
生きてはいるようだが、元気はないといった感じだ。
「お前、まだ力も財も何もかもが足りない。全てがそろった時、ここに来い」
暗闇から覗く血のように赤い真紅の瞳が私を射抜く。
肌が泡立つ。
生物としての格が違うことを本能が感じ取り、手先が冷たくなって舌が痺れた。
口内がカラカラに干上がる。
心の底から目の前の圧倒的存在に恐怖し、同時に興味を抱いた。
≪クエストに必要な条件を満たしていません≫
赤色で表示された受注案内を見て、私は喉を鳴らした。
これ以上話すことはない、そう言うかのようにカーテンが閉められ、ふっと肩の力が抜けた。
兎もどきを肩に乗せ、腕をさする。
「……そろそろ行きます」
「はい。またここに運ばれてこないように、ですよ」
高みの存在を間近に感じ、居ても立っても居られなくなった私は、手短に白衣の天使に別れを告げ、足早に救護室を出た。
白衣の天使がどんな顔をしていたのか、見ることはできなかった。