エピローグ
▽剣の男/シン
血に濡れて、煤を被って、傷付いて、魔剣は俺達を見据えていた。
ラティに殺されようとしているのに、微動だにせず、ただ、辛そうにそれを見ていた。
俺には、そう、辛そうに見えたんだ。
剣には表情なんてないけれど、少し俯いて、陰になった紫色の目が、泣いているようにも見えたんだ。
俺は、ラティのように魔剣の言葉を聞くことはできない。だから、ずっと想像していた。今、魔剣はどういう気持ちなのか、感情なのか。喜んでいるのか、怒っているのか。分かりやすい時は例えば手入れをしてやっている時。俺の手に身を委ねて、目を閉じたり細めたりして、そんな魔剣を見ていれば、不思議と満足そうな気持ちが伝わるものだ。
それは俺の想像でしかないけれど、魔剣の本心とは違うかもしれないけれど。鞘と旅をしている間、ラティも言葉が聞こえないのをいい事に、約束事なんて決めて意思疎通をして、起きていればいつでも相手をしてくれる魔剣に友情すら感じていた。
このままでは、魔剣は死んでしまう。
ラティの言う事に、反論できるほど俺は知識がない。だから、逃げる事を選んだ。いざという時、本当に魔剣が人間を殺そうとしたなら、俺が核石を壊すからと心の中で言い訳をして、その実魔剣を助けるためにラティから核石を奪った。
カバン一つだけを持って、魔剣と街を出て、北の街を目指して山を越えた。
道中、俺は何度も隙をつくった。魔物が襲って来ても暫く気付かないフリをしたり、魔物の目の前で剣を取り落としたり。
魔剣が俺を殺して核石を取り戻そうとするんじゃないかと、わざわざ沢山機会を与えた。
しかし結果は、魔剣の傷が増えただけで終わった。
俺が疲れていると思ったのか、あまりにミスを続けると、魔剣が先回りして魔物を退けてくれるようになった。これ以上戦えば、砕けてしまうんじゃないかと思うようなヒビが剣身にも水晶の目にも入っているというのに。
魔剣を試した事、そしてさらに傷を負わせてしまった事。すぐに後悔した。何をしているんだと、自分への怒りと虚しさで苦しくなった。
「北の街へ行こうと思ってる。北の街には、精霊を扱う専門の石屋があってさ。そこなら、傷付いた核石の直し方を知っている人がいるかもしれない」
魔剣の核石は、二割ほどが欠け、ヒビや傷が内部までびっしりと入ってしまっている。キラキラと光を反射する透明なそれは、美しいのだけど、これが魔剣の命なんだと思うと、いたたまれない。
「ごめんな」
俺に出来ること、精一杯やるから。
魔剣が、これ以上傷つかないように。
魔剣はいつもの無表情で、肯定も否定もしなかった。
いくつかの集落を転々としたあと、北の街へと続く街道に入った。
途中、通り掛かった馬車に載せてもらうことになり、その日の夕方には目的の街へと到着した。
この街は、花を主産業にしている穏やかな街だ。都市へと繋がる中継地の一つだが、隣にもっと大きな街があるので、普通はそちらを利用する。どちらかというと、静かな街だ。
油と砥石を入手して、宿で魔剣を磨いてやって、その日は眠りについた。砕けてしまった鞘は今もそのまま。魔剣が自力で動かせない分は、俺が持って歩いた。背負った布袋の重みは、きっと魔剣の痛みの重みだ。
翌朝、訪ねたのは精霊の核石を扱う石屋。
街の規模の割に大きいその店舗は、親子連れや旅の冒険者らしき人達で賑わっていた。キラキラとカラフルに輝く精霊の核石は、どれも親指の爪ほどの大きさか、それ以下のサイズばかり。掌にのせたらずっしりと重みのある魔剣の核石のようなサイズのものはひとつもなかった。それどころか、半分のサイズのものすらない。本当に同じ核石なのだろうか。
足元に違和感を感じて下を見ると、ネコのような精霊が俺の足に纏わりついていた。ふいに、ゾッとするような殺気を感じて振り返ると、魔剣がそのネコ精霊を睨みつけていた。振り返った俺の視線に気が付くと、魔剣は何も無かったかのように殺気を分散させて、店の外へと出ていってしまう。そういえば、魔剣は他の精霊が嫌いだったか。人間も精霊も嫌いだなんて、生きにくそうな。
「精霊をお求めですか?」
「あ、いえ。実は相談があって来たんですけど、そういうのって大丈夫ですか」
「ええ。ちょうど手が空いていますので、お話、お聞きしますよ。精霊をお迎えするのは初めてでしょうか?それともお手持ちの精霊がいらっしゃいますか?」
人の良さそうな年配の店員は、机に案内して話を聞いてくれた。
「これ、なんですけど」
「こ、こ、れは、また…………。なかなか見ないサイズの核石ですね……」
「やっぱり、大きいんですかね」
「それはもう。二百年生きたという白亀の精霊の核石を見たことがありますが、それに迫る大きさ……普通ではありませんね。それに、無残な傷がついていますが、ここまで透明度を保って大きくなるのは、本当に稀、いやぁ、初めて見ました。勿体無いです、どんな精霊の核石なんでしょう」
「これは、まけ……じゃなくて、剣、剣の精霊の核石です。色々あって、こんなに傷が入ってしまった……。どうにか、直してやりたいんです」
「剣の精霊?それはそれは。珍しい。非生物の精霊ですか。なるほど長寿そうですね。して、その精霊は今どこに?」
「えっと、さっき外に出ていってしまって……」
「呼んで頂けますか?」
「あ、はい」
「おっと、お待ちを。精霊を呼ぶときはですね、核石に魔力を込めて呼ぶのですよ。魔力を込めたまま声を掛ければ、精霊に伝わります」
「そうなんですか」
店員に言われるがまま、核石に魔力を込めた。よく分からなかったが、来てほしいと言えば、すぐに魔剣は現れた。
「おやおやまあまあこれはこれは……酷い傷だ……」
「核石に傷がついてから、直らなくて、どうしようかと」
「これは……どうやって出来た傷ですか?」
店員は静かに聞いてきたが、そこには疑いが滲んでいた。お前がやったのかと、問われている気がした。
「……魔法で」
「いつ、誰が、どのように?」
「数日前に、友人の魔術師が……彼を殺そうとして」
「その魔術師が、元の主人ですか」
「いえ、彼には主人はいません。多分、ずっと前から」
「今は貴方が主人でしょう?」
「俺は、違くて。彼を助けたかった……それで、主人でもないのにここまで連れてきてしまった。俺が、直してやりたくて、なんでしょう、罪滅ぼしですかね、死んでほしくないんだ、彼には」
店員は難しい顔をして、俺と魔剣を交互に見た。
「……」
「なんとかなりませんか、お金ならあります」
冒険者として、街の傭兵として、そこそこの稼ぎはある。カバンにもある程度の現金は入っていた。
「……核石に入った傷は、なかなか癒えません。人間でいうと、臓器が破損しているような状態です。外から手を加えないと、治り始める事はないと思っていいでしょう。核石を治すには、とにかくこまめに生命エネルギーを与える事。あとは時間をかけていくしかないです。ですがそれも、精霊の主人でないと出来ません」
「主人じゃないと、駄目ですか?生命エネルギーを与えるだけなら、そうじゃなくても出来るのに……」
「精霊に拒絶されてしまうでしょうねえ」
静かに首を振って、年配の店員は哀れみの目を向けた。
試しに生命エネルギーを核石に込めてみても、確かになんの手応えもない。
「分かりました。ありがとうございます」
有益な情報に感謝して、俺はその店を後にした。
これからどうしようか。魔剣の紫の目と目を合わせて、頭を悩ませた。見切り発車で出てきてしまった。なら、そのまま見切り発車で旅でもしてみようか。
「旅先で何か見つけられるかもしれないしな」
そう伝えてみると、魔剣はひとつ瞬きをした。
──────────
その後、俺と魔剣は何年も旅をした。核石を元に戻す手段はすでに分かっていたのに、他の何かを探すように彷徨った。行く先々でなにかと問題に絡まれ、その度手を出してしまっては注目されて。もともと俺が持っていた傭兵界隈のツテから"紫紺の魔剣使い"だの"独眼魔法剣士"だのと随分と話が広まってしまったらしい。独眼なのは剣であって俺じゃないんだが。俺がそう愚痴ると魔剣は少し目を細めて揺れた。それを見て、こいつ笑っていやがるな、と分かる程度には、俺と魔剣は通じ合えるようになっていた。
そんなある日。風の噂を聞いた。
来月行われる新年祭武闘大会にて、優勝者には十年ぶりに採掘された超級巨大魔石が贈呈される、と。
「なあ相棒。試してみる価値、あると思わねえか。どでかい魔石のエネルギー全部食ってみれば、この傷も直るかも知れない」
魔剣は胡散臭げに目を細める。
「不信気味だな。まあ行くだけ行ってみようぜ」
それは口実だったのかも知れない。いつの間にか俺は、この贖罪のための二人旅を楽しみ始めていた。
──────────
▽剣の精霊
シンとの旅は波乱万丈だった。そして、俺にとってはいつか見た夢のような、幸福な時間だった。
どんな窮地も乗り越えた。美しい景色をいくつも見た。大変だったことも沢山あって。その全部が俺の腐った心を癒した。
シンは俺の声を聞くことも、意志を明確に汲み取ることもできない。けれど、俺を相棒として扱ってくれた。話しかけて、反応を見て、戦闘の後には十分に手入れをしてくれて、時々気遣わしげにヒビを見つめる。自分がつけた傷でもないのに、馬鹿なくらい優しいこの男は、いつまでも俺の傷を気にしていた。
だからそれを利用した。
シンはいつまで経っても主になろうとしない。俺もシンに主になれと伝えない。主がいなければ治らない傷なら、この旅が、俺の傷が治る事で終わりを迎えるなら、別に治らなくていい。ずっと、この旅が終わらなければいい。
シンが気が付かない程ゆっくりと、徐々に朽ちていく核石。それはまるで寿命のようだった。いつまで持つのか分からないが、それで良かった。シンの寿命分くらいは生きられるといいなとは思う。
「行くぞ!相棒!」
『ああ、今行く』
止まっていた俺の時間は、シンと共に進みだした。そういう事なんだろう。
シンといれば、生きていて楽しいと思える。だから俺も返してやる。お前の剣の精霊として、俺はどんな窮地でもお前を助けよう。
──────────
▽?
数年後。魔術師ラティと剣士シンは再びバディを組むことになる。かつて町を守る最強のガーディアンとして尊敬を集めていた二人が魔物の暴走を機に仲違いしたのは有名な話で、その再結成にカンバスの街は勿論近隣の街々も大いに湧いた。
ラティの傍らには白い四足獣の精霊を始めとした何体かの精霊が、シンの傍らには紫水晶の剣の精霊が、それぞれ付き添っている。
「お前、精霊嫌いなのによく許してくれたよな、再結成。ラティの事、恨んでねえの?」
『……別に』
「止めてくださいよ。ここ数日謝り倒しなんですから」
「いや、折角ラティがいるから、ちゃんと翻訳聞いとこうかなって」
「そんなもの無くとも、貴方達は信頼を築けているように思いますが」
「はは!まあなぁ?そうだなぁ魔剣〜?」
『おいおい、剣身に触るな、危ないだろ』
「キュルルイ」
『お前も離れろ』
「……魔剣、本当に、ありがとうございます。私達にチャンスを与えてくれて」
『その話はもういい。俺はもう、シンに核石を預けたんだ』
「そう、ですか」
人間にも精霊にも殺気を飛ばさなくなった剣の精霊に、そしてそうさせたシンに、ラティは懺悔と感謝を込めて祈った。
最強バディの名を取り戻すため、二人は街の外へ探査や冒険に出掛けたり、大会に出場したりと、また国内外で活躍していくことになる。
時と場合と役割によって入れ替わるラティの精霊とは対象的に、シンの横ではずっと変わらず紫水晶の剣の精霊が目を光らせていた。
きっとこの先もずっと、シンと剣の精霊の絆が途切れることは無いだろう。その身が朽ちる、その時まで。
最後まで読んで頂きありがとうございました。私事ですが、今作は初めての完結作品になりました。楽しんで頂けていたら嬉しいです。
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