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後編



 朝。俺は久しぶりに祠に戻って、二人組を待っていた。あの二人組はいつここにたどり着くのか、そろそろ宿を出た頃かと鞘の目を開く。視界が意識されると同時に、あちら側の音も聞こえてきた。

 朝の活気か、雑音が入り乱れる街中。揺れる視界。


「なんですって……?」


 杖の男の震えた声。そしてそれに被せるように畳み掛ける、剣の男の声。


「だから!!教会の周辺が、魔物に襲撃された!緊急事態だ、増援にいくぞ!」


 俺の鞘は恐らく剣の男に背負われている。色の無い顔で固まってしまった杖の男の手を、剣の男が掴んだ様子が写った後、視界が激しく揺れ、景色が次々と変わった。走っているのだろう。剣の男の顔は見えなかったが、声の調子から状況が緊迫していることは分かる。

 走りながら二人は言葉を交わす。


「っ、シン!どういう事ですか!教会には魔物用の結界が張ってあるはずです!何故魔物が!」

「俺だって詳しくはしらねぇよ!けど、つまりは結界を破るほどの魔物が……」

「あの結界を単体で破壊出来るような魔物が発生したとでも!?有り得ない!あの結界は、私と師匠が共同で製作した強力な結界です!他の教会のそれとは異なる!」

「それは俺だって知ってるさ!」


 街を一直線に駆け抜ける二人組に、横から声がかかる。


「シンさん!ラティ様!緊急伝令です!」

「教会の件は聞きましたよ!」

「魔物の詳細が伝えられました!」

「走りながら聞かせろ!」


 汗だくの男が懸命に二人に並走しながら告げる。


「中型イノシシ系の二十体規模の群れ一つ、加えて大型四足シシ系の五体規模の群れが確認されただけで二つ、加えて浮遊ワタバナが無数に市街地に入り込んでいて、西区には緊急避難指示が出されています!避難先は中央区!警備兵に召集がかかり、中央区に警備網が敷かれ始めています!」

「なっ、群れが複数だなんて!まさか、活性化の第三波が起きたとでも言うのですか!!」

「活性化が起きていたのは東の森だったはずだぞ!西にある教会とは反対方向だ!」

「意味が分からない!何が起きているのです!」

「俺だって分からねぇよ!」

「原因は不明です!一先ずお二人はこのまま西区へ!戦線への参加をお願いします!」

「おうよ!」

「分かってますよ!」


 二人は走る速度を上げて、報告を終えた男を引き離す。

 そこで俺は鞘の目を閉じた。

 活性化が起きていた、恐らく、俺が沈静化を進めていた場所とは違う山で。くそ、活性化が同時に乱発しているなんて。

 俺も加勢に行こうか。教会とやらがどこにあるのかは分からないが、この山の方角ではないはずだ。どこへ向かうべきか。賭けで、森沿いを周回してみるか。


 ……。


 何を焦っているんだ、俺は。

 人間の街が、襲われている?それが、どうした。俺には関係ない。そうだろう?


 ……はあ。


 馬鹿が。本当に馬鹿だな。俺は。

 一度冷静になれたというのに。


 風を切って、立ち並ぶ木々を避けて、全速力で森を抜けた。目指すは、何処だ。分からない。ただ、エネルギーの流れを探して駆ける。身体も縮めて風の抵抗を少なくし、隼のように。

 鞘の目も開いて、二人の会話や戦場の様子を見聞きしながら。




 やがて大きな生命エネルギーの流れを発見した。活性化した魔物の群れは、この先にいる。見えた、その一端。一つ目の群れ。

 身体を最大限のサイズまで拡大し、生命エネルギーを魔力へと変換する。視界が薄紫色に染まる。


『いくぞ魔物共』


 俺は暴れまくった。人間の街へと向う群れに飛び込んでは注目を引きつけ、全滅させる。次々に現れるそれを全部全部倒す。死体から放出される生命エネルギーを食って食って魔法にして吐いて吐いて。それでも、間に合わない。俺の身体は一つだけ。同時に複数の群れが来れば、いくつかは逃してしまう。逃した群れを深追いすれば前線が下がってしまう。おそらく魔物の群れは、街で殺された魔物の生命エネルギーに引きつけられて街へと向かっている。襲ってくる魔物を殺して、その死体から出た生命エネルギーに反応した魔物にまた襲われて。この負のスパイラルはもう断てない。

 決断は、速い方がいい。

 全ての群れを受け負えないと判断した俺は、直ぐに次の行動を起こした。


『足止めの意味もあるが、元はと言えば、この森が原因だ。許せよ、人間共』


 剣身に炎を纏わせて斬りつける。草も、魔物も、木も全部。ありったけの炎をばら撒いて右へ左へと駆け回りながら火の手を広げた。炎に呑まれた魔物の群れは、暴れまわって自身についた火を消そうとする。そしてまた炎は広がり、別の群れを包む。


『もう街に降りてくるな魔物共。また後で相手をしてやる』


 炎を敵と認識し固執するように攻撃を繰り返す魔物共を見送って、俺は街へと下っていった。

 ふと、視界に入り込む白い影。


『魔剣!どういうつもり!?このままじゃラティちゃんの街が壊れてしまうわ!』

『黙れ動物。だから向かっているんだろう街へ。話しかけるな殺すぞ』

『殺すぞって……何よ貴方、ラティちゃんを裏切るつもり!?』

『違う』

『じゃあ何よその魔力は!森ごと魔物を燃して、そんなに生命エネルギーを吸って、魔力を纏って、何に使うつもりなの!』

『そんなの魔物を殺すために決まってんだろうが。魔力の使い道?そんなもの破壊しかない。飛ぶしか能の無いお前には分からんだろうがな。ついでに殺されたくなければもう黙れクソ毛玉』

『なっ貴方、そんな簡単に殺すだの破壊だのって……!』

『っるさいうるさいうるさいうるさい!本当に、やめろ。これ以上俺の視界に入るな声を出すな!死にてぇのか!!』


 本当に殺してしまうぞ。パタパタとふわふわの翼で飛び回る精霊に頭が痛いくらいの殺意が湧く。そんな俺を知らずか、俺が魔物を見つけて倒している間も奴はずっと飛び回ってぐちゃぐちゃ喋っている。俺の魔法の余波は避けながらも、余波が及ぶくらいには近くをずっとずっと飛んでいる。邪魔で邪魔で仕方がない。なんでこういう奴らは存在するだけでこんなにも俺の集中と冷静さを奪うのか。

 イライラは絶頂だった。死んでしまえばいいのに、こんな精霊。甘ちゃんみたいな言葉を甘ちゃんみたいな声でキュイキュイと囀っている。大体精霊同士の会話は全て念話なのだから、音を出す必要は皆無だ。こんな時まで可愛こぶりやがってこいつは。


『無視しないでよ!貴方に言われた事、全部ラティちゃんに報告してやるんだから!』

『勝手にしろクソボケ!』


 魔物を薙ぎ払って、その血をクソ精霊に飛ばす。


『きゃっ』


 かかった血が奴の白い体を汚した。ざまあみろ。

 そう思って視線を向けた先、奴の背後に巨大な魔物が大口をあけていた。いいぞ、食われてしまえ。そう思うと同時に、ラティの顔が浮かんだ。


『チッ』


 こんな精霊なんて死んでしまえばいいと思うが、ラティが悲しむ顔は見たくない。そう思ったら身体が動いてしまっただけ。

 瞬時に奴を剣の腹で叩き飛ばして回避させ、すれ違うように顎を閉じた魔物に斬り返して一閃。更にその魔物が引き連れていたであろう他の魔物にも囲まれて、俺はまたがむしゃらに斬りまくった。





「討てーっ!これ以上街の中に入れるな!」

「た、隊長!森が燃えています!」

「何!?こんな時に!どの地点の報告だ!」

「十二番地点です!」

「ならまだ放置でいい!街には届かん!まずは魔物の群れを止めるのだ!」


 俺は魔物の群れを殲滅しつつ森を抜け、街の入り口までたどり着いた。壊された検問の前で、兵士達が四足の魔物と交戦している。俺は後ろから魔物を襲った。斬って燃やして食って斬って。粗方魔物が地に伏したら、兵士とやり合っている魔物にも手を出す。


「隊長!!報告です!新たな魔物が現れました!」

「またか!どんな魔物だ!数は!」

「それが……見た事のない、剣のような魔物です!数は一体!しかしその剣の魔物は、炎を操り、な、何故か他の魔物を殺し続けています!」

「何!?どういうことだ!」

「分かりません!ただ、あの魔物っとととてつもなく、強いです!!一体で、何十もの魔物を倒しています!」

「ぬぅっ!そんな魔物に街で暴れられるわけにはいかん!直ちにシン殿とラティ殿に知らせろ!御二人の力を借りるのだ!」

「はっ!」





 ─────────



▽杖の男/ラティ



 流れ込んだ魔物が次々と街を荒らす。西区の端にある教会は、私の師が開く孤児院が併設されている。あそこは、あの場所は、血の繋がった家族からも見捨てられた私を受け入れてくれた場所。決して汚されてはならない、優しい場所。


「おいラティ、加減をしろ、街が壊れるぞ」

「魔物を殺す魔法に、手加減なんてしてられません!」


 シンは猛毒を塗った剣を振り回しながら魔物を討ち、死骸を踏み付けて私を嗜める。

 それを無視して魔力を纏わせた杖を振りかぶれば大気が揺れ、振り下ろせば整備された道ごと魔物が地にめり込む。絶命したそれにもう用はない。


「次はどこですか、シン」

「ちょっと待て、伝令兵だ」


 見ると、先程とは違う兵士が叫びながらこちらに走ってきている。


「シンさん!ラティ様!西の検問にて強力な魔物を確認しました!ご助力願います!」

「直ぐに向かいます」

「まてまて。おい!その魔物の特徴は!」

「数は一体!ですが、止められず!魔物の群れと共に暴れています!で、伝令では、剣のような姿をしていると!」

「なんだって!?」

「っ!」


 剣の姿をした、魔物……?

 カッと頭が熱くなった。


 どういう事です魔剣。貴方なのですか。


 魔剣が、魔物を率いて街を襲っていると?

 杖を持つ手が震え、目が眩む。


「おいラティ」

「……取り敢えず向かいましょう」

「ああ」


 シンと自身に風の魔法をかけて、身体を軽くする。そのまま駆ければ常人の何倍もの速さで駆けることが出来るという魔法だ。

 景色すらまともに見えない速度でも、私とシンは無様に民家にぶつかるなんてヘマはしない。もう何百回も使ってきた魔法だ。


「ラティ、あれ……」

「そんなっ!教会が……!」


 無残な、それはそれは無残な状態だった。真っ白に手入れされていた壁は魔物の血と泥で黒く汚れ、ヒビが入り、大胆に穴まで空いている。美しい若草色だった芝生は赤く染まり、踏み荒らされ、花壇も粉々に砕かれていた。

 いつも師匠が座っていた小岩も魔物の死体に汚され、かつて皆で育てたオレンジの木は踏み折られ、いつも響いていた遊び声はない。

 なんてことを。

 なんてことを……。


「あ、あぁ、あぁあああ!!」


 動悸がうるさく鳴り響く。


「魔剣の仕業だと思うか」

「……だとしたら私は……魔剣を許しません!」


 魔剣の精霊が人間を嫌っていることは知っていた。けれど、話の通じる相手であるはずだった。こんな、だまし討ちのような真似をして街を、教会を、私の大切なものを襲うなんて。


「……」

「……信じたくねえな」

「……私だって同じです。けど、もし魔剣がこれを引き起こしたというのなら、本当にあの魔剣が、魔物の群れを率いていたとするなら私は……!」


 優しい師匠、暖かい家、共に魔法を究めんとする仲間達。熱くなる頭と対象的に、朗らかな彼からの顔が浮かんでは消える。

 私は、これを失うわけにはいかない。


「彼が精霊だとしても、私は、魔剣を殺します……!私はこの街を守る魔術師です……!」




 ──────────


▽剣の男/シン



 魔剣を殺す、と、ラティは泣くように叫んだ。実際は怒りなのだろうが、彼は本来優しい男。精霊を殺めるなんて、無自覚に辛いのだろう。精霊は人の友であると唱え続けていたはずのラティの悲壮な決意は、事態の重さを如実に表していた。

 活性化した魔物の群れは、下手したら中規模の街を壊滅させるだけの力がある。多くの兵士が駐屯するこの都市でも、全隊で殲滅に当たらなければその進行を食い止めることは難しい。ラティ以外の魔術師は、貴重な戦力として既に戦場に送り込まれているだろう。

 例外的な強さを持つ魔術師であるラティは、周りの兵士を巻き込まないように俺と共に遊撃手として動くのが通例だ。それが最前線に呼ばれたのならば、相当な事態なのだ。


 街の至るところで戦闘が勃発している。逃げ遅れた人達が悲鳴を上げながら中央へと走っていく。

 その流れに逆らって、俺とラティは検問へと突っ走る。焦げ臭いにおいが辺りに充満し、所々で消火に追われる兵の姿も見えるようになってきた。


「あそこだ!ラティ!」

「ええ」


 検問前の広場、多くの武装兵が集まっている。ラティが息を吸い込んで叫んだ。


「通しなさい!ラティとシンが来ました!」

「お、おお!魔術師ラティ様と相方のシンさんがご到着だ!皆の者、道を開けろ!」

「はっ!」

「ラティ様だ!助かった!」


 戦闘の最前線まで、緩く道が作られた。すぐにそこを行こうとしたのだが。


「お待ちをラティ様!大変なのです!ラティ様の精霊が……!」


 慌てた様子の兵士がひとり、行く手を塞いだ。その腕には、血に濡れた白い羽の生えた獣の姿が。そう、ラティの精霊ララだった。


「ララ!」

「森の奥から、この姿で懸命に逃げてらっしゃいました……」


 ラティは杖を投げ捨てて兵士からララを受け取った。俺は杖を拾ってララを覗き込む。


「こりゃあ……」

「酷い怪我です……何があったのですかっ!」


 ララは足と背中から血を流していた。兵士が処置したであろう包帯も既に真っ赤だ。なんとも痛々しい姿だった。ラティは撫でるように生命エネルギーを供給している。

 青褪めたラティはそれでもララから言葉を聞こうと質問を繰り返した。返事があるのかないのか、俺には分からない。少なくとも目を薄く開けて、生きてはいるようだ。


「キュウ……」


 弱々しく、それでも主であるラティを見つめている。


「……そうですか……はい……はい……それで?…………………」


 ラティはララから情報を聞き終えたのか、一撫でしてから俺に向き合った。


「シン」

「おう、ララは何て?」

「……最悪です」


 ラティは俺から奪い取るように杖を手にし、強く強く握りしめた。無表情の中に、確かに感じる憤怒。

 無言で再び開けられた人垣の道をラティの後について進んだ。

 最悪から連想される、悲劇を予感しながら。





 ──────────


▽剣の精霊



 斬って斬って食って斬って。

 俺は開けた広場で戦っていた。俺と魔物の間に入ってこようとする人間を跳ね除けたり吹き飛ばしたりしながら、魔物だけを斬るように注意して地を赤黒く染めていく。魔物の嘶きに混じって、悲鳴や怒声が聞こえる。

 黒い毛皮を裂けば赤が俺を汚す。剣身にはべったりと油や血、煤や泥がまとわりついている。畏怖の視線が四方八方から寄せられる。

 何故だ。俺は魔物を殺しているだけなのに。人間は誰一人として殺していないのに。何故俺に向かってくる?何故俺に魔法をぶつける?決死の表情で、どうせ魔法の風に吹き飛ばされるのに剣を抜くのは何故なのか。

 滾った魔力で薄紫に発光する視界の中で、奴らは誰一人として俺を味方だとは認識していなかった。過去幾度となく向けられた憎悪や嫌悪、敵意。それと同じもの。街を破壊した魔物に向けられるものと同じ視線が、俺に向けられている。


 魔物が最後の一匹になった。兵士三人がかりで相手をしているそこに近付いて、背後から斬りかかろうとした、その瞬間。


 ドゴォォオオ


 俺が斬るより先に、魔法の弾が真上から魔物を押しつぶした。兵士らは絶命した魔物を見てあっけに取られて暫く静止していたが、俺と目が合うと悲鳴を上げて後退していった。

 代わりに俺の前に歩み出てきたのは、ここ最近で見慣れた奴ら。


 杖を持った男、ラティと、剣を持った男、シン。


 戦闘の後なのか、二人組はいつもより汚れていた。そして、何故か、奴らまで煮えたぎった怒りの表情をしているように見えた。


『やっときたか。遅かったな』

「魔剣っ!!どういう事ですか!!何故こんなことを!」


 ラティは取り乱したように叫ぶ。


『何を言っている?俺は魔物の群れを止めようと……』

「止めようとした!?馬鹿みたいな嘘を!ここは……ここは貴方のいた森とは反対の方角ですよ。私の予想を話しましょうか?貴方はよほど人間が嫌いで、人間を騙すのが好きなのでしょうね。わざわざこんなに長い時間をかけて、この街の最高戦力を外に誘導するような真似までして」

『は……?おい待て、話を聞け』

「貴方の思惑はこうだ。私とシンに盾を取ってこさせる事でこの街から遠ざけ、その間に魔物を率いて手薄になった街を襲い、壊滅させる。単純で、けれど貴方を信用して動いた私達を嘲笑える……人間嫌いの貴方らしい最悪な作戦です」

『違う、俺は魔物を殺すためにここまで来たんだ』

「魔物を殺したのは生命エネルギーを吸い取るためでしょう。貴方は自分で活性化させた魔物を、自ら食うことで力を増しました。なんて酷い作戦でしょう」


 何故だ。何故話を聞いてくれないんだ。お前は俺の言葉が分かる唯一の人間なのに。


「おい魔剣」


 険しい顔で様子を伺っていたシンが、苦い声で言う。


「お前の鞘は、ここにある。どうする?俺らを殺して奪うか?」

『馬鹿な。何故俺がお前らを殺すんだ』

「これを返すわけには行かない。ちゃんと説明してもらわないとな」

『説明なんていくらでもするさ。俺はただ、街を襲っていた魔物を倒していただけだ。人間は誰一人として斬っていない。本当だ、近寄って来たのを風で飛ばしただけ。それに前から言っているが、この活性化も、祠のある森での活性化も、俺が起こしたものじゃない。なあラティ、ちゃんと訳して伝えてくれ。俺はこの街の人間を助けようとしただけだ』

「ふざけないで下さい。魔物に襲われた街を助けた?人間嫌いの貴方が?何故、何故?そんな口先に騙されるほど、人間は馬鹿じゃありませんよ。それに、それに私は聞きました……!」

「魔剣、お前、ラティの精霊を斬ったらしいな」

『は?なにを言っている』


 ラティの精霊?あの白い四足の精霊か。そんなもの斬った記憶なんてない。いつの間にそんな事になっているんだ。


「とぼける気ですか。ララは言いました。貴方が森の奥で魔物を燃して、生命エネルギーを食ってから街へ向かったと」

『それは事実だ。だが俺はあの精霊を斬った覚えなどない』

「いいえ。ララは、それを報告すると貴方に伝えたところ、だまし討ちのように斬り捨てられた、と。満身創痍で、それでも私に報告を……貴方が、この街を壊すつもりで、魔物を殺しているのだと、伝えてくれました」

「本当なのか、魔剣」

『違う!何を言っている、俺は奴が食われそうになっていたから、助けようと思って咄嗟に剣の腹で……』

「もういいです、魔剣。さっきから貴方、おかしいですよ。視界に入るだけで殺意が湧くと言っていましたよね、ララの事。それを、助けようとして咄嗟に?もう……無理がありますよ」


 ラティは諦念の表情で顔を伏せた。シンは見極めるように、ずっと俺に視線を突き刺している。

 人間嫌いの俺が人間を助けようとした理由。殺意が湧くほど嫌いな精霊を助けようとした理由。そんなもの、至極単純だ。


『お前ら二人が、悲しむと、思ったから』


 だから俺は今、血みどろで、外野から畏怖の視線を浴びながらも、この場にいるのに。それなのに。


『……そう言っても、信じないか』


 ああ、だから馬鹿なんだ俺は。本当に。何度繰り返せば気が済むんだ。あの時、何もせず祠で待っていれば良かった。それでよかった。俺は利用してやっている立場だと、奴らの事情など知らないと。俺のいた祠と反対側で起きていた活性化なんて、ここまで出しゃばらなければ俺のせいにされる事なんて無かったろうに。


 再び顔を上げたラティは、目に鮮明な怒りを宿していた。

 駄目か。無理か。まあ、確かに。血塗れの大剣にそんな事言われたって、靡くわけがない。


「お芝居もほどほどにして下さい……本気で怒ってるんです、私は」

「ラティ。俺にも翻訳してくれ」

「必要ないですよ、シン。全て戯言です。もう、いいでしょう」


 ラティは感情を鎮めるように深く深く呼吸した。


『俺は、嘘は言っていない』

「まだ言いますか……」


 ラティはゆっくり杖を構えると、挑発するように口角を歪めた。


「なら証明して下さいよ。核石、核石を出して下さい。本当に人間に危害を加える気がないのなら、渡せますよね」


 核石を、渡せと。つまりそれは、精霊の器であり心臓である弱点を、委ねるということ。本来精霊の主が持つべきであるそれを、もう随分と長い間俺は、自分で所有している。俺の主になる人間がいなかったからだ。次に俺の核石を持つのは、この二人であるような気はしていた。そうなるといい、とも思っていた。それが、こんな酷い取り引きで成されるなんて。本当に、俺はつくづく、虚しい奴だ。


『……』


 だが、それで多少冷静になって、俺の話を聞いてくれるようになるなら。それで信用が買えるなら。

 俺は目を閉じて集中した。体内に仕舞っていたそれを、ゆっくりと引き摺り出して具現化していく。クルクルと回転させて、完璧な球状に。

 パッと目を開くと、人間の拳大ほどの紫水晶が目の前に浮かんでいた。普通の精霊の何倍もの大きさの核石。それは俺の生きてきた年数と、器の大きさを表している。分かる者には分かるが、そんなこと知らなければただの美しい水晶だ。


「……」

「……あれが、核石か?」


 シンはぽつりと呟いたが、ラティはただ真剣に、俺の一挙手一投足を見逃さぬように、構えた杖を強く握りしめている。

 俺は吐き出した核石を、地面に転がして二人組の元へとやった。

 たっぷりと数秒、ラティはその核石を見つめ、しゃがんでその手で触れた。


『これでいいか』

「……本当に渡してくるとは」

「本物、なんだな、ラティ」


 シンの問いにラティは小さく頷いた。

 よかった。これで偽物だのなんだのと言われてしまっては、俺にはどうしようもない。


『話を聞いてくれラティ。信じて欲しい。お前は俺の言葉が分かるだろう。だから、俺は行動出来たんだ。俺だって見た目が悪者っぽい自覚はある。誤解されるだろうなとは思った、けど、俺が誤解されるような事をしても、ラティから説明してくれれば分かってもらえるだろう。ラティ、シンやその辺の兵士にも伝えてくれ。俺は敵じゃない。活性化だって、本当は俺のせいじゃない。ラティ、お前が伝えてくれれば俺は、もう誤解されることは無い。ラティ、お前だけが、俺の言葉を理解してくれる』


 頼むラティ。どうか受け入れてくれ。俺の言葉が届くのは、ラティだけだ。


『本当に俺は、街を破壊するつもりなんてないんだ。あの白い精霊の件だって誤解だ。活性化だって本当は栄えすぎた森のせいなんだ。俺の封印には関係がない。富みすぎた森は魔物を呼ぶ。悪いのは森の豊かさなんだ』


 真剣に、真っ直ぐに。どうか届けと言葉を送る。

 ラティは薄く輝く核石を持ち上げて、俺に視線を向けた。




「魔剣、貴方は本当に馬鹿ですね」




 ピキリ……と、俺の視界に亀裂が入った。


『な……』

「貴方は死ぬべきです」

「ラティっ何を……!?」


 ラティは俺の核石を地面に叩きつけた。ピシリと核に入ったヒビが、俺の目にも反映さる。上段に構えた杖に魔法を纏わせて、思いっきり殴る。ピキリ、と、また核石にヒビが入り、連動するようにシンが持つ鞘にヒビが走った。

 ドオォン、ゴォオンと、ラティが魔法を放つ度大地が揺れて周囲から悲鳴が上がった。衝撃をもろに受けている核石には、一つまた一つと亀裂が入り、更に深く深く刻まれていく。鏡写しのように、俺の身体にも、ピキリ、パキリとヒビが入る。

 俺は動けなかった。

 動けなかった。


「お、おいラティ!?」


 シンの持つ鞘に、ひときわ大きな亀裂が走った。


「ふざけるな!教会をあんなに壊しておいて!その気が無かったなんて!ララの事も、私がララより貴方を信じると思いますか!?ララは私が生まれたときからずっと共にいるかけがえのない友です!同じ精霊でも、貴方とは違う!血の通った精霊なのです!極めつけになんです、活性化が起きたのは森のせい?森が豊かすぎるせい?なんて侮辱を……!あの森は、この街や都市を囲むあの森は!師匠をはじめとするたくさんの魔術師達や研究者が、枯れ地だった土地を何代も前から大事に育み、守ってきた森!その努力をその場しのぎの言い訳に使うなど、恥を知りなさい!貴方は!性根から腐っている!これまでも、自ら活性化させた魔物を殺す事でこんなに核石を成長させて来たのでしょう。そして魔物と同じように、人間も殺してきたのではないですか。でなければあり得ない、こんな大きさの核石なんて。貴方は……正真正銘の怪物です!ここで、核石に手が届く今ここで!私が貴方を殺してやります!!」


 パキン

 ついにシンの手の内から鞘が砕けて崩れ落ちた。

 シンは、錯乱したように魔法を連発するラティと動かない俺を、そして砕けた鞘をただ見つめている。

 ピキリ、ピシリとヒビが走る感覚。普段なら剣身にヒビが入ろうと、痛みなどない。けれどこのヒビは、表面上のヒビではなく、核石と連動した、命に入ったヒビだ。壊れて行く感覚が、妙に鮮明だった。

 このままだと本当に死ぬ。頭の何処かで警報が鳴る。

 それでも俺は、動けなかった。どうすればいいのか分からなかった。

 俺の言葉を理解できる、唯一の人間。俺に対話を持ちかけてきた人間。そいつにさえ、俺はこんな憎悪と憤怒を抱かれている。

 嘘などついていないのに。俺の言葉は届かない。通じない。もっと感情表現できる身体だったら、何か違っていただろうか。戦う事しか出来ない剣の身体でなければ、こんなに血が滴る姿でなければ、違っていただろうか。

 それとも、そんなもの関係ないのだろうか。

 人間ってのは、こんなものなんだろうか。

 どうせ俺は捻くれた奴だ。

 所詮俺はこんなものか。

 芽生えていた信頼と情は、一方的なものだった。人間嫌いだろうが、人間を恨んでいようが、所詮俺は精霊。人間が、人間のために生み出す種族。人に寄り添い、友として力になる事を望む種族。

 何度期待を裏切られようと、また期待をしてしまうのは精霊の性なのか。

 核石さえ渡せばすぐさま信用してもらえるとまでは思っていなかった。けれど、手に渡った途端にそれを破壊し始めるなんて。そこまで俺は、救いがなかったか。

 ピシリ、ピシリ。

 逃げてもよかった。核石なんて渡さずに、シンの手から鞘だけ抜き取って、違う土地に逃げてもよかった。

 俺は馬鹿だ。

 また期待してしまった。ありがとうと、礼を言われるような展開を。二人が俺のお陰だと喜んでくれるような。そんな未来を。傷付いた剣身を心配して貰えて、赤黒い汚れを落とそうと洗って貰えて、手入れをして貰えてってそんないつかの夢のような幻想を。

 これは俺の欲が生んだ展開、なんだろう。

 いいさ、これでラティの気が晴れるなら。少しの間、楽しませてもらった分を返そう。そしたらまた俺は、人間嫌いの剣の精霊に戻る。

 核石半分、お前にやるよ。思う存分壊すといい。運が良ければ本当に死ぬさ。俺に生きる気力と、人間への嫌悪が湧く前に、早く壊し尽くしてしまえ。


「何故、何故動かないんだ、魔剣……!お前、これ壊されたら本当に死ぬんじゃないのか!!」


 俺に叫んだのはシンだった。


『死ぬだろうな』


 俺は肯定の意味を込めて、ゆっくりと一回瞬きしてやった。シンには伝わっただろうか。分からないが、シンは焦っているかのように顔を険しく歪めている。

 別に死んでもいい。そんな気分だった。俺の中には虚ろだけがあった。そもそも俺は、ずっと前から死にたかったんだった。こんな世界で、生きていたくはなかった。


「お前っ!抵抗しろよ!死んじまうぞ!」


 何故お前がそれを望む。

 必死の声色に、意識がそちらへと傾く。


『……』

「本当に……本当にお前……っ」


 半分に割れて砕けた鞘を、何故かまた拾い上げたシン。震えた手で、光を失った俺のもう一つの目をつついた。


「答えろ魔剣!……お前は、活性化させた魔物を率いて、この街を襲って、俺達を裏切った!そうだな!?」

『違うと、言っているんだがな』


 瞬きを二回。否定の合図。


「ララを斬ったのか!」


 斬っていない。この距離から、瞬きなんて見えるのだろうか。そう思いながらも、シンとの取り決めを守ってみる。


「……っ、お前は、魔物だけを斬って、兵士やララは、斬っていないと誓えるのか!」


 悲しそうな目だった。何故。そんな目で俺を見るのか。場違いな感情だった。ラティだけじゃない。後退していった兵士も、広場の端でずっと様子を伺って待機している部隊のやつらも、皆俺を殺意を込めて睨みつけている。俺の死を望んでいる。

 それなのに。シンだけが、違う色の目をしていた。

 俺は一度だけ、瞬きをした。


 広場上空に黒い影。

 シンに意識を傾けていた俺は、気が付くのが遅れた。同じく俺の核石を壊すのに夢中なラティも、俺に視線を向けていたシンも、咄嗟には反応出来なかった。


「シャァア!!」


 それこそ、その魔物が馬鹿みたいに鳴かなければ、気が付かなかった。

 上空から急降下していたその魔物は、猛禽類のような形をしていた。鋭い爪と嘴で狙うのは、ラティとシンのどちらどちらだったのか。

 考える間もなく俺は動いた。シンの腕の中にあった鞘の欠片の動く分全てを無理矢理癒着させ、普段の半分の大きさにしかならなかった歪んだ盾で、魔物を弾き返す。ゴガァンと重い金属音が響いて、それを聞いたラティが破壊の手を止めた。シンは残りの欠片を鞘を包んでいた布を抱えながら飛び上がり、一太刀で頭上の魔物を落とし、そのままとどめを刺した。魔物はシンの身長ほどもある大物だったが、そのまま息絶えた。


「ラティ、やめよう。もう一度、話を聞こう」

「絆されないで下さいシン。魔剣は、脅威です!今ここで倒さなければ、恐らくこの先、私達であろうと魔剣を倒すのは難しいでしょう」

「それを分かっているなら!魔剣が大人しく核石を渡した理由を考えろ!何故魔剣は俺達に剣を向けない!魔剣が、核石に魔法を打ち込むお前を黙って見ているのは何故なんだ!」

「どうせ壊せやしないと高を括っているんでしょうよ!」


 何も聞き入れる気のなさそうなラティに舌打ちをして、シンは剣を収めた。


「何のつもりですかシン!気を抜かないで下さい!魔剣がいつ態度を変えて襲ってくるやも知れない……!あの魔剣が、そこにいる不気味な魔剣が!まともな精霊に見えますか!!奴は異常なんです!人間からエネルギーを貰わなければ死んでしまうのが本来の精霊!それが、主も持たずこんなに大きな核石を保有するまでになるなんて、あり得ない!それこそ、人間を大虐殺でもしていなければ!!」

「黙れラティ!」


 突然のシンの怒声に、ラティはたじろいだ。


「それ以上、憶測で語るな!不明確な予想で詰って、魔剣を傷付けるな……!」

「は、?」


 思考を停止したように固まるラティから、シンは一瞬で核石を奪い取った。そして吹き飛んでいた歪な盾を拾うと、俺に向かって叫ぶ。


「ついて来い魔剣!俺は、お前を信じる!」


 強い意志の込められた叫びだった。ありもしない心臓が熱くなって、流れもしない涙を思わせるように、赤黒い血が一滴、剣身を伝って地面に流れ落ちた。


 怒号や悲鳴を背に、街を一直線に飛び抜けるシン。それを目に焼き付けながら、俺は、シンの背を追った。











 俺とシンは、遠くへ遠くへとひたすら逃げた。

 何も言わないシンの後を追って、時には魔物を退けて、二つ三つと山を越えた。

 一日目の夜、小さな集落に世話になった。シンは名の通った剣士らしく、村人達は快く迎えてくれた。俺は小さくなって布に包まれて、シンの背中からその様子を見聞きしていた。

 あてがわれた部屋で、シンはやっと俺に話しかけた。


「……酷い傷だな。直らないのか、いつもみたいに」

『無理だな。核石が傷ついている』


 治らないと、肯定の意味を込めて一度瞬きをした。


「え、直るなら、何故直さないんだ?」

『違う。治らないんだ』

「すまない、聞き方が悪かったな。……直せないのか」

『そうだ』


 俺は何度も瞬きを繰り返して、ゆっくりと自分の意思を伝える。シンはその度ちゃんと受け止めてくれて、次に繋がる質問を寄越してくれた。

 俺は頑張って自分の事を伝えた。

 いつもとは違って、魔法では直せそうに無いこと。今までに核石を傷付けられて傷を負ったことは無いこと。痛みはするが、今すぐに死ぬような予感はないこと。


「ごめんな、ちゃんと準備して出たわけじゃないから、砥石も油もないんだ。けど、血塗れじゃあ気分悪いよな。洗おうか」


 夜中だと言うのに、シンは近くの川まで出向いて俺についた汚れを落としてくれた。水滴が残らないようにきちんと拭いて乾かして、ピカピカとまではいかないが、清潔な身体に戻った。

 大きく入ったヒビに恐る恐る触れてくるシンの表情はなんとも言えず、進は無言のまま暫く俺を眺めていた。

 シンが何を考えているのか、分からない。けれど、俺は、シンがどういう考えであったとしても構わない。


 ──それ以上、憶測で語るな!不明確な予想で詰って、魔剣を傷付けるな……!


 俺が言葉で傷付くと、分かってくれていた。

 俺を信じると言って、連れ出した。

 自分だって戦いの後で疲れているだろうに、俺を洗って、気遣った。

 シンが俺を信じてくれるというなら、俺もシンを信じよう。

 シンについていこう。



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