前編
毎日更新・全三部です。
あるところに、封印された魔剣を収める祠がありました。ある日を堺に森の魔物が活性化した街では、占い師によってその原因が西の洞窟、つまり魔剣の祠のある場所にあると告げられました。人々は、あの魔剣が原因だろうと予測を立て、今まで静観していたそれを、討伐、あるいは封印するために二人の男を送り込みました。
──────────
俺は精霊だ。何の精霊だと思う?めっちゃ珍しい精霊だ。ウルフ?ネコ?い~や違う。そんな可愛いもんじゃない、俺は"剣の精霊"だ。格好いいだろう?誰もが憧れるレア精霊なんだ。……え?剣って面倒?手入れをしたくない?何考えてるか分からない?そりゃ剣だから、話せないけど……それは他の精霊でも同じだろう?え、ウルフの精霊は表情も豊かだし尻尾を振って愛情表情をする?ネコの精霊も愛想はないけど懐けば鳴いて甘えてくる?……俺だって綺麗な宝石の目で瞬きして反応返せるぞ。そこから読み取ってくれよ。……え、そんなんじゃ分からない?そこをなんとか……。
はぁ……。なんとか、なんないわな。
見た目格好いいし、瞬きでも頑張れば分かってもらえる!って、そんな若い時代が俺にもありました。
レアだからといって、必ずしも好まれるとは限らない。可愛くて表情豊かな生き物を象った精霊達の中で、レアな無機物系精霊、剣の精霊として顕現してしまった俺。
俺をこの世に呼んだ、俺の生みの親で初めの主は、俺に目もくれずほんの数日で他の精霊を召喚して俺を捨てた。
売りに出された俺はそこで初めて、精霊は生命エネルギーを主食に生きると知った。召喚した精霊には普通、始めにそれを与えるのだと。それが人側の愛情表現なのだと。親から愛情を与えられなかった俺は、精霊を生かすための義務として、商人の下働きから初めてのそれを与えられた。他の精霊が大口を開けてそれに群がる中、俺は触れる程度のほんの少しで満たされた。この頃はまだ、いつかそれを己のためだけに、愛情を持って与えてくれる主が現れてくれると希望を持っていた。
次の主は冒険者の男だった。男は手入れを欠かして俺を錆びつかせた。俺もまだ若かったから、自己修復のやり方なんて知らなかったのだ。冒険者の男は錆びた俺を不良品だと言い、俺を返品した。俺は生きるために必死になって自己修復を身に着けた。
次の主は商隊の護衛を務める男だった。昼は索敵、夜は見張り、盗賊が出れば戦闘。男は俺を働かせ続けた。なまじ無機物の道具の身体だから、それに罪悪感も抱かなかったのだろう。俺が自己修復を使えると知れば、ろくな手入れもされなくなり、エネルギー補給をしなくても暫くは動くと知れれば補給の頻度もかなり下がった。俺は男が引退するまで使われ続け、最後は売られた。そこに長年連れ添った精霊と人との情は無かった。男は最後まで、俺を道具として扱った。
次の主もその次の主も、俺の憧れたような主とはかけ離れた人間だった。俺は身体こそ無機物な剣だが、意思も、心も、感情もある。繰り返される無慈悲な生活に、俺の心は死んでいった。俺が人間嫌いの魔剣になったのも、仕方の無い事だと思う。
魔剣だなんて大層な呼び名だが、長く生きすぎて核石の容量が増えただけだ。主に戦えといわれたら戦うし、むしろそれしか使い道がないから、戦闘を覚えてしまっただけだ。別に進んで悪さをしたわけでも何でもない。
普通の精霊と自分の違いを知ったのはこの頃だ。普通の精霊、例えばウルフの精霊などは、一日一度はエネルギーを補給しないと元気がなくなるし、七日も抜けば動けないくらい衰弱する。一回の補給に必要なエネルギー量も、俺なら半年は元気に活動できるほど大量だ。いや、人間からすれば別に大量でもなんでもなく、手を舐められる程度のものなのだろうけど。
俺にはウルフの精霊のような体温も、尻尾も、毛皮も、肉もない。ただの冷たい金属の塊。所謂コスパというやつだろうか。俺は人間からエネルギーを与えられずとも、生命から自然と溢れ出しているホコリのようなエネルギーを食うだけで生きていけた。
人と共にあるべき精霊が、独立して存在出来ているのが不気味だったんだろう。いつしか有りもしない悪評が囁かれ、俺は不気味な魔剣として、生命の存在しない枯れた地に封印された。
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久々に目が覚めた。封印されてから、どれ程の時が過ぎたのだろう。砂ばかりの枯れた地だったこの場所も、いつの間にかアホみたいに豊かな森になっていた。俺の周りには人間が作ったであろう祠の残骸が散らばっていた。自然に朽ちたか、誰かに壊されたのかは知らん。
はぁ。
目覚めはどうしても虚無だ。仮死状態だった身体が、勝手に森からエネルギーを吸収し、器を満たしていく。その重さが、気怠い。
俺は暫く放心した後、地面に半分ほど突き刺された剣身の様子が気になった。だが、今は見ることが出来ない。俺の目は、剣身と鍔の交差した部分に一つある。目も徹底して無機物で、明るい紫色の石で出来ている。人間には不評だが、個人的にはご婦人方が身に着けていたアメジストという宝石と同じように美しいと思う。
そしてこの目は、ここにはないが鞘にもついている。鞘は俺の手のような物だ。自在に動かせるし、握って開くように盾にも変形する。あれがあれば剣身の様子も見られるのだが。
……はぁ。
まだ虚無から抜け出せない。何もしたくない。動きたくない。
目を覚まして何日か過ぎた頃。二人組の人間がやって来た。何をするのかと観察していたら、何故か俺の目の前で足を止めた。腰に剣を挿した男と、背中に杖を背負った男だ。
『なんだこいつら』
聞こえないと分かっていても、つい言葉が出た。とは言っても奴らには聞こえないが。何年、何十年ぶりの人間だろうか。二人組は俺も知っている言語で話していた。
「このボロいのが魔剣か?」
「ええ、そのようです」
「ふ〜ん。そんな禍々しい感じしねぇけど、まあお前が言うならそうなんだろうな。じゃあ一思いに行きますか。もっと苦労すると思ったけど、簡単な仕事だったな」
そう言って剣の男は抜刀し、もう一方の手にハンマーを構えた。今にも俺に振りかざされそうなそれを、杖の男が制止する。
「待って下さい」
「え、何で?」
「……この魔剣、精霊です」
「げ!まじで?」
杖の男は俺を見て言う。
「貴方、精霊ですね?」
『……』
「私は魔術師です。こっちは相棒の冒険者です。私達は貴方に用があって来ました。……私の言葉が分かりますか」
『なんだこいつ』
言葉が分かるかって、俺が分かってもお前らが分からないだろう。一方的に伝わればいいって?嫌な奴だ全く。
『はあ……。相変わらず傲慢だ。人間ってのは』
「なにか失礼をしてしまいましたか?」
『礼を尽くす気でハンマーなんて持ってくるのかよ』
「すみません、魔剣が精霊とは思わず」
『……』
気のせいか?こいつ……。
「お気付きかと思いますが、私は貴方の言葉が分かります。私は生まれつき、精霊の言葉が聞こえるのです」
『はぁ?』
何だそれ。本気か?精霊の言葉が聞こえる?
信じられない思いで二人組を見つめる。精霊の声というのは、本当の声じゃない。声帯なんて持っていない剣の精霊の俺でも発することが出来る、精霊同士の意思疎通のための言葉だ。
「後ろの彼には聞こえません。私だけに聞こえています」
『変な奴だな。初めてだぞ、精霊の声が聞こえる人間なんて』
「私は特別なんです。話を聞いて頂けますか?」
『どうせ断っても話すんだろ』
「そうですね。私達はこの山の麓の街、カンバスから依頼を受けてここに来ました。依頼の内容は、ここ数日の異例な魔物の活性化の原因である魔剣の再封印もしくは破壊」
はぁ?なんだそれ。俺が原因で魔物が活性化?
『意味が分からない。俺が原因で魔物が活性化?知らんぞそんな事』
「貴方は最近まで封印されていませんでしたか?その封印が、何故か解けてしまった。それが原因で、貴方の魔力に魔物が反応してしまっているのだと思います」
そんなわけあるか。目覚めただけで魔力なんて放出してない。また人間は勝手に不都合を俺に押し付けるのか。お前らの勝手で封印されたってのに、起き抜けでこれか。
『相変わらずちゃちな脳味噌だな人間。それで?俺が原因って証拠でもあんのか?』
「全ては推測といえばそうです。ですがそうとしか言えない、見えないというのもまたそうなのです」
『回りくどい。で、何。俺を殺すわけか』
生きていたい訳ではない。むしろ死にたかったからこの封印を甘受したと言ってもいいくらいではある。
封印といっても、核石が成長した俺には紙で包む程度の力しか発揮出来ていなかった。そうなることがわかっていた。だから俺はそんなもの当てにしていなかった。当てにしていたのは人間が探し出した枯れた地の方。生命エネルギーが存在しない場所ならば、死ぬに死ねない俺もいつしか餓死出来るだろうと。その時を封印の中で待とうと。それもまあ、ここが森になったせいで不完全に終わってしまったけれど。
目覚めたのは今回が初めてではない。一度目の目覚めは草原の中。かつて死んでいたこの場所も、いつの間にか土は息を吹き返し、川が流れ、緑と生命が戻ってきてしまったらしい。空気中に漂うほんの僅かな生命エネルギーを無意識に吸収し、俺は目覚めた。あまりにコスパが良すぎた。だから俺は消費エネルギーが少ないなりに、なるべく消耗する形を取ってもう一度眠った。身体を大きく、長くした。柄や鍔の装飾を増やした。鞘を盾の形にして、より分厚く、より重くし、出来る限り遠くに置いた。俺に出来る最大の努力だった。
それでも、俺は死ぬ事なくまた目覚めた。ため息もつきたくなる。眠るように、楽に、静かに死ねたら良かったのに。
そうさ。どうせまた俺は死ぬための眠りにつく。
だが、だがな人間よ。俺にも感情ってものがある。お前らはどこまでも勝手だ。俺が目覚めてほんの数日。ほんの少しの間放心していただけで、お前らはまた俺の架空の罪を作る。はぁ……。どうしようもない虚無の中、変な奴がやって来たと思えばこけにされて、はいそうですか、殺してどうぞ、なんて言うと思うか?
『本当に最悪だ。人間ってやつは』
俺は衝動のままに魔力を生み出し、剣身に纏う。はらはらと纏わりついていた蔦かなにかが剥がれ落ちる感覚。錆に侵食された身体を、時を戻すように修復する。半開きで固まっていた瞼も、解放されて大きく見開く事が出来るようになった。あぁ……。また死から遠のいた。だがいいさ。一生こけにされて終わるよりも、また虚無が長引こうと、このまま引いてたまるか。
「おい!大丈夫なのか!いきなり魔力が……!」
「やめて下さいシン、剣を抜かないで。魔剣の精霊さん、お願いです、まだ話を聞いて下さい、私達は交渉したいのです」
『はっ、交渉だぁ?俺に何を提示する?お前らが俺の望み叶えてくれるわけか?』
「出来る限りのことはします。魔物がこれ以上活性化してしまえば、この国の要である都市にまで影響が出てしまうのです」
『だから、俺のせいじゃないって言ってんだろ』
「お願いします。あの魔物達が森から消えてくれないと、本当に困るのです。望みがあるなら、全力で叶えましょう。どうか交渉に乗って下さい。私は、貴方と、戦いたくない」
杖の男は膝までついて説得してきた。既に俺の間合いだが、分かっているのだろうか。俺が少しその気になれば、いつでもその情けない面乗せた首を飛ばしてやれる。……そう思うと少し溜飲も下がった。
別に俺は殺したがりではない。それにこの男このまま殺すのも、何か勿体無い気もする。折角俺の言葉が分かるっていうんだ。利用してやる手もあるか。
『……活性化してるって魔物が、森から居なくなればいいんだな』
「そうです……!分かって頂けましたか」
交渉を受けようと思ったのは、半分気の迷い、半分退屈しのぎだった。
安心したように息を吐く杖の男。勘違いしている馬鹿な男。精々遊んでやるさ。
『すぐに消してやるとは言ってない。俺は人間が嫌いだ。信用できるわけもない。お前らは俺に誠意を示せるか?』
「ええ、いいでしょう。まだ活性化は始まったばかり。監視を続けていればまだ静観できます。先に貴方の要望に答えましょう」
『じゃあさっそくだ。お前らの言うとおり、俺は封印から目覚めたばかりだ。まだ力も完全に戻っていない。このままでは何も出来ない』
嘘だけどな。
『まずは俺の鞘を探してこい。この山の中のどっか、それか山脈の中のどっかにはあるだろう。そうだな、感覚的にはここより標高が低くて、かつ湿気の多い場所にあるはずだ』
「分かりました。探してきましょう。何か目印は?魔力は出ていますか?」
『この目と同じ物がついている。魔力は出そうと思えばだせる。あー、鞘と言ったが、今は盾の形をしている。お前らの背丈ほどの大きさだ』
「なるほど……分かりました」
杖の男は立ち上がって、後ろで警戒していた剣の男に今までの流れを説明した。
「盾を探すって?この山の中から?」
「この山脈の中とも言われました」
「かーっ!無理な話だぜ!おま、この森どんだけ広いか分かってるか!?」
「ですから、ここより標高の低くて湿度の高い場所……川や洞窟に絞って探せばいいんです」
「正気かよ……」
「何も私達が遠くまで歩いて探す事はありません。私達は近場を探して、遠くは精霊に頼みましょう」
「なるほどな……それなら希望はあるか」
……。杖の男は今何と言った。精霊に頼むだと?まさかこいつ……。
「取り敢えず呼びますね」
杖の男は小石ほどの大きさの核石を取り出して、そこに魔力を込めた。すると空に甲高くも美しい鳴き声が響き渡って、空から精霊が現れた。四足の癖に翼を持った、真っ白な獣の精霊。
俺はカッと魔力が迸るのを感じた。なんとも言えない醜い感情が湧き出してくる。過去の記憶、忘れられない感情、衝動、嫌悪。
『おい白いの、殺されたくなければ今すぐ俺の目の前から消えろ!』
威圧するように魔力を高めてやれば、危険を感じ取ったのか焦った男の方が精霊を空へと返した。精霊は困惑しながらも男に従い、俺の目の前からは消えた。
『俺は人間が嫌いだが精霊も大嫌いだ。特に毛皮があって四足の精霊は見るだけで殺意が湧く。俺の前で他の精霊を呼ぶな!』
俺を苦しめた人間達。希望を持つたび潰されて、傷つくたび夢を見て、それも所詮妄想で。ひどく打ちのめされて、生きる意味を見失う。いつだってそう。人間に悲嘆した俺に追い打ちを掛けたのは、ああいういかにも可愛げのあって愛される事が当たり前って面した動物系の精霊達だった。
俺を捨てた生みの親が俺の次に召喚したのは可愛らしいネコの精霊だった。彼女は召喚されたその精霊を見て甚く喜んで手ずから生命エネルギーを与えていた。
俺を錆びつかせ不良品だと宣った冒険者の男は、相棒の黒いウルフの精霊の毛づくろいは毎日欠かさず楽しそうにこなしていた。
俺を酷使した護衛の男は、引退後俺を売った金でなんの役にも立たない近所のイヌを引き取って育て可愛がった。
売りに出された先の商店ではふわふわでもふもふで愛らしい精霊ばかりが売れていった。
嫉妬と笑うか。構わないが、このドス黒い悪意はそんな生温いものだろうか。奴らがいる限り、俺を見てくれる主は現れない。奴らのように感情表現も出来なければ、温度もなく、面倒な手入れをしなければ満足に力を発揮できない精霊なんて。
何故人間は奴らの毛づくろいや水浴びは喜んでやるのに、俺の手入れは嫌がるのか。奴らをみて可愛いと笑うのに、俺を見て格好いいと笑ってくれないのか。俺に心があるのを分かってくれないのか。そんな鬱屈した反吐が沈殿して、いつしか俺は動物の精霊が嫌いになった。傷ついている精霊を見かけても、どうせ人間に心配されて手当てされるんだろうと思うといっそとどめを刺してやろうかとすら思った。奴らは損傷してもその後に与えられる褒美がある。俺を心配してくれた主なんて今までひとりもいなかったのに。どんなに身体を損傷したりエネルギー不足に陥っても、俺に向けられるのは心配や哀れみではなく、言うなら動作確認。そうだな、生存確認ですらない、あれは。まだ使えるかどうかしか懸念していない確認作業。
俺にも、お前らが可愛がっているその精霊や動物達と同じかそれ以上の感情と心があるのに。誰も俺には精霊や動物に向けるような視線や情をくれないのだ。それに何の疑問も抱かず、目の前で繰り返される戯れに殺意を覚えないというのは、無理があるというものだろう。
「すみません、捜索を手伝ってもらおうかと……」
『俺のいないところで指示をだせ。精霊を使おうがどうでもいいが、俺が殺したくなるから近づけるなという話だ』
「分かりました。また近いうちにここに来ますね」
二人組は静かに去っていった。
俺は久方ぶりに滾った醜い感情をひたすら撒き散らして、気を落ち着けていった。
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▽剣の男/シン
その日俺は魔術師の旧友、ラティと依頼を受けて、魔物が活性化したという山に行ってきた。目的は魔物の活性化の原因と思われる魔剣の再封印または破壊。魔剣が壊せそうなら俺が壊し、不可能そうだったらラティが再封印する手筈だった。
想定外だったのは、魔剣がただの魔剣ではなく精霊だった事。
ラティは基本的に効率を重視する理論派だが、言葉が分かるという特殊な立場からか、精霊にはそれを適用しない。
ラティはその異能から、忌み子として扱われていた過去がある。その時、心の支えになったのは精霊達だ。ラティにとって精霊は、親すら自分にツバを吐くような状況下で、唯一味方でいてくれた友だった。
だからラティは相手が魔剣だろうと、精霊を無闇に殺したりはしない。そうするだけの力があったとしても。
それが正解なのかどうか、俺にはわからないが、ラティがそうしたいなら俺は反対しない。ラティは精霊のことに関しては専門家であるし、友としても信用しているから。例えあの魔剣の精霊から、俺でも寒気のするような膨大な魔力を感じたとしても、ラティが言うなら街には口を噤もう。
「……本当に大丈夫なんだよな」
「ええ。彼は人間が嫌いだと言っていましたが、私達に危害を加えようとはしませんでした。ちゃんと話の通じる相手です」
「にしては、随分無茶な要望を出して来たじゃねえか」
「それだって、ちゃんと標高と湿度という条件を提示してくれています」
「嘘かもしんねーぞ?」
「その時はその時です」
ラティは森の地形図を読み解いて、それに幾つもマークと範囲を記入している。学のない俺でも地図や地形図は読める。太っ腹なギルド長が昔、読み方を教えてくれたからな。
「手伝うよ」
「ではそちらの分を」
「げ。まだこんなにあんのかよ……」
「近い所から順にやっています。間違えないで下さいね」
「あいよ……」
途方もない作業だったが、途中ラティの侍従や下男や弟子の手も借りつつ、丸三日間かけて近郊の山脈は全てチェックし終える事ができた。
遠方にはラティの精霊ララを飛ばして、俺等は足でまたあの山に登る。
あの山はそんなに大きくない。三日もすればチェックした場所は回りきってしまった。
「これ以上遠くまで足をのばすとなると、日帰りじゃ厳しいぞ」
「そうですね……。明日は取り敢えずララに捜索をお願いして、もう一度魔剣に会いに行ってみますか」
「そうだなー。何もしない訳にはいかねえし」
そうして次の日。俺とラティは再び魔剣の元を訪れた。魔剣は以前と変わらず朽ちた祠の残骸の中心に突き刺さっていた。紫色の目が俺らを捉える。
「こんにちは。そうですね、まだ見つかりません。………………。いえ、見つけて見せますよ。私達が行ける範囲はもう探し尽くしてしまったので、あとは精霊の報告を待つしかない状況ですが……。………………。すみません、次回は持参します。どんなものがよろしいですか?………………。油と砥石と布?分かりました。用意しておきます」
俺には精霊の声なんて聞こえない。だからラティが魔剣に話しかける様子を見ているしかない。こうして見てると、なるほど。深い森の中で魔剣に一人話しかける不気味な男にしか見えない。ラティがこの異能を隠したがるわけだ。俺に打ち明けてくれた時も、随分緊張していたようだったし。俺も精霊と話してみたいとは思うが、そう簡単に特別を望むのは短慮だろうな。
「シン。帰りましょう。道中お話します」
「ああ」
魔剣との会話を終えたらしいラティに続いて、帰路につく。
ラティが言うには、また新たな要望が出されたらしい。手土産として油と砥石と布を持ってくるよう言われたとのこと。また変な要望だなと思ったが、考えてみればそれは剣を手入れする時に使う道具だと思い至った。あの魔剣の精霊は魔力を帯びて錆を消していたように見えたが、それでも手入れが必要なのだろうか。
「魔剣に気を変えられても困ります。盾が見つかるまでの間、彼の言う事を聞いてあげましょう」
「そうだなー」
魔剣の機嫌をとるのが最善とラティが言うなら、俺に否やは無い。まだ焦る時じゃない。あの魔剣の精霊と敵対せずに事態が収束するなら、それが一番だと俺も思う。
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▽剣の精霊
この森は騒がしい。動物は多いし虫も多いしそこらかしこで魔物が湧く。なんて所で目覚めてしまったんだろう。魔物は豊かな森に湧くと言うが、その通りだ。茂る草、苔、伸び伸び育った大樹達。はぁ……。生命エネルギーが充満しすぎだ。これに加え魔物が活性化したとなれば俺が仮死から復活するのも頷ける。嫌な体質だ。
そして騒がしい森に、うざったい来客がやって来る。
『また来たのか。盾はないようだが』
「すみません。今回もまだ収穫なしです。ですけどほら、手土産は持ってきましたよ。油と砥石と布でしたよね」
『あーそんな事言ったな』
何をするでもなくただ盾が見つかっていないとだけ報告しに来た馬鹿な二人組に、やる事がないなら手入れでもして貰おうかとつい口走って要求したものだ。
『近くの川に移動するぞ』
「川ですか?」
『案内しろ』
突然地面から抜けて空中に浮きながら移動する俺に目を丸くする二人。なんだ。俺は精霊だぞ?自分で動けないわけ無いだろう。
困惑しながらも歩く二人組についていって、川に辿り着いた。
『そっちの男、剣の手入れはできるか』
「えっと、シン?魔剣が剣の手入れはできるかと聞いています」
「え?出来るけど」
『普通の剣にするのと同じでいい。俺を磨け』
俺は柄の方を剣の男に差し出して、思わずという風に握ったその手に身体を預けた。大きくてはやり辛いだろうから、身体を元の片手剣程のサイズまで戻してやった。
「え、え?」
「普通の剣と同じようにとの事ですが……」
「俺がやるの??そんな上手くもないよ?」
『うるさいな。はやくしろ』
「取り敢えずやってみてください」
「ええー」
俺の自己修復は、傷や錆をある程度の状態まで消すことが出来る。けど付着した血や埃は取れないし、そのせいで剣身が曇っている感覚がある。蔦が絡みついていたから、まだそのカスも残っているんじゃなかろうか。ほら、さっさと俺を綺麗にしろ。
「しょうがないなあ」
剣の男はぶつくさ文句を言いながらも俺をちゃんと手入れした。粗暴な見かけの割に丁寧だ。こびりついた汚れは拭いて研いで落としてくれたし、柄の部分もちゃんと洗って乾かしてから磨いてくれた。丁寧に油を塗って磨かれた剣身は元の美しい輝きを取り戻して、俺はとても気分がよくなった。意地悪してやろうと言い出した要望だったが、それでもやっぱり手入れは気持ちいい。真剣に磨いてくれているのは顔と手付きで分かる。なんだかいつぞやの夢のようで心地良い。
『やるな。ピカピカだ』
「シン、喜んでくれているようですよ」
「そりゃよかった。ここまで綺麗にして足らんとか言われたら泣く」
剣の男はだらし無く川辺に寝転がってそう言った。
俺は暫く水面に映るキラキラした自分の姿を眺めた。普通に、格好いいと思うんだけどな。
二人組は川で魚を何匹か獲って、葉っぱやら木の実やらを収集し、その日は帰っていった。
次に二人組が森にやって来た時、今度はあちらから要望があった。
「盾から魔力を出して欲しいんです」
なるほど。そんなに見つけにくいか。別に魔力を出すのは簡単な事だが、簡単に応えてやるのもしゃくだ。だからまた条件をだした。
『生命エネルギーをよこせ』
人間から貰う生命エネルギーというのは、他とは違う味がする。味と言って正しいのか物質的な食事をしない俺には分からないが、断然濃いのだ。そりゃいつもホコリみないなエネルギーしか吸ってないから直接貰えるそれが濃くて美味しいのは当たり前なのだが、同じ濃いエネルギーでも魔物なんかの生命エネルギーはあまり美味しくない。奴らは人間よりさらに濃いエネルギーを持っているから、殺して食えばそれなりに満たされるが、なんにせよ不味いので進んでやりたいとは思わない。そもそもコスパの良い俺には過分なエネルギーだ。
人間から貰う生命エネルギーは質が違う。だから精霊は人と共に生きるのだなと納得するほどに、人間の生命エネルギーは濃いし美味い。二人組もどうせエネルギーなんて余りまくってるだろうし、魔力を放出するのに必要だと言えば疑わないだろう。
「今度は何ていってんの?」
「生命エネルギーが欲しいらしいです」
「生命エネルギーってあれか?精霊の飯か」
「そうです。けど、どれだけのエネルギーを与えればいいのか……」
『普段あの獣にやっている量でいい』
「その程度でいいのなら、私が」
杖の男が手を差し出して、指先を柄に触れさせた。ああ、やっぱり人間のエネルギーはいいな。触れられた所から全身を巡るように温度が回っていく。満たされるような気持ちになる。満腹感というやつだろうか。杖の男のエネルギーは、すこし癖のある感覚がした。重たいような感覚だ。
剣の男のエネルギーはどんなものだろう。俺はそれも気になって剣の男にも視線を向けてそれを要求した。
「めっちゃ見られてるんだけど」
『お前もよこせ』
「シンのエネルギーも欲しいようです」
「え、俺も?」
「足りないようでしたら私はまだ渡せますよ」
『違う味のエネルギーが欲しいんだよ。別に枯れるほどは吸わない。早くよこせ』
「そうですか。シンのエネルギーが良いようです」
「俺やったことねえぞ」
恐る恐る触れてきた剣の男から、味見程度にエネルギーを吸う。本来は差し出された分を食うのだけれど、剣の男はどこまでを渡すのか調節の仕方を知らないようだったので、無理矢理吸ってやった。剣の男のエネルギーは少し熱めな感覚がした。少ししか吸っていないからすぐに溶けて消えたが、割と面白い感覚だった。
「え?終わった?」
『まあまあの味だ』
「まあまあの味だそうです」
「微妙な気持ち」
「では、盾から魔力を放出して貰えますか?」
『分かった。その代わり三日以内にまた来いよ。またエネルギーをよこせ』
「分かりました」
思ったよりも盾、まあ鞘なんだが、その捜索は難航しているらしい。仕方ないから俺も魔力を放出するついでに目を起こして周りを観察してみた。どうやら、どこかの滝の裏にいるようだ。ここから動かして分かりやすい場所に移動してやってもいいが、別にそこまでサービスする必要はないだろう。頑張って探せ人間。
──────────
▽杖の男/ラティ
魔剣の盾の捜索は思った以上に難航した。私の精霊であるララはとても速く飛ぶ事ができる優秀な情報伝達係だったが、そのララを持ってしてもこの山脈は広すぎる。地形図からある程度場所を絞ったとはいえ、その広さはなかなかだ。日に日に街からの重圧が、国からの重圧になりつつある。この森に隣接する都市は、この国においてとても重要な場所で、人も多く住んでいる。物流の要も担っていて、ここに魔物の被害を出すわけにはいかないのだ。
「魔物の活性化に第二波が起きたらしいぞ」
「聞きました。まだ深部の方ですが、第三波まで来たらそろそろ本当に危ないですね」
「そんな中また魔剣のご機嫌とりかー。本当に意味あるのかこれ」
「彼だって望んで魔物の活性化を起こしている訳ではないでしょう。盾が戻れば活性化は止まると言うのですから、それに協力するのが最善です」
「んーそれもそうか。あんま悪い奴にも見えないしな。不気味だけど」
明日はまた魔剣に会いに行く日だ。それに備えて、シンは自らの剣を丁寧に磨いている。別に魔剣を警戒してのことではない。道中に出没する野生動物や魔物を退けるためのものだ。
「ん〜駄目だな。やっぱ俺手入れ下手だわ」
「どのあたりが駄目なんですか」
「均等に研げないんだ。あんまり駄目になったら打ち直すか買い直すかしなきゃだけど、ある程度は研いで使いたくてさ」
「いつも時間かけてやってますもんね」
「時間かけなきゃ出来ねぇってだけなんだけどな……」
ため息をついて、シンは剣を鞘に収めた。
翌朝、捜索に出るララを見送って、シンと二人また山登り。
この日は少し森の様子が違っていた。いつもよりどこか緊張しているような、変な静けさがあった。それは私の気のせいではなく、シンも同じ事を思ったらしい。
ここ最近、エネルギーを欲しがる魔剣のため、こまめにこの山を訪れていたからこそ分かる僅かな変化。
「なにか、大きな魔物でも湧いたのでしょうか……」
「念の為、注意して進もう」
暫く歩くと、真新しい戦闘の痕跡があった。土が抉れ、草は踏み倒され、木の幹が削れている。
「……大型ですね」
「けど、群れじゃなさそうだ」
戦闘の痕は人の背丈以上の場所にも残っていた。そこに傷をつけられるだけの身体を持った生き物は、この森において魔物以外にいないだろう。魔物は突然、自然発生的に湧く。この浅い山で、大型の魔物は発生しにくいはずだが。
「魔剣が何か知っているかも知れません」
「ああ、行こう」
大型の魔物がこの山に湧いたのだとしたら、すぐに報告しなければならない。情報は多いほうがいい。二人の意見は一致し、足早で朽ちた祠へと向かった。
道中、いくつもの戦闘痕を見つけた。血の跡もあった。おそらく、ここで動物が魔物に食われた。生まれたばかりの魔物はとにかく食う。あれもこれも口に入れて、一番美味かった物を探して食うとも、生命エネルギーが高いものを食うとも言われる。
不穏な山をいつの間にか駆け足になりながら登り、ようやくいつもの祠へと到着した。
祠は随分と荒れていた。散った葉、折れた枝、幹。局地的に雨でも降ったのかと思うほどにぬかるんだ地面、明らかな血の匂い。思わず込み上がったそれにえづく。
「魔剣!いるか!」
シンが呼びかける。魔剣はいない。いつも祠の中心に刺さっているのに、今はいない。どれほど待っただろう。数秒だったかも知れないし、数分だったかも知れない。
恐れたのは、魔剣の暴走。あの精霊に、どれ程の力があるのか、正確には分からない。測れない。湧き出た大型の魔物に触発されて、タガの外れた行動をし始めてしまったら。私達人間は、封印されるほど恐れられた魔剣の精霊と、活性化した魔物の群れを一手に相手しなければならなくなる。
『来ていたのか』
鳥肌が立った。
現れた魔剣は、血に染まっていた。ベッタリとした赤黒い汚れが、剣身だけでなく鍔、柄にまで、全身に。いつになく爛々と輝く紫色の宝石の目が、異様に際立って見えた。その禍々しい姿に、思わず息を止める。
『魔物が煩かったから殺してきたところだ。人を殺したわけではないぞ。何故そんな顔をする』
隣を見ると、抜刀こそしていないものの、腰を落とし臨戦態勢に入っているシンと目があった。
「……やつは、何か言っているのか」
そうだ、そうだった、精霊の言葉はシンには聞こえない。私が話さなくては、いけない。震えそうな身体を叱咤して、口を開く。
「……っ、魔物を、殺してきたと」
「それだけか」
「ええ、すみません、私が取り乱しただけです」
魔剣はいつもと変わらぬ口調だ。理性が飛んだり、荒ぶっているわけでもない。私だけが息を乱している。精霊は、無闇に人に危害を加えることはない。分かっている。けど、この精霊は、魔剣の精霊は、あまりに普通と違う。大型の魔物と一対一で戦って勝てるような強さを持っていてかつ、人の手を離れている精霊。これは、畏怖か。分かっていたはずだが、それでも衝撃を覚える。
私にとって精霊は、人に寄り添い生きる優しい生き物。決して、野生の獣のような恐怖を感じる対象ではないはずなのに。息が詰まる。
何故彼は当たり前のように血を被っているのだろう。
「魔物を、倒したのですね……」
『ああ。煩かったからな』
私は彼に恐怖を感じていた。怖かった。怖かったのに。何故か足は彼の方に向かっていって。
「怖くはなかったですか……」
自分の方が手を震わせているというのに、何故かその手も魔剣の方に伸びていって、赤に汚れた。
『……は?』
「いえ……」
何をしているんだ私は。
「ラティ。魔剣を連れて川に行こう。魔剣も、血まみれのままじゃ錆がつくぞ」
「……そうですね。行きましょう」
シンの声に救われた気持ちになって、そのまま魔剣とともに川まで無言で歩いた。
「たまたま持ってたんだ。プロにちゃんとした手入れ教えて貰おうと思って。まだ教わってないけどな」
シンはそう言って魔剣に付いた血や油、汚れを落としていった。赤い色がなくなるだけで、随分柔和に見える。
「傷ついちゃってるな……」
『傷は治るさ』
魔剣はシンの手を離れて、魔力を纏った。見ると、みるみるうちに傷が埋まり、もとのなめらかな剣身に戻っている。
「おーすげー。直るのか。こりゃ研ぐ必要ないな」
『手抜きをするな。ちゃんとやれ』
「手抜きはするな、だそうですよ」
「俺下手なんだってばー」
言いつつも、シンは丁寧に魔剣を砥石の上に滑らす。仕上げの油で磨けば、汚れ一つない美しい剣が出来上がった。
「どーですか、魔剣サマ」
『いい出来だ。お前になら核石を半分くらいやってもいい』
「核石をあげてもいいくらい気分がいいそうです」
「そりゃ良かった良かった」
『半分だぞ。ちゃんと翻訳しろ』
いつになく上機嫌らしい魔剣は、川から離れて座っていた私の方にやって来て、柄を差し出しその身を預けた。エネルギーが欲しいのかと思って送ってやると、満足そうに目を細める。なんだか、少し可愛いなと思った。
さっきまで、触れようとするだけで震えていたというのに、何故今は心穏やかなんだろう。違うか、精霊は本来怖いものでは無い。おかしいとするなら、今この状況ではなく、先程恐怖を覚えた私の方だ。
私は少し反省したような気分になって、いつもより多めにエネルギーを渡して、鍔の装飾を撫でた。
──────────
▽剣の精霊
大きめの魔物が湧いた。別に目の前に現れたわけではない。近くのどこかで湧いたのを感じたのだ。こういう時に鞘があれば、わざわざ動かずとも鞘で見に行くことが出来るのに。はぁ……。
生まれたばかりの強い魔物は面倒臭い。落ち着きがない。なんでも食うしなんでも攻撃する。生まれたらまず目の前の樹木を敵と認識して突進して脳震盪起こすまでがお決まりだ。そんなもんが近くに沸いてしまったもんだからもう朝からドシンドカングギャーバキャードキャーとまあ煩い。本当に煩い。魔物だけが煩いんじゃなく魔物から逃げ回るやつらも煩い。ただでさえ騒がしい森なのに、いい加減不快だ。
さっさと何処か別の山に移動してくれればいいものの、奴はあろうことか山を登り祠の側までやって来た。はぁ?
『最悪かよ』
魔物はそこそこの大型だった。真ん丸い胴体に短い脚。こんなのに突進されたらそりゃ若い木も折れるなって感じの巨体。既に何匹か獣を食った後だろう。口元は赤黒く汚れていて、生傷からは鮮血が滴っていた。
「グゥルルルゥゥウウウ……」
魔物は俺を見て足を止めた。経験則だが、こうなった場合、魔物の行動パターンは二つ。死ぬ気で襲って来るパターンと、何も考えずに襲ってくるパターン。
つまりはそういう事だ。
『最悪だな』
馬鹿みたいに突進してきた魔物を上に躱して避ける。
俺は剣の精霊だぞ。
何年も、何十年も戦って生きてきた。それだけで生きてきた。
この程度の魔物に負けることはない。それでも今は常より苛立ちが募る。
『生まれて数時間の図体だけのデクのために、俺はまた汚れるのか』
折角綺麗に手入れしてもらったのに。
雑魚を相手にするというのは何においてもただ面倒だ。うざいったらない。
一度斬りつけただけでアホみたいに血が吹き出したから、場所を移動して斬り殺した。血の気も多いし血も多い奴だった。ついでに魔物なので生命エネルギーも多い。これ目当てに変なものが湧いたり集まったりしても面倒だ。
俺は魔物の生命エネルギーを食って、暫し魔物の死体を眺めた後、血を落としに川に向かおうとした。だがそこで、俺を呼ぶ声がした。剣の男の声だ。あいつらが来たのか。
あの二人組は最近よく来てくれる。俺が来いと言ったからなんだけどな。居ないと思われて帰られても困る。俺はさっさと祠の方へ戻った。
『来ていたのか』
祠には、青い顔の杖の男と、臨戦態勢の剣の男がいた。いつもと雰囲気が違う。杖の男も、いつもは背負っているだけの杖を手に持っている。魔物が湧いたことを知っての事だろうか。それなら、もう安心していいのに。祠にも随分血が撒き散らされている。戦闘があったことは明白だ。そして俺が負けるわけがない、生まれたての魔物如きに。もう大型の魔物はいない。だから心配いらない。なのに、何故、何に恐怖している?血が怖いのか?
『魔物が煩かったから殺してきたところだ。人を殺したわけではないぞ。何故そんな顔をする』
特に杖の男は見たことないくらい顔色が悪い。返事も無い。
「……やつは、何か言っているのか」
「……。……。……魔物を、殺してきたと」
「それだけか」
「ええ、すみません、私が取り乱しただけです」
初対面で俺を壊しに来たと宣った男が、なんとも情けないものだ。
「魔物を、倒したのですね……」
『ああ。煩かったからな』
杖の男はそう言って近付いてきて、悲しそうな顔をした。なんだ、魔物を倒されのが不満だったのか?仕方ないだろう。煩かったんだ。魔物を倒したいなら今活性化してるという山奥へいけばいい。
そう思って見つめ返したが、杖の男は、予想外の事を口にする。
「怖くはなかったですか……」
震えた手を差し出して、血まみれの俺に触れた。
『……は?』
「いえ……」
何だ、今の。こいつ。俺に、触った、何故?怖くなかったかって?怖いわけ無いだろう、だって俺は剣の精霊だから。主の命令で、今までいくらでも、こんな魔物よりもっと厄介な魔物とも、戦ってきたから。
……。もしかして、心配、してくれたのだろうか?俺を?あんな魔物と殺り合った程度で?
……舐めるなよ、俺は強いんだ。お前達には俺がどう映っているんだ。失礼な奴め。
……。
触れられた箇所からほんの少しだけ流れてきたエネルギーに敏感に反応して、少しむず痒かった。それだけだ。
かつて夢見て、諦めて、死ぬ程苦しめられたあの感覚が、また沸き起こってしまいそうだった。
「ラティ。魔剣を連れて川に行こう。魔剣も、血まみれのままじゃ錆がつくぞ」
「……そうですね。行きましょう」
そのつもりだったさ。水だけじゃあ落ちきらないし錆になるが、それでもましになるのだ。
「たまたま持ってたんだ。プロにちゃんとした手入れ教えて貰おうとおもって。まだだけどな」
なんと、剣の男はそう言って俺を手元に呼んだ。なんて運がいい。戦闘後の手入れをしてくれた主なんて殆どいなかったのに。進んで手入れをしてくれるとは、良い奴だ。
全身に付いた血や油、汚れを落として、相変わらず丁寧に洗ってくれる。ぬるついて気持ち悪いだろうに。
剣の男が、こうして手入れをしてくれる理由が、血が目障りだから、だとか、そんな理由じゃないといいなと思った。
剣の男は曇った顔で剣身をなぞる。魔物の骨を断ったときに擦れてしまった部分だ。少し擽ったい。
「傷ついちゃってるな……」
何を残念そうな顔をしている。お前だって俺が目覚めたてのサビサビの身体を再生したところを見ていただろうに。
『傷は治るさ』
俺は片手剣サイズに縮めていた身体を元の大きさに戻し、魔力を纏って自己修復する。みるみる傷が無くなっていく様を見て、剣の男は感嘆した。
「おーすげー。直るのか。こりゃ研ぐ必要ないな」
『手抜きをするな。ちゃんとやれ』
それとこれは別だ。ちゃんと砥げ。研がたり磨かれたりするのは心地がいい。どうせすり減りも自己修復できるのだから、もっとネコを撫でるくらいの頻度で研いでくれて良いのに。なんて。
「手抜きはするな、だそうですよ」
「俺下手なんだってばー」
ぐちぐちいいながらも、剣の男の作業はやはり丁寧だ。別に雑にされても痛かったりはしないのだけど、やっぱり丁寧に真剣に手入れしてもらえるというのは嬉しいものだ。
剣の男は磨き終ると、う〜んと伸びをして俺を川辺に連れて行った。
「どーですか、魔剣サマ」
『いい出来だ。お前になら核石を半分くらいやってもいい』
「核石をあげてもいいくらい気分がいいそうです」
「そりゃ良かった良かった」
『半分だぞ。ちゃんと翻訳しろ』
水面に映る綺麗になったキラキラな自分を一通り堪能してから、杖の男にも見せびらかしに行く。ほら、よく見てみろと、柄を差し出してやると、杖の男は抱えるように下手くそに俺を膝に載せた。危なっかしいなあ。抜き身の剣だぞ。
杖の男は何も言わずに俺に生命エネルギーを差し出した。気が利くな。いつもより多めのそれを吸収しながら、ゆっくりと鍔を撫でる杖の男に擦り寄る。核石の残りの半分の、その半分くらいはおまけでお前にやってもいい。お前のエネルギーは美味いからな。
なんだかとても心地がいい。本気で少し、二人組に、杖の男は既に他の精霊を連れているから、他の精霊を持っていないであろう剣の男に、主になって貰いたいと思った。彼なら、俺を大事にしてくれるんじゃないだろうかと。働けば働いた分、戦えば戦った分だけ手入れをしてくれて、労ってくれるような、そんな主になったくれるのではないかと。これが限られた期間内での接され方であったとしても、今、この穏やかで優しい時間が、少しでも長く続けばいい。そう思って、優しい杖の男の手に身を委ね続けた。
随分ちょろいとは思う。だが、飢えていたのだ。仕方がないだろう。
──────────
ついに鞘があの四足翼つき精霊に見つかった。探せと言ったのは俺だが、遠隔といえど視界に入るだけでやはり気分は悪い。これ以上精霊を見ていると精神衛生上良くないので、さっさと鞘の目を閉じた。やはり俺はああいう可愛げのある精霊がどうしても嫌いだ。比べられると勝てない事が分かっているから。だからやはり杖の男の精霊には、俺はなれないだろう。いつかあの精霊を殺してしまう。
精霊の言葉が分かるだなんて都合の良い人間、なかなか居ないのに。惜しいな。
次の日。日も上り切らない程の早朝、二人組は現れた。いつもより沢山の荷物を持って。
「盾が、やっと見つかりました。今から取ってきますので、往復で五日ほど留守にします」
『そうか。さっさと取ってきてくれ』
「はい。では、行ってきますね」
「楽しみにしとけよ〜」
簡単な報告と挨拶だけ済ませて、二人組はさっさと去っていった。
五日間か。暇だな。最近は、二人組がいつ来るか分からないから、ほとんどこの祠で過ごしていた。三日置かずに来いと言ったのは俺だが、あいつら二日連続で来る時も、一日空ける時も、ぎりぎり三日後の時も、様々なのだ。折角二人組が来たのに席を外していてエネルギーを貰い損ねなどという事になるのは癪だったから、ずっとここで森を眺めながら過ごしていた。
『たまには散策でもしてみるか』
人間の街に下りて面倒が起きても仕方ないから、活性化しているという地帯周辺にでも行ってみるか。二人組の向かった先とは方向が違う森だ。
俺とて生命エネルギーを糧に生きる精霊。莫大な生命エネルギーを保持する魔物の群れともあれば、感覚でどのあたりが怪しいかくらいは分かる。空気中の生命エネルギーの流れとでも言うのだろうか。最短距離ではたどり着けないが、なんとなく流れに逆らって進めば近くまでは行ける。エネルギーの濃い方から薄い方へと広がって行く波を読むのだ。
さわさわと揺れる木の葉の隙間を縫って森を移動する。
本当にこの森は色々な生き物が溢れかえっているな。虫ケラからクサウサギ、モリキツネ、チャクマ、そして魔物。花もカラフルだし岩も苔だらけ。人の街に近いというのに、よくもまあここまで栄えたものだ。
『俺が寝てようが目覚めてようが、これじゃ魔物も元気になるわ。そりゃ』
魔物は豊かな土地に湧く。詳しくは知らないが、豊かな土地には生命エネルギーが多いからじゃないかと思う。ちなみに岩ばかりの火山や荒れ地には魔物は湧かない。決まって森林や海に湧く。特にこの森の様に賑わっている場所で湧く魔物は大きく強いものばかりで、さらに数も多い。
手早く魔物を減らすにはどうしたら良いかと言われれば、極論、森を焼き払えばいい。焼けて生命が少なくなった森には、魔物は湧かない。そんな結論で満足してくれはしないだろうか。
だらだらと森を進んだ。道中、俺を見て悲鳴を上げて逃げる動物や人間がいたり、逆に挑んでくる馬鹿な動物や人間や魔物もいた。放っておいてくれればいいものを。俺が逃げるというのも癪なので、派手に魔力を使って脅かしてやったり、角や爪や武器を壊してやったりして追い返した。魔物はそんなことしても諦めないのでさっさと殺した。ここいらの魔物は小さくて弱い。それを散らすには、魔法だけで事足りた。
やがてたどり着いた件の活性地は、なるほど。随分な生命エネルギーを滾らせた魔物が一面に湧いていた。どれもこれもでかいのばかり。同種のもので固まって群れを成し、他の群れに喧嘩を挑んでそこかしこで死闘を繰り広げている。あっちで死ねばこっちで湧く。戦いは終わらない。
魔物同士だけでなく、被害は周りの環境にも。イノシシモドキのような大型の魔物の群れの付近は、殆どの木が押し倒されて平原になりつつある。水辺で戦う巨大サワカニモドキとチャグマモドキの魔物は既に川の形を変えていた。
ふらふらと一帯を見て回り、残状を確認した。
はぁ……。
『こりゃ治めるの大変だろうなぁ……』
活性化を止めるには、その地で肥大化した生命エネルギーを分散させるか、精霊が食うなりなんなりして消すかしかない。
鞘を見つけて帰ってくれば、俺が簡単にこの活性化を治めることが出来ると、あの二人組は思っているんだろうな。それこそ魔法みたいに、さらっとキラッと生命エネルギーを魔物から吸い出して放出して……なんて、俺には出来ないんだけどな。
生臭くて、汚くて、凄惨な殺し合いしか、俺には出来ない。そうやって魔物を殺しまくって、人間にとっての脅威を取り除くのだ。
『間引いてやらなきゃ駄目そうだ……』
随分増えた魔物達。今のうちに殺しておかないと、歯止めが効かなくなりそうだ。嫌だな。後五日は、あの二人組は帰ってこない。ということは、俺が戦ってて汚れても、五日間は綺麗にしてくれる人がいない。
しかしまあ、五日後に綺麗になる算段があるだけ幸せか。
もし、これを今放置して、さらなる活性化でも起きて二人が悲しむ事になったら、可哀想だ。仕方がない。
『やるか』
初めて二人組が祠を訪れた時。交渉を持ちかけられた時。本当は、最初は、本気で活性化を治めてやる気なんて無かった。都合よく使ってやって、難癖つけて跳ねっ返して、逆上させて遊ぼうか、とか考えていた。
けどまあ、二人は割とましな人間だった。だから。
俺は魔物の群れに飛び込んだ。
斬って、穿って、ぶつかって、殴りつけて、避けて。
自ら追わずとも次から次へと俺に向かって来る有象無象を、ひたすらに殺し続ける。死体から溢れるエネルギーを食って魔法で消化することも忘れない。
精霊の心臓である核石の器には、上限がある。食えるエネルギーの量にも限りがある。だから魔力に変換して、魔法をぶっ放して消化するのだ。そんなに凝った魔法は使えない。剣身に炎を纏ったり、風を纏ったりするだけ。炎はそこまで意味はないが、風を纏った剣身を振るうと風が刃となって遠くの敵を切り裂ける。殺傷力は落ちるが、汚れないしなかなかの遠距離の敵にも頑張れば当たる。ここまでくる道中では世話になった。しかしこういう場面で用いるべきは炎だろう。炎で斬ると魔物は早く死ぬ。もう汚れを気にする段階でもない。それに炎の熱は剣身に付いたベッタリとした油を落とすという意味でも有効だ。
散々切り刻んで、疲れたら離脱して、また群れに突っ込んで死体を増やす。四方八方魔物魔物魔物魔物。どこまでやっても終わる気なんてしない。何ヶ月も掛けて活性化した魔物群が、そう簡単に殺し尽くせるわけはないのだ。
それでも俺は、二人組が帰ってくるだろう五日後まで、魔物を斬り続けた。たまに休憩時間に鞘に意識をやって、二人組の様子を覗いたりもして。
──────────
▽杖の男/ラティ
盾が見つかった。二ヶ月以上探し回ったそれは、往復五日かかる滝の裏に転がっていた。ひと目であの精霊の物と分かる紫色の透明な石の目、古風な装飾、金属の色味、その大きさ。
見つけた盾は想定よりも遥かに大きく分厚く、私が軽量の魔法を掛けてもなかなかの重さがあった。普通の人間がこれを盾として扱うのは不可能だろう。
しかし私が魔法を掛けたその時、紫色の目に淡い光が灯った。そしてギョロリと私とシンを一瞥する。重くて運びにくいので、なんとかしてもられないかと頼むと、盾は何も言わずに鞘の形になった。鞘は魔剣の普段の姿に丁度良さそうなサイズで、特段重い事もない。これなら問題無く運べる。お礼を言ったが、数回の瞬きしか帰ってこなかった。もしかしたら鞘や盾では言葉を発せないのかもしれない。恐らくそうだろう。シンは私にも言葉が聞こえないと知ると、意外そうに目を見開いて、じゃあ決めごとをしようかと言って魔剣と遊び始めた。
曰く、瞬き一度で肯定の合図、瞬き二度で否定の合図、瞬き三度で不明の合図、と。子供のように楽しげにルールを決めて、魔剣の鞘に教えていた。
確かに旅の道中は暇だから、そういう会話があると話題にもなって良いかもしれない。
予定より半日早く、深夜、私達は街に帰ってくることが出来た。
シンに魔剣の鞘を預けて、ひとりで夜道を進む。向かう先は教会。
明日には魔剣との交渉が一段階進む事を、教会所属の魔術師であり今回の依頼主である師匠に報告した。
「ご苦労だったのう、ラティ。その報告が聞けてよかった」
「深夜に失礼しました。すみません、お茶まで出して頂いて」
「いいんだよ。今回の依頼は、難題だった。観測班からものう、活性化の第三波が数日以内に起きるだろうと、報告が上がっていたのだ」
活性化の第三波が起きたとなれば、多かれ少なかれ、この街にも被害が出るだろう。
「第三波が観測されてしまえば、もうお前たちにこの件を全任する事が出来なくなるだろう。魔剣の精霊を討伐することなく、助けたいのなら、あまり時間をかけられなかった。お前は間に合った。よくやった、ラティ」
「師匠……。ありがとうございます。やはり私は、傷つけたくないのです。精霊は、意志があって、感情もあります。私達人間と同じなのです」
「お前は、優しい子だのう。……今日はもうお休み。明日、また朝は早いだろう」
「はい」
師匠の家と教会は、街の端にある。私の下宿は中央街なので、そこそこ遠い。華やかな灯りの繁華街を抜けて、静かな住宅街を抜けて、また繁華街を抜けて、次の次くらいの住宅街に通ずる大通り。そこを更に進んだ先に、私の住む二階建ての借家はある。シンもこの近くに家を借りている。魔剣の鞘も一緒にあるはずだ。
明日は早朝から魔剣を訪ねる。事がうまく運ぶように願って、寝床についた。
──────────
▽剣の精霊
魔物の活性化は、治まりつつあった。
昼も夜も関係なく、斬っては食って斬っては食って。時々鞘に意識をやって。辺り一体に充満していた高濃度の生命エネルギーは大分薄まり、新たに魔物が湧く速度も格段に落ちた。
巨大な魔物に踏みつけられたり、命知らずの魔物に噛み砕かれそうになったりと、しんどい場面もいくらかあったが、乗り切ればすぐに自己修復で回復できる。何も問題はない。
鞘が戻ったらもう少し効率よく処理できるようになるから、あと数日あれば活性化も終わらせることが出来るだろう。
そうしたらもう一度ちゃんと説明してやろう。今度は聞く耳を持って、俺がこの活性化の原因ではないことを理解してくれるだろう。最後に、剣の男に手入れをしてもらって大団円だ。
なんて。思っていたのだけれど。