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友鬼


 突然だが、卒業アルバムの話をしようと思う。ちょうど今私の手元にある、この卒業アルバムについての話だ。


 おそらく、ほとんどの小学校、中学校、高等学校において、卒業アルバムを製作しないところはないはずだ。もちろん、それの製作のために製作委員会が立ちあげられ、一年間の思い出の写真や各クラスごとに特別なページを作ったりする等、企画、運営の規模が大きくなることも疑いようがない。


 一応は自由意志とはいえ、よほどの理由が無い限り、ほぼ全員が卒業アルバムを購入することだろう。少々値が張るのがネックと言えばネックだが、一生の思い出の記録をその程度の金額で買えるとなれば、決して後悔することにはならないはずだ。


 もちろん私も、小学校、中学校、高等学校の全てにおいて卒業アルバムを購入している。思えば当時はこんなもの必要ない、思い出なんて振り返らない等と微笑ましい(?)ことを考えたものだが、今となってはどうしてなかなか、読み返してみると懐かしくて面白く、ついつい見入ってしまうことがある。


 さすがに大学の卒業アルバムの購入はしなかったが(そもそも自分に少しでも関係のある記述がほとんどない)、ともあれ、卒業アルバムと言うものは万人にとって、それなりに思い出深い、意味のあるものだという共通認識があることをここで確認しておきたい。


 さて、ここからもう少し踏み込んでいこう。ある意味では、卒業アルバムのメインについての話である。


 おそらくどこの卒業アルバムにもあると思うのだが、最後のほうに空白のページがなかっただろうか?


 何か拍子抜けと言うか、ひょっとして印刷ミスではないかと思えるほど、清々しいほどに真っ白いページだ。遠足のしおりやパンフレットなどによくあるメモ欄にしては妙に立派で、とびら……とはちょっと違うかもしれないが、ともかく本の最後にあるあそびにしても違和感がある。


 書くまでもないが、これはクラスメイト達からのメッセージを書き込むためのページだ。寄書と言うとすこし語弊があるし、そもそもこの【最後のページ】の正式名称を知らないけれど、ともかくそういった意図の元に作られたページである。


 今更確認する必要もないと思うが、卒業アルバムを受け取った生徒たちは(今は卒業式前に受け取るのが主流のようだ)、一生の思い出として、別れて道を進む友人たちにメッセージを書き込むのである。


 『学校は違くてもまた遊ぼう』だとか、『今までありがとうございました!』だとか、『これからも元気でな!』だとか、あるいはシンプルに『じゃあな!』、『卒業おめでとう!』なんて言葉が書かれることが多いだろうか。


 ふざけてくだらないことを書いたり、学生生活を送る中で定着したキャラを利用して書くこともあるかもしれない。部活ネタだっていいし、内輪ネタでもいい。それこそまるで意味のない言葉を書くことだってあるだろう。意外と、『あんまりしゃべらなかったよね』などと、身もふたもない言葉を書かれることも少なくないかもしれない。ノリと勢いだけの言葉が書かれることも珍しくないはずだ。


 中にはちょっと凝ったレイアウトにしてみたり、イラストをつけたりすることもあるらしい。黒のサインペンだけじゃなく、カラフルに彩ってみたり、私が想像すらできないような工夫をして華やかに仕上げる人だっていることだろう。


 びっしりと書かれている人もいれば、空白が目立つ人だっている。卒業アルバムと言うよりかは、転校する際に送られる寄書みたいになっている人もいる。なんかもうぐちゃぐちゃで何が書いてあるのかわからないくらいになっている人もいれば……真っ白で何も書かれていない人も、確実にいるはずだ。


 単純に内容だけじゃなく、今まで話したことのなかった異性からのメッセージに、ちょっとドキドキすることもあるだろう。いや、異性だけじゃなく、単純に関わりの少ない人からのメッセージを受け取って、なんかこう、感動と言うわけじゃないが、卒業という儀式そのものが醸し出す終わりの雰囲気を感じ取ることだってあるだろう。


 ちょっと話がずれたが、ともあれ、この卒業アルバムの最後のページと言うものは、個人個人で全く違う様相を見せていることは疑いようがない。当たり障りのない無難な事しか書かれていないものであっても、まったく同じページを持つ人間は存在しない。必ず、その持ち主ごとの個性が出ているはずなのだ。


 もちろん、この個性と言うものは主観によるものじゃない。周囲の人間が持ち主に抱く個性のイメージがにじみ出たものだ。当然、書いた人間の個性も混じっているわけだから、ある意味ではそのページは持ち主の『客観的なクラス内での個性』を示すことになるのだろう。


 ごちゃごちゃと書いたが、要は【最後のページ】とは『そのクラスでのあなた』が表現されたものに他ならないというわけだ。


 華やかなページを持つ人間は、総じてクラスの中心人物であることが多い。偏見かもしれないが、黒一色で『いかにもそれっぽい』言葉が多い人間はクラスでの主張が少ない人間であることが多い。お調子者のページには、ふざけたことばかりが書いてあることだろう。


 さてさて、長くなったが、ここからが本題だ。


 この最後のページを作る際、『ちょっと書いてよ!』とアルバムをもってそこら中を駆け回る人間を見かける。男子女子問わず(空白のページを持つものを除いて)、仲の良い友人たちやその他気になる人たちの元へ周り、メッセージを書いてもらえるように頼むのである。


 中には、クラス全員のメッセージをコンプリートしようとするものも、学年全体の人間のメッセージをコンプリートしようとする猛者もいる。ただ目についたというだけの理由で、まったく知らない人から書き込んでほしいと頼まれた人も決して少なくないはずだ。


 このメッセージだが、当然自分が書き込んだ後は、『じゃあ、私のアルバムにも何か書いて』と続くことが多い。自然な流れだと思う。もちろん、大半の人間は笑ってそれを了承する。


 例えそれが中身のほとんどないうすっぺらい定型文だったとしても、要は『書いてくれる人間がいる』という事実が重要なわけで、その中身まで重視する人間はほとんどいないだろう。


 そういった風潮があるからこそ、白紙のページを持つものは驚かれる。友達が一人もいないんだな、きっと休み時間はずっと寝たふりで、いつもクラスで浮いていて、体育祭や文化祭にも積極的に参加せず、いてもいなくても変わらない存在だったんだな、などと思われることになるのだ。


 ここで、私は疑問を覚えた。本題に対して前置きが長くなりすぎてしまったが、どうか許してほしい。


 これは、私の中学校の──人生の宝物ともいえる、友情の証の卒業アルバムについての話である。





▲▽▲▽▲▽▲▽





「本当に長えな。で、お前は結局何が言いたいんだ?」


「この空白のページの意味についてだ」


「俺が聞きたいのは、このまさに卒業アルバムにメッセージを書き込む時間に、堂々と空白のページを晒して、その上でわざわざ俺にこんな説教染みた話をした理由についてだ」


「……お前、どうして俺のところに来た?」


「あん? そりゃ、俺だってお前にメッセージを書いてもらいたいからに決まってるだろ? こんな面倒な性格しているけど、一応はお前も友達だしな。それに、進学先違うからこれから会う機会なんて減っちまうだろうし」


「それだ」


「はあ?」


「お前の卒アルはそこそこ埋まっている。俺が今書いたのはもちろん、他の友人たちも書き込んでいるからな」


「……それがどうしたんだよ?」


「自慢じゃないが、俺もお前と同じくらいに友人がいる。というか、いつもつるんでいる連中は一緒だし、他のグループというか、クラスの連中とも普通に話す。ずっと話すというわけじゃないが、毎日女子と何かしらの形で会話しているし、人並み以上にクラスに溶け込んでいるという自負がある」


「お前、顔が広いってか、特定のグループに深入りしない代わりに全部のグループに顔が効くもんな」


「まあ、そんなわけでさっきからひっきりなしにいろんなやつの卒アルにメッセージを書き込んでいる。もちろん、適当じゃなくて、俺なりに精いっぱい考えたものだ」


「『遅刻しないように、これからは早寝早起きを心がけましょう』……ね。ネタ枠ってやつだな。……なぁ、もう行っていい? まだ回るやついっぱいいるんだけど。お前だってほら、空くのまってるやつがいるじゃん?」


「だから、そこだよ」


「はあ?」


「『俺の卒アルに書いてくれ』ってやつはいるのに、『お前の卒アルに書かせてくれ』ってやつはひとりもいない。俺だけじゃなく、このクラス全体でだ」


「……」


「決まってそうだ。『書いてくれ』、『じゃあ、俺のも書いてくれ』。これがワンセット。みんな友達で離れていてもずっと一緒だ……なんて言ってるくせに、『友達だから書かせてくれ』ってやつが一人もいない。見返りも何もなしに、まず最初にお前の卒アルに書かせてくれって言うやつが一人もいない」


「……」


「自分から動いて頼まないと、卒アルに書き込んでもらえない。あるいは、『書いた報酬』でしか、卒アルに書き込んでもらえない」


「……」


「おかしいだろ? なあ、それって本当の友情なのか?」


「……」


「確かに白いページが染まっていく。だけど、それを染めたのは本当に友情なのか? 俺には精いっぱい見栄を張っている様にしか見えない。『こんなに友達いるんだぜ!』って、まるでエリマキトカゲみたいに自分を大きく見せている様にしか思えない。だってそれ、自分で必死に集めたものじゃないか。友情ってのは、そういうものなのか?」


「……」


「空白のページをさ、どうしてみんな悪いものだと思うんだ? どうして空白のページを恐れるんだ? 『言葉を残さなくても通じ合っている』……そういう使い方でもいいんじゃないか? なんで、そういう考えができないんだ? どうして、形に残さないとダメなんだ? 形に残さなきゃ信じられないのか?」


「……それ、負け犬の遠吠えってやつじゃねえの?」


「確かにそうだろう。実際、まるで声をかけられないやつも世の中に入る」


「じゃあもう、それでいいじゃん」


「だがな、声をかけてもらい、何人もの卒業アルバムに記入し、それでなお白紙なんだ。そうなるともう、この白紙のページというのは意味がまるで変わってくると、俺はそう思う」


「意味、ねえ?」


「みじめだと思うやつもいるだろう。だが、俺はむしろこれは誇り高いものだと思う。不安定な友情にびくびくして駆けずり回ることなどせず、俺が信じた友を信じて……メッセージがないことなんてくだらない、些細な事だと思えるほど、その友情を信じた証だと思うんだ」


「……」


「メッセージの有無だけで、お前らのその友情はなくなるものなのかって、俺はそう言いたい。本当の友情なら、別にこの程度のことで気にする必要はないだろうと、そう言いたい」


「……ふぅん」


「走り回っているやつらはさ、そりゃ、思い出が欲しいってのもあるだろうさ。だけどな、さっきも言った通り、中身なんて適当でも満足してるんだよ。思い出として最も重要であるはずの中身なんて、まるで気にしちゃいないんだ。それすなわち、友情のためにメッセージを貰ってるんじゃなくて、自分の見栄や保身のためにメッセージを集めているのにほかならないわけだ」


「繰り返しになるけど、つまりおまえは何が言いたいんだ?」


「周りの人間が全員滑稽に見える。最後の最後で失望した。お前らの友情を信じた俺がバカだった」


「……は?」


「最後だからな。ぶっちゃけさせてくれよ。ああ、もちろん、俺は俺の信じる友情を貫き通した。メッセージは全部、俺なりに心を込めて書いたし、俺はお前らの友情を信じていたから、書き込まれなくてもなんとも思わない。むしろ、自分から動いて書き込んでもらったメッセージが一つもないことを、誇りに思う」



▲▽▲▽▲▽▲▽



 ……寄越せ。


 てめえの卒アル、寄越せって言ってるんだ。


 てめえの友情の価値観ってのはよくわかった。


 だからこそ、俺が信じる友情ってのをてめえの価値観に合わせて書き込んでやるよ。


 俺たち、友達だからな。おまえのこと、ちょっとは知ってるつもりだぜ? 


 ……ほらよ、こういうのが好きなんだろ?



▲▽▲▽▲▽▲▽



 ──友鬼は、今日もアルバムを見返している。

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