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吐鬼


 私は油粘土というものが大嫌いだ。


 私が油粘土という存在を知ったのがいつのことだったのか──残念ながら、詳しいことは覚えていない。唯一はっきりしているのは、私が物心を持った時にはもう、それは身近な存在として私の周りに当たり前のようにあったという純然たる事実だけだ。


 私は保育園に通っていた。その保育園では、玩具の一つとして油粘土を取り扱っていた。玩具と言ってもみんなで共有しているものではなく、個人個人が──おそらくは両親が備品の一つとして買い与えたものだと思う。幼い私には詳しいところを知る由もなかったが、ともかくそれは部屋の後ろのロッカーの中、お道具箱の片隅にいつだって置いてあった。


 油粘土が私の目の前に出てくるのは、天気が悪い日が多かったように思える。子供を外で遊ばせることが出来ない以上、出来る部屋遊びなんて限られてくるし、先生の体だっていくつもあるわけじゃない。そういった観点では、(一応は)一人遊びをすることができる油粘土はなかなか優秀な存在だったのだろう。


 大抵の子供たちは、机の上に鎮座する油粘土に目を輝かせていた。ぺたぺたと触り、こねこねとこねて、そしてぎゅっと握ってにっこり笑う。自分の手の中で自在に動く夢の塊に、遥かなる想像力の翼を広げていたに違いない。オーソドックスなものから突飛なものまで、実にいろんなものをその小さな手で創り出していたように思える。


 もちろん、中には何を作っていいかわからず、おろおろしたりぼーっとしたり──あるいは、隣の子にちょっかいをかける子供もいないわけじゃあなかった。しかし、先生がやってきて、一緒に象さんでも作りながら遊び方を覚えれば──たちまちのうちに、その夢の塊に夢中になっていた。


 手を粘土で汚し。爪の間まで粘土塗れになって。男の子も女の子も、みんな油粘土で遊ぶことが大好きだった。そりゃあ、晴れている日までわざわざ油粘土を引っ張り出して遊ぶ者はいなかったものの、それでもいざ目の前にそれが出ていれば、そのことだけしか考えられなくなっていた。


 そんな、子供に大人気な油粘土。誰もが夢中になる夢の塊。


 しかし私には、それが醜悪で悍ましいものにしか感じられなかった。


 形容することすらできないあの異様な匂い。古い公園の公衆トイレだとか、牧場の牛舎だとか、そういった場所で香る【悪臭】とは明らかに異なる匂い。「くさい」という表現ではなく、生理的嫌悪感を覚える──いわば、毒物のそれに近いものを私は鼻からねじこまれているようにしか思えなかった。


 胸がムカムカして、気分が悪くなって、軽く頭が痛くなったりもした。悪い宇宙人が作った、怪しい薬の匂いなんじゃないかと本気で思いさえした。とにもかくにもその匂いに耐え切れず、思わず窓辺へと駆けだしてしまったくらいである。


 手にこびりついたあの感触も忌々しかった。にちゃにちゃ、ぐちゃぐちゃと、まるで化け物の内臓を揉んでいるかのような感覚。ぎゅっと握るとぶにゅりと潰れて、死にかけの芋虫がのたうつかのように指の間から飛び出てくる。あの気色悪い感覚は、大人になった今でも表現できそうにない。


 そのうえ、アレは爪の間にこびりつく。こすってもこすっても落ちないし、思いもしないところにこびりついていたりもする。石鹸を使おうがスポンジを使おうがまるで効果が無いし、くわえて言えばアレの匂いはたかだか洗う程度じゃとても落ちない。


 ずっとずっとごしごしと洗い続けて、ずっとずっと水で流し続けて。不審に思ったのであろう先生が私を探しに水道にやってきたときには、私の手は真っ赤になっていて、あかぎれ──というよりも、出血一歩手前の状態になっていた。


 無論、先生はそんな私の手を見て酷く慌てていた。五歳にもならない子供が血が出る寸前まで手を洗い続けているのを見て、驚かないはずがない。「どうしたの!?」──と事情を聴くよりも前に、真っ青な顔をして傷の手当てをし始めた。


 ここでようやく、私は一息をつくことができた。消毒液の爽やかな匂いが、あの思い出すのも忌々しい匂いをすっかり取り払ってくれたからだ。消毒液のアルコールが化学的に作用したのか、あるいは単純に強い匂いで上書きされたのかはわからないが、ともかく私は心の底から安心できて、ここでようやく自分の手に尋常ならざる痛みが走っていることに気付いた。


 「もう大丈夫だからね……」と優しく私を抱きしめてくれた先生に、今になって罪悪感を覚える。あの時は何とも思わなかったが、これはなかなかに由々しき問題なのではなかろうか。監督不行届と言われても何らおかしくはない事態である。


 ともあれ、この一件からわかる通り、私はとにかく油粘土というものを生理的に受け付けなかった。危ない化学製品とヘドロを足して二で割ったようなあの色も嫌だったし、化け物の内臓のような見た目や感触も嫌だったし、なによりあの匂いが無理だった。


 油粘土という存在の全てが、私には受け入れられなかった。どんなに好きになろうと努力しても、どうしてもダメだった。好きとか嫌いとか、そういうレベルを超えた先にある純然たる嫌悪感のみが、私が油粘土に抱く全てであった。


 さて、そうは言うものの、子供の時分に自らの意思を論理的に主張したり、あるいはそれ相応の行動力で意志を伝えたりなんてできるはずもない。雨の日になって油粘土で遊ぶことになれば、否応なしにそれに巻き込まれることになる。


 あの雨の日も、当然のごとく私は油粘土で遊ぶことを拒否した。それは幼い子供特有の拙い伝え方ではあったけれど、はっきりとそれを拒んだ。


 しかし、それは通じなかった。「遊んでみると楽しいよ?」、「そんなこと言わずに、先生に──くんの粘土を見せてほしいなぁ」だとか、先生は困った様に笑いながら、文字通りわがままを言ってぐずる子供をあやすように私の頭を撫でてきた。


 ちょっと話はそれるが、私は基本的に大人しく、聞き分けの良い子供であった。ワガママなんて言わないし、他の子どものようにお昼寝の時間に暴れまわったりもしない。「いただきます」と「ごちそうさま」がきちんとできて、食器のお片付けだって一人で出来た。着替えるのも、トイレに行くのも──先生の手を煩わせた記憶というものが一切ない。それどころか、暴れるやんちゃ坊やぐずる子供たちの手を引っ張って先生の真似ごとすらしていた記憶がある。


 ともかく、自分で言うのもなんだが、そんな品行方正、謹厳実直、清廉恪勤な私がそうも油粘土を嫌がるという事実そのものを、先生には考慮してほしかった。普段はワガママなんて言わない私が子供のようにそれを拒否するという事実に、なにか不可思議な所があると感付いてほしかった。


 しかしながら、先生は「──くんにも、こんな子供らしいところがあったんだね!」と、裏で嬉しそうに笑うだけ。


 私はこの時、生まれて初めて舌打ちをした。少なくとも、私の記憶にある最古の舌打ちは、このときだった。


 さてさて、こうなるともう、私には選択肢なんてほとんどなかった。というか、油粘土なんていう悍ましい汚物に嬉しそうに弄る集団に囲まれて、生きた心地がしなかった。あんなものを自らこねくり回す連中はきっと人間の皮を被った化け物なのだと本気で恐怖したし(実際、子供の行動が理性的なわけがない)、優しいはずの先生まで気が狂れたかのように油粘土を称える言葉を発するものだから、化け物の親玉に洗脳されたか、あるいは偽物がすり替わっているのだという思いを捨て去ることが出来なかった。


 そして私は、ある恐ろしい事実に思い当たった。


 油粘土は化け物のエサ──あるいは、化け物の玩具なのだ。だから、人間である私には油粘土があのように悍ましいものに思えるのだ。他の子たちは油粘土が平気であるのは、実は彼らが人間ではなく化け物であるから──いいや、最初は普通の人間だったものの、油粘土で遊ぶうちにすっかり化け物になってしまったからなのだ。


 この保育園は油粘土を使って、人間を化け物にしているのだ。人間の子供を育てているように見せかけて、化け物を増やしているのだ。そうして、世界を征服せんと目論んでいるのだ。


 今から思えば、あまりにバカげた──というよりか、子供らしい微笑ましい恐怖だと思う。あえて述べるまでもないが、保育園は子供が健やかに育ってもらうために存在しているし、油粘土に人を化け物に変える力はない。私が油粘土を嫌うのも、油粘土が化け物のエサだからじゃあなくて、(少々行き過ぎているきらいがあるが)単純に個人の嗜好によるものである。


 しかし、そんなバカげた微笑ましい妄想も、幼い私にとっては、今ここにある現実であった。


 一瞬で恐怖した。絶望の淵に立たされたと言ってもいい。自分でもわかるくらいに血の気が引いて、さぁっと顔が冷たくなっていったのをはっきりと覚えている。


 周りにいるのは、人間の皮を被った化け物の子供。あんな悍ましい塊を平気で触って楽しんでいるのだから、それは疑いようがない。もしかしたらあんまり乗り気じゃないあの子はまだ化け物じゃないのかもしれないけれど、しかし自分ほど拒絶していないところを見ると、もう元に戻すことは出来ないかもしれない。


 そして、絶対的な存在として先生がいる。油粘土で遊ぶように通達した諸悪の根源だ。いつも優しいのはきっとこの時に疑いをもたれないようにするため。本当は私を化け物にすることで頭がいっぱいで、そして私ではどうがんばっても先生を打倒することは出来ない。


 実際、幼い私に何が出来たというのだろう? 暴力的手段はもちろん、脱走することだって難しい。門は固く閉ざされているし、そうでなくとも、あっという間に先生に見つかって連れ戻される姿が想像できた。


 こうなった以上、私に取れる手段なんて一つしかない。


 そう、母親が迎えに来てくれるまで、なんとか今日一日をやり過ごすのだ。


 そのためには、いつも通り「いいこ」でなければならない。いつも通りの日常を、いつも通りに過ごさなくてはならない。


 すなわち、「いいこ」として、【油粘土で元気いっぱいに遊ぶ】という「いつも通りの日常」を演じなくてはならない。


 私は、勇気を出して油粘土を手に取った。にちゃりとした感触が肌から掌へ、腕へ、胸へ、そして首元に伝わってくる。最低最悪の物体が絡みついてきている気がして、軽く鳥肌が立った。


 もちろん、手に取るだけじゃダメだ。私はこの汚物を使って遊ばなくちゃならない。


 指先に力を込めて、油粘土を千切る。思っていた以上にあっけなく、吐き気を催すほどグロテスクな断面を見せつけながら、それは私の手の中に飛び移ってきた。


 文字通り、叫びそうになった。どうして自分がこんな目に合わなきゃいけないのかと、心の底から思った。


 掌から伝わるそれが、ただただひたすらに私の気分を悪くさせた。目を瞑っても、それははっきりと伝わってくる。それどころか、視覚情報という余分な情報がシャットアウトされた分、より顕著に伝わってくるような気がした。


 そしてやっぱり、あの匂い。千切ったからか、はたまた私の手のひらから出た汗のせいか──ともかく、あの生理的嫌悪感という陳腐な言葉ではとても言い表せない匂いが強くなり、下水管を詰まらせる汚物のように私の鼻に押し寄せる。


 泣き叫ばなかった私を、どうか褒めてほしい。あの時はただ、化け物になる前に母親に会いたいという、その強い思いだけで正気を保っていたのだ。


 こねて、ちぎって。


 こねて、ちぎって。


 たまに繋げて、にちゃにちゃ握って、そして掌を押し付ける。


 泣きそうになりながら、叫びそうになりながら。それでも私はひきつった笑顔を顔に張り付け、か細く震える声で歓喜を示し、そして他の子どものように暴れることなく──暴れることが出来たらどれだけ楽だったか──不格好な象さんを作り上げた。


 自分の精神力にあれほど感謝したことはない。強き心を持たせて産んでくれた母親に、あれほど感謝したことはない。


 これで、ようやく解放される。そんな思いを胸に、私はその不格好な象さんを先生に見せた。今度は心の底からの、本気の笑みを浮かべて。



『すごいすごい! 先生、もっと──くんの粘土見てみたいな! 今度は別のものを作ってみよう!』



 その言葉を聞いて、私の中の何か大事なものがプツリと千切れた。


 私の目の前にあるのは新しい油粘土。さっき作った象さんは、先生が粘土板に乗せて前の方に飾っている。だから、これは──すごい象さんを作ったご褒美として先生が開封してくれた、私のためだけの、予備の新品の油粘土だ。


 忌まわしき匂いをぷんぷんと放つ、油粘土だ。それも、開封したてほやほやで、匂いの劣化が一切ない。


 先生の笑顔に見守られて、青い顔をした私はそれに手を伸ばす。にちゃにちゃした感じはずっと強く、奇妙にてらてらとぬめっている。


 吐き気を催すあの異臭。指先にこびりつくあの感覚。


 胸がムカムカして、目の前がくらくらして。


 もうダメだ、私はここで終わるのだ──と、本気で思った。


 そして、次の瞬間。


 私の意識がひっくり返り、そして先生の声と、周りの子供たちの悲鳴が聞こえた。


 不快感は相変わらず。だのに、油粘土の匂いはしない。


 変わりに感じたのは、特有の饐えた匂い。


 ──何のことはない。油粘土が気持ち悪すぎて、私が盛大に吐いたというだけだ。



 さて、ここから先は語ることも少ない。吐瀉物の処理が一通り終わり、そして私も落ち着いたころ、先生は涙目でただひたすらに謝ってきた。迎えに来た母親も事の顛末を聞いて「吐くほど嫌なのに続けるなんて、変なところで真面目なんだから……!」って呆れたように笑っていた。


 それ以降、私は基本的に油粘土で遊ばなくても良いということになった。雨の日でみんなが油粘土を使うときは、一人窓際で大人しく絵本を読んでいた。前述したが私はもともと聞き分けが良くて大人しい子であったため、あえてわざわざ油粘土で遊ばせる理由は先生にもなかったのである。


 もちろん、発表会や展示会の類で油粘土を使わねばならない事態もないわけじゃなかった。しかし、そこは先生が私のことを考慮してくれたため、十分に換気が行き届いた場所で、ほんのちょっぴり油粘土を千切ってしまえば、【不格好な動物】ということで全てを処理してくれた。


 あえて語るまでもないだろうが、私の油粘土に関する一切の疑惑──先生が洗脳されているだとか、油粘土は化け物のエサだとか、そういった諸々も払拭されることになった。あの雨の日の夜、風呂で母親にすべてを打ち明け、『粘土なんかなくても、あんたには十分想像力がある……っていうか、ありすぎるのも問題だねぇ』っておでこを小突かれたのをはっきりと覚えている。


 とにかく、これが私の幼少期における油粘土の記憶である。これで私がいかに油粘土を嫌うのかが伝わってくれたことだろう。


 重要なのは、大人になった今も、私は油粘土が大っ嫌いだということだ。


 そしてそれは、子供の時分よりも──力も知恵も何もなかった時よりも、はるかに強い思いとなっている。


 そう、はるかに強くなってしまっているんだ。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 私は油粘土が嫌いだ。大嫌いだ。


 それはこれからも変わらないし、変えようとも思わない。


 だから。


 だから、娘よ。


 頼むから、その悍ましい匂いのする手で私に触らないでくれ。


 そんなことをされたら、私は──



▲▽▲▽▲▽▲▽



 ──吐鬼は、今日も吐いている。

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