狂鬼
ちょっと話を聞いてくれないか?
うちの家って結構田舎の方にあってさ、コンビニもバス停も近くにはないし、そのバスも朝の通学の時間帯でさえ二時間に三本しかないっていう辺鄙なところなんだ。近くにゃ信号すらないし、街灯もろくに無い。あるのは昔からそこにある古い家ばかり。
自然豊かで……っていえば聞こえはいいけど、実際はそんなにいいものでもない。禽獣どもがしょっちゅうゴミを荒らしたりする。猫だろ、モグラだろ、ネズミもいるし、狸もいる。ハクビシンもそうだし、亀やヘビなんかもいる。ちっちゃいけどカニだっていたっけ。嘘かホントか、昔はイノシシもいたらしい。
実際、猟犬を飼っている家もあるし、鷹を連れて散歩している人もいる。母さんも『昔は通学途中で猟銃の音を頻繁に聞いていた』って言ってたな。空の薬莢を拾って遊ぶのが子供たちの間でブームだったらしいぜ?
ここまで話せばわかるだろうけど、近くに住んでいるのもほとんどが爺さんや婆さんだ。それも無駄にたくましいタイプの。若いのなんて俺と姉さんくらいしかいないんじゃね? 俺、近所の子と遊んだ事って一回もない……っていうか、そもそも近所に子供がいなかったしな。
そう、まさに田舎。文字通り、畑と山と……それから川しかないところなんだ。
ただ、この川ってのがちょっと問題でさ。いや、川そのものはいいんだけど、ともかくこれが最近の俺の悩みの種なんだよな。
この川さ、昔は結構頻繁にあふれていたらしいんだよ。大雨の度にあふれて、うちの母さんは胸までびしょびしょになりながら橋を渡って学校に行ったって話だ。
クソみたいなことに、このあふれる川を境に学区が制定されているんだよな。ちょうどここらの人間さ、山と川に挟まれた場所に家を構えているんだけど、これだと学区的には山を越えたところの学校に行かなきゃいけないんだよね。
もちろん、子供に山越えは危険だ。だから何十年と前から山を学区の区切りにするように市に訴えているんだけど、一向に変わる気配がない。この辺に子供がいないのも、それが原因の一つだったりする。
おっと、話がずれた。川についてだったよな。
この川さ、俺が小学生になる半年くらい前に治水工事があったんだよ。河川改修工事っていうのかな? 川岸をコンクリート(?)で固めてさ、氾濫とか起きないようにするってヤツ。実際、それが行われてから一度もあの川は氾濫していないんだ。
で、それと一緒に川辺に公園が作られたんだよ。いわゆる親水公園ってやつなのかな。川沿いだから縦に長くて、散歩道とかジョギングとかにぴったりなんだ。ただ、遊具とかは全然なかったんだけど。
こいつは俺たちの通学路にもなった。ちょっと前までマジで何もない荒れた原っぱみたいなところがいい感じの道になったんだ、使わない手はないだろ?
歩きやすいし、暗くなったら川沿いの街灯が灯る。公園内だから車とかの心配もない。ま、もともと心配するほど車が通る場所でもないんだけど。
ここさ、桜が植えられていて、春になるといい感じの桜並木になったんだ。ただ、当初は植えられたばかりで貧相だったし、何もない田舎だったから、駐車場があったとはいえ、ほとんど人はいなかったんだよね。
いるのは、毎朝通学で通る俺たちと、近所の爺さん婆さんくらいだ。年寄りはやたらと散歩をしたがるし、犬の散歩にゃもってこいだったからな。さりげなく、俺たちが自転車の練習をしたのもこの公園なんだぜ。
で、だ。最初は人も少なくて平和だったんだけど、だんだんその噂が広がったのか、いろんな奴が押し掛けてくるようになったんだよ。
一番目立ったのは犬の散歩客か? ふざけたことに、車でやってきて、田舎なのをいいことにリードもつけずに放し飼いしてやがんの。たまにつけていると思ったら、なんか伸びるクソみたいなリードだし。何のためのリードかってブチギレそうになったね。
しかもさ、そういうやつに限って『うちの子は噛まないから~』なんて言いやがるの。そんなの関係ねえんだよ。小型だろうと中型だろうと畜生は畜生だろうが。牙も爪もあるだろうが。小学生にとっちゃ猛獣と変わりねえんだよ。マジで怖いんだよ。
追いかけ回されて図工の課題をぶっ壊されたの、ぜってぇ忘れねえぞクソが。なぁにが『ちょっとふざけただけなのよ~』だ、あのくそババア。俺もふざけててめえの顔面ぶん殴ってもいいのか?
勘違いしないでほしいのは、近所の人間はきちんとリードをつけていたってところだ。あの人たちは生粋の猟師ってものをしっているから、犬との『絆』って言葉の、本当の意味を知っている。家族とかそんなんじゃあなくて、相棒としての、人間と動物の本来の意味の絆だ。
だから、例え放し飼いにして犬の散歩をしていたとしても、遠目に俺たちの姿を見た瞬間に首根っこつかんでリードをつけてくれた。それでなお騒ぐ犬には軽く蹴って体で警告したりもしていた。ゲンコツで黙らせているところも見たことがある。
だいたいの奴が猟犬だったけど、でも、俺にとっちゃくそババアの愛玩犬よりも、あの人たちがつれている猟犬のほうがよっぽど安心できたし、なによりもその在り方を信頼できた。俺たちに危害を加えられるはずがないって、本能に近いところで確信できたんだよね。
しかしまぁ、出来てから数年はほとんど同じやつしか見なかったのに、マジでいきなり人が増えた。お世辞にも大きいとは言えない駐車場はすぐに満車になって、クソみたいな路駐が増える。桜並木に群がってバカ騒ぎする連中もいっぱいだ。
しかもそいつら、田舎の細い道の片側全面に路駐しやがるし。信じられるか? ちょっと数えてみたら、百台以上も停まっているんだぜ?
ウチの母さんもブチギレて市と警察に電話してたよ。そしたら、警察も『クレームが何件も入っていますし、そのたびにパトカーを出動させているのですが、イタチごっこでして……』って言ってくるんだ。逆に警察が可愛そうになったよね、うん。
おっと、まただいぶ話がそれちまった。とりあえず、クソどもがいっぱい集まるようになったってのだけは伝わってほしい。
で、だ。ここからが重要なところだ。
集まるクソどもの中にさ、近所の野良猫に餌を与えるババアがいるんだよ。だいたい夕方ごろに車をT字路のところに停めてさ、それだけでもむかつくってのに、そこで猫に餌を与え始めるんだよね。
常識的に考えて、野良猫に餌を与えちゃいけないだろ?
だってさ、その野良猫どもに近所の人間は迷惑してるんだぜ? ゴミは荒らすし、作物も荒らすし、屋根の上で喧嘩するし、軒下で発情して夜中にクソうるさく鳴くし……。
まぁ、百害あって一利なしってやつだ。
で、そのおばさん。最初はたまに見る程度だったんだけど、そのうち毎日来るようになったんだ。猫どももその時間を覚えたのか、おばさんが来る時間が近づくとどこからともなく……だいたい二十匹ちかくがのそのそと集まってくる。
もちろん、邪魔だ。うるせえ。なにより、その時一緒にいろんなものを荒らしていく。
おかしくねえ? なんで猫に餌あげるの? そんなに猫の世話をしたいなら、拾って自分の家で飼えって話だろ?
あのババア、それは絶対にしないんだよ。いっつもエサだけあげて、たまにその様子を写真に撮ったり頭を撫でたりして、満足そうに帰っていく。
猫のクソとかションベンとか、そういう被害を一切気にした様子もなくな。
あいつらさ、生命と共に在るって考えの根本を理解していないんだよ。はき違えているんだよ。
ただ可愛がりたいだけで、あいつらは生命に責任を持っていないんだよ。クソの始末も、住居の問題も、生き物を飼うことに対する責任を、あいつらは我儘な子供みたいに放り投げているんだ。
知っているか? あのババアが来てからさ。
──猫の死骸を見る機会が増えたんだぜ?
今まで精々五年に一回、それも老衰したいつおっ死んでも仕方ないくらいの老猫の死骸しか見たことが無かったのに、ここ最近は二か月に一回くらいのペースで、かなり若い猫の死骸が見つかるんだ。
死因? そんなのわかりきっている。あのババアだ。
あのババアが餌をやるせいで、猫どもは獲物を仕留める必要がなくなった。だから、身体能力が低下して、車に轢かれやすくなったんだ。
俺が見たの、七割が轢死体だ。その半分近くが、下半身から後ろ脚にかけてぺっちゃんこ。この意味、わかるだろ?
そりゃ、車が増えたってのも理由の一つだろうさ。でもな、昔から車そのものは通っていたんだ。あんな風な死骸を見たことなんて、俺も、母さんも、近所の人間も一度もなかったんだよ。
それだけじゃあない。あのババアが餌をやるせいで、肥満の猫が増えた。
そりゃそうだ。トーシロの人間様が用意したものだからな。栄養バランスなんて考えられちゃいない。ついでに、動かずとも食える。これで太るなって方がおかしい。
自然界において肥満なんて、本来あり得ないんだ。そんな優しい世界じゃないんだよ。
そんな肥満な猫が増えたら、どうなる?
うん、別の敵に殺されるよね。それが生き物の時もあるし、車の時もあるけれど。
そうそう、子猫の死骸も増えたぜ。生まれたときから安全に飯が食えるから、野生としての本能が鈍っているっぽいな。
カラスに体中を穴だらけにされていたり、やっぱり車に轢かれていたりする。あ、飯が安定的に手に入るから、親猫どもがハッスルしまくって母数が増えたってのも増加要因の一つだろうけど。
いやあ、家を出た瞬間、目玉のえぐられた子猫が降ってきたときはビビったよ。なんか、屋根の上でカラスが子猫を喰っていて、扉を開ける音で驚いたらしいんだよね。
さて、これだけ被害が出ているというのに、まだババアは餌をやることを止めない。猫どもも、ババアから餌をもらうことをやめない。
雨が降っても、雪が降っても、いつもの時間にババアの元に集う。
自分の子供が死んでいても、決まっていつもの時間にババアの元に集う。
野生としての──本来自分があるべき姿を捨てても、ババアの元に集う。
俺さ、これ見て思ったよ。寒気がしたといってもいい。
だってさ、これさ──麻薬中毒者と一緒じゃね?
エサっていう麻薬に溺れて、猫どもはどんどん死んでいく。なのに、それを求めてしまう。ほら、そっくりじゃないか。
さしずめ、あのババアは麻薬の売人ってところか? 餌と言う麻薬を捌く代わりに、自己満足と言う報酬を得て帰っていく。麻薬を渡した顧客は、次はもっと別の客を引き連れてババアのもとにやってくる。
数回ブツを渡すころには、本来の自分の力を奪われた、もうババアなしでは生きていけない哀れな客が出来上がるって寸法だ。
渡すものがクスリかエサか、もらうものが金か満足か、対象が人間かネコかの違いでしかない。どう考えたって、あのババアは猫をそれと気づかずに亡ぼしにかかっている。
俺は、猫が可哀想だと思う。あのババアさえいなければ、昔通り近所の野良猫として、イタズラ猫として、自然としての生命を謳歌できたはずなんだ。その過程で傷つき、死ぬことがあったとしても、少なくとも猫としての誇りをもって、満足……とはいかないまでも、ある程度納得して死ねたと思うんだ。
だのに、今では猫としての能力を軒並み奪われている。たぶんもう、自分で餌をとることができる猫はほとんどいない。
文字通り、あのババアがいなくなったら、死んでしまうだろうな。だってもうどうしようもねーんだもん。
納得できるか? そんな死に方が。猫の気持ちなんてわからないけどさ、俺が猫なら、少なくとも猫として真っ当に生きて、猫としての全力を出した末に逝きたいね。
あ、そうそう。
一回だけさ、あのババアに話しかけられたことがあるんだよ。
あれはたしか、学校からの帰り道。車道のところで猫が昼寝していたから(昔の猫はこんなことしなかった。少なくとも、視界に入るころにはさっさと逃げていた)、自転車のベルをちりんちりんって鳴らして追っ払ったんだ。
その直後。『なんて危ないことするんですか! 今ので驚いた猫ちゃんが、飛び出して轢かれたらどう責任取るんですか!?』って怒鳴られたんだよね。
いや、笑いだしたかったよね。そんな猫、お前が来るまでいなかったよって言いたかったよ。
つーかさ、アンタがそこで餌をやるから猫が車道に集まっているって、なんで気付かないのかね?
むしろ、速度を遅めて注意を促した俺ってほめられるべきじゃね? 自然界なら轢き殺されてたぜ?
もちろん、俺は反論……というか、優しく諭したさ。今までのこと全部、エサをやることについての弊害や、そんなに可愛いなら自分のところで飼うことも勧めたさ。
ダメだね、ありゃ。聞く耳持たねえや。『ウチの猫ちゃんがそんなkjhggぢゃw』って、ヒステリー起こして泡吹いていたよ。マジで何言ってるか聞き取れなかった。
ぶっちゃけ、けっこう怖かった。目がイっちゃってたんだもん。マジでヤク中かって思ったし。
今日もあのババアは猫に餌を与え続けている。近所の人間も、俺も、動物が苦手な姉ちゃんでさえ、憐れんでその様子を見ることしかできない。
俺たちがどうしたところであのババアがいる限り解決はしないし、悲しい話だけど、ある意味じゃこれも自然の一部だ。淘汰されるならそれまでってことなんだろう。
俺が気に食わないのは、それが一人の人間の勘違いした押しつけがましい自己満足に因ることだってことだ。
生存競争に負けたってのならいい。突如現れた天敵に滅ぼされたってのもまだ納得できる。
けどさ、『私はこんなにも猫ちゃんを愛しているのに!』とか言ってるやつの自己満足のせいで死んでいくとか、嫌じゃね? 俺なら、死んでも死にきれない。
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なんかもう、本当に狂ってるよ。いろんな意味で。
あのババア、狂ってることに気づいていないんだ。
猫自身も狂ってることに気づいていないとか、もうどうしようもねえな。
ま、狂っていようがいまいが、俺にゃあんまり関係ない。
せいぜい狂っている者同士、好きにやってりゃいいさ。
次の死骸がどうなるのか、ホントそれだけは気が重いっての。
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──狂鬼は、今日も笑っている。