珠鬼
世界で一番美しい宝石は何だろうか。
もしそう聞かれたのなら、僕は自信をもって答えることができる。
それは誰にでもあるものだ。人は生まれ落ちた瞬間から──いや、正確にいえば母の胎内にいるときから持っているけれど、ともかく美しいそれをみんなもっている。
もちろん、誰一人として同じ宝石をもっているわけではない。中にはやっぱり、美しさの優劣がついてしまうケースもある。僕はその一つとして同じものが無い多様さも美しさの一つだと思うけど、明らかに美しくないそれを持っている人がいるのも間違いではない。
きれいなきれいなそれ。できれば手に取ってじっくりと眺めてみたいけど、残念ながらそれはできない。
僕が好きなのは、やっぱり最もスタンダードなタイプだ。大きさは手のひらに乗るくらい。遠くから見ると透き通った黒だけど、近くで見ると茶色や薄黒が絶妙なグラデーションをなしていて、とても美しい。
幾何学的な真円も綺麗だし、時折不規則に交じる模様も綺麗だ。二重の円の比率も美しいし、円の際のぼやけた影もまた堪らない。
コントラストっていうのかな? 色と色とがくっきりと分かれているところなんて、もう本当にすごいよね。それのバランスでさえ、誰一人として同じものはないし、左右の空白のバランス、下にもあるのかどうか……中には四方にある人もいるっていうから驚きだ。残念ながら僕は一度もそれを見たことが無いけれど。
でもやっぱり、一番すごいのは透き通った宝石が見せるその立体感だと思う。その部分はほとんど平面のはずなのに、ずっと見つめているとまるで吸い込まれてしまうかのように、そのセカイの中に奥行きを感じるんだ。
まるで、光の海に溺れてしまうかのよう。宝石の雲に飛び込んだ、っていうのもいい表現かもしれない。あるいは、琥珀の光に包まれている……とか?
ともかく、宝石は言葉にできない美しさを持っているってことだけはわかってほしい。
この透き通ったそれをじっと見つめるのが僕は好きだ。ずうっと見ていると時折照れたようにくるくる動くところも可愛らしい。中心部の真っ黒から、可愛い妖精がひょっこり出てきてくれるんじゃないかなって、そう思うことさえある。
自分の宝石も好きだけど、隣の席の支倉さんのもすごくきれいだ。彼女の場合、僕のそれに比べて円が大きくて、色合いも茶色味が強い。窓際の席だからか、日差しが入ってきて眩しそうにするとき、その茶色がキラキラと光る。本当に琥珀みたいで、思わず見とれてしまうことが何度もあった。
ちょっと大きめ、っていうのが個人的にはポイントが高い。僕にはない茶色のグラデーションも、深みと明るさがあってチャーミングに見える。
じっと見ていたらなんか支倉さんが照れだしたけど、それだけがわからない。すごく可愛いし綺麗なのだから、もっと誇りに思えばいいと思う。せめて隠さずに、こっちに見せてくれたらいいのになって思ったよ。
ああもう、本当に何もかも忘れてずっとそれを見ていたい。出来ることなら、支倉さんのそれを貰いたいくらい。
しょうがないからずっと見ているだけで我慢していたんだけど、ある日、チャンスが来たんだよね。
そう、支倉さんがさ、『私のこと、気になるの?』ってはにかんで聞いてきたんだよ。その時の輝きって言ったらもう、脊髄反射で首を縦に振っちゃったくらいだよ。
『いっつもじっと見てるから……』って支倉さんは笑っていた。やっぱり僕がずっと見ていたこと、バレバレだったらしい。『迷惑だったかな?』って聞いたら、『迷惑じゃないけど、すっごく恥ずかしかった……!』って言っていた。
でも、これで支倉さんと話す機会ができた。どうしてもそれをじっくりと……正確にいえばもっと近くで見たかった僕は、支倉さんに『ねえ、もっと見ててもいいかな?』って頼んだんだよね。
うん、了承を貰った時は、天にも昇る気持ちになったよ。
で、さっそく顔をずいっと近づけて見つめてみた。思った通り、いいや、思った以上にきれいで腰を抜かしそうになる。僕が考えていた以上にその茶色は薄く、まるでチョコレートとかキャラメルを連想させるかのように仄かで明るい色合い。きらりと反射した光がまぶしくて、ついつい忘れちゃいそうになったけど、茶色から黒へのグラデーションも筆舌に尽くしがたい……っていうか、僕の言葉じゃ表せられない感動を与えてくれた。
ただ、この時の僕はあまりの美しさに失念していたんだよね。遠くから見ていた時よりも明らかに白が増えていて、円が小さく、ついでにそれが落ち着きなくひょこひょこと動いていることに。
次の瞬間、『きゃあっ!?』って可愛い声と、その声に似合わない衝撃を頬から感じたよ。僕の宝石の心配をするくらいだったと言えば、どれくらいの威力かわかってもらえるかな。
『ご……ごめん! びっくりしちゃって!』って駆け寄ってきた支倉さん。僕だけを見ている彼女の宝石。それはもう、宝石の美しさの新しい楽しみ方を見つけてしまって、なにも他のことを考えられなかったことをよく覚えている。
よくわからないのは、なぜかその日以降、僕が支倉さんを好きだって話が広まった事だ。支倉さん自身も僕の彼女みたいな態度を取ってきたりして、正直戸惑った。別に支倉さんは嫌いじゃないけど、異性として好きっていうほどでもない。よく話をする女友達……その程度だ。
だって、僕が好きなのは支倉さんじゃなくて、支倉さんのもつ宝石なのだから。
でも、その噂と彼女自身がそれを受け入れていることもあって、支倉さんの宝石を見ることに何の支障もなくなった。授業中にそっちを見ていても支倉さんは微笑み返してくれるし、面白いことに今までと比べて宝石の輝き方や表情に更なる多様性が出てきたりもしていた。
だから、僕もその噂と彼女を利用することにした。や、まあ、少しは後ろめたい気持ちもあったけど、お互いに満足しているならそれでいいと思ったんだよね。
支倉さんの宝石を好きなだけ見ていていい……これが僕にどれだけの幸福をもたらしてくれたのか、みんなにはわからないと思う。僕は暇さえあれば支倉さんを見ていたし、支倉さんもまた、そんな僕を受け入れてくれた。本当に恋人としてやっていってもいいかなって、そう思えるくらいに、その時は充実していた。
うん、支倉さんさ、僕が宝石を見ているとちょくちょく僕の口の中を舐めたりする変な癖があったんだけど、それを我慢して恋人になってもいいって思えるくらいだったんだよね。
ある意味当然だけど、僕たちの関係は長くは続かなかった。恋人らしいことなんて全然していなかったのもそうだけど(僕は支倉さんの宝石に夢中だったし)、恥ずかしいことに、彼女の持つ宝石よりも綺麗な宝石を持つ人を見つけちゃったんだよね。
そう、隣のクラスのバスケ部の幸嶋くん。彼の宝石は凄まじかった。
僕は彼の宝石の虜になった。まるで意志を持っているかのような漆黒。純粋な、深くて昏い黒。手を伸ばせばそのままずぶずぶと飲み込まれて行ってしまうかのような、そんな錯覚を覚える黒。なのに、黒くきらりと美しく輝いている。
見ただけで引き込まれるっていうのは、ああいうことを言うんだろう。その魅力は何物にも代えがたく、気づけば僕は彼のことをずっと目で追ってしまっていた。
なんだろうね。冷静に考えれば他の人とほとんど同じ……支倉さんの宝石ほど特徴があるわけでもないし、チャーミングって感じもしないのに、魔性の花の魅力というか、催眠術にかかったかのように魅せられていたんだよね。
当然、幸嶋くんがそれに気づかないわけがない。支倉さんだって気づいたわけだし、むしろ気づかない人間なんていないんだと思う。
『どうした、俺になんか用か?』って彼は聞いてきた。幸嶋くんは頼りになる存在で、自分のクラスだけじゃなく、他のクラスからもいろんな頼みごとや相談をされることがあるらしい。てっきり僕も幸嶋くんに何か頼みごとをしに来た一人だと思ったようだ。
本人自身もおおらかで優しく、おせっかい好きな頼れる兄貴みたいな性格なんだとか。だから僕は優しい幸嶋くんなら、お願いを聞いてくれると思った。支倉さんだって聞いてくれたんだし、男同士だからこそ、行けると思ったんだ。
『好きだ』って言った瞬間、幸嶋くんの表情がはっきりと固まったよね。笑顔がすっごく引きつっていたよ。
ややあって、ようやく冷静を取り戻した幸嶋くんは『それは、お前が支倉に抱くのと同じ【好き】か? 友情としての【好き】とは違うのか?』って聞いてきた。もちろん、僕ははっきりと『支倉さんに抱いていたのと同じ【好き】だよ』って答えた。
『悪いが、俺はそれには応えられない。だけど、友達としてなら俺もお前が好きだ。お前のその信念が、生きざまが好きだ』って答えられた時、彼の宝石は今までに見たことのない光を僕だけに向けてくれた。もうそれだけで、何もかもがうれしくなって、顔がにやけてしまっていたと思う。
幸嶋くんはうれしそうな僕を見て肩を組んできたりしちゃって、その宝石がまた違う輝きを見せていた。この美しい輝きを僕だけが知っているという事実に、ガラにもなく興奮した。
後日、支倉さんに泣かれたのだけは失敗だった。泣いている彼女の宝石は幸嶋くんの宝石に引けを取らない美しさを放っていたのに、『もう二度と話しかけないで!』って言われちゃったんだよね。支倉さんの宝石は幸嶋くんのとは違う趣があって、別ベクトルの美しさがあるんだけどなぁ……。
長く語ったけど、僕はこの宝石が大好きだ。最近は日本人のだけじゃなくて、外国人のにもハマっている。
すごいよね、アレ。青とか碧とか、赤みが強いものだってある。茶色にしたって僕たちのそれとは全然違うし、明るさだって多種多様だから、そのバリエーションは日本人のそれとは比較にならない。
海を思わせる深く濃い青も、理知的な緑も、本当に綺麗だと思う。幾何学と色彩が生み出す神秘の美しさにこれほど感謝したことはない。
しかも中には、互いに違う色を持っていたり、真っ白なものまであるんだとか。それを聞いたとき、比喩表現じゃなく、目の前の世界が開けたよ。
さて、そんな僕だけど、最近は専ら直接それを手に取り、間近で見るのにハマっている。支倉さんがいない以上、もうじっくりとそれを見せてくれる相手がいなくなっちゃったから、その反動が来たみたいなんだよね。
もちろん、相手の許可なしに宝石を見せてもらうようなことはしない……けど、それが許されるのは動物だけだから、ちょっと変則的な宝石を対象にしていたりする。
どうしてなかなか、これが面白い。僕たちのより二回りは小さいけど、その存在感と生命力あふれる感じが凄まじい。夜をそのまま丸めたかのようで、宝石の中に広がる黒の世界を見ているだけでどこか遠い夢の国を冒険したかのような気分になる。
そして、そんな宝石の魅力に溺れていた僕は、とうとうそれを実行してみたくなった。
やっぱりなんだかんだで自分の宝石に一番愛着があるわけで。今までずっと毎日見てきたものだし、それをよりじっくり見たくなるのは当然だと思うんだよ。
ほら、美味しいフランス料理のフルコースよりも、毎日食べるのだとしたらいつもの味噌汁と卵焼きのほうがいいって言うじゃん?
だた、それにはいささか問題があってね。この宝石を僕の手元に……僕の手のひらに載せられるようにする、すなわち宝石の光を本物の宝石にしてしまうってことは、同時に宝石が見えなくなってしまうことでもある。宝石を眺めたいのに宝石が見られなくなるのは本末転倒だ。
残念だ。本当に残念だ。できれば二つセットになっているところを見たかったんだけど。
しょうがないから一つだけで我慢することにする。一つだけでも、その美しさそのものには変わらないはずだし、一つだけなら見えなくなる、なんてこともない。
問題があるのだとすれば、そうすることによって宝石が色あせてしまわないかどうか、とういうことだけだ。まあ、仮にそうなったとしても、それはそれで宝石の最後の儚い一瞬を焼き付ければいいだけの話だし、むしろそれこそ宝石の美しさを体現しているような気もしてロマンチックだ。
さあ、準備は整った。もしこれが成功すれば、支倉さんや幸嶋くんの宝石を僕のコレクションに加えることも検討しなくちゃならない。彼らは僕に理解を示していないけど、この美しさを知ればきっとわかってくれるはず。美しさのためなら、多少のことは我慢してくれるはずだ。
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宝石だ。
ああ、なんて綺麗な宝石なんだろう。
思った以上に美しい。
出来れば、両の瞳で見つめたかった。
はっきりとした視界で楽しみたかった。
でも、これでようやく、ずっと──!
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──珠鬼は、今日も見つめている。