第七話 エドワルドと侯爵
異母弟がアミキティア侯爵令嬢との婚約を破棄(口頭でのみなので正式なものではないが)をして、二か月半が過ぎた。
それはそれは目まぐるしく物事は過ぎ去り、エドワルドも一日中何がしかの問題を対処しなければならなくなっていた。この二か月間、国王の仕事量が普段より落ちている分、それを王妃とエドワルドが回していかなければならなくなり、王妃もエドワルドもそれは恐ろしい表情で山のような仕事と問題をさばいて行った。たまたま王妃に謁見したあとエドワルドにも謁見した貴族は、母子があまりにも同じ表情で仕事をしていたと零した。以前ならば国王と、異母弟マンゴルトも同じように仕事をしていたからここまで忙しくはなかった。だが先も言ったように国王は半分以下でしか使い物にならず、マンゴルトは戦力外だった。マンゴルトは現在マリアとは別々にされ、王城の自室に監禁状態だ。
異母弟からの激しい罵声はアミキティア侯爵令嬢には毒が強すぎたようで、彼女はパタリと意識を失った。それを支えた彼女の弟たちはそれはそれは恐ろしい表情で第二王子を睨み上げていた。アミキティア侯爵家の家族仲が良好なことはエドワルドも聞き及んでいて、このままでは間違いなく大騒動になると判断した。その時点でかなり大騒動ではあったが。
エドワルドは両者の間に割って入り、部下に命じてアミキティア侯爵令嬢を下げさせた。エドワルドに対しても敵意を見せる二人の弟たちに「これ以上姉君をこんな場に置いておくのか」と囁けば渋々引き下がる。
エドワルドの部下と共に下がったのは年少の弟だけだった。もう一人の弟はその場に残り、未だに倒れた女性に対して言葉を重ねるマンゴルトの発言を否定していった。それはもう見事な論破だったもので、エドワルドは今まで名前ぐらいしか興味の無かったこの弟を見直した。部下に欲しいぐらいだった。
結局、エドワルドはそのままパーティを終わらせた。マンゴルトは最終的に子供のような駄々を繰り返すだけになっていて、無理やり騎士に命じて下がらせるしかなかった。
もちろんこの騒ぎは即国王と王妃の元まで届いた。
「マンゴルトがレオーネとの婚約を破棄すると騒いだというのは本当なのか!」
「はい、父上」その場にいたエドワルドが頷く。
「アミキティア侯爵令嬢はどうされたのです」
王妃の言葉に、エドワルドは自分がした対処について話した。気絶したアミキティア侯爵令嬢をいったん別室に下がらせ、三時間後意識が戻られたので弟君と共に帰らせました、と。
「マンゴルト、マンゴルトはどこだ?」
国王はそういって部屋を出て行ってしまったので王妃と第一王子は顔を見合わせて肩の力を落とす。
「お前はどう思います、この度の婚約破棄」
「ありえた可能性ではありましたが、まさか本当に実行するとは流石に思いませんでした。相手が貴族の出ならばともかく、平民ですよ?」
「しかも、マンゴルトは平民を国母にするつもりだったようですね」
流石に王妃はマンゴルトに対して棘があるなと思いながらも彼女の言い分は当然理解できた。
以前、エドワルドとマンゴルトが会話をした時。エドワルドはマリアの扱いについて側妻、正妻、と呼称した。一方でマンゴルトは側妃、正妃と呼称した。どれだけマンゴルトが優勢と言われていたとしても、未だ彼はただの王子でしかなく、王太子ではないにも関わらず。
その会話の時からエドワルドは、マンゴルトの中にある自信を感じ取っていたし、それが遠回しに自分を見下していることにも気が付いていたが、言葉の綾であると見逃せる範疇でもあったので放置していた。それが、あれほどの大人数が居る場で国母、つまりは王妃という単語を使って話をしたのだから、当然その場にいた学院の生徒たちは正しく理解しただろう。
マンゴルト第二王子は国王になったあかつきには、平民を王妃とするつもりであると。
そんなことを貴族たちが許すはずもない。
過去の歴史の中で、生まれが平民の王妃が居たことは居るが、それは二度と同じ事が起きないだろうというほどに例外だったし、平民の王妃は国王に嫁ぐ前に公爵家の養女となって数年過ごしてから嫁いできていた。それと平民の少女マリアではあまりに状況が違い過ぎる。
部下たちの集めた情報でも、なんの特技もない。ただ性格と見た目が可愛らしいだけの少女。そんな娘に、激務の上ストレスの山のような王妃など務められるはずもない。
「それよりも気になるのは、アミキティア侯爵家の今後です、王妃」
「この騒ぎを期に、あの家を第一王子派に引き入れてしまえれば良いわね」
「どうなるかが読めませんからね……ですがマンゴルトとの婚約をこのまま続行するのはあちらにとっても断りたいことでしょうし、何より今のマンゴルトが認めはしないでしょう」
「婚約など破棄させてしまいなさい。……ほら」
王妃はそういうと、あっさりとメイドに用意させた王族しか使えぬ特別製の紙に手書きでマンゴルト・レークスとレオポルディーネ・アミキティアの婚約破棄を認めると綴り、部下に渡した。即座に礼をして立ち去った彼は恐らく今日中にあの書簡を届けるだろう。
「……宜しいのですか?」
「あんな事を大勢の前でしでかしておいて、今更ごまかした方が王家の不利になります。現状アミキティアはマンゴルトの敵には回るかもしれませんが、陛下やお前の敵になるとは決まっていません。今後の事を思えば、こちら有責で破棄を行った方が良いでしょう」
エドワルドも近しい考えではいたので、王妃の判断を肯定した。後々、国王が事態を知って文句を言ってくる可能性は十二分にあったが、最愛の息子であるマンゴルトは喜ぶに違いないとエドワルドは思った。――その予想は当たっていて、次の日に事態を知った国王は王妃に怒りをぶつけてきたものの、同じ場にエドワルドがマンゴルトを連れてきたことで何も言えなくなった。マンゴルトは心より嬉しいと感動した風に王妃に婚約を破棄させてくれたことの感謝を述べたのだ。もはやどうしようもない。
アミキティア侯爵家は婚約破棄を受け入れた。それと同時に、令嬢が王都から遠くへ行ったことを知った。傷心の娘を王都にとどめてはおけないと判断したのだろう。令嬢の行先は港町パーラガル。エドワルドも行ったことがあるが、必要以上に騒がしくはない良い町だ。療養先にはちょうど良いだろう。
婚約破棄後も国王は諦め悪くアミキティア侯爵を呼びつけてはもう一度婚約をしたいという話をしたが、流石の侯爵も首を縦には振らなかった。他の貴族たちもこんなことがあってはマンゴルトに娘を差し出そうとは思わないだろう。そうするのはよほどの野心があるものだけで、国王からすれば逆に信用ならないはずだ。
これは第二王子派のトップに近い侯爵家を本格的に自分の側の味方に付けられるのではないか、とエドワルドが思った頃、アミキティア侯爵本人がエドワルドへの面会を申し込んできた。エドワルドは執務に勤しみ時間を作り、彼の面会を受け入れた。それが二ヵ月半が経った頃のことだった。
「この度は貴重なお時間を頂き、誠にありがとうございます」
「いえ、いえ。貴殿には、そしてご息女には我が愚弟が大きな迷惑をかけてしまっておりますから」
アミキティア侯爵は娘とは違う黒い髪を綺麗に整えている男だった。若い頃は女性が好むような男性であっただろう。前髪は全て後ろに流しており露わになっている額には年による皺一つない。エドワルドを真っ直ぐに見つめて来る視線は確かに純なもので、確かにこれは敵対しても褒めたくなるような所があると思った。
「本日は我が娘、レオポルディーネについてご相談がございまして」
「……聞きましょう」
どんなことが飛び出してくるのかエドワルドにははっきりとは予想がつかなかった。
まず、マンゴルトと復縁させるという話はないだろう。ならば国王の元に行くはずだ。
とはいえエドワルドと結婚させたいと言ってくるとは思えない。エドワルドには既に婚約者が居り、侯爵令嬢は二番目以降の妾になるしかないからだ。この男がそれを言って来ることは、恐らくない。
慰謝料の問題は王妃が最初から妥当なものを提示しており、既に相手も呑んでいる。今更増額などをこの男が頼んでくるとは思えない。
であれば新たな婚約者、いや侯爵令嬢の年齢を考えれば結婚相手を探す手伝いをしてほしいという所か。どういう理由、嘘偽りの理由であったとしても、彼女は王子から婚約を破棄された。それは未婚の貴族令嬢にとってはこれ以上はないというほどの汚点だ。たったそれだけで新たな結婚相手を見つけるのが困難になるだろうということは想像に難くはない。
両手を組んでアミキティア侯爵に先を促すと、彼は静かに言った。
「先日、レオポルディーネに新たな縁談が舞い込みました。……わたくしは、これ以上ないほどの良い縁談であると思っており、話を進めたいと思っております。レオポルディーネが結婚することを許可していただきたい。いや、出来れば王家としても応援していただきたいのです」
「もちろん、これほどのご迷惑をおかけしたのですから構いません。ですが何故ご息女の結婚に我々の許可が要るのでしょう」
アミキティア侯爵が静かに一通の書状を出した。恐らく、縁談の申し込みの書状だろう。
書状が入った封筒に付けられているマークを見たエドワルドは目の色を変え、中身を取り出す。
一読した後静かに彼は息をついた。
「なるほど。たしかにこれは、王家からの後押しが欲しいところですね」
「はい。どうかエドワルド王子から、王妃殿下にもお話を通して頂けないでしょうか」
「もちろんですとも」
エドワルドは明るい調子で答えた。彼が中心となって侯爵令嬢の結婚を後押しすれば、アミキティア侯爵に恩も売れる。
「我が母もきっと反対はなされませぬ。勿論、父にもわたくしから話を通しておきますので侯爵はご心配なされず」
彼から国王には言い辛い内容なのはわかっているのでそう申し出ると、暫し沈黙してから侯爵はいえ、と言った。
「わたくしから、陛下には申し上げるつもりでおります」
そうハッキリと言い切った侯爵にエドワルドはやや驚いてから、そうですかと零して頷いた。
アミキティア侯爵が退出してすぐにエドワルドはこの出来事を王妃に伝えた。王妃は即座に了承を下す。
「むしろ、我らが大々的に後押しをしていくべき事案ではなくて」
「ええ。これで一つ問題は解決します」
「あとは陛下と……あの第二王子ね」
王妃の言葉にエドワルドは頷いた。