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第六話 エドワルドの溜息

 エドワルド・レークスはドレミーファ王国の第一王子だ。彼は生まれた時から難しい立場に立っていた。

 生まれる前より、彼の父親は彼を愛しては居なかった。親子としての情が一切なかったわけではないだろうが、それよりも彼の母親への忌避感の方が強かったため、結果としてエドワルドが父から愛を注がれるような事は殆ど無かったと言っても良い。その分母親から愛されたという自覚はある。ただそれは厳しさが多分に含まれた愛であり、幼少の頃エドワルドは三か月だけ遅く生まれた異母弟の事が羨ましくてたまらなかった。

 別の母を持って生まれた異母弟マンゴルトは、父に愛され、母に愛でられ、家臣たちに甘やかされていた。もちろんただ甘やかすだけではなくエドワルドと同じように王子としての教育は施されていたが、エドワルドの生活には全くないものを彼は持っていた。

 エドワルドは生まれてこの方、父の膝の上に座るなどということをしたことがない。嬉しそうに、微笑ましそうに、自分の誇りだと言わんばかりに褒められたことなどない。

 募る羨望が嫉妬に変わり、醜い嫉妬心が諦念に変わったのは、いつの頃だったか。


 自分を見ないようにする父よりも、細かすぎるくらいに自分を見ては立派な王たれと叱ってくる母の方が。

 いつもいつも優しく頭を撫で甘い声で褒め称える側妃のような女性よりも、本当に疲れた時だけそっと声をかけてくれる母の方が。

 考えうる限りの賛美を以って褒め称える家臣より、あれが出来るようになれこれが出来るようになれと口うるさい家臣の方が。


 良いと思うようになったのは、たぶん疲れていたから。責められることの方が多いとしても、自分を見てくれる人の方が良いと思うようになったのだ。

 周囲に言われるがまま、エドワルドは勉学に励んだ。家臣――ドレミーファ王国の公爵家の者――たちは中々に良い教師であり、ただ文字だけを学ばせるのではなくエドワルドを様々な場所に連れまわしてこの国の実際の姿というものも見せてくれた。そんな中、面倒な事が起きた。


 父が、マンゴルトを王太子にするために侯爵家の娘を婚約者にし、後ろ盾に付けたのだ。

 これにはエドワルドの母である王妃も、取り巻きの家臣たちである公爵家の者たちも慌てた。マンゴルトの母が家の格が王妃よりずっと下の側妃であるとしても、妻として王妃にふさわしい者がつくのならば王太子になれる可能性は十分あったのだ。

 ここで落ち着いて公爵家の娘をエドワルドの嫁に差し出せば、家格の差もあり問題は収まっただろう。だがそうはいかなかった。なにせ公爵家にはエドワルドのにふさわしい年頃の娘がただの一人もいなかったのだ。どこの公爵家にもいるのは息子ばかり。数年待って娘が生まれればと考えたものの、マンゴルトの婚約が決まってから三年経っても公爵家に娘は生まれず、生まれて来るのは息子ばかり。普通であれば家が繁栄すると喜ばれる男児が、これほどまでに喜ばれなかったことはそうないだろう。

 結局、公爵たちは己の持ち得る伝手を全て総動員して、隣国の王女をエドワルドの婚約者としてもって来た。だがその話を聞いた時、きっと父は良い顔はしない……それどころか余計にエドワルド(じぶん)たちに反発し、マンゴルトに入れ込むだろうとエドワルドは確信した。

 その確信は事実になった。

 王妃・公爵家当主たちの嘆願もあり、エドワルドと隣国の王女の婚約は確定したが、国王はずっと不機嫌な顔をしていた。そして案の定、以前よりも頻繁にマンゴルトの婚約者を王城に呼び寄せるようになった。


 マンゴルトの婚約者、アミキティア侯爵家の令嬢であるレオポルディーネについては、エドワルドは特別憎いとか好きとかいう感情を持ってはいなかった。むしろ好感度は高めだ。多くの言葉を交わした事はないが、彼女はいつもエドワルドに対しても丁寧に対応をしてくれていた。そこに、彼の乳母兄である男からの情報が加わった事により、彼女と彼女の家への好感が高まった。

 貴族というのは大なり小なり黒い噂があるものだ。多少方法に後ろ暗いものがあったとしても、結果が良くなっているなら黙認されることも多い。だから多少、相手の家に悪い噂があったとしても度が過ぎたものでなければ誰も気にしない。

 アミキティア侯爵家にも黒い噂はあった。けれどその噂が数日でかき消えるほどに、白い噂の方が多かった。最終的にはその黒い噂も誰かが嫉妬して流していただけだったと落ちまで着く。

 多くの貴族や平民から慕われる正直で真っ直ぐな家柄。歴代の当主もそうだ。しかし何もしなければ彼らは自らが不利益を被るとしても国王の、ひいては国のためになることならば行う。

 乳母兄はこう説明をした。

「もしアミキティア侯爵家がひと月後にお金を返すから一旦貸してはくれないかと言ってきたら大半の貴族が貸すでしょうね。まああの家が金を強請るなんてことはないでしょうが。嘘はつかない、誰かを不当に貶めることには加担しない。……言われても仕方ないような内容であれば別ですが、ともかく、そういう家だと長年信頼を積み上げているのですよ」


 それほどに信用のあるアミキティア侯爵家が国王の側――マンゴルトの側に着いたと知った時は残念だなという気持ちと、国王を重んじるのならそうなるよなという気持ちが沸き上がって来たくらいだった。周囲の家臣は突然アミキティア侯爵家の悪口を言うものもあらわれたが、大半は残念だという声だったことから、貴族たちからアミキティア侯爵家がどのように思われているかが分かるだろう。

 実際、レオポルディーネという令嬢の態度は極めて中立的であった。マンゴルトの婚約者として彼の肩を持つのは当然の事だったが、それ以外の場所でエドワルドに敵対するような動作をすることは一切ない。むしろ偶然学院内で出会ってしまった時だって、丁寧にお辞儀をして悪意のない声で「ご機嫌麗しゅう、殿下」と言って終わりだ。


 マンゴルトと弟の婚約者の関係は良好らしいとエドワルドは聞き及んでいた。未だに手紙のやり取り以外では一度しか会ったことのない己と婚約者の関係と比べれば、あちらのほうが結婚後も安定していると思うのは無理はなかった。成人を目前に控え、国内での人気はマンゴルトの方が優勢であり(ここに、エドワルドの母が国全体で若干の敵意というかライバル心を抱いている国の出身であるという事が関係していなかった、と言えばウソにもなるだろう)、王太子はマンゴルトで決まりだろうとも囁かれていた。

 エドワルドはどちらでも良いと思っていた。己と弟、どちらが国王になったとしてもすべき事は同じだ。国を統治し、国を守り、富ませ、発展させていく。そのための存在が国王なのだから。家臣たちほど、自分とマンゴルトは反目しあっていないとエドワルドは思っていた。だから彼が王太子になった後、下手に出れば重臣は無理でも、家臣の一人として働くことは出来るだろうと思っている。


 その様子が可笑しくなったことを、エドワルドは乳母兄より聞いた。

 どうやら異母弟が、学院に通っている平民にご執心だという。幾人も側妃を抱えている父の息子なのだから他に目移りすることがあるのは、正直仕方がないとエドワルドも思っている。しかしその熱の上げようが段々と目こぼしするレベルでは収まらなくなってきていると知り、彼は仕方なしに腰を上げた。


 マンゴルトがご執心の娘、マリアは突然の第一王子の来訪に戸惑いつつ平民らしくカタコトの言葉で挨拶を交わした。エドワルドの感想は、良くも悪くも普通の娘だなというものだった。確かに見た目は可愛らしい。どことなく庇護欲を相手に抱かせるのだろう。

 だが王妃にはふさわしくはない。公務は務まりそうもない。


 マリアへの判断を下したエドワルドは、次に異母弟の元に向かった。余計な手出しをする取り巻きがいては会話にならないだろうと判断して、夜遅くにこっそりと二人で王城の一室に集まった。

「マンゴルト。お前が近ごろ平民の女生徒と親しくしていると噂を聞いた」

「マリアのことですね? 彼女は素晴らしい女性ですよ。ぜひ今度兄上にも……」

「ああ、それは別に良い。それよりも俺が気になっているのは、お前がその娘を妻に迎え入れようとしているということだ」

「……ええ。なにかいけないことでしょうか」マンゴルトの声は警戒心が露わになっていた。

「いいや。何も悪くはないだろう。勿論、その平民は側妻として寵愛を注ぐのだろう?」

「違う!」

 真夜中の叫びは、王城の壁に反響した。

「兄上、貴方までそのようなことを。わたくしは、マリアを側妃などと、貶めるつもりはありません!」

「側妻()()? それ以外に妻として迎え入れる方法などないだろう」

「何を馬鹿な。正妃として迎え入れるだけのことです」

「……マンゴルト。お前、自分が何を言っているかは分かっているのか?」

「もちろんですとも。兄上にはお分かりにならないかもしれません。けれど母は、側妃である、ただそれだけで幾つも辛い目に合って来たのです。わたくしは、愛する女性(ひと)にそのような思いなど、決してさせはしません」

「……」

 その夜は、それだけを話して終わった。恋は盲目という先人が残した言葉の意味をエドワルドはよく理解した。なるほど、あれは確かに視力を持たぬ人間のようだったと。恋は人の視界を狭める。思考を狭める。一つのことしか考えられないように、或いはすべての物事を一つに集約させる。恋をする前のマンゴルトならば考え付いた未来の分岐を、考えることが出来なくなっているようだった。

 今の段階ではマンゴルトが一人でマリアを正妻にすると言っているだけのことだ。だが、これが本当に実行された場合、どうなるだろうか。勿論マンゴルトの取り巻きたちがそのようなことを簡単にはさせないと思ってはいるが、もしもということはある。

 アミキティア侯爵令嬢を捨てたマンゴルトはまず間違いなく、王太子では無くなるだろう。そしてエドワルドが王太子となる。

 その時、エドワルドはマンゴルトをどう扱うのが良いのだろうか。彼が望むのならば――例えば王籍を捨て、平民としてマリアと生きていくというのなら――できうる限りのフォローをしてやっても良いと思った。見えないところで動くよりは、最初から住む町や家を斡旋し、監視してしまうほうが楽に決まっている。

 だがもし、正妻にマリアを置いたまま玉座を狙ってきたのなら。ドレミーファ王国の王子として、その暴挙を許すわけにはいかない。エドワルドは、マンゴルトを政敵として完全に倒さねばならなくなるだろう。


 ――そしてどうやらその未来が訪れる可能性はあるらしいと、アミキティア侯爵令嬢に罵声を浴びせる異母弟を見て、エドワルドは思った。

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