007、未知ばかりの場所
「認めるのは癪だけど」
しかし、仕方ない。そうでなければ説明ができないのであれば、それを認めるに吝かではない。
たとえそれが、都合がよすぎるように見えたとしても、
「ここは『別の世界』というかんじか」
先の男。彼、『アサヒ』と名乗っていた彼が風呂を沸かすというものだから。また、一杯ずつケトルで湯を沸騰させるのかと思ったら、彼は壁に何かを触れて一向に動かなかった。使用人でも呼んでいるのかと思ったが、どうやらそうではないらしいというのが、数分してわかった。
『お風呂が沸きました』
と人間の声なのに、人間の声に聞こえない妙な音が鳴り、彼が言ったのだ。
「俺の後の湯でも気にしないでくれるなら……風呂が沸いたけど」
最初は言っている意味が分からなかった、情報量として多すぎたからだ。
とはいえ、彼は善意で――しかも、申し訳なさまで込めて――それを口にしていることは確からしかったし、それを疑うのはあまり、公正な態度ではないような気がした。
そもそも、私の知っている文化圏においては、風呂なんてなんとも贅沢な嗜好品だ。いや、嗜好品としての認識すらほとんどされておらず、話しても理解されないであろう概念だ。女王様はいざ知らず、水を潤沢に使用することも、水を温めるために大量の燃料を使用することもなんとも贅沢な話だ。
だから、複数の利用というのはあまり考えていなかったが、確かに、他の人が入った湯に自分も浸かるというのは改めて言われてみればなんとも頬が熱くなる話である。
「あー、風呂はこっちだけど」
案内されてついていくと、なんとも不思議な住まいだった。構成しているものはどれも、私のいた場所ならお金持ちの持ち物のようなものが散見されるが、家屋としての作りは脆弱というか、小さいというか、もっと言えばみみっちい感じ。
――さすがに失礼か。
瞑目している間に、目的地に着いたらしい。先ほどまでいた、惨状と化した部屋から小股に十数歩。がちゃりと扉の音がした向こうは、廊下とはまた色合いの違う部屋、浴槽はないが、湯が近くにあることを示すように匂いを含んだ湿り気の帯びた空気が満ちている。
それに暖かさを感じて、鳥肌が少し落ち着く。
彼は先導していた歩みを止めて、こちらに振り返る。なんともなしにその顔を見ていると少し迷ったような表情とともに質問が来た。その前にまずは、確認として、
「こっちの扉の奥が風呂場だから」
そういってすりガラスの扉を指される。横滑りでも回してあけるノブもついていないのでどうするのかと思ったら、彼は軽いタッチで押すことでそれを開いた。扉は薄く、それが折れるようにして開く。ノブはないものの指を引っ掛ける部分があり、彼はそれを引くことで閉めた。
なるほど、内側からなら押せば閉まるという感じだろうか。まずそれを確認として告げた後にまたこちらに振り向く、先ほど少しだけ開いた扉からもうっ、と湯気が上がっていて、確かに、沸いた湯があるらしいことは確認できた。
「――一応、疚しさ主体で聞くわけじゃないんだけど、服を脱ぐのに介添えがいる、とか、そんなことはないよね?」
「……?」
あぁ、そういうことか。こちらが、丸ごと異文化に放り込まれて若干感覚が麻痺する程度に混乱しているのと同じく、彼のほうも、まま平静ではいられず手探り状態があるということだろう。
しかも、異文化の人間であるからか、私が、服の脱ぎ着にも人の手を借りなければいけないほどの大貴族の令嬢と見分けがつかないと。
(嫌な気分……じゃないわね)
気を遣われているというのが如実にわかるというのもひとつ。もうひとつその質問自体が出てくるのが彼自身中々頭の回転が速そうで何より。と、併せて中々いい気分だ。
疑問は多々あるし、もしかすると、馬鹿そうな相手のほうが良かったと後々思うことになるのかもしれないが、あとで自分がどう思うかは、今自分がいい気分であることを打ち消してやる理由にはならない。
頷くことで彼の疑問に答えつつ後ろに彼が扉を閉める音を聞くと私は彼からもらった毛織物を脱ぎ、すりガラスの扉を開いた。