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003、落ちる賢者(物理・1メートル程度)

 感じたのは確かに暖かさではあった。


 しかし、それはいつもの湿り気の奥にあるものではないし、冬の入浴特有の冷え切っていたところが熱を染み込ませることで生じる痒みとも痛みとも取れないしびれるような感じでもない。


 あえて言うならだ、春の陽光が肌をさしたときのような、何処か、遠くにまどろみを感じるような温かさ。それがなぜ、この時に感じられるのかといえば……。


(?)


 考えることができない。思考がまとまらない。

 考えるための材料すらない。

 ただ感じるのは、まぶしさを感じる光とそれによる熱と、そして、落ちていく感覚。


(え? 何が?)


 落ちるなんてことがあるはずはない。

 いたのは確かに二階だったが、二階の床が抜けても建築物というものは簡単に一階まで落ちるような構造にはなっていない。


 昔、先輩の部屋で、本の積み過ぎで床が抜けたときに見たから間違いない。

 風の抜けるような構造体があるはずで……なのに。


 落下。落ちるということ。落ちているという実感。

 普通なら、それは風と恐怖とで体の芯に、抜けるような寒さを感じてもおかしくないのに。

 ここにあったのは、外側から押し付けられる暖かさ。


――ぬるいと感じるようなあいまいな熱。


 そして、緩い吐き気。

 酩酊感。


 風邪を引きながら外から差し込む日差しを浴びているような、ちぐはぐな身体感覚。


 それが――。



 止まる。最初に止まったのは目をさすような光。

 次に、光によって得ていた熱。

 落下感は消えず、先ほどの停止でかわりに感じるようになったのは、冷たさと鳥肌。


 いわゆる落下の時に感じるべき純粋な身体感覚であり。


 それが指しているのは、先ほどの曖昧な身体感覚を気にしなければ、落下しているという事実だ。


(つまり?)


 最初に覚悟していた体を打つ強かな痛みの前に訪れたのは音だった。

 音――大音声だ。ごつん、と木製の床が大質量の琺瑯の落下を受けてあげた音が最初に来て、次に来たのは、ぼきり、とも、べきり、とも言いがたい、しかし、確かな破砕音。質量を受け止めきれない木の板が己が身を二つに割った音である。


 続けて、琺瑯が跳ねながら身を震わせる、ぐわん、といった感じの音で。なんともゆがんだ音である。飛び上がったのはあくまでも自分の落下の跳ね返りでしかないので、ほんの少しだ。

 けれども、そもそもが大きく重いものである分なんとも大きな圧ではある。


 最後の物音。琺瑯に重ねて鳴るのは、先ほどまでの硬さや強さを持ってはいないが、ざぶり、とそんな風に感じる湯の弾ける音。ひっくり返って、という風にはいい難いが、少なくともそれはぶちまけの音だ。波の音をごく一部だけくりぬいたかのような、水の暴れる音。


 それにつながるのは、物音ではない。

 物音ではなく人の声。男。

 男らしい低さはなく、いい声だとは思うけれど少し特徴がある声だ。


 だが、その特徴のある声は聞いたことのない声でもあり……。


(誰?)


 誰何は思考として浮かぶが別のものの覆い隠される。

 つまりは、音の重なりと同時多発的であったもう一つの身体感覚であり。

 時間が経ってもいないのになぜか頭から抜けていたそれは、


「痛ぁい!」


 どびちゃ、となんとも無様らしい音とともに水の零れた床張りに尻から強かに落ちた。

 落ち方が悪かったのか。足から下りられれば良かったものを背筋の伸びた状態だ。

 それで尻から落ちたものだから、脳天にまで衝撃が来る。


 風呂に入る直前なのも悪かった。

 素っ裸で身を守るものはない。幸いといってもいいのは手から落ちなかったことで、もしも、腕から落ちていれば手首辺りで骨が折れていたことだろう。


 もう一つの幸運は、ぐわんという音を立てて背後で琺瑯が跳ねたこと。

 距離が少しあったが、もしも、例えば直上にそれが落ちてきていれば自分は腕どころか命を失っていたかもしれない。


 そんなことを、お湯のぶちまけられた部屋の中で蒸気の張り付くような熱を受けながらもうすら寒い感覚として覚える。


(へや?)


 そういえば、部屋。

 ここはどこだろう?

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