025、よめない
「……ん」
さて、どういう答えを望まれているのか。
とりあえず、アサヒの持っていた『魔導書』に目を通す。
文字であれば大丈夫と思ったのだが、
「読めない」
読めないというか、意味が通じない。
もしかして、文字ではなく、図なのだろうかと聞いてみたが、儀式の間は文字として認識できていた、という証言が得られたのみだった。
――本当にこの世界には魔術がないのだろうか?
その疑問は、しかし、答えを得られそうにもないから、一時保留。
そもそもの話として、この『魔導書』の真贋は、
「私にはわかりませんね」
「そうなの?」
「はい、そもそも、私は、魔術を使えませんので」
アサヒは軽く驚いた表情をした。
聞くと、彼にとっては賢者というのは魔術を使ったりするイメージらしい。
何故に、存在していないはずのものを使うイメージが合ったりするのかはよくわからない。その辺りも創作物ということなのだろうか、だとすれば、どれほど創作物に溢れた世界なのか……。
「君の世界には魔術があるんだよね?」
急な問いだ。慌てて頷く。
「え、あ、はい」
「誰にでも使えるというわけではない?」
説明は何ともし辛い。当たり前の様に思っていた話だからだ。
そういうもの、としていたものは言葉にしづらい。わかりにくいというよりも、言葉にしようとしたことがなかったからだ。それをあえて言語化するなら。それは、
「自然を司る精霊がいますので……魔術というのは人間が使うというよりも、人間の体を通して、精霊が使うといったほうが適切ですね。契約なりで多少制御できるようになったのが巫女や巫師、魔術使いとも言われる人々という感じですね」
といっても、基本的には、『火の神の巫女』とか『火の霊の巫師』とか言われる事が多く、魔術使いは蔑称というか嫉妬の絡んだ文脈で使われることが多いイメージである。
なるほど、そういう、と彼は頷いている。
「考え方の一つでしかないですが、魔術のないこの世界ではなく、私の世界に何かがあったという可能性はありますね」
白板に書くように促す。原因、と書いてその下に、『1:怪しげな儀式』『2:魔術のある世界』と書かせる。そこで一旦止めようかと思ったが、追加で『3:両方に原因が』『4:全ては偶然である』とそこまで書いてもらう。
「残念ながらこの世界では、異世界への移動は一般的では無い様ですし……」
「概念はあるけど、実践はないね」
「ですかー」
ちなみに、私の世界も似たようなものだ。女王が言っていたということはその様な概念があるのだろうが、実践したという話は聞いたことがない。とは言っても、真剣に調べ始めた矢先だったので、書物の中には何かが眠っていたかもしれないが今となっては、詮無いことだ。
「私の世界でも異世界召喚をしようとした人がいた……というか、しなければといっている人はいましたが……結果としては、起きてないのかな? どうなんでしょう、私にわかるのは、私がこちらに来たということだけですし」
つまり、何らかの偶発的な……。いや、どうだろうか、結局これを今、掘り下げてもどこにもたどり着かないような気がする。
「原因が……しかし、分かりそうにありませんね」
諦めのような口調で言うと、アサヒは思いついた、と少し表情を緩めた。
「考え方の一つというなら、こんなのもあるよ」
そう言って、書き出したのは、『いつ』『どこで』『だれが』『なにを』『なぜ』『どのように』という言葉。つまり、……。
「異世界召喚イベントに対して、これを考えてみようというわけですね?」
「そう、新しい情報が入ったときにも基盤の部分がまとまってるほうがいいからさ、とりあえずね」
「これ、いつというのは……」
「あぁ、時間が二つあるか。うん、とりあえず、昨日の夜ってことにしておく?」
アサヒがこちらの歴法で日付を書き、私もここは自分の文字で昨日の日付を書く。私の世界の暦の記法だ。
「細かい暦の話とかは、今度にして、とりあえず埋めよう」
「分かりました」
――どこで。
「俺の部屋、儀式の場、目の前、4階」
「等の中、私の部屋、バスタブの縁、2階」
口にしながら文字を書く。
――誰が、
「?」
「?」
行為者は不明だ。
――何を。
「バスタブとお湯」
「裸の私」
言葉の分を書き、否定の記号を付けて、床、と書く。
接触しているという意味ではそちらもあっておかしくなさそうなのに。
――なぜ。
「わからない」
「こころあたりがない」
――どうして。
「なんでだろ」
「わかりませんね」
というわけで『現時点では不明』というのもいくつかあるが、見やすくはなった。付け加えるなら……。
「お湯の量?」
「あー」
ひっくり返ったバスタブを二人がかりで正常の向きに戻す。
若干湿気を感じたが、多少である。
「どのくらいまでお湯を注いだのかわかる?」
「えっと、目分量で……」
バスタブを見る。日差しの中で見るバスタブは、夜の蝋燭とかの明かりのもとで見るのとは印象が違って見間違えそう。だが、
「このくらい、だと思います」
「わかった」
彼は、何か赤い帯状のものをちぎって持ってくると琺瑯の表面に押し付けた。
張り付いた。
「それは」
「あ、後はつかないから大丈夫だと思うよ」
「はぁ……いや、どういう原理で?」
彼は一瞬考えた後で。
「のり、みたいなのが裏にくっついてるんだけど」
「なんで乾いてないんですか?」
聞いてみたが彼も意識したことはないらしかった。技術として使い慣れて、当たり前、と思ってしまうと細かいことは気にしないのだなと、変なところに感心した。