子供のころに殺されかけた騒動と、恐るべき罪の告白【実話】
2018年8月26日現在、拙作『松茸が生える在り処は誰も教えてくれない』を連載している最中です。遅々たる歩みですが、お時間があればお付き合いください。タイトルのとおり、松茸をあつかったものを書いております。
せっかくだから松茸エピソードで小ネタを披露しようかと思い、エッセイにしてみました(こんな小話より、本編を急げよ!とツッコんでくださるな^^;)。――以下、ほんとうにあった話です。
以前の活動報告にも書きましたが、生前の叔母は松茸狩りにかけては名人級でした。
叔母は僕が中学のころ、持ち山から一輪車にいっぱいの松茸を採ってきたものです。おおかたは市場に出して、かなりの収入を得たはず。どれほど稼いだかは知りませんが。
おすそ分けをいただき、当分のあいだ、松茸のフルコースが食卓に並びました。
ですが、いかな高級食材といえど、そう何度も口にしていると飽きてくる。
ある日曜日、昼間のおかずに、なにかないかと冷蔵庫を開けたところ、ろくに食べ物がない。松茸しか入っていなかった。
そのとき、つぶやいた僕のセリフが、「なんだ、松茸しかないじゃん」。――今にして思えば、贅沢な悩みでした。
もっとも、レコード級の収穫を誇ったのはそのときだけで、以降はまったく採れない年もあったし、そもそも叔母の体調が悪くなり、松茸狩りをする気力も失せてしまったようです。
叔母は50代半ばで十二指腸のガンで亡くなるまで、松茸が自生する場所を誰にも教えなかった。もちろん、特定の場所だけではなく、長年の経験とカンで山じゅうの至るところで松茸を採ったのでしょうが……。こんなことなら、ちゃんと教えてもらえばよかった。
ちなみに、叔母は若いころ、びっくりするぐらいの美人で(たとえるなら、『銀河鉄道999』のメーテルの実写版。これ、誇張抜き。葬儀のあと、遺品整理で見つけ出した在りし日のバストアップの写真は、焼却処分するのをためらったほどでした)、さぞかしモテたことでしょう。
ところが若気の至りってやつで、ちょっと古いが、『チョイワル親父』風の男に惚れ、親の反対を押し切って結婚してしまったのです。
どうやら人生の岐路に立った際の判断については、聡明なるメーテルには遠く及びませんでした。
この『チョイワル親父』が、じつは背中に入れ墨の入ったやくざでした。少なくとも下っ端のようでしたが。
叔母は隣町で喫茶店を経営しながら夫婦生活を送っていました。
ところがおおかたの予想どおり、5年ほどで破綻。やくざの夫がよそで女を作ったため、叔母が激昂し(美人でしたが、蛇年生まれで気性が烈しかった)、店を閉め、実家に帰ってきたのです。僕がまだ小学5年生ぐらいのころだったのではないか。
実家に帰ってきて間もなくのことでした。
当時、僕の家は、祖父母たちが住む母屋(本家)に対し、息子夫婦たちが生活する離れで暮らしていました。この2軒は30メートルほど離れていたでしょうか。叔母は、母屋の方に出戻ってきたわけです。
ある日曜日の昼下がり。叔母は実母(僕からすれば祖母)とともに、やけに騒がしく、僕の自宅の前に来たではありませんか。
家には僕しかいませんでした。外で言い争う声が聞こえる。男の恫喝する声が混じっておりました。
窓のすき間から庭をのぞきました。
祖母と叔母、そしてやくざの元夫がすごい剣幕で口論しているのです。なんとその手には、出刃包丁が握られておりました。
どうやらガラの悪い元夫が、叔母にいますぐ戻ってこいと説得しているようなのです。もろに巻き舌。ステレオタイプのやくざです。
それに対し、戻るつもりはないと叔母が鋭く言い返し、祖母が加勢しているという図。
そのうち興奮してきた元夫が包丁をかざし、二人に迫りました。
親子はあわてて僕の家の玄関に入り、引き戸をピシャリと閉めました。すかさず錠を掛けたと思います。
戸の向こうで元夫が、「出てこい!」と吠えました。無理やり開けようとガタガタ揺らしています。そうはさせまいと、二人は必死で押さえ、抵抗していました。
その様子を、寝室の戸のすき間から、僕はまるで病理学者のように見つめていました。ほんとうは二人に加勢すべきなのでしょうが、いきなりの修羅場で、身体が言うことを聞かない。誰だってそうなるでしょう?
玄関の戸が破られたら、みんな刺し殺されるかもしれない。皆殺し。僕の場合はとばっちりでしょうが。――そんな不安が頭をよぎりました。
ですが、さんざん押し問答したあげく、元夫はあきらめたようでした。捨て台詞を吐き、ようやく帰っていきました。
あのときは心底、胸をなでおろしました。親子は抱き合って喜んでいました。僕はあえて見て見ぬふりをしました。
……騒動のあと、叔母が心を入れ替え、両親の面倒をよく見るようになりました。当時は曾祖母も母屋で寝たきりでいたから、介護を一手に引き受けたものです。彼女なりの贖罪のつもりだったのでしょう。
僕の母は、長男の嫁という古臭い縛りがあって苦労しましたが、介護に関しては、この叔母の働きに少なからず助けられたと思います。あくまで介護に関しては、です。
叔母はその後、再婚することなく、両親のもとで献身的なサポートを続けました。
ほんとうは地元で就職して、家計を助けるべきだったでしょう。いかんせん祖父母らは元農家。国民年金生活者のもとでいっしょに暮らすわけだから、ふつうに考えれば生活が楽ではない。もっとも祖父は軍人恩給をもらっていたので、わりと左団扇の生活を送っていましたが。それでも後ろめたさがあったのだろうと察します。
何度かチャレンジしたようです。
ところが、美人だが気性の荒い叔母が仕事についたところで、閉鎖的な田舎のこと。いらぬ噂が広まり、孤立してしまう。たびたび言い争いにもなったのでしょう。やられると脊髄反射的にやり返すタイプでしたから。ことごとく長続きしませんでした。
結局、親父(つまり叔母にとって兄にあたる)の農業の仕事を手伝いながらの生活になりました。一時期、母とも確執がありました。
その余暇を利用して山歩きを楽しみ、松茸狩りを憶えるようになったのです。そこから拙作『松茸が生える在り処は誰も教えてくれない』の着想が生まれたと言っても過言ではありますまい。
じつは松茸狩りというのは、言い方が悪いかもしれませんが、よほどの暇人じゃないとできないのです。秋の収穫時期は、農家も忙しいのだから、悠長に山歩きなどしていられない。暇人だからこそ、松茸狩りの腕前がうまくなり、ひいては一輪車に山ほど収穫できるほどの名人になれたのです。
幸か不幸か、おかげで人並み以上に松茸に関しては恵まれた環境でした。
――ですが、恩恵は松茸だけでした。
この叔母は過剰なほど酒・タバコをやる人で(そりゃ、僕とて酒ぐらい嗜みますが)、おまけに年々被害妄想がひどくなり、隣人の誰々が僕たち家系を呪っているだの、稲荷神社の狐が憑りついているだのと家族をふりまわし、おかしくなっていきました。この間にも話のネタに使えそうなエピソードが満載なのですが、本筋から外れますので、あえて省略します。
ついには宗教に没頭し、ますますエスカレートしていった。
やたらと般若心経を唱え、地元の神社を行脚する。その姿は鬼気迫るものでした。
麻原彰晃にはとても及びませんが、かなり屈折した人格に変わっていきました。それを正そうと、僕の両親や叔母の二人の姉たちはたいへんな苦労を強いられました。その甲斐あって、多少なりとも軌道修正はできたはずです。
結局、この叔母は不摂生がたたり、十二指腸のガンで命を落とすわけです。50代半ばの生涯でした。入院・手術費用や葬儀代も、僕の両親が借金をしてまで工面しました。人のいい親です。ほんとうは突き放してもよかった。
いくら身内とはいえ、ましてや故人に対し、こんなこと言うのも憚られますが――最後の最後まで、みんなに迷惑をかけ続けた人でした。
ところがです。いまさらですが――。
生前の叔母が徐々におかしくなるにあたり、もしかしたら僕にも非があったのではないかと思えてくるようになったのです。
というのも、叔母が元気だったころ、母屋で暇を持て余しているものだから(しかもヘヴィー級の宵っ張りでした)、やたらと僕の本を貸してくれとやってきたのです。
それで、ホラーファンなら誰もがご存知の、スティーヴン・キングやディーン・R・クーンツ、リチャード・マシスン、シャーリイ・ジャクスンをはじめ、往年のモダンホラー小説を貸し与えました。古くはブラム・ストーカーの名著『吸血鬼ドラキュラ』も。
それさえ面白い面白いと読破するものだから、ロバート・R・マキャモン、F・ポール・ウィルソン、ピーター・ストラウブ、 クライヴ・バーカーやらと、マニアックな沼地へと導いてやりました。
恐るべきスピードで読了し、ますますせがんできます。貪欲なまでの読書欲に開花したのです。
当時の僕の本のコレクションは、そこそこの数だったと思います。じつは買い揃えただけで、積読状態の本が圧倒的に多かった。叔母は持ち主をさしおいて、読み散らしていくわけです。まあ、先を越されようがかまわないのですが……。
叔母は小説のみならず、ノンフィクションや漫画まで読みました。
漫画に関しては、僕が生涯敬愛する諸星大二郎をいたく気に入り、何度か酒を飲み交わしながら、諸星作品について熱く語り合ったものです。あの作品がよかった、あのキャラクタがどうの、あの作品のテーマが云々と。――僕が布教し、洗脳してやった成果です。
とにかく本棚の本を、片っ端から貸さねばならないようなありさまでした。旺盛な知識欲というか、知的好奇心はとどまるところを知らなかった。
エログロの江戸川乱歩や横溝正史、ガンとマシンのハードボイルドの巨匠・大薮春彦、極めつけは小栗虫太郎や夢野久作の『ドグラ・マグラ』をも制覇しました。ご存知のとおり、日本の三大奇書のひとつです。
『ドグラ・マグラ』を読ませた直後は、どことなくラリった様子でした。
僕も二度ほどコレを読んでおりますが、読むたびに頭がクラクラきます。ある高名な文章作法の先生いわく、「『ドグラ・マグラ』を読了するのは、42.195kmを走破するよりも難しい。それほどキチ〇イじみた内容だ」と言わしめたほどです。くり返しますが、僕はコレを二度読み、これからも機会があれば再チャレンジしたいです。チャカポコチャカポコ、です。僕はこの狂気が大好きです。
はてはコリン・ウィルソン監修の『殺人ケースブックシリーズ』などの凶悪犯・殺人鬼のルポルタージュやら、元東京都監察医務院長・上野正彦さんの、監察医系の著書まで読破していきました(それにしても僕の本棚はどないなっとるねん。いささか濃すぎる^^;)。
しまいにはせっかく揃えたはいいが、生理的に受けつけず、読むのを控えていたH・P・ラヴクラフトのクトルゥーシリーズにも彼女は手をつけました。というか、どうにでもなれと与えたというか……。
おそらく、このラヴクラフト全巻を読ませたのが、いけなかったのではないか。情緒不安定な人にこんなものを読ませるべきではない。
なのに、全巻を一気読みしてしまうなんて正気のサタデーナイト!
僕は罪を告白します。
彼女のハートに、バッチリ人工的な闇を構築させてしまったような気がするのでございます……。
もしや僕が貸した本のせいで、彼女は人格を歪ませてしまったのではあるまいか? なんだか本を通じて、人体実験をやらかしてしまった気がするのです。こんな類の本を集中的に読めば、どんなことになるか、僕でも試そうとは思いません。最悪モンスターを作りかねません。じっさい、叔母は相当影響されたはずです。積読だからこそ、僕は狂気に陥らなかった。
済んだことはどうにもならない。そうでしょ? 覆水盆に返らず。時すでにお寿司。
とにかくごめんなさい、政子叔母さん。このあいだのお盆は墓参りに行けず、申し訳ございませんでした。
……てなわけで、せめて拙作『松茸が生える在り処は誰も教えてくれない』は亡き政子叔母さんに捧げます。言ってみれば、僕なりの罪滅ぼしです。
しかし、いろんな人生があるもんですなあ……。
了