もうすぐ夏休み
興味本位で動きがちな高校生男子の日常の軽い冒険談です。
気楽に読んでください。
目の前に迫って来る包丁は月明かりに白々と光っている。月って、こんなに明るかったんだ。ぬかるみに尻餅をついて、口を開くが悲鳴すら出て来ないのに、頭は変な方向に冴えている。
何で、こんなことになったんだっけ?
ハチは小学校3年の一学期、八戸から転校してきた。お父さんは転勤族の上、家庭も複雑なようだったが、詳しい事は知らない。ハチというのは、「八戸の男」の略。東北なまりを揶揄したあだ名。一種のいじめだ。もちろん、ぼくたちのだれも八戸がどんな所か知らないし、この関東のはずれのベッドタウンの町だって十分に田舎だというのに。黙っていたら下の学年に見えるくらい小柄で、いつもつまらなそうな顔をしていた。たぶん、ここにも長居することはないと分かっていたのだろう。何度か、遊びに行ったことはある。ことさら仲がよかったわけではない。たまたま出席番号が続きだったのと、すぐ近くのアパートに住んでいたからだった。子供のころの付き合いなんてそんなもんだ。そして、居なくなった同級生のことなど、存在そのものを忘れてしまっていた。
「中野ダイスケやろ?おれや、西川や。西川トモキ。」
高校に入って、最初に声をかけて来たのは、ひょろりと背の高い、茶髪に眼鏡の見るからにチャラい男だった。それがだれだか、ぼくにはすぐには分からなかった。すぐにはどころか名乗られてもピンと来なかった。第一、関西方面に知り合いはいない。
「ほら、ハチや。小3のときに一緒だった」
「ああ、ハチ」
ぼくはあいまいに笑ってみせた。そんなやつがいたかもしれないという程度にしか思い出せないまま。
「変らんなあ、ダイノジは。まだあの火傷の跡、残ってるか?」
ぼくはようやく思い出した。夏休みの前の日、二人で公園で花火をした。そのとき、ぼくのズボンに火が移った。ぼくは慌てて池に飛び込んだ。火傷はたいしたことはなかったが、ずぶぬれで帰って来たぼくを見て母親が騒ぎ立て、しばらく外に出してもらえなくなった。ハチともそれっきりだった。
「おれ、今年から、大阪人キャラでいくからよろしく」
「え?じゃあ、今まで大阪に?」
「ホンマは和歌山やねん。でも、このへんの奴はさ、関西弁は全部大阪弁だと思うてるやろ。」
それはちょっとバカにし過ぎだろうと思ったが、否定もできなかった。ぼく自身、ネイティブの大阪弁なんて、聞いた事はない。テレビで見るお笑い芸人の言葉という認識だ。そういえば、彼は小学校のときは東北なまりだった。その時々で言葉も、キャラも変えて行く、それが彼の処世術なのだろう。
学校は極めて平板だった。高校生活が、というわけではない。ぼくの十数年の人生が、可もなく不可もないように、やりすごすだけだったから。大事件も起きなければ、彼女ができたりもしない。退屈だったが、特段の不満もなかった。
入学式の後から、ぼくは毎日のようにハチのワンルームマンションに入り浸っていた。もうすぐ夏休みになるとゆうのに、まだ、部屋には段ボールが積んだままで、生活感がうすいのに、テレビの前に放り出されたゲーム機のコントローラーだけが妙に生々しかった。そして、ぼくは今日もやたらに増えた洋服屋の袋を脇によけて、スペースを作って床に座りこみ、まんが雑誌を開く。
ハチは、段ボールをテーブル代わりに缶コーヒーを飲みながら唐突に言った。
「おれ、オカルト同好会作ろうと思うてな。」
「は?オカルト?」
「ほら、女子って恐い話好きやろ。で、パワースポットっていうか、心霊スポット巡りとかして、盛り上がりそうやん。盛り上がったら、その流れで、今度は二人きりでどっか行こかって展開も」
「ばかばかしい。」
「何のためのマンションやねん」
「いいよなあ。お前のとこは。こんなゲームばっかの息子にマンション代出してくれるような金持ちで」
「べつに、金持ちちゃうで」
「え?」
しまった。ハチが自分から言わない限り触れないでおこうと、今まで、家族の話は意識的に避けてきたのに。
「オヤジは4月から北海道へ転勤。妹はいじめにあって学校行けんようになってな、今、秋田のじいちゃんのとこ。オヤジの実家や。で、オフクロは浜松や。」
ハチはポテチの袋を開けて段ボールテーブルに置く。
「オフクロの方のばあちゃん、去年けがして入院したんよ。オフクロがさあ、もうばあちゃんを一人で放っておけんから静岡で一緒に暮らすって言い出したとき、おれに『お父さんとこのまま日本中歩き回って暮らすか、お母さんと静岡に行くか』って。」
ぼくは地雷を踏んだ予感に、頭がぐるぐるした。
「おれなあ、ばあちゃんのことはきらいやないけど、一緒に暮らすのは何か違うと思うたんや。高校入ってまで転校したくなかったし、一人暮らしさせてもらう事にしたんや。どこでもよかったんやけど、ここなら東京ほど物価も高くないしな。これでも気使たんや。まあ、軽い一家離散やな」
ハチはケラケラ笑ったが、話が重い。返しに困ったぼくは無理矢理話題を引き戻す。
「だいたい、心霊スポットとか、この町にあるのか?」
「あるある。調べてみると、けっこうあるんよ」
「本当か?」
「お前、地元民のくせに何も知らんねんな。」
ハチは段ボールテーブルの上のポテチをよけてタブレット端末にグーグルマップを表示させた。
「富山第2ビル。8人も飛び降り自殺しとる」
「そりゃあ、この辺で一番高いビルだからだろ。飛び降りること考えたら高いほうが」
「そうやない。呼ばれるんや」
「呼ばれるって?」
「霊にきまっとるやないか。あそこはもともとでかい寺があったんだけど、織田信長が焼き討ちに」
「はあ?ないない。だって駅からこっち側は江戸時代中期以降に開拓されたんだから、でかい寺どころか、信長の時代には人住んでなかったよ。」
「じゃあ、飯乃川の崖。車が何台も落っこちるって。あそこは平家の落人が」
「それ、飯乃村の間違いじゃないの?ここから40キロくらい北。平家の落人伝説があるのは、飯乃村で、川は関係ないから。あの崖は長い下り坂にカーブがあるから昔から事故が多いんだよ。」
「マンション秋川。2年で4人の住人が変死してるで」
「あそこは、築40年超えで、住んでる人も老朽化してるからね。老人になれば、持病があったりして、突然死する人が居たって不思議じゃないよ」
「荒木橋は?飛び込みの名所。あそこの河原は昔刑場が」
「あんな狭い河原で処刑なんてできるかなあ」
「お前、おれに恨みでもあるんか。なんでもかんでも否定しやがって。何でお前、そんなこと知っとんねん」
と、ハチはいらだったように言う。
「ぼく、中学で郷土史研究会だったもん」
「なんやあ、だったら、専門家やんか。早よ言わんかい。」
と、180度態度を変えたハチはぼくの首を抱え込んで髪の毛をかき回す。
「いや、オカルトの専門家じゃないから」
「似たようなもんや。じゃあ、ソレっぽい所も知っとるんやろ?」
「だから、そんなスポットないって。死んだ人がたくさん出た場所っていうんなら、今の第3小学校があるあたりは、戦争のとき、空襲で焼け野原になったって聞いた事あるけど」
「あんまり化けて出そうにないなあ。」
「じゃあ、駅の東側で縄文時代の人骨が出たけど」
「ちょっと違うんだなあ。なんていうか、雰囲気?ノリ?空気?っていうか、ぽさ?わかれや!」
「さっぱり分からない」
「よし、ほんなら、一つ見に行ってみよ。自殺現場やないけどな。ネットで話題のパワースポットや。すぐそこなんや」
ぼくたちはしゃべりながら夜の通りに出た。この辺は住宅地で街灯も少なくて、子供のときから通り魔とかの噂があって、オカルトとは別の意味でちょっと怖い場所だ。
「ネノコクマイリ?何だそれ?」
「ほら、わら人形に釘打って呪うやつ。お前、優等生のくせに無知やなあ」
ハチは自転車を押して歩くぼくの肩に腕を回して引き寄せた。小3のころの、にこりともしない子供のイメージからあまりにかけ離れてしまった彼に、ぼくは今でも戸惑っている。
「え?何?お前、だれか呪いたいの?」
ぼくは軽く引いている。
「ちゃうちゃう。おれがやるんやない。ちょっと、おもろそうやないか」
「おもしろいのかなあ?」
「いっぺん見たないか?」
「見たいの?」
「はは。ビビっとるんやろ、お前。この先やで。パワースポットやいうて、ネノコクマイリのメッカになっとるんや。」
「行ってもやってるとはかぎらないだろ?来るか来ないか分からないもんをただ待つの?」
「ええやないか。見れたらめっけもんや」
それから1時間。ぼくたちは林の中に座り込んで、虚空をにらみ続けていた。見通しの悪い木立の向こうにはひときわ大きい杉の木。たぶん心霊スポットというのがここなのだろう。
9時をまわって退屈なのと空腹なのに加え、雨まで降ってきてぼくの我慢も限界だった。
「ぼく、行くわ」
立ち上がったぼくをぽかんとした顔で見上げながら
「なんや、トイレか?」
と、ハチは気の抜けた事を言う。
「帰るんだよ。お前も、もう、気が済んだだろ?」
「もうちょっとや」
「ちょっとって、いつまで待つつもりだよ」
「だから、もうちょっと」
「あのねえ、ネノコクって午前2時くらいでしょ。あと5時間もこうしてんのか。ばかばかしい。粘るのは勝手だけど、ぼくは帰る」
「ああ。もうええ。ビビリのお子様は早よ帰り。」
この言い草にはぼくも頭に来て歩き出した。ちゃんとした道すらなく、でこぼこの地面は湿った苔で歩きにくくて、気持ち悪くて、余計にいらだちをかき立てる。
「わああ!」
闇に響き渡る悲鳴に脚を止める。ハチの声だ。反射的にきびすを返す。
「何するんや!おっちゃん、堪忍!!」
林の奥ではハチが地面にうつぶせに組み伏せられてもがいていた。
「ハチ!」
ハチを押さえつけた相手の男がゆっくりと顔を上げる。クマのように大柄の男は次の瞬間にはぼくの首根っこを捕まえていた。
「放して下さい。怪しい者じゃありません!」
自分でも実に間抜けな言い訳をしたものだ。
「話は向こうで聞く。一緒に来なさい」
クマ男はぼくたちの腕をつかんで、足早に歩き出す。ハチは身をよじってささやかな抵抗を試みている。ぼくはすっかり観念していた。男から暴力的な気配は感じられなかったからだ。
唐突に林が切れて視界が開けると、直接民家の庭に出た。民家と言っても、邸宅と表現すべき立派な日本家屋だ。丸く刈り込まれた植木と芝生の庭に面した縁側に細身のシルエットが現れる。赤白のボーダーのTシャツにGパン、丸い眼鏡で、ウォーリーを探せから抜け出して来たようだ。たぶんウォーリーよりはだいぶ年上だろうが。
「お帰りなさい、よっちゃん。あらあ。降って来たわね。今日は二人なの?ちょっと、泥だらけじゃないの。そのまま上がらないでよ。雑巾もってくるから」
言葉つきはおねえ調で柔らかいが、有無を言わせぬ圧力がある。
「高田さーん。何か、ない?腹減った」
奥から紺のスエット姿の若い男が顔を出す。ぼさぼさの茶髪は下の方が2センチほど黒い。
「もう、あんたは。今起きたの?ちょうどよかった。この子たち、お風呂に入れて。このまま座敷に上げると汚れちゃう。」
3人に囲まれてはぼくたちに逆らう術はなかった。廊下の端の風呂場へと追い立てられて行く。
純日本風の家の割には風呂場はショールームのように明るくて、ジェットバスまであって、ハチは大はしゃぎだ。浴槽の中からぼくの背中にお湯を飛ばして挑発する。
壁際にならんだシャンプー、リンス、ボディーシャンプーに何だか分からないチューブ類は尋常の数ではなくて、ちょっとしたドラッグストアのようだ。迷ったあげくに透明なオレンジ色の固形石鹸を手にとったが濃厚すぎる香料にたじろいだ。
「あんたたちの服、洗濯してるから、ここに着替え、置いとくからね」
と、ガラス戸の向こうから声がかかる。どうやら高田とよばれたウォーリーはこの家の主婦的存在のようだ。
「何があったんだよ。何で、捕まってたんだ?」
ぼくは体を洗い終わって泡を流してしまってもオレンジの匂いが染み付いているような気がして何回も湯をかぶる。
「お前が帰ってすぐや。ついに来たんや。」
「あのおじさんが?」
「ちゃうわ。わら人形や」
「ほんとに来たの?!」
「残念やったなあ。あと2分待てばなあ。短気は損気やなあ。」
と、ニヤニヤ笑う。
「いいよ。べつに」
「ところがな。わら人形が始まった所で、あのおっさんに捕まってしもうて。ここに連れて来られたわけや。わら人形のねえちゃんも逃げてしもうたみたいやし」
「お前、何かしたの?」
「さあ?」
「さあって、」
「・・・ありがとな。戻って来てくれて」
「でも、結局二人とも捕まったじゃないか」
「あほか。助けられる奴がかけつけてくるのは当然や。何もできんやつが、来てくれたんが値打ちもンやて言うてるんや」
褒められてるのか、けなされてるのか、ぼくはあいまいに笑う。
脱衣場にあった大きすぎるジャージを着る。サイズ的にはクマ男のか。
座敷の真ん中に据えられた大きな座卓にはホットプレートが2つ。上では一面にホットケーキが焼けている。ウォーリーがエプロン姿でせっせとボールに入った生地をかき回していて、クマ男とスエットは分厚いホットケーキをぱくついている。
「あんた、甘いもの食べ過ぎよ。」
と文句を言いながらウォーリーがクマ男の皿に次のを乗せる。
「あんた達も座って食べなさい。バターとジャムとメープルシロップはセルフサービスね。」
これは何だろう。怒られると思ったのに、むしろ、歓迎されているのか。
いぶかりながらも、かぶりついたホットケーキに絶句する。サクっ。続いてモシュ。香ばしくこげた表面の下は緻密なスポンジ。中心部に近づくほど水分が多く、スフレに近い食感のグラデーション。甘くなくて優しい味。
「おいしいでしょ。高田オリジナルブレンドよ。」
ウォーリーは自慢げだ。
「ほんま。こんなん初めてや。」
ハチはこれでもかというほどメープルシロップをかけて、というよりシロップ漬けにして食べている。
気がつくと、ウォーリーとクマとスエットが向かいにずらっと座っている。
「さて、お腹も落ち着いた所で、聞かせてもらいましょうか」
「え?」
「あんな所で夜遅く何してたの?」
「べつに、何も・・・」
隣を見るとハチはまだホットケーキと格闘している。よほど腹が減っていたのか、答える意志がないということなのか。
「あのねえ、ここは私有地なの。何もしなくても、不法侵入なの。」
「あ、あの。そういうことなら謝ります。私有地って、知らなくて」
「フェンスがあったでしょう。わざわざ乗り越えて入って来たんじゃないの?」
「はい。」
「で、何しに来たの?偶然通りかかる場所でもなし」
「あのう、ここ、ネノコクマイリやってるって。一度見てみようって。」
「じゃあ、カメラ出して」
ウォーリーが手を出す。
「カメラ、ないです」
「スマホでいい。写真、撮ったんじゃないの?消去させてもらうよ」
「おれら、写真撮ってへんよ。撮る暇もなく、おっちゃんに捕まったんや」
ハチが憮然として言う。
「ここのことはだれかに聞いたの?」
「ネットにあって」
「どこのサイト?」
ぼくはハチの横腹をつつく。ハチはスマホを開いて見せる。
「何この女?着物着てわら人形持って自撮りしてんじゃないわよ。呪いって何か分かってないんじゃないの?」
と、写真に向かってぶつぶつ言うウォーリー。
「せやけど、おっちゃん。おれらより先に、あのわら人形の姉ちゃん捕まえんといかんかったんちゃう?」
「うん。両方捕まえられればそれに越した事はないんだが、順序としては、これでいいんだ。呪う方は、一回終われば、もう来ない。でも撮影に来る方はリピーターになるし、ネットに流すし、メイワク度としては上なんだよ」
クマ男は愚痴るときも野太い声だ。
「ぼくたち、そんなつもりは」
スエットはぼさぼさの頭をかきながら
「今回はたまたま撮影できなかったという事だろ?まあ、いいよ。今度やったら、その場でスマホ、叩き割るから。」
「せえへん言うとるやん。放っとけばええやん。わざわざ見回りまでして、暇か、おっちゃんら」
「暇でやってるんじゃないの。もうほんと住人としてはいやになってるのよ。ネットでここがパワースポットだなんて流したバカのおかげで、多い時は一晩に5個も6個もわら人形打ち付けてあるし。電車のない時間帯に車で来るでしょ。表の道路に路駐するのよ。それが、追突した、とか、救急車が通れなくなるとか、警察に怒られた事もあるし。勝手に来るんだからあたしらに文句言うのはお門違いなんだけどね。だから、こうして地道に個別に説得してお引き取りいただいて、二度と来ないようにするのと同時に、どこから情報を得たかを聞き取りして、サイトの管理者に削除依頼出して、けっこう面倒なのよね。」
ウォーリーもそうとう鬱憤がたまっているようだ。
ぼくはハチを睨みつける。余計な事を言うなと言おうとした瞬間、ハチは背後から茶色の固まりに飲み込まれた。
「わああ!何や、何や!」
叫ぶハチにのしかかっているのは巨大なゴールデンレトリーバー。一見するとくまのぬいぐるみかというほど丸々としている。
「こら、アヤコちゃん。降りなさい。ごめんなさいね。この子、お客さん大好きで、とくに若い男の子に目がないもんだから。ほら、いらっしゃい!」
犬は従順に主人のもとに移動して、傍らに座るとまっすぐに主人の顔を見上げ、ハッハッと短い息を吐く。
「ああ、いい子、いい子ねえ」
と、ウォーリーは両手を広げて犬バカ全開でなで回す。ぼくはホットケーキに毛が入るんじゃないかとちょっと心配になった。
レトリーバーに舐められた顔をジャージの裾で拭きながら
「なんも、おっちゃんらが見回りせんでも、その犬に番させとったらええんちゃうの」
「あら、うちのお姫様にそんなことさせられないわよねえ」
飼い犬に抱きついたウォーリーは犬を舐めそうな勢いである。吠えて追い払う番犬にはならなくても、ああしてじゃれつかれたら、たいていの人は逃げるんじゃないだろうか。
「ただいまー」
玄関の方から聞こえた声に続いて走って来る足音。座敷のふすまが勢い良く開いて、
「あー、ホットケーキしてる!待っててくれたら良かったのに」
甲高い声が飛んで来る。見慣れたグレーのプリーツスカートの制服が目に入った。
「お帰り、ミサトちゃん。手洗ってらっしゃい。塾はどうだったの?数学テストだったんでしょ」
迎えるウォーリーは犬と渾然一体となって床を転げ回っている。
「あー!ヤマミやないか!なんで、なんでこんなとこ、おんの」
山田ミサト、略してヤマミ。ハチがレトリーバーよろしく駆け寄る。
「ここ、あたしん家だもん。あんたたちこそ何してんのよ」
「あら、知り合い?」
ウォーリーが犬のかげから尋ねる。
「クラスメート」
とミサトが答える。
「つれない言い方やなあ」
「それ以外の何だって言うの!」
ぴしゃりと言いきる。
あれえ、山田ミサトってこんなにはっきりしゃべる子だったっけ?黒髪のおかっぱで、かわいくないことはないんだけど、どっちかっていうと暗いイメージっていうか、友達としゃべっているところを見た事がない。
「おれ、お前は同類やと思うとったけどなあ」
「気持ち悪いこと言わないで!」
「あはは。ミサトちゃん、てれちゃって。」
と、スエット。
「あ、ひょっとして、この子、カメラ小僧のふりしてミサトちゃんに会いに来たのかな?」
「たぶん、ない」
クマ男は憮然として答える。
「たとえ、そうでも、俺はこんな落ち着きのない男との交際は認めない。」
いつの間にかクマ男の膝の上には一匹の黒パグが鎮座しており、飼い主の手からホットケーキのお裾分けにあずかっている。
「だめだって、よっちゃん。ご飯以外のもの食べさせちゃ。ケンタロウまた太ったんじゃないの?」
と、ミサトはパグを抱き上げる。パグは空中で手足をばたつかせている。
「大丈夫。明日から、散歩増やすから」
「そういえば、初めてよね。ミサトちゃんの友達が来るのって。」
「友達じゃないって」
「なんにしろ、お祝いしなくちゃかな」
「大げさだなあ」
ミサトの後ろから長身のスーツ姿の初老の男が入って来る。絵に描いたようなしぶいおじ様だ。
「村田ちゃんもお帰り。いつも悪いわねえ。雨降るたびにミサトのお迎えに行ってもらって」
「いやあ、車出すくらい、いつでも」
そういえば、次から次とおっさんが出て来るが、一体、何人いるんだろう?
ミサトはぼくのいぶかるような視線に気がついたのか、
「よっちゃんがここの地主、言ってみれば大家サン。で、前田さんと村田さんはここに下宿してるようなもん。あたしとパパもね。」
と、ウォーリーを指す。ん?パパ?名字が違うけど、複雑なのかな?あえて聞かない。
「ああ!シェアハウスか。おしゃれやなあ!」
「シェアねえ。最近はいい言葉ができたもんだ」
スーツが苦笑する。
ハチはそれで納得したようだが、ぼくにはいまいちだった。
結局、真夜中になる前にぼくたちは村田さんの車で家に送ってもらった。
翌日は金曜日、学校で顔を合わせてもミサトは何もなかったように、鮮やかに無視してくれた。ハチはバイトだと言って先に帰って行ったのだが、夜遅くに電話がかかって来た。今、市立病院だという。
とりあえず駆けつけたとき、ハチは頭と脚に包帯を巻いて、薄暗い待合室でうなだれていた。
「どうしたんだよ。」
「おれ、スーパーでバイトしてたんやけどな、いきなり、棚が倒れて来て、下敷きになってしもて。脚はねんざや。頭のほうはちょっと切れただけで済んだんだけど、打ち所が悪かったら危なかったって。」
「良かった。もっと死にそうな怪我かと思った」
「おれ、死ぬンや」
「はは、ねんざじゃ死なないよ。」
「そうやない。おれ、殺される」
「何言ってるの?」
「今朝からおかしかったんや。なんか、登校途中で車にはねられそうになるし、階段で滑って落ちたし。バイト行くのに電車に乗ろうとしたら、ホームから突き落とされそうになって。とどめはスーパーの棚や。おれ、絶対、たたられとる!殺される!」
たたりじゃなくて、それは自分の不注意と落ち着きのなさが原因だろう。ホームから突き落とされかけたというのも、混んでてぶつかっただけかもしれない。
あまりにハチが騒ぐので、ぼくは自分の家に連れて行った。家に来る友達は少ないので親も歓迎する。ハチは家に来る度に
「ええなあ。一軒家。おれもいつかこんな家に住みたいなあ」
「こんなボロ屋が?」
「このこじんまりした感じがええねん」
と、いつもの会話をしてまったりしているときにハチのスマホが鳴った。
「はい。管理人さん?なんです?良く聞こえないんですけど。おれですか?今、友達の家ですけど。無事か?え?火事?火事てなんです?はあ?マンションが火事?!」
そういえば、さっきから、消防車のサイレンが聞こえている。ハチは血相を変えて飛び出した。ぼくも自転車で追いかける。途中からハチを後ろに乗せて約10分。漂うけむりでほんのり視界が濁ってくる。咳き込むほどではないがのどに刺激を感じる。野次馬をかき分けて進むために自転車を下りて押して歩く。遠くに3台の消防車、それ以上の数のパトカーと規制線。投光器でここら一帯の夜が切り取られたよう。どれも初めて目にする光景だ。
火はすでに消えていた。
管理人とマンションの住人が警察官に取り囲まれるようにして話している。そこへ駆け寄って行くハチ。
ぼくは歩道の縁石に座ってぼんやりそれを眺めていた。野次馬も三々五々散って行く。
ハチが無言でぼくの隣に座る。一つ大きく息をついてから
「放火らしいて。裏口のとこから火出てたて。ぼやで済んだて言うけど、けっこう燃えたやないか」
と、すすで黒く染まった外壁を見上げる。
「絶対、おれ、呪われとる」
「まだ言ってるのか」
「おれ、あの部屋には帰りたないなあ」
「じゃあ、今日は家に泊まる?」
ハチは頭を振る。しかたなく、カラオケに付き合うハメになった。
ピザとウーロン茶を前に、ハチはやけくそのように歌い続ける。お世辞にも上手いとはいえない。(これほどとは思っていなかったが)
「でも、何でお前が呪われるんだよ」
「冷やかしに心霊スポットなんか行ったからや」
「だったらぼくも呪われてなきゃおかしいだろ」
「お前の身にも多分これから起こるんや。」
などと、物騒なことを言う。
「あり得ないよ。じゃあ、あそこに住んでるヤマミたちはどうなるんだよ」
「免疫ができてるんじゃないの」
「呪いの免疫なんて聞いた事もない。」
「お前が知らんだけや」
「よし、じゃあ、明日、あの家に行ってみよう。呪いなんてないって証明してもらおう。呪いがあるなら、対処法もあるはずだよ」
「そうや。当事者に聞くのが一番やな」
朝一で山田家に向かった。いかにも夏らしい快晴で、立っているだけで汗がにじんで来るほどだ。オールでカラオケの後にはこたえる暑さだ。明るい所で見る山田家はこの前よりもっと立派で、重厚で、お屋敷感があった。その立派な玄関先に背広姿の男の後ろ姿があった。ガタイはいいが、柄は悪い。対応しているのはヤマミだ。タンクトップにホットパンツというスポーティーな格好で、すぐには彼女と分からなかった。
来客中らしい。遠慮すべきか考えあぐねてぼくたちは門の近くに突っ立ったままそれを見ていた。
「だから、今、親は出かけてます。いつ戻って来るかは分かりませんから、お帰り下さい」
「来る度に同じことを言うね、お嬢さん。そうそう出かけっぱなしってことはないだろう。待たせてもらう」
「無駄だと思うけど。」
「大人を舐めるな!会うまで帰らないからな。」
男が大声を張り上げる。
「今日という今日は話つけるまで、帰らねえ!」
「本当にずっとここにいるつもり?」
「ああ、絶対ここから動かないぞ」
「絶対?」
「動かない。一歩たりとも動かない」
「あ、そう。じゃあ、動かないでね」
ヤマミは家の中に引っ込むとすぐにビニール袋を手に持って出て来た。袋の中から白い粉をつかみ出すと、それを地面に撒き始めた。男の周囲に一辺1mほどの四角を描く。そして四隅に白い掌くらいの大きさの紙を置いて小石で押さえた。
「何してるんだ?」
「じゃあ、おじさん。この四角から出ないでね。」
「なんだそりゃあ?」
「結界」
「結界?」
男は目を白黒させている。
「おじさん、帰るのは勝手だけど、その四角から出ると呪われるよ。」
「呪われる?」
「ま、でも安心して。あたし程度の能力じゃあ、おじさん一人にしか効果はないから。家族にまで類は及ばないわ。」
「何言ってるんだ?」
男がヤマミに近づこうとすると
「あ!危ない!」
男は反射的に脚をもどす。
「だから、危ないって。まあ、信じる信じないはおじさん次第だけどね。」
ヤマミはこっちを手招きして
「いつまでそこにいるのよ。用があって来たんでしょ」
「おじゃまします」
まるで旅館のように広い玄関では、汚れたスニーカーを脱ぐのが気後れしてしまうが、ハチはそういうことは気にしないようだ。
「なあなあ、今の何?呪いって何?」
とハイトーンボイスでまくし立てる。
「この世にそんなものあるわけないじゃない。え?もしかして信じてるの?ラノベの読み過ぎじゃないの。食卓塩とメモ用紙で何ができるってのよ。あのおじさんがしつこいからからかっただけよ」
と、カラカラと笑う。
座敷は3人だけだとひろすぎて落ち着かないを通り越して、どう座っていいか分からない。
頭から呪いの存在を否定されて、用事が済んでしまったからなおさらだ。
そのとき、縁側から声がかかった。
「あらあ。今度は普通に遊びに来てくれたの。ゆっくりしてってね」
ウォーリーは片手にレトリーバーのリードを持ち、もう片方の手にはサッカーボールくらいの白い物体を下げている。
「ああ、これ?ほんと、いやになるわよねえ。わら人形だけじゃなくて、最近はこういうのも置いて行くのよ」
ウォーリーが掲げてみせたものはニワトリの死骸だった。首が切れていて、わずかに残った皮で頭部がぶら下がって血がしたたっている。
ドサっ。
重い物が落下する音に振り返るとハチが倒れていた。まさかとは思うが鳥の死骸を見て気絶したのか。
「パパ、それ、どうしたの?」
「置いてあったのよ。人形といっしょに。ブードゥーの儀式かなんかやった跡があって、生け贄ってことかしら。今夜は水炊きにしましょうね」
ハチは座布団を枕に寝かせてある。ヤマミは用事があると言って出かけてしまった。ウォーリーは庭先で鳥の羽根をむしりにかかっている。ぼくは縁側から眺めながら
「おじさんが、さばくんですか?」
「こう見えても、元は生物の教師よ。解剖はさんざんやったわ」
元?なんか微妙な言い方。
「ようは骨から筋肉をはずせばいいのよ。構造がわかってれば難しくはないわ。労力さえ惜しまなければ可能よ。」
「はあ、そういうものですか」
「昨日はこんなものなかったから、殺したのは昨夜よ。問題はどこから持って来たかだけどね」
「どこって?」
「この近くに養鶏場なんかないし、小学校とかで飼ってるやつなら盗んでくるのは難しくないと思うわよ。それだと、食肉用にちゃんと育てたやつほど味は期待できないかもね。それより、そっちの西川君は大丈夫かしら。解剖の授業で倒れる子はたまにいたけど、内蔵も出ないうちに倒れるって」
「ああ、こいつ、昨日いろいろあってナーバスになってるんです」
ぼくは昨日一日のハチの災難について話して聞かせた。
「で、本人は『おれは呪われとる』とか言って。実は今日はそれで来たんです。呪いなんてないって言ってもらえればこいつも安心するだろうと思って。」
「呪いといえば、ちょうどよかったわ。こっちも相談に乗って欲しい事があるのよ」
ウォーリーは作業を中断して、一枚の写真を持って来た。そこには大勢の生徒に混じって制服姿で鞄を下げたヤマミが写っていた。
「実はね、この写真は、この前見つけたわら人形についてたのよ。あんた達が入り込んだ夜よ」
「じゃあ、だれかが、ヤマミを呪ってるって?」
「あんた同級生でしょ。心当たりない?例えば、ミサトちゃんが誰かをいじめてるとか。ほら、あの子、ときどき、いけずな事言うじゃない?」
「いじめもいじめられもしてないと思いますよ。だって、彼女が学校で誰かとしゃべってるの見たことないし。」
ん?それじゃあ、はぶられてるみたいじゃないか。それもちょっとニュアンスが違う。彼女自ら、クラスメートと接点を持たないようにしてるみたいなのだから。
「でも、これほど恨まれるとなると親としては心配なわけよ。もうちょっと、よく思い出してみて」
ぼくはあらためて写真を見る。写真で見るヤマミは作り物っぽく整った顔をしている。
「先生ちゃうの?これ撮ったん」
急に耳元で声がして飛び上がりそうになった。ハチはぼくの肩に顎を乗せるようにして写真を覗き込んでいる。
「ハチ、起きてだいじょうぶなのか?」
「うーん、まだちょっと気持ち悪い。」
「じゃあ、寝てろよ」
「ちょっと、見してみ。」
ハチはぼくの手から写真を取り上げた。
「撮ったのが先生ってどういうことだよ?」
「生徒が大勢写っとる。みんな同じ方向向いとる。鞄もってるし、登校途中やろ。後ろのプランターは正門から玄関の間に並んでるやつやし。それから、斜め上のアングルから撮ってる。この場所を見下ろせる位置といえば、職員室と校長室と相談室やな。登校時間にそこにいるのは先生の誰かちゃう?」
ぼくはあぜんとした。瞬時にそこまで読み取れるのか。ハチって、ぼくが思っている以上に頭がいいのかもしれない。
「それから、この写真撮ったのはここ十日以内や。プランターの花をマリーゴールドに植え替えたんがそのころやから。」
すげえ。ぼくなんかプランターなんかあるのも気がついていなかった。毎日その前を通っているというのに。
「じゃあ、だれが撮ったかも分かったのか?」
「そこまで分かったらエスパーや。でも、うちの学校で女のセンセって何人もおらんやろ」
ぼくは女の先生を一人ずつ思い浮かべる。
化学の白田先生、身長152センチと小柄な上に童顔で生徒によく間違えられる。外見はかわいい感じだけどすでに子持ち。
美術の青木先生、この人は先生というよりアーチスト。授業より自分の作品作りに熱心で、生徒に恨みを持つほどの思い入れがあるとは思えない。
英語の黒田先生、とにかくビジン。男子生徒の憧れの的。最近、木下先生が告白して玉砕したのは周知の事実だ。
体育の赤川先生、この人はなし。だって、写真のヤマミの背景の隅に先生のジャージの後ろ姿が小さく写り込んでいる。
うちの学年に関わっているのはこの4人。(他の学年の先生のことはよく知らない。)いくら考えても、生徒を呪いそうなのはいない。
ボウルに山盛りの鶏肉とゴミ袋一杯の生ゴミができあがったころ玄関から
「ただいまー」
ヤマミの声。続く足音は二つ。
「あら、早かったわね」
「お邪魔します」
ヤマミに続いて入って来た男性はハーフパンツに黄色いTシャツ、シャツの胸にはくまのプーさんの絵がかいてある。服の趣味はともかく、さわやか系イケメン路線の若おじさんだ。手には一抱えもあるスイカを下げている。
「ご無沙汰してます。これ、みなさんで」
と、若いわりに常識人然とした挨拶をする。
「気つかわないで。川田さん。あ、お昼、そうめんでいいかしら?」
ウォーリーがにこやかに受け取る。
「あのう、それより、表で人が倒れてるんですが」
プーさんは顔を曇らせながら言う。
玄関を見に行ったウォーリーが
「ちょっと!手伝って!」
と、悲鳴に似た叫び声を上げる。玄関の外に背広の男がうずくまるように倒れている。朝、ヤマミがしゃべっていた男だ。声をかけるが反応がない。ウォーリーとぼくとプーさんの3人掛かりで座敷に担ぎ込む。
「大変。熱中症よ。まず、その背広脱がして。あたし、氷持って来るから」
ガタイのいいおっさんの背広はしぼれるくらい汗でびっしょりで、ワイシャツの下には虎の入れ墨が透けて見える。洗面器に氷水を持って来たウォーリーはおっさんのズボンベルトを外すと、いきなりパンツの中に氷を突っ込む。
「扇風機つけて。とにかく体温下げなきゃ」
と、脇の下にビニール袋に入れた氷水を押し当てる。
作業をしながら、
「みさとちゃん!あんた、高いほうのお塩使ったでしょ。あれ沖縄の塩なのよ。それから、放置しちゃだめでしょ。今日は35度にもなるんだから、下手すれば死んじゃうわよ」
と説教を始める。
「あのう、これ、やばいんじゃ?救急車とかよんだほうが・・・」
とぼく。
「ミサトちゃん、表に散らかしたお塩、掃除しときなさい。これでだめなら救急車呼ぶから。そのとき、へんな痕跡があったらまずいでしょ。いい?この人はかってにいすわって倒れたんだからね。万が一、警察来ても、それ以上のことは言うんじゃないわよ」
あのう、警察ってことはもう、この人死ぬこと前提ですか?
「あのう、この人、誰ですか?」
と、プーさん。
「不動産屋さんよ。笑っちゃうわよねえ。この辺、30年おくれて土地バブルなのよ。実は、巨大ショッピングモール作る話があってね、ここの土地も売ってくれって言われてるのよ。しつこいったらないわ。また、それをミサトちゃんがからかったりするから。ミサトちゃん、バツとして、スーパー行ってスポードリンク買ってらっしゃい。」
「えー」
ヤマミが口を尖らす。
「ぼくも手伝います」
ぼくは立ち上がった。スーパーは徒歩で10分少々のところにあった。行きは自転車の二人乗りだったが、帰りは荷台に500mlペットボトルのスポーツドリンク1ケース、前籠に10本を入れて押して歩く。途中のコンビニでアイスキャンデーを買って歩道で食べた。その間にたわいない話をした。ヤマミとちゃんと話しをするのは初めてだ。テストどうだったとか、学校の近くのコーヒーショップが改装したとか、ほんとうにたわいのない話だ。
「ネットにあそこが心霊スポットだって、流したのあたしなのよね」
ヤマミは唐突に言った。シリアスなのか、シャレなのか表情が読み切れない。
「そういうヤバい場所だってことになれば、ショッピングモールもよけてつくってくれるんじゃないかと思って。なんか、よくそういうのあるじゃない。工事で古い塚動かしたらたたりがあったりとか」
「たたりなんて、あるの?」
「あるわよ。なければ作るだけよ」
「作る?」
「さっきのやくざだって、ちょっと結界と呪文的なもので脅かしたら、出るに出られなくなって、熱中症で倒れるまで動けなかったじゃない。そういうのはね信じてないとか言う人でも、ひょっとしたらってどこかで思ってるものよ。だから、悪いことがあれば、かってに呪いと結びつけて怖がってくれる、それが、ネットで拡散して、都市伝説にでもなってくれたらめっけもんよ」
「でも、お父さんやなんかは火消しに必死になってるんじゃないの?」
「それは騒ぎがちょっと大きくなり過ぎたからよ。ネノコクマイリしに、車で来て、路駐してた人が近所の人ともめたりとか、マイリに来た人同士が鉢合わせして大げんかになって警察沙汰になったり。」
「つまりネットの中だけならよかったけど、現実的な問題で騒ぎになったのは誤算だったってこと?」
「まーねー。」
ヤマミはアイスの棒を舐めて当たりが出ていないと分かると、乱暴にそれをゴミ箱に突っ込んで、一人で歩き出した。
家に帰ると不動産屋はもう意識が戻っていて、ウォーリーに土下座をしていた。
「もう、『命の恩人』だなんて、大げさな。まあ、うちの子もあれだけど、あんたもあんたよ。子供のジョークを真に受けてんじゃないの。」
「いいえ。あのお嬢様のヤクザ相手に引かない度胸と言うか、肝の座り方というかはただ者とは思えません。うちにスカウトしたいくらいで」
「お世辞にもなってないわよ。わかったから、今日はスポドリ飲んで帰りなさい。次はもうちょっと涼しくなってからいらっしゃい。」
そこにスエットが顔をだす。
「ねえ、何騒いでンの?」
ウォーリーはスエットの方を見もしないで
「あんたもたまには朝といえる時間帯に起きたらどうなの」
「まだ、お昼前だよ」
と、プリン頭をかきながら言う。
「パパ、前田さんはサラリーマンじゃないんだから」
ヤマミが擁護する。
「たしか、漫画家さんでしたよね?」
プーさんが口を挟む。
「え?漫画家?ぼく、生の漫画家って初めて見ました!」
自分でもびっくりするようなテンションの上がり方で詰め寄った。
「漫画家っていっても、駆け出しっていうか、まだ連載も持ってないし。え?君、興味あるの?」
首がちぎれるほど頷くぼく。
「前田さん、仕事場見せてあげたら?」
スエットもまんざらでもない様子で仕事部屋に案内してくれた。意外なくらいきれいに片付いた部屋。デスクの上にでかいパソコンモニターが二つ。タブレットにキーボード。その横のラックにべつのパソコンとプリンター、イメージスキャナー。絵の道具は棚の方に押し込めた感じ。デジタルがメインなわけか。漫画家さんの部屋って、もっと資料とかが雑然と積み上げてあるのかと思っていたが。
作品も見せてもらった。絵は緻密でマンガというより、コマ一つが一枚のイラストという感じ。本人はずっと持ち込み続けてるけど、連載には至らないと言っていたが、それも納得。内容が難解なSFで一読しただけでは何の事やら。でも大いに盛り上がって、ぼくは夕方までここに居てしまった。その間、ハチは風通しのいい座敷で昼寝を決め込んでいた。なんだかんだでこの家が居心地がいいのか。
夕飯は鍋。朝の鳥である。ハチはさすがに手が出せないようだ。申し訳程度にシラタキとか椎茸とかつついている。
突然、クマ男ことよっちゃんが立ち上がる。
「どうしたの?」
「何か、音がした。裏を見て来る」
一同顔を見合わせる。だれも物音なんて聞いていない。よっちゃんが裏口を見に行く。ほどなくして戻って来た時には小脇に人一人抱えていた。
「裏に落ちてた」
よっちゃんはそれを座敷に放り出す。まだ十代の男の子、ぼくたちとかわらないように見える。
ハチはスイカをかじりながら、
「なんや、3年の野崎先輩やん」
「知り合い?」
「いや、直接は知らへんけど。見た事はあるちゅう程度や。バスケ部やけど、レギュラーに入れるほどやないし、成績も中の下かな」
ハチのやついつの間にそんな情報を仕入れてたんだか。
「今日はよく人が倒れるわねえ。」
ウォーリーはぶつぶつ言いながら奥から洗面器に氷水とタオルを持って来た。
「やだ、裏のポリバケツひっくり返ってるけど、この子かしら?」
「多分。」
とよっちゃん。
「まさか、あの中の鳥の残骸見て倒れたのかしら?」
ハチは今朝のニワトリを再度思い出して、顔をこわばらせる。
「何してたのかしら?泥棒?」
「ストーカーやろ」
ハチはあっさりと、さも当然のように言った。
一同驚いてハチの顔を見る。
「よく教室覗いとったんよ。誰かのストーカーかとは思うとったけど、なんや、ヤマミが目当てだったんかい」
ぼくはそんなのちっとも気がついてなかった。ハチはそれをずっと前から知っていたのか。
意識を取り戻した野崎先輩はあっさりヤマミへのストーカー行為を認めた。野崎先輩のスマホは隠し撮りしたヤマミの写真で一杯だった。
「よくもまあ、2ヶ月くらいの間にこれだけ撮ったものよねえ。消去させてもらうわよ」
と、一同あきれたというか、驚いたというか、引いたというか。
「ふうん。あんた、あたしの事、好きなんだ?」
ヤマミは野崎先輩の顔を覗き込んで意地の悪い笑みを浮かべる。
「はい。」
「本気で?」
「ぼくは真剣なんです。本当にミサトさんのことが好きで、ミサトさんのことをもっと知りたいと思って。その一心でつい、家にまで」
「あたしのことを知りたいなら、あたしに直接聞けばいいのに」
なんだか、ヤマミは獲物をいたぶる猫のようだ。
「この家のことも知りたい?」
「はい。」
「じゃあ、教えてあげる。よっちゃんこと吉田さんはママの最初の旦那さんでここの地主ね。で、こっちの高田健司が生物学上の父親。前田さんはママの元カレで売れない漫画家。村田さんなんか、ママと付き合うために仕事辞めちゃってフリーターだもんね。あ、川田さんは今彼だけど、よく遊びに来るのよね。そのうちここの仲間入りするから。」
野崎先輩は目を白黒させている。家庭が複雑なんていうレベルじゃないじゃないか。
「だから、あたしと付き合うともれなく、パパが5人付いて来るわよ。それも全員ほぼ無職の暇人よ。どう?付き合ってみる?」
夕食後、ウォーリーは見回りに行く時にぼくらも誘った。ハチはレトリーバーと戯れており、動く気配がない。ぼくは散歩がてらついていくことにした。夜空にはすっきりとした月が輝いている。もうすぐ満月か。
「驚いた?家のこと」
ウォーリーは手にした懐中電灯を振り回しながら歩いて行く。ちょうど傘を振り回しながら歩く小学生のように。
「ええ、まあ」
「そうでしょうねえ。高校生にはまだ分からないわよね。大人にだって分からないわよ。私ね、ミサトちゃんがこういうのいやなんじゃないかなと思ってたの。少なくとも、友達に知られるのは。でも、ストーカー君にみんなパパだって言ってくれたの、ちょっとうれしかったのよね」
「正直、驚いたけど、引いてはいないです。意外なくらい納得したっていうか。ぼくの知らない世界ってたくさんあるんだなあって」
「知らない世界ねえ。言い得て妙ね。私たちはね、サトミちゃん、ミサトのママね、が大好きで、男と女じゃなくなっても、ずーっと一緒に居たいと思って今の形になったの。いわゆる普通の家族じゃないけど、一種の家族だと思ってるの。」
「なんか、すごいな。」
「よかったら、これに懲りずにまた遊びに来て。」
そのとき、ふっと懐中電灯が消えた。
「あらやだ。電池切れかしら。ちょっと違うの取って来るからここで待っててね」
ウォーリーが消えてからここが、ぼくとハチが捕まったあたりだと気がついた。木立の向こうに大きな杉の木が見える。手持ち無沙汰に消えた懐中電灯をいじっていると、いきなり灯りがついた。その瞬間、光の中に白いものが見えた。白い着物の背中に長い黒髪。
「誰だ!」
ぼくはとっさに叫んだ。女が振り向く。頭に角のように蝋燭が立っている。口にくわえた櫛が歯のようだ。思わず、手から懐中電灯が落ちる。灯りが消える。
女は手にしたわら人形と木槌を放り出すとこっちに向かって突進して来た。その胸元には光る物が握られている。目の前に迫って来る包丁は月明かりに白々と輝いている。月って、こんなに明るかったんだ。ぬかるみに尻餅をついて、口を開くが悲鳴すら出て来ないのに、頭は変な方向に冴えている。
「ぎゃっ」
包丁がぼくに届く直前、女が叫んだ。手から包丁が落ちる。その腹部に棒状の物が食い込んでいる。後ろを見ると、ウォーリーが手にした棒で女を背後の木に押し付けている。よく見ると、棒の先は半円形になっていて女の胴を挟み込む形になっている。さすまたというやつだ。
ぼくは慌てて包丁をひろって遠くに放り投げた。
「ちょっと、ダイスケちゃん、怪我がなければ、これ、代わって」
ぼくがさすまたを引き継ぐと、ウォーリーはすばやく、粘着テープで女を後ろの木ごとぐるぐる巻きにして
「ほかに刃物持ってると困るから触るわよ」
と、身体検査をする。
「万が一に備えて、こういう護身用の武器があちこちに隠してあるのよ。実際使ったのは初めてだけどね。」
女の懐に入っていたポーチにはスマホと車の鍵とこまごました化粧品。危険物はなさそうだ。
「だめよ、急に声かけちゃ。相手もパニクって向かって来たりするから。っていうか、ネノコクマイリって他人に見られちゃだめなのよ。見られると、自分に呪いが返ってきちゃうの。だから見た人を殺さないといけなくなるのよ。」
え?殺す?ぼく、今、殺されかけたの?
女は下を向いて震えている。
「あんたねえ、今の殺人未遂よ。このまま警察呼ぶって方法もあるのよ。分かってる?」
女は下をみたまま頷いた。
「あたしはここの地主の家族よ。私有地に入り込んでそれだけでも不法侵入よ。分かる?」
女は再度頷く。
「呪いのわら人形なんてばかばかしい。それにここはパワースポットでもなんでもないの。地主が言うんだから確かよ。」
ぼくは女の落としたわら人形を拾って思わず声を上げた。そこにはハチの写真がついていた。ウォーリーに見せると
「まさかと思うけど、あんた、一昨日もここに来た?一昨日ここで山田ミサトを呪ったでしょう。」
女は驚いたように顔を上げる。ぼくは再度声を上げそうになる。モデルか芸能人でも通るかという、ゴージャスな美貌。黒田先生。
「どういうこと?」
「たぶん、一昨日ここでミサトちゃんをのろったときに西川君に見られたと気がついたんでしょ。で、自分に呪いが返ってくる前に、西川君も呪い殺してしまおうと思った、違う?」
「はい」
黒田先生はかろうじて聞き取れるかどうかという声で答えた。
「でも、一昨日は雨だったし、夜で顔なんか見えたのかな?」
と、ぼく。
「顔は見えなくても、彼の声特徴あるもの」
とウォーリー。声というか、この辺で関西弁でわめくのはハチくらいのものである。
「一番聞きたいのは、なんでミサトちゃんが呪われなきゃいけないかよ。」
ぼくは何気なく黒田先生のスマホを開いてみて、息をのんだ。野崎先輩の写真。とにかく、あらゆるアングルと場所。それも隠し撮りしたっぽいものまで。
「まさか、ストーカーのストーカー?」
ぼくからスマホをうけとったウォーリーはため息混じりに
「つまり、あんたはこの男の子を狙ってたけど、この子がミサトちゃんに気があるみたいだって分かって、ミサトちゃんを消そうとしたってこと?ばかばかしい。」
と、黒田先生の懐にスマホを突っ込んで
「今日、この子、家に来たわ。で、家族みんなで挨拶してあげたら、怖気づいて、二度とミサトちゃんには近づかないって約束したの。だから、あんたも、もううちの子にかかわらないで。そっちのことはそっちで片つけてね。さ、ダイスケちゃん。帰るわよ」
と、さっさと歩き出す。ぼくは林のコケに足をとられながら追いかける。
「あのままにしとくんですか?」
「粘着テープくらいすぐ千切れるわよう。あとは勝手に帰るでしょ。この件はこれでお終い!」
ウォーリーは断ち切るように言った。
「ミスターナカノ。続きを読んで」
月曜日。2時間目は英語。黒田先生はいつもと変わらぬ美貌。いつもと変わらない態度で淡々と授業を進める。
包丁で刺し殺そうとした人間を前にああも平然としていられるのだろうか。生徒にストーカーしてたり、家がパパだらけだったり、実は一家離散していたり、みんなそれぞれの世界を抱えて生きている。そんな一人ひとりを押し込めた教室って、実はとんでもなくホラーな空間かもしれない。
今日も真夏日。
もうすぐ、夏休み。
完